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天界法廷  作者: 咲良ゆう
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第2章




『2章』




(はぁああああ……………)


 昼下がりの公園で深いため息をつくシルフィ。


(仕事も住むトコも失って、これからどうしよう……)


 寮も追い出され、昨日は安めのホテルに泊まった。

 泊まるならネカフェのほうが安いが、心が疲弊していた昨日はゆっくり休みたかったのだ。

 しかし、毎日ホテルに泊まるわけにはいかない。

 お金はある程度持ってるが、毎日ホテルだと即座に尽きてしまうだろう。


(まず仕事見つけなきゃな……)


 と思ったものの、就職活動は正直かなり不安がある。

 なにせ惨めな大敗を喫したばかりなのだ。

 雇ってもらえるか自信はない。


 もう一つ。

 自分は弁護士としてやっていけるのか?

 その能力にも不安を覚える。


 大敗の噂が流れてると雇ってもらえない可能性は高いだろう。


 いろんな意味で、就職活動は難易度の高い過酷なミッションに思えてくる。


(気が重いなあ……)


 今後のことを考えると憂鬱な気分になる。


(はぁあああ……)


 元気もやる気も出ない。

 出るのはため息ばかりだった。


(とりあえず寝る所、探さないとなあ)


 何はなくても住居は必要だ。

 そして住むなら家賃の安い所がいい。

 スマホで物件を探してみる。


(家賃が安い所なら、もっと都心から離れたほうが良さそうね)


 スマホで調べた感じ都心から離れるほど安い物件が多くなる。

 贅沢は言ってられない。

 シルフィは都心から離れた場所で住まい探しをすることにした。




 地下鉄に乗り、都心であるアルファ地区からベータ地区に移動する。

 ベータ地区は都心と田舎の中間という感じの場所だ。

 都心ほどではないが、そこそこ栄えてる街も複数あるといった感じの所だ。

 シルフィはそこそこ栄えてそうなターミナル駅で下車した。


(さて、不動産屋はどこかな)


 不動産屋を調べようと、改札を抜けてスマホを取り出す。


 ドン!

 急に立ち止まった為か、ドワーフの男とぶつかってしまった。


「あ、すみません」


 ドワーフの男は急いでるのか、目もくれず立ち去って行った。


(けっこう人通りあるな……ってか、ターミナル駅の改札前なんだから当たり前か)


 人のいない壁際によって、不動産屋を探す。




* * *




(なかなか良い物件ってないなあ)


 不動産屋に紹介された部屋をいくつか回ってみたが、良さそうな所は見つからなかった。

 公園のベンチに座って休みながらも、スマホで物件を探してみるが、これといった所は見つからない。


(もう夕方か。そういやお腹減ったな……)


 沈みつつある太陽を見ながら、朝にサンドイッチを少し食べて以降、何も食べてなかったことを思い出す。

 どうしようかなと辺りを見回すと、キッチンカーを発見した。


(こっちの世界にもタコ焼きなんてあるんだねえ)


 この際、夕飯はタコ焼きでもいいかと思った。

 キッチンカーに近付き、注文する。


「タコ焼き、ひと箱ください」

「まいど!」


 半魚人の店主は威勢よく答えた。


(半魚人がタコ焼き売るってどうなの? 海の仲間じゃないの?)


 などと考えつつ、カバンから財布を出す───つもりが、手応えがない。


(あれ?)


 カバンを開き、中をごそごそと探す。


(ない!? なんで財布がないんだ!?)


 不思議なことに財布はどこにも見当たらなかった。


「あ……!!」


 財布が消えた理由に思い当たったシルフィは思わず声を洩らした。


(スリに盗られたんだ! あの時か……!!)


 ドワーフの男とぶつかった時のことを思い出す。

 そういえばあのドワーフは、こちらが謝ったのに振り返りもせず、足早に立ち去って行った。


(振り返られなかったのは、顔を見られたくなかったからか……)




 駅前の警察。

 シルフィは被害届を出しに来ていた。


「───最近多いんだよ。電車の中だけじゃなく、駅構内でのスリって」


 警察官がシルフィに言う。


「犯人が捕まっても財布が戻ってくるケースはほとんどないので、あまり期待しないほうがいいよ。気の毒だけど」


 事務的な口調、特に最後の部分は棒読み感がハンパない。

 心がこもってない事務的な慰めは逆にイラっとくる。


(この……! 他人事だと思って!!)


