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天界法廷  作者: 咲良ゆう
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第4章




『4章』




 スレイもシルフィも日々の仕事を地道に頑張っている。

 それが実ってか、リトルフェザーの評判は少しずつ上がっていった。

 今でも仕事の九割以上は公選弁護だが、時折、以前に仕事を請け負った依頼人から新しい客を紹介されることもあった。


 ネットやテレビのCMには及ばないが、こういう人伝の紹介というのはバカにならないのだ。


「お兄ちゃん、法務省からお手紙だよ」


 郵便を取りに行ったミウが戻りながらスレイに言う。


「用件は?」

「開けていいの?」

「いいぞ」

「ちょっと待ってね」


 開封して内容を確認。


「お兄ちゃん、おめでとう! ランクGからランクFに昇格、ランクアップだって!」

「おめでとう、スレイ!」


 ミウとシルフィはスレイを祝福した。


「二人ともありがとう。まぁランクアップなんてどうでもいいけどな」

「ランクアップのメリットって、弁護士基礎報酬の上限を上げる事ができるっていう、それだけなの?」


 ミウがスレイに聞く。


「基本的にはね。あとはランクが上がると扱える仕事が増えるってのもあるよ」

「例えばどんな?」

「一番わかりやすいのは判事だな。あれはAランクになった上で試験に合格しないとダメっていう狭き門なんだよ」

「じゃあ今の判事さんって、全員Aランクってことなの?」

「そうだよ。だから判事になりたい奴や、基礎報酬を上げたい奴はランクアップに必死になるわけだ」

「ランクってどうやって上がるの?」

「法務省の審査だな」

「審査はどういう基準でやってるの?」

「一説にはどんな案件をどんな風に処理したのか、勝ち数はどうか、勝率はどうか、評判はどうかっていうのが関係あるとか言われてるけど、実際のところ審査基準はよーわからん。仕事をサボってると昔の俺みたいにランクは落ちるので、結局月並みな答えになるけど地道に仕事を頑張るのが一番の方法だと思う」

「そうなんだ。シルフィも頑張ってると思うけどランクが上がらないのはなんなんだろう?」


 ミウの言葉を聞いたシルフィが言う。


「私はHランクのままでも構わないよ。高額な料金を払えないような人を助けたくて弁護士になったわけだし」

「シルフィのそういう所、好きだよ。立派な心がけだと思う」

「ありがと」


 スレイが更にフォローする。


「まあシルフィのランクに関しては、そろそろ上がっていいかもな。何か大きなヤマを片付けたらランクアップするかもしれん」

「大きな仕事かぁ。何かあるといいね!」

「ふふ、そうだね」


 そんな事を話し合っていたら、来客を示すインターホンが鳴った。




* * *




 客は依頼者で、則人という名前の人間族の男だった。

 職場の先輩であるスミスの紹介で、やってきたとのこと。


「イジメ訴訟ですか……」


 話を聞いたシルフィは難しい顔で呟いた。

 シルフィの隣にはスレイが座ってる。


「はい。天界の法律は時効がないんですよね? だったら昔のイジメも訴えることが出来るんですよね?」


 則人は死亡時、二十九歳。

 イジメを受けたのは十七年前。

 中学一年から中学三年までの、およそ三年間である。


「そうですね。天界法廷に時効はありません。イジメ加害者を訴えることも可能です」

「でしたらお願いします」

「則人さんの死因は病死ですか」

「はい。死因はガンです」


 イジメが原因の自殺ならまだしも、病死ではイジメと無関係にもほどがある。

 もし引き受けた場合、厳しい戦いになりそうだ。


「イジメ被害の証拠はありますか? 例えば暴力を振るわれて怪我をした時の診断書とか?」

「ありません」

「イジメにより心に傷を負ったというPTSDの診断書でもいいですが……」

「ありません」

「うつ病など、心因性の病気の診断書は何かないですか?」

「ありません」

「………」


 これはますます厳しい戦いになりそうだ。

 シルフィは思わず無言になった。


 スレイが代わりに話を聞く。


「証拠はなんでもいいんですよ。イジメ被害を立証できるものであれば」

「僕がイジメられてた時、目撃者がたくさんいました。これって証拠になりませんか?」

「目撃者というのは、どんなイジメに対しての目撃者なんでしょう? 暴力とか悪口とか」

「何もしてないのに、いきなり頭を叩かれてり、バイ菌とか悪口言われたりしました」

「持ち物を壊されたり汚されたりは?」

「靴や体操着を隠された事はあります。証拠はありませんが、あいつらがやったに決まってます」

「『あいつらがやったに決まってます』じゃ証拠になりません。他に物的証拠はないんですか?」

「ありません」


 スレイもシルフィと同じように難しい顔になる。


「イジメっ子は何人でした?」

「たくさんいますが、主に三人です」


 加害者が複数の三人組というのは良い材料だ。


「三人を訴えたいのですか?」

「違います。訴えたいのはその三人の中でも特に一番イジメに熱心だった首謀者の雄一という奴です。他の二人は雄一に命令されてた部分もあったんで、それほど恨みはありません。高校になってその二人と同じクラスになったけど、イジメは全くなかったですし」

「加害者が複数のほうが勝ちやすくはなります。訴えるなら、三人まとめて訴えることをお勧めしますが?」

「うーん……」


 今度は則人が難しい顔をした。


「さっきも言いましたが、他の二人はあまり恨んでないんです。雄一が全ての元凶なんです。訴えたいのはコイツだけです」

「そうですか……」


 加害者が複数か単独かは大きな違いがある。

 これはやはり厳しい裁判になりそうな感じがした。


「証拠は目撃者のみで、物的証拠も診断書もなしだと……厳しいですね、ぶっちゃけ。勝てる見込みは二割ぐらいだと思います」

「二割!? イジメ裁判の勝率は五割と聞いたんですが!?」

「それは被害者が自殺したとか怪我をしたとかPTSDになったとかの場合ですよ。自殺してない怪我もしてないPTSDにもなってない、ときたら勝率は二割ぐらいに落ちます」

「引き受けてもらえないんでしょうか……スミスさんには頼りになる弁護士だと聞いてきたのですが……」

「スミスさんを担当したのは、こちらのシルフィという弁護士です」


 スレイはシルフィを親指でクイっと指さした。


「オマエの見立てはどうだ?」


 ついでにスレイはシルフィにたずねた。


「厳しいというのが正直な所ね……私も勝率二割ぐらいかも……」

「………」


 二人の弁護士に勝率二割と言われた則人は、肩を落として俯いた。


「そんな厳しいケースだったんでしょうか……」


 シルフィが肩を落としてる則人に提案する。


「もし良ければイジメ訴訟に強い事務所を紹介しますよ。スレイは顔が広いんです」

「いや、その必要はないだろ」


 シルフィの提案をスレイは断った。


「なんで?」

「他で相談した後なんでしょ? ウチに来たのは?」

「……!?」


 則人の表情がこわばる。


「どういうこと?」


 シルフィがスレイにたずねる。


「既に他の法律事務所に相談に行って、ウチは二番目か三番目か四番目か───知らないけど、補欠の候補ってこと───でしょ? 則人さん」

「……はい。すいません」


 則人はあっさり認めた。


「イジメ訴訟の勝率が五割なんて知ってるのは、業界関係者だけだからね。そりゃわかるよ」

「最初は無料法律相談所で紹介された、イジメ訴訟に強いという噂の事務所に行ってみたのですが、勝率が二割から三割と言われました。もっと勝率高い事務所はないかなと探してる時、スミスさんにリトルフェザーの事を聞いて相談するだけしてみようと思いまして……」

「ご希望に添えなくて悪いがウチも二割ぐらいだよ、勝率は。俺は引き受けられないな、この依頼は」

「そんな!?」

「スレイ!」

「お兄ちゃん!」


 則人はスレイに謝った。


「気を悪くしたなら謝ります。スミスさんにここは良い事務所だと聞きました。引き受けて頂けないでしょうか?」


 則人とシルフィとミウの三人の視線がスレイに注がれる。


「みな落ち着いてくれ。引き受けられないと言ったのは、俺はいま抱えてる案件で手一杯だからだ。だがウチの事務所にはもう一人、弁護士がいるだろう? そいつに聞いてみてくれないか? 仕事を引き受けてもらえるかどうかは」


 今度はスレイとミウと則人の三人の視線がシルフィに注がれる。

 (え!? 私!?)という顔をするシルフィ。


「引き受けてもらえないでしょうか?」

「ちょ、ちょっと待ってください。最初に相談した事務所が勝率二割から三割というなら、そっちにお願いしたほうがいいんじゃ?」

「大差ないです。それなら信用できる方に頼みたいです」

「私はHランクの弁護士ですよ?」

「ランクなんか気にならないぐらい、誠実で正義感溢れる方と聞いてます」


(私はそんな大層な奴じゃないんだけどね……)


「ちなみにイジメ裁判は報復権と慰謝料のどちらかを請求できますが、どちらを請求したいんでしょうか?」

「慰謝料がいいです。暴力も悪口も、あまり好きではないので……」


 則人は少し俯いた。


(優しい人なんだね)


「則人さんが受けたイジメを考えますと、慰謝料は一日につき1万ギルと考えて、土日を除くと一週間で5万ギル。一か月で20万。一年だと360万。イジメは三年ぐらいあったんですよね?」

「はい」

「でしたら三年間で720万ギル。ざっくり慰謝料は700万ギルほどが相場になると思います」

「倍返しをしたいので、1400万ギルでお願いしたいです」


 俯いていたのが一転、強く出る則人。


「1400万ですか……ちょっと難しいと思いますが」


 スレイをチラと見る。


「スレイはどう思う?」

「1400万は厳しいね。ただ───」

「ただ?」

「倍返しをしたいという気持ちは、わからなくもないよ」

「それは私だって……」


 イジメなんて卑劣なマネをする相手には、大きな代償を支払わせたいという気持ちはわかる。


「お願いします。助けてください」


 則人は頭を下げた。

 ここまでされたら、もう心は一つだ。


「……わかりました。この依頼、引き受けます」




* * *




 相手方の弁護士の名前を見た瞬間、シルフィの気持ちは暗く沈んだ。


「向こうの弁護士も決まったんだよね? どんな人?」

「正直、戦いたくなかった相手かな……」


 ミウの問いに元気なく答える。


「強敵なの?」

「そうね。私は以前、この人にボロ負けした事があるのよ」

「そうなんだ……」


 ミウもシルフィにつられて暗い表情になる。


「誰になったんだ?」


 気になったスレイがシルフィに聞く。


「デニスっていうリザードマン。私のデビュー戦の相手」

「そいつは因果な相手だな」

「うん……」

「気をつけろよ。一年前ぐらいに噂で聞いたんだが、そいつはランクこそDだけど一芸弁護士だぞ」

「一芸弁護士ってなに?」


 シルフィがスレイに聞く。


「そういや教えてなかったな。他は普通でも特定分野に精通してる弁護士のことさ。CDEの中間ランクに多いんだ。そいつは加害者側のイジメ裁判を得意にしてるってこと。噂を聞いたのが一年前ぐらいだったかな? 腕は更に上がってると思う」

「知らなかった……」


(昔の私って、そんな相手と戦ってたのか……)


「それってそんな強敵なの?」


 ミウがスレイにたずねる。


「強敵だな。イジメ訴訟に関しては、たぶん俺でも───というか、Aランクの弁護士でも負ける確率がけっこうあると思う」

「お兄ちゃんでも負けるんだ……」


 ミウは不安な面持ちになった。


「シルフィは大丈夫なの? そんな強敵なら、この案件はお兄ちゃんとシルフィの二人でやったほうが良くない?」

「いや、二人がかりでも勝つのは難しいよ。元々の訴訟の難易度が高いってのもあるけど」

「二人がかりでも勝つのは難しいって、そこまで強敵なんだ……」

「まぁそんな顔するな。油断するなって話だよ」

「そ、そうだよね! 相手は強敵らしいけどシルフィだって腕を上げたんだから、やってみないと勝負はわからないよね!」


 ミウは努めて明るく言った。


「その通り。この案件はシルフィに全て任せる。オマエも全力でシルフィをサポートしてやってくれ」

「任せて! シルフィ、わたし頑張るね!」

「……ああ、うん、よろしくね」


 元気よく言ったミウに対して、シルフィは力ない笑顔で返した。


 シルフィの胸には大きな不安が広がっていた。

 元々の訴訟の難易度。

 二人がかりでも苦戦するほどの強敵なのに、一人で立ち向かわなければならない重圧。

 記憶から消したい程トラウマになってる、デビュー戦の嫌な思い出……。


 不安材料ばかりが目につく。


(大丈夫なのかなあ……私……)