 シルフィは腹を立てながら交番を後にした。




(全財産無くして、これから私はどうすれば……)


 思い現実がのしかかる。


 お金もない。

 頼れる人もいない。

 今夜寝る所もなければ、今夜食べるものすらない。

 ないない尽くしのフルコースだ。


 シルフィは改めて、今がとんでもなく絶望的な状況であることを自覚した。

 行くあてもなくトボトボ歩く足取りは重い。


 道端のレストランを覗くと、蝶のような羽を生やした女の子が美味しそうなパスタを食べているのが見えた。


(あの人は妖精族かな。いいな、美味しそうだな。……同胞のよしみで御飯わけてもらえないかな……)


 そこまで考えて気付く。


(いや、何考えてんだ私は! それじゃ物乞いじゃないか!)


 あさましいことを考えてしまった自分を恥じる。

 同胞だからといって助ける義理はないのだ。


(……待てよ? 同胞!?)


 何かを思い出すシルフィ。

 急いでカバンの中をあさってみる。


(あった! ティターニア様の紹介状!!)



『同胞がやってる便利屋への紹介状です。天界で困ったことがあったら訪ねるといいでしょう。必ず力になってくれるはずです』



(そうだよ! これがあったんだよ!)


 手紙に記載されてる、便利屋の住所をスマホで検索。


(やった! ここから駅で三つか!)


 電車賃もないので歩くしかないが、三駅なら歩いていけなくもない。

 全財産を無くして絶望的な状況になったが、ようやく希望が出てきた。


 スマホで地図を調べ、ルートを確認。

 すぐに歩き始める。


 先ほどまでの重い足取りは嘘のように軽くなっている。

 気力も十分みなぎっている。

 迷いなき表情でシルフィはまっすぐ前を見据えズンズン進んでいった。




* * *




 いざ歩くとなると三駅はけっこうな距離になるが、頑張って歩き通した。

 希望が力を与えてくれたのだ。

 日は沈んで時刻は夜になっている。


 夜になってるが、便利屋は二十四時間営業のところも多い。

 ティターニアに紹介された便利屋も二十四時間営業だった、というのはスマホで確認済である。


 いきなり押しかけるのは迷惑とも思ったけど、妖精界の女王であるティターニアの紹介ならば悪いようにはしないはず。

 非常に打算的な考えだが、一文無しの状況ではなりふり構ってられないのだ。

 もちろん、妖精界に帰ったら後でお礼をするつもりではあるが。


(帰りの電車賃を借りたら妖精界に帰ろう。弁護士はもういいや……)


 苦労して取得した弁護士ライセンスだが、デビュー戦でみっともない惨敗を喫したシルフィはそこまで自信を無くしていた。


(この辺のはずなんだけどなあ)


 目的の便利屋を探して辺りを見回す。


「よう姉ちゃん! 探し物かい?」


 突然、声を掛けられる。

 見ると、顔を赤くした酔っ払いの男が薄ら笑いを浮かべながらこちらを見ていた。

 羽から推察するに天使と思われるが、問題なのは羽がくすんだ灰色ということ。


(堕天使か)


 羽が黒ずんで灰色なのは堕天使の証拠だ。


「俺はこの辺に詳しいんだ。一緒に探してやろうか?」


(うわぁ……。ぼったくりバーの客引きみたいなセリフだな。地上の繁華街でもこういう輩って、たくさんいたよなあ。関わらないでおこっと)


 関わったらどんな目にあわされるかわからない。

 ただでさえスリに痛い目にあわされたのに、こんな見るからに怪しそうな酔っ払いに関わるわけがない。

 シルフィは足早に立ち去った。


「おい! 無視かよ! 人がせっかく親切に教えてやろうってのに! お高くとまった女だな!」


(無視だ。無視。ああいう酔っ払いは無視する限る)




 少し歩くと繁華街の交番を発見した。

 道を聞くより、スマホで地図を確認したほうが早そうだ。

 駅前交番の塩対応もあって、あまり警察に関わりたくないという思いもある。


(よし、わかったぞ)


 交番の隣でスマホを出し、詳細な地図を調べて便利屋の正確な場所がわかった。

 幸いにして、さっきの酔っ払いがいた場所とは逆方向だ。

 シルフィはさっそく便利屋へと向かった。


(あれ? 明かりが消えてる?)


 嫌な予感がしつつ、目的の建物に近付く。

 建物入口のドアには貼り紙がはってあった。


<便利屋ハンドキャットは五月二十日を持って営業を終了致します。長らくの御愛顧ありがとうございました>


 五月二十日というのは昨日のことだ。


(はぁあああ!? 昨日営業終了!? そんなバカな!!)