 訴訟に向けて張り切ってるミウと対照的に、シルフィは大きな不安を抱える事となった。




* * *



 ───その少し前───



 デニスが経営する法律事務所アトランティス。


「おい、シャンパンを用意しろ」


 獣人族の小柄なリス女に向かって、デニスは言った。


「シャンパンは切らしてますけども……あの…だって…先生、裁判はこれからですよね?」


 リス女はデニスの秘書だった。


「勝ち確の裁判の前祝いだ」

「勝ち確なんですか?」

「そうだ。相手のシルフィという奴はHランクの新人弁護士で、ウデもすこぶる悪いクソ雑魚だ」

「戦う前なのに、ウデが悪いって事までわかるんですか!?」

「俺は二年前、そいつに圧勝してるからな。本気を出すまでもない、とんでもないクソ雑魚だったのをよく覚えてる」

「でも二年前なら、成長してるんじゃ……?」

「大手事務所に居たなら成長もあったかもしれんが、いま所属してるのは聞いたこともないちっぽけな事務所だからな。仮に成長があったとしても、たかが知れるというものだ」


 デニスは自信たっぷりに言った。

 イジメ加害者の訴訟は何度も手掛けてるし、九割を超える驚異的な勝率を叩きだしてる専門分野だ。

 もし相手がAランクでも、勝つ自信はある。

 相手がAランクでも勝つ自信があるのに、実際の相手が以前に圧勝した新人とくれば、自信を持たないほうがおかしいレベルなのだ。


「これに勝てば俺の個人成績は通算千勝になるな。こういう節目の勝利数はランクが上がりやすいって話もある。完全勝利で千勝を祝うぞ。気合入れてけよ」

「はい!」




* * *




 リトルフェザー。

 自信たっぷりのデニスとは真逆で、シルフィは自信を無くしていた。

 仕事も些細なミスが目立ち、このところすっかり精彩を欠いている。


「シルフィ、裁判所に提出する書類って、これでいいんだっけ?」


 ミウがシルフィに書類を見せる。


「ああ、ゴメン。間違えた。書き直すよ」

「うん、お願い」


 二人の様子を無言で見てるスレイ。


「………」


 書類を書き直してるシルフィにスレイが言う。


「……おい、外見変更手続きはしたのか?」

「!?」


(しまった……忘れてた……)


 シルフィは暗い顔がますます暗くなった。


「してません……」

「なら急いでしたほうがいいな。裁判が始まってからだと認められないから」

「はい……」


 二人のやりとりを聞いてたミウがスレイに質問する。


「お兄ちゃん、外見変更手続きってなに?」

「人間族の裁判でよくあるやつだ。人間族は唯一、死亡しないと天界に来ることが出来ない種族だから、外見は死亡した時の姿になってる。でも申請して認められれば、外見を変えることは可能なんだよ」

「そんなシステムがあったのね」

「うん、お爺ちゃんやお祖母ちゃんの半数ぐらいは、若い時の姿になりたがる」

「気持ちはなんとなくわかるよ。若い時の姿になりたいっていうのは」

「もっと実用的な理由で変える人もいるよ。裁判では大人の姿より、子供の姿のほうが同情を引きやすい傾向にあるからな」

「ああ、なるほど」


 たしかに見た目が大人より、子供のほうが同情はしやすくなる。

 ミウは納得した。


「いつも子供の姿のほうが有利ってわけじゃないけど、イジメ被害者の裁判では間違いなく”イジメを受けた子供時代の姿”のほうが有利なはずだ。だからイジメ裁判において外見変更手続きは重要なのさ」

「なるほどねえ」

「………」


 スレイは浮かない表情をしているシルフィを無言で見つめた。




 浮かない表情のシルフィはおもむろに立ち上がり、スレイの机の前に来た。


「なんだ?」

「ねえ、スレイ……やっぱりこの案件、代わってくれないかな?」

「!?」


 ミウが驚いた顔をする。

 スレイは特に驚きもなく、シルフィに聞き返した。


「理由は?」

「……私なんかじゃ、この案件勝てないと思うの。元々の訴訟の難易度は高いし、相手は以前にボロ負けした強敵だし、冷静に考えると私が勝つ確率なんてゼロに近いんじゃないかなーって……」

「………」

「その代わりスレイがいま抱えてる案件は私が引き継ぐよ。この案件は私みたいなHランクの新人弁護士がやるより、スレイがやったほうがいいと思うの」

「………」

「シルフィ……」


 スレイは無表情、ミウは心配そうな表情でシルフィを見ている。


「どうかな? 代わってもらえないかな?」

「……貸せ」

「?」


 スレイは人差し指だけで手招きをした。

 耳を貸せというジェスチャーである。


「耳を貸せ」


 言われるまま、シルフィが耳を近付ける。


「バカ野郎!!」


 スレイは机をバンと大きく叩いて立ち上がった。


「勝てそうにないから辞めますだと? そんなん通るわけねーだろ! 俺たちはな、一度依頼を引き受けたら最後まで全力を尽くしてやりぬく義務があるんだ!」

「でも、勝率は少しでも高いほうが───」

「だからオマエはバカだと言うんだ! オマエはこれを引き受ける前に勝率二割と言っただろう! 二割なら俺と変わらん! オマエは相手にビビって逃げたくなってるだけだろ!!」

「………」


 図星を突かれたシルフィは、反論できずに押し黙った。


「クライアントはオマエを頼りにやってきたんだ。大手事務所に依頼する選択肢があったのに、わざわざオマエに依頼してくれたんだ。その気持ちに応えたいとは思わないのか!?」

「………」


 スレイがミウのほうを向いて言う。


「ミウ、”今やってる”クライアントの聞き取り調査の書類を持ってこい」

「あれはまだ途中で───」

「いいから出せ!」


 スレイに言われたミウは、聞き取り調査の書類を持ってきた。


「シルフィ、これはコイツが食堂の仕事を休んでこっそりやってる、クライアントの詳しい聞き取り調査書だ。なるべく多くの情報を集めたいと思ってやったんだろう。オマエの裁判に少しでも役立てたい一心でな」

「!?」


 知らなかったシルフィは驚いた。


「ミウ……」


 食堂の仕事を休んでまでしてくれた事に胸が締め付けられる。


「これはわたしが勝手にやったことで、シルフィに何か言われたわけじゃないし、役に立つかもわからないし……」


 俯きながらモゴモゴと説明するミウ。


「オマエにこの案件を降りて欲しいなんて誰一人として思っちゃいねーよ。皆がオマエに期待してるんだ。戦う前から逃げてどうするよ。そんなに逃げたいなら弁護士なんか辞めちまえ! 戦う前から逃げ腰になってる奴など、この事務所にはいらない」

「ちょ!? お兄ちゃん!」

「……今日はもう帰れ。一晩、頭を冷やして考えるんだな。今の仕事を続けるかどうかを」

「すみません……」


 ボソッと謝ったシルフィは、沈痛な面持ちで帰っていった。


「シルフィ!」

「追うな!」


 後を追おうとしたミウをスレイが制す。


「でも!」

「大丈夫だよ。アイツはきっと立ち直ってくれるさ」

「そりゃわたしだって、そう信じたいけど……」

「アイツは相手弁護士の強さにビビって萎縮していた。だから書類の書き間違いや、外見変更手続きを忘れるという、仕事のミスが多くなった。でも、それじゃアカンやろ? 多少おおげさでも活を入れてやる必要がある。戦う前から気持ちで負けてるようじゃダメなのさ」

「それにしたって言い過ぎじゃない?」

「いや、アイツは見かけよりずっと芯が強いよ。以前ぼったくりバーの仕事をとってきた時、俺は聞いたんだ。その仕事を受けるとアウトローの連中に恨まれるぞと。そしたらアイツはこんな風に答えた。『自分が弁護士になったのは、悪辣な組織やDQNから善良な人を守るためだ。恨まれる事なんか恐れてない』と」

「シルフィ、そんなこと言ってたんだ……」

「アイツが地上界で尊敬する人って、誰か知ってるか?」

「ううん、知らない。誰なの?」

「ヴェロニカ・ゲリンだよ」

「聞いたことないな。どんな人なの?」

「麻薬組織と戦ったジャーナリストで、銃撃されるという脅しを受けても戦い続けて、最後には至近距離から銃で六発も打たれて死亡してしまった人。この事件がきっかけで法律が変わって、麻薬組織は大打撃を受けたんだ」

「立派な人なんだね」

「まあね。わかりやすいヒーロー像というか、なんというか。アイツはこんな事も言ってた。『自分が殺されたら、もしかしたら法律が変わるかもしれない。例え変わらなかったとしても、自分の思いはきっと誰かに伝わる、何かは届く』って。ちょっと狂信的な正義感と言える。───が、志は立派なものだとも思う。ピュアなんだよな、アイツは。良くも悪くも。正義感だけなら弁護士のなかで一番かもしれない。そういう部分は危ういと同時に、素晴らしいとも思うし尊敬もしているよ」


 饒舌になったスレイをミウは楽しそうに見ていた。


「……なんだよ。ニヤニヤしやがって」

「お兄ちゃんがそこまでシルフィを褒めるの珍しいなって思って。それ本人に伝えた?  『素晴らしい』とか『尊敬してる』とか」

「言うわけないだろ」

「なんで? 言ってあげればいいのに。喜ぶと思うよ」

「俺はなるべく、アイツにとって厳しい師匠で居たほうがいいんだよ。褒めるのはアイツが成長した時だけな」

「ツンデレってやつだね。お兄ちゃん」

「その言い方やめろ」




 翌日。

 リトルフェザー。


「おはよう!」


 シルフィは元気よく挨拶した。


「ねえ、スレイ。陪審員選定は中学生ぐらいの子供がいそうな人を残すようにしたほうがいいと思うんだけど、どう思う?」

「ああ、いいんじゃないか。自分の子供がイジメ被害者になるかも…という可能性がチラつけば、イジメ被害者に同情的になる公算は大きいと思う」

「良い仕事についてる富裕層っぽい人は避けたほうがいいよね? 弱者の痛みには鈍感な傾向あるだろうし」

「かもな。いいと思うよ」


 今度はミウのほうに顔を向ける。


「ミウ。天界の大学でイジメを研究してる学者の内、イジメ被害者に同情的な教授のリスト作ったの。証人を頼みたいので、アポとってくれる? 一人でも多くのアポがあるとありがたい」

「了解! やってみる!」

「それから依頼人の詳しい調査書、引き続き作ってもらえる? 食堂の仕事は休まなくていいからね。通常業務の範囲内でお願い」

「うん!」


 シルフィは二人に向かって頭を下げた。


「今まで弱気になってゴメンなさい。依頼を引き受けた以上、最後までベストを尽くしてやり抜くよ。なんでこれからも、その……よろしくお願いします」

「わたしもベスト尽くす! よろしくね!」

「俺も手が空いたら可能な範囲で手伝うよ」

「二人とも、ありがとう」


 弱気だったシルフィは立ち直った。

 いくら相手が強敵だろうが、逃げていいわけがない。

 覚悟を決めて、ベストを尽くすのみなのだ。


 裁判前、リトルフェザーは改めて団結した。


「その意気だ。シルフィ、大丈夫だと思うが”例のルーチン”も忘れるなよ?」

「大丈夫。忘れたりなんかしないよ」


 ”例のルーチン”とは、裁判で勝つ為のおまじないみたいなもの。

 スレイは常日頃から、これをシルフィに口を酸っぱくして言ってるのだ。




* * *




 天界法廷。

 Fー2081コート。


 いよいよ裁判が始まった。


 陪審員はイジメ加害者に共感しそうな種族が三人、被害者に共感しそうな種族が三人、あとの六人はどちらでもないという感じの配分になった。


 だから判事の種族はとても重要になる。

 イジメ被害者に共感しそうな種族が来ることを願いたい。


「グレゴール判事の入廷です。全員起立」


 守衛が宣言すると、専用口から赤い目と尖った耳を持つ小柄な男が入ってきた。


(まずいな……インプ……悪魔族か)


 判事を見たシルフィは少し不安な気持ちになった。

 悪魔族はイジメ加害者に共感しやすい傾向にある。


 判事の思想は定期的に偏りがないかチェックされるとはいえ、そのチェックは万全でないという話もある。

 いずれにしても、この裁判では望ましくない判事なのである。


(判事に偏見がないことを祈ろう……)


「YWQ6832149、則人VS雄一の審理を始める。原告代理人、始めていいぞ」


 被告のイジメっ子は雄一という名前の中学生である。

 被告も原告も外見変更手続きを済ませてあるので、二人ともイジメがあった当時の中学生の姿で裁判にのぞんでいた。


 シルフィが立ち上がって簡潔に主張する。


「原告、則人は被告である雄一の三年にわたるイジメによって肉体的被害、及び精神的被害を受けました。よって不法行為による損害賠償、慰謝料として被告に1400万ギルを請求します」


 結局、慰謝料は1400万ギルにした。

 依頼人の気持ちを優先したのである。


「次、被告側」


 デニスも同じように立ち上がり、簡潔に述べる。


「被告に非はありません。以上です」


 グレゴールはマイクのスイッチを切り、二人に手招きした。


「代理人双方、カモン」


 シルフィとデニスが判事席へ向かう。


「原告代理人、請求が過剰じゃね? ざっと見の感じ、慰謝料はいいトコ700万だぞ? その線で和解してみたら?」

「これが依頼人の希望なので……」

「被告側も和解には応じられませんな。原告の訴えなど即座に棄却してほしいぐらいなんで」

「はあ……和解する気はないわけね」


 グレゴールは盛大なため息をついた。

 和解させたがる判事は多いが、グレゴールほど露骨なのは珍しい。


「おっけ。んじゃ審理やろっか」


 審理はしぶしぶといった感じで始まった。




「───つまりイジメはよくある事なのですね?」

「そうです」


 デニスの問いに雄一が答える。


「先に提出した統計局の資料も示してる通り、イジメはありふれた現象であり、学校生活においては日常の一部です。イジメは学校生活に組み込まれてるものであり、多少不快でも皆が我慢してるものなんです。皆が我慢してるものを、なぜ原告は我慢できないのでしょうか? それは原告が過度に打たれ弱いからです。非があるとするなら、それは原告の極端な打たれ弱さなのです。以上です」


 イジメ被害者の打たれ弱さに非があるという、デニスは二年前とまったく同じ論法を使ってきた。

 イジメ被害者に非があるとするのは、イジメを肯定する方法として便利なロジックなのだ。


「原告側、どーぞ」


 グレゴール判事に言われ、シルフィが立ち上がる。


「雄一さん、あなたは自分がクズであるという自覚はありますか?」

「!?」


 突飛な質問に雄一は困惑した。

 代理人のデニスも異議を唱えるのを忘れるほどシルフィの暴言に面食らってる。


「もう一度言いますね。雄一さん、あなたは自分が救いようのないクズであるという自覚はありますか?」


 さっきより暴言が酷くなってる。


「あるわけねーだろ! ケンカ売ってんのかテメーは!!」


 激高する雄一。

 デニスはたまらず異議をとなえた。


「異議あり! 原告代理人の質問は暴言です! 不当な中傷は許されません!」

「異議を認める。原告代理人は質問を変えなさい」

「すいません」


 シルフィは肩をすくめて謝った。


「でも質問を変えるつもりはありません。なぜなら私の主張は”既に完了”しているからです」

「??」

「??」


 シルフィは何を言ってるのか?

 何が言いたいのか?

 さっぱりわからない。


 法廷にいる誰もが、頭にクエスチョンマークを浮かべた。


「書記官。直前の被告代理人の発言を読み返してください」


 シルフィに言われた書記官がデニスの発言を読み返す。


「読み返します。被告代理人の発言は以下になります。『異議あり。原告代理人の質問は暴言です。不当な中傷は許されません』───以上です」

「ありがとうございます。まさにこれなんですよ。私が言いたかったのは」


 シルフィはニッコリ笑って言った。


「被告は原告の悪口を毎日言い続けました。中学一年から中学三年の間、ほぼ毎日です。三年にわたり”不当に中傷してきた”のです。はからずも、被告代理人が証明してくれましたね。『不当な中傷は許されない』のだと」


(!?)


 シルフィの狙いに気付いたデニスは(しまった!)という顔をした。

 被告代理人の口から「不当な中傷は許されない」みたいな発言を引き出すことがシルフィの狙いだったのだ。


(雑魚のクセに生意気な!)


「悪口や中傷でさえ許されないのだから、暴力なんてもっと許されません。中傷や暴力というイジメは許されないのです」


 向こうの主張にも反論しておく。


「原告を打たれ弱いとするなら、被告はもっと打たれ弱いという事になりますね。たった一度の中傷でさえ激高し、こんなおおげさに騒ぎ立てたのだから」


 シルフィは雄一を見て挑発的な笑みを浮かべた。


(クソ女め!)


 挑発された事がわかり、悔しそうな顔をする雄一。


「『不当な中傷は許されない』───まさにその通りです。被告代理人が語るに落ちてくれたので、これ以上私から質問することはありません。以上です」




「じゃ、調べたいことがあるんで、明日打ち合わせしましょう」


 裁判所の出入口でシルフィは則人と別れた。


「シルフィ!」


 出入口で待ってたミウがシルフィに駆け寄る。


「鮮やかだったね! お見事だよ!」

「あれ? ミウが来てくれるなんて珍しいね」


 ミウが裁判に来たのは初めてのことだった。

 仕事が忙しかったのもあるが、ライセンスがないと傍聴席にしか座ることが出来ないのだ。


「シルフィも気合入れてる大事な裁判だからね。傍聴席にしか座れなくても、応援したくて」

「ありがとう。ここまで来て応援してもらえるのは嬉しい」

「でも裁判って初めて見たけど、あんまり法律がどうとかっていう話は出ないんだね」

「法律の話は最低限主張したら、あとは多い時と少ない時があるよ。裁判なんて究極───判事と陪審員を言いくるめたほうの勝ちだからね。どう説得するかが重要なのであって、法律は説得材料の一つに過ぎないのよ。説得に有効と思えば使うけど必要ないと思えば使わない」


 特に陪審員が参加する裁判では、法律の話は少ない傾向にある。

 どちらを勝たせたいと思わせるか、どんな風に心に響かせるかが重要なのだ。


「とりあえず第一ラウンドはシルフィの勝ちって感じだったね。わたしが陪審員なら今日はシルフィに軍配をあげるよ」

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい」




 翌日。リトルフェザー。

 前日に約束した通り、則人は打ち合わせに来ていた。

 シルフィが則人にたずねる。


「則人さん。一応聞くだけ聞きますね。昨日、法廷で判事に『慰謝料はいいトコ700万』って言われました。勝率の悪さ込みの和解勧告だと思います。一応聞きますが、この条件で和解する気はありますか?」

「………」


 則人はすぐ答えず、考え込んだ。


「……シルフィさんは和解したほうがいいと思ってるんですか?」

「勝率二割の裁判ですからね。この条件なら悪くないと思いますし、和解をお勧めします」

「でも条件が緩すぎませんか? 僕が受けたイジメは倍返しじゃないと収まらないものなんですけど……。可能なら倍返しでペナルティを与えたいです。もし妥協するとしても慰謝料1000万ぐらいです」

「………」


 今度はシルフィが考え込んだ。


(慰謝料1000万かあ……)


 少し間を置いてから、言いにくそうに則人に伝える。


「……則人さん、言いにくいんですが、裁判には相場というものがあります。このケースなら、このぐらいの慰謝料という相場があるんです。PTSDやウツ病になったとかなら医療費や通院期間も考慮されて慰謝料が跳ね上がるんだけど、そうじゃないんですよね?」

「………」


 イジメ被害によって苦しんだのは事実だが、医者に行くことはしなかった。

 行っておけば良かったと則人は悔やんだ。


「それに説明不足で申し訳ないのですが、700万というのはこちらの主張が全面的に認められた場合です。実際の裁判は勝率二割なので苦しくなると思われます。もし勝ったとしても減額されて、実際の支払いは200万か100万ぐらいになるかもしれません。───というか、その可能性は高いと思います。最初の請求額から減らされるというのは裁判ではよくあることなんです」

「………」


 則人はまた考え込んだ。

 裁判で元々の請求額が全額認められることは滅多にないというのは、地上の裁判でも聞いたことがある。


「……シルフィさんは勝率二割と言いましたよね?」

「はい」

「僕が勝つ可能性は低い、厳しい戦いなんですよね?」

「残念ながら……」

「でしたらそんな、こちらの敗色濃厚な戦いで、向こうは和解に応じるんでしょうか?」

「応じる可能性はあると思います。判事はかなり和解好きなタイプなので。こちらが和解に応じる意思があると伝えれば、向こうを説得してくれるはずです。私がこの和解の話を則人さんにしたのは、判事の特徴を見ての判断なのです」


 判事のグレゴールは和解に応じないと言った瞬間、盛大にため息をついた。

 よほど和解が好きなのだろうというのは想像に難しくない。


「うーん……」


 再び考え込む則人。


「幸いなことに初戦はこちらの勝ちでした。でも結局は勝率二割なので徐々に形勢は悪くなってくると予想されます。和解するなら少しでも形勢の良い時にやったほうがいいと思います」


「………」


 考え続ける則人。


「………」


 じっと答えを待つシルフィ。


「………」


 しばらく考えた後、則人が言う。


「……そこまで言うならわかりました。シルフィさんが和解を勧めるなら、そうします。700万なら和解してもいいです」

「わかりました。裁判を続けながら水面下で交渉してみます」




* * *




 二回目の公判。

 デニスが証人として申請したのはイジメ問題の研究者である、大学教授のマクベスだった。


「人間族は集団生活を基本としています。集団を維持する為にはフリーライダーを排除せねばなりません」

「フリーライダーとは何ですか?」


 デニスがマクベスにたずねる。


「例えば集団を維持する為の食料として、イモ畑を作ったとします。ところが畑作業を全くやらなかった者が、畑の収穫物であるイモを勝手に食べたとします。コストを支払わずに利益だけをかすめ取る者───これがフリーライダーです」

「フリーライダーを排除しなければならない理由とはなんでしょうか?」

「労働力というコストを提供しないのに、イモという利益だけありつく者を放置したら、誰も畑仕事をしなくなります。働かずにイモを食べられるなら、そのほうがラクだからです。そして誰も働かないなら集団を維持することが出来ません。だからフリーライダーというズルい者は排除せねばならんのです」

「排除の方法として、どんなものが考えられますか?」

「暴力や悪口など、肉体的苦痛や精神的苦痛を与える方法が考えられます。物理的排除や精神的排除です」

「排除の前に、畑仕事を手伝えとフリーライダーに言うことも出来ますよね?」

「そりゃ出来るでしょう。でも何を言われても働かずにイモを食べ続けたら、結局は排除が必要になります。というより、そもそもタダでイモを食べた分のペナルティは支払うべきでしょ。暴力や悪口などで制裁するのは、正当な理由があるという事です」

「暴力や悪口はイジメと呼ばれる行為で良くないとされてますが、この点はどうお考えでしょうか?」

「バカの戯言ですな。暴力や悪口などの制裁が集団の維持に必要な行為という事を知らないのでしょう」

「集団の維持の為には暴力や悪口などの制裁、イジメ行為が必要という事ですか?」

「その通りです」

「ありがとうございます。先の公判で『不当な中傷は許されない』という主張がありましたが修正します。被告が原告に行ったイジメは”正当な悪口だった”と主張します。以上です」


 質問を終えたデニスが席へ戻る。


「原告側、どーぞ」


 シルフィが立ち上がり、反対尋問を始める。


「私は何も、暴力の全てがイジメであり悪であると決めつけてるわけではありません。例えば警察が容疑者を逮捕する時、容疑者が暴れたら暴力で押さえつける必要があります。集団維持の為に必要かつ正当な暴力もある、これには同意します」


 証人席のほうへ歩いていくシルフィ。


「お聞きします。先ほどあなたはフリーライダーは排除すべきだとおっしゃいましたが、原告は───イジメ被害者はフリーライダーなんでしょうか?」

「そうは言ってません」

「では原告は、どのような落ち度があって暴力や悪口などのイジメ行為を受けたんでしょうか? 原告が受けた暴力や悪口の、正当な理由をお聞かせください」

「わたしが言ってるのはそういう事じゃなく、被告の暴力や悪口は集団維持の為に必要な行為という事です」

「なるほど」


 シルフィは席に戻って、一冊の本を証人に渡した。


「これはイジメ問題を扱った学術書ですが、著者はどなたでしょうか?」

「わたしです」

「百三十六ページを開いてください」


 マクベスが言われたページを開く。


「開いたページ読み上げて頂けますか? ラインマーカーでなぞった部分です」

「………」


 少し間を置き、一つ咳払いしてから、マクベスは該当部分を読み始めた。


「……集団維持の為には制裁行動が必要である。そして制裁行動は時に行き過ぎた反応を引き起こす。本来制裁が必要でない場合も、制裁してしまう事があるのだ。これを過剰制裁という」


 読み終えたマクベスにシルフィが言う。


「集団維持の為に暴力や悪口は必要。しかし、暴力や悪口は時として過剰制裁になるケースもある───という事ですか?」

「……はい」

「過剰制裁とは、集団維持の為の正当な行為なんでしょうか?」

「違います。しかし集団維持の為に暴力や悪口を使う以上、仕方ない面もあると考えます」

「被告が原告に行ったイジメは、正当な制裁だったんでしょうか? それとも過剰制裁だったんでしょうか?」

「………」


 マクベスは黙った。


「どうしました?」

「………」

「質問を繰り返したほうがいいですか?」

「………」


 少しの沈黙のあと、マクベスが口を開く。


「……わかりません」

「わからない!? 正当な制裁だったのか、過剰制裁だったのかわからないんですか!?」


 シルフィはわざと、おおげさに驚いて見せた。

 詳しい訴訟内容も知らないクセに証人をやってるのか、なんていい加減な証人なんだ、という事を印象付ける為の芝居である。


「……わたしはイジメ理論の一般的な話を頼まれたんだ。詳しいことまでは知らない」


(チッ! バカが!)


 デニスは舌打ちした。


(訴訟内容を簡単にまとめたものを事前に渡してやっただろ! レジュメぐらい読んどけ!!)


「最後にもう一度おたずねします。原告はどのような落ち度があってイジメを受けたんでしょうか?」

「だから、詳しいことはわからないと言ってるだろう!」


 マクベスは怒り気味に言った。


「ありがとうございます。質問を終わります」




 ミウとシルフィは事務所で、次の公判に向けて準備していた。


「さすがシルフィだね。今日も勝ちだったと思う。これなら良い条件で和解できるんじゃない?」

「どうだろう。そうだといいんだけど」


 と言いつつも、シルフィは前向きな気持ちだった。

 和解できるかもしれないという期待は、けっこうある。


 ミウの言う通り今日もこちらの勝ちで、序盤は連勝ということになる。

 今の形勢は悪くないはずなのだ。


「今から和解交渉なんだよね?」

「うん、行ってくる」


 シルフィはデニスの事務所へ向かった。




 デニスの事務所アトランティス。


「和解ねえ。判事にも言われたよ。700万で手を打たないかと」

「和解しますか?」

「そうだな。和解しよう」

「!!」


 シルフィは驚いた。

 デニスが和解に応じるとは思わなかったのだ。

 思ってたよりずっと、形勢は良かったのかもしれない。


「じゃあさっそく和解の手続きしましょう。この書類にサインを───」

「───とでも言うと思ったか?」

「!?」


 和解の書類を用意したシルフィにデニスが冷たく言い放つ。


「オマエはバカか? 勝利が確定してる裁判なのに、なぜ和解なんてしなきゃならない? そんなもんするわけねーだろ!」

「………」

「オマエみたいなヒヨッコと和解するバカなんていないさ。完膚なきまでに叩きのめしてやるから覚悟しとけ!」


 デニスはシルフィをだまし討ちにした。

 二年前、和解を断られたことを根に持っていたのだ。


「わかったらさっさと帰りな。和解の書類を作ってるヒマがあったら、せいぜい次の公判の準備でもしておけ。ま、準備したトコで無駄だがな」


 挑発的な笑みでシルフィを嘲笑うデニス。


「……和解はしないということですね。わかりました。では法廷で決着つけましょう」




(前回は相手事務所がレグルスだったので警戒したが、実際はあのヒヨッコのみだった。だから手を抜いても圧勝した。あれから少しは成長したらしいが、俺が全然本気出してなかったことは知らないだろ。今回は少し本気を出してやるから楽しみにしとけ)


 裁判資料を一瞥する。


「ククク……」


 自信たっぷりのデニスは不敵な笑みを浮かべた。




* * *




 三回目の公判。

 証人席に座ってるのはパオラという額にツノが生えたユニコーンの女性だった。

 イジメ被害者に同情的な教育評論家、シルフィが用意した原告側の証人である。


「───イジメがなぜダメかって、そんなの考えるまでもないでしょう。自分がイジメられてどんな気持ちになるか、自分が大切にしてる人、例えば自分の子供がイジメられてどんな気持ちになるか、恋人がイジメられてどんな気持ちになるか、親友がイジメられてどんな気持ちになるかっていう話です」


 シルフィがパオラにたずねる。


「どんな気持ちになるんでしょうか?」

「普通の感性を持ってるならイジメは許せないと感じるでしょうね。なんらかの形で報復したいと考えるのが普通でしょう。イジメを肯定できるのは、自分や自分の大切な人がイジメられても構わないって人だけです。そんな人いるわけないと思いますが、もし居たとしたら異常者だと思います。人間のクズですよ、イジメなんてやる奴は」

「ありがとうございます。質問を終わります」


 自分の席へ戻るシルフィ。


「被告側、どーぞ」


 グレゴリーに促され、デニスが立ち上がる。


「仮定の話です。『イジメは許せないと感じる』人がいるとします。その人の子供がイジメ首謀者として訴えられたとします。この場合でも、その人は『イジメは許せないと感じる』ものなんでしょうか?」

「それは……そうだと思います」


 パオラは少し自信なさそうに答えた。


「『イジメは許せない』という価値観は変わらないという事ですか?」

「はい。もし私がその親の立場なら、イジメなんて卑劣なことをした我が子を叱り飛ばしますよ」

「そうですか。では今からその証言が嘘である事を証明します」


 デニスは本を手に取って、パオラに渡した。


「この本の著者はどなたでしょうか?」

「わたしです」

「二百三十五ページを開いてください」


 パオラが言われたページを開く。


「開いたページのラインマーカーの部分を読み上げてもらえますか?」


(コイツ……私のマネしてる!)


 自分の弁論を真似されたシルフィは憤慨した。

 こういう人を小馬鹿にした挑発的弁論術を使うのは二年前から変わってないようだ。


 パオラが該当部分を読みあげる。


「セカンドレイプは予断と偏見と性犯罪への無理解から生じる。そこに性犯罪被害者への配慮は微塵もない。性犯罪の被害に遭っただけでも耐えがたい苦痛と屈辱に打ちのめされるのに、なぜ更なる苦痛を与えられなければならないのか? セカンドレイプは断じて許すべきではない行為なのだという意識が、社会には必要なのだ」

「ありがとうございます」


 デニスは席に戻り、資料を手に取った。


「これは強制わいせつ罪で争った、コートニーVSハリーの裁判記録です。パオラさん、この裁判で有罪になったハリーとあなたの関係を教えてください」


 デニスは資料をパオラと判事に渡した。


「………」


 パオラは無言だった。


「どうしました? 有罪になったハリーとあなたとの関係は?」

「……です」


 小声でボソボソと呟くパオラ。


「聞こえません。もっと大きな声でお願いします」

「……………息子です。わたしの……」

「ハリーはあなたの子供なんですね?」

「……そうです」

「たびたびすいませんが、ラインマーカーの部分を読み上げてください。強制わいせつ罪の被害者である原告のコートニーさんの証言を抜粋した部分です」

「……なんでこんなものを読まなきゃならないんですか!?」


 パオラは不満そうに言った。

 すかさずシルフィが異議をとなえる。


「異議あり! 本件との関係が不明瞭です!」

「裁判長、これは証人の発言の信用性を問う為の質問です」

「異議は却下。証人は質問に答えなさい」


 グレゴール判事に言われ、パオラはしぶしぶ読み上げた。


「……許せなかったのは示談交渉の時、ハリーの母親に『本当はあなたが誘ったんじゃないの?』と言われた事です。性暴力だけでも苦痛なのに、このセカンドレイプは許せないと感じました」

「一応確認しますが、ハリーの母親とは誰のことですか?」

「……わたしです」

「ほう。だとすると、これはなかなか興味深い発言ですな」


 パオラの著書を掲げながらデニスが言う。


「あなたはこの本の中で『セカンドレイプは断じて許すべきではない行為なのだという意識が、社会には必要なのだ』と言いながら、他方では性犯罪被害者に向かって『本当はあなたが誘ったんじゃないの?』とセカンドレイプしている」

「冤罪かもしれないと思ったんだから、しょうがないじゃないですか!」


 パオラは声をはりあげて反論した。


「それが予断と偏見なのではないですか?」

「………」

「あなたは子供がイジメ首謀者として訴えられたとしても『イジメは許せない』という価値観は変わらない旨を発言しました。しかしそれは嘘でしょう。なぜならあなたは『セカンドレイプは許されない』と言いながら、自分の子供が性犯罪加害者になった途端セカンドレイプしてるのだから。『本当はあなたが誘ったんじゃないの?』と言った瞬間『セカンドレイプは許されない』というあなたの価値観は明確に変わってるのです」

「………」

「イジメについても同じですよ。口では『イジメは許されない』と言っても、自分の子供がイジメ首謀者として訴えられたり、または自分がイジメをやった瞬間、価値観は変わるんです。『イジメは許されない』から───『許されるイジメもある』だったり、『イジメられるほうにも問題がある』みたいな価値観に」

「………」


 パオラは何も言い返せず、ただ元気なく俯いていた。


「パオラさんのセカンドレイプに対する価値観は、状況によってあっさり変わりました。イジメも同じですよ。価値観なんてものは状況によってあっさり変わるのです。こんなコロコロ変わるものなど、なんの意味もありません。『イジメは許されない』という価値観がある一方で『許されるイジメがある』という価値観が行き渡ってる事は、イジメ件数の多さが証明しています」


 デニスは仕上げにイジメ件数の多さを示す資料を提出した。


「ああ、そうそう。忘れるトコだった」


 席へ戻って、もう一つの資料を持ってくる。


「証人は『イジメなんてやる奴は人間のクズ』と言ってましたが、それは誤りです。地上界のイジメ防止対策協議会の2016年の調査によると九割の子供がイジメ加害者と被害者を経験しているというデータがあります。イジメなんてやる奴は人間のクズだとしたら、九割の子供が人間のクズという事になってしまいますね。イジメというのは普通の子供でもやるもんなのです」


 追加で資料を出しておく。


「以上で質問を終わります」




 公判後、リトルフェザー。


(よくない流れだな)


 今日は判事も陪審員も、被告側を支持したと思われる。

 向こうの証人リストには、未だに崩し方がわからない証人が何人かいて見通しは暗い。


「やっぱ問題なのは証人なのよね……」


 独り言のように呟くと、ミウが反応した。


「仕方ないよ。教育評論家の息子が犯罪者だったなんて予想できないというか……気付けないよ、これは」

「うん。それもそうなんだけどさ……問題なのは、原告を勝たせたいと思わせる説得力なのよ。判事や陪審員の心に響く説得力。これがないと戦えない」

「既に頼んである証人じゃダメなの?」

「自分で証人をリストアップしといてなんだけど、ちょっと厳しいと感じてるよ」

「そうなんだ……説得力かあ」


 シルフィとミウは難しい顔になった。

 そこへスレイが帰ってくる。


「おみやげ買ってきたぞ。シュークリーム」

「スレイお帰り」

「シュークリーム大好き! お茶入れるね!」


 ミウはお茶の準備を始めた。


「調子はどうだ?」


 シュークリームをテーブルに置き、スレイがシルフィにたずねる。


「あまり良くないかな」

「そっか……俺も手伝えればいいんだが、思いのほか忙しくてな」

「いいよ。スレイは自分の仕事に集中して」


 ミウが皆にお茶を配る。


「お茶入れるの早いな」

「ティーバッグだからね。濃さは自分で調節してね」


 お茶とシュークリームで休憩タイム。

 少し雑談した後、ミウがこんな事を言った。


「ところで疑問なんだけど、イジメって地上界でも犯罪なんだよね?」

「その辺は曖昧になってるよ」


 スレイがミウに答える。


「曖昧ってどういうこと?」

「暴行、傷害、恐喝、侮辱、名誉棄損、いろいろやってるけど全部ひっくるめて『イジメ』という名称で矮小化されて、曖昧に片付けられてるってこと」

「なんで? 傷害も恐喝も凶悪犯罪なんじゃ? 警察はイジメ加害者を逮捕しないの?」

「逮捕しないよ。地上の刑法はイジメ加害者を想定してない作りだし、少年法もあるから」

「少年法って子供を処罰せず教育しましょうっていう法律だっけ?」

「そう。んでもう一つ、物理的に無理ってのもあるよ」

「意味わかんない。物理的に無理ってなんで?」

「人も金もない、そんな膨大な仕事を処理する余裕はないってこと」

「予算の問題なんだ」

「極論すれば、そうだよ───法律の問題は別としてね───イジメ加害者が山ほどいて、証拠も見つけにくい、留置場も足りないとなれば処理が大変なのは想像に難しくない。イジメ加害者を全員逮捕するってなったら、いったいどれだけコストが掛かるのかっていう話」


 お茶をひと口飲んでスレイが話を続ける。


「もし俺が警察のお偉いさんだとして、イジメ加害者を警察でなんとかしろと言われたら、だったらまず予算を増やせ、人を増やせ、留置場も増やせ、刑法を変えろ、少年法もなんとかしろと言いたくなると思う。それらをしないっていうのは───こんな言い方するのもなんだけど───地上界はそこまでしてイジメを解決したいと思ってないのかもね。警察に頼らず教育の力だけで解決できると信じてる人がいる、ともいう」


 シュークリームを食べ終わったシルフィが疑問を口にする。


「じゃあ天界のイジメが地上より少ないのって、なんでなの? 予算をかけてるから?」


 スレイが答える。


「天界のイジメが地上より少ないって事はないよ。天界には少年法もないし刑法もイジメ加害者を罰する事を想定した作りになってるけど、暴行、恐喝、侮辱、名誉棄損など校内犯罪の件数は地上のイジメ件数とそんな変わらない。要するに違うのは名称だけってこと」

「天界の学校って、複数の警官が常時巡回してるんだっけ?」

「学校専門のスクールポリスね。防犯カメラを導入してる学校もあるよ」

「それでもイジメは無くならないよね?」

「そりゃ警官や防犯カメラの目の届かないトコでやるだけだからねえ。トイレや更衣室や校外でのイジメも増えるだろ。バレてないイジメはたくさんあると思うよ」


 ミウがスレイに聞く。


「ね、じゃあ今シルフィがやってるイジメ裁判も刑事事件として裁いたほうがいいんじゃない? イジメって校内犯罪なんでしょ?」

「それは無理だよ。天界の刑事裁判は人間族を裁くことが出来ないので」

「なんで?」

「さあ? 一説には予算不足、人手不足と言われてるけど真相はわからない」

「予算不足って……」


 しょうもない理由にミウは少し呆れた。


「天界も地上界も予算と人員の問題はついて回る。まぁいずれにしても、イジメは厄介な問題ってことなのさ」





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