 慌ててスマホを確認すると、ホームページはまだ残されてる。


(営業終了するならホームページも消しておきなさいよ!!)




 すがるような思いで交番に駆け込む。


「すいません。向こうにあった便利屋のハンドキャットって店仕舞いしちゃったんですか!?」

「そうだよ。昨日かな。店を畳んだの」

「移転したんですか!?」

「さあ? そういう話は聞いてないな」

「経営者はどこに行ったんでしょうか?」

「あなた経営者とは、どんな関係なの?」

「知人です」

「知人なのに行方がわからないんだ?」

「それほど親密じゃなかったんです」


 説明が面倒くさかったので適当に答える。


「どういう理由で経営者を探してるの?」


 尋問風の聞き方にイライラが募る。

 交番と関わるとロクなことがない。


「キミはこの辺に住んでるの? 身分証か何か持ってる?」

「知らないなら、もういいです」


 イライラがピークになったシルフィは吐き捨てるように言うと、交番を後にした。




 繁華街の片隅にある公園でシルフィはスマホを見ていた。

 便利屋ハンドキャットの情報を探してるが、目ぼしい情報は皆無だった。


(ふぅ……………)


 ため息が洩れる。


(ダメだなあ……私って……)


 どうも天界に来てからというのも、やることなすこと上手くいかない。


 自信満々でのぞんだ裁判はボロ負けして、事務所をクビになる。

 財布をすられて一文無しになる。

 便利屋を探すも、既に店仕舞いしていた。


 店仕舞いしてたのは運が悪かっただけかもしれない。

 だが、解雇されたのと盗難にあったのは自分の能力不足や不注意が招いたことだ。


 例えば、盗難されるにしてもお金は銀行口座に預けておけば無事だった。

 電子マネーをスマホに入れて保管するという方法もあった。


 忙しさにかまけて、そういったことを後回しにしたのは、自分自身の浅はかさなのだ。

 自分の愚かさを呪いたくなる。


(はぁああ………なんか疲れたな……………)


 疲れたのは心だけじゃない。

 三駅も歩いた疲労が、今になってどっと出てきた。

 心も体も疲れきった状態だ。


(今日は野宿かな。この公園で)


 いよいよホームレスのような境遇になってきた。

 落ちるトコまで落ちた感じだ。


(お腹減ったな……)


 何か食べ物はないかとカバンの中を探ってみる。

 するとカバンの奥底に千ギル札を見つけた。




 食事目的で入った大衆食堂だったが、シルフィは急遽ビールを頼むことにした。

 飲まなきゃやってられなかったのである。

 今は酒の力を借りてでも嫌なことを忘れたい。


(あの酔っ払いの堕天使もこんな気分だったのかな……)


 半ばやけ気味な気持ちでビールをあおる。

 すきっ腹に大量のアルコールは効く。

 酔いはすぐにやってきた。




(なによもー。寄ってたかって私のことイジメてー。天界なんてクソじゃん。ゴミ溜めみたいな世界だよ)


 ビール瓶一本を飲み干したシルフィはすっかり酔っ払っていた。


「おい! どういうつもりだ!」


(?)


 大声のしたほうを見ると、客が従業員を怒鳴ってるのが見えた。


「この店は客に髪の毛が入ったラーメンを食わせるのかよ!!」


 ライオンの獣人が天使の従業員の女性に絡んでいる。

 天使の女性は深々と頭を下げて謝った。


「すみません。すぐにお取りかえ致します」

「かえりゃ済むって問題じゃねーだろ! 客にこんなもん出しといてよ!」


 大きな怒鳴り声は店中に響いてる。


(うるさいなあ)


「大変申し訳ございません」

「謝って済む問題じゃねーんだよ!」


(うへー。DQNタイプのクレーマーか。地上にもいたな、こんな奴)


「ホントに謝る気持ちがあるんなら土下座しろ! 土下座!!」

「………」


 従業員の女性は泣きそうな顔をした。


「さっさとしろよ!!」

「………」


 従業員の女性は泣きそうになりながら、膝を床についた。


(うるさいなあ。このDQNクレーマーが!)


 イライラが募ったシルフィは割って入った。


「待って。そんなことする必要ないわよ」


 シルフィは土下座しかけた女性の体を掴み、土下座をやめさせた。


「んだテメーは! 関係ねー奴はすっこんでろ!」


 ライオン男がシルフィに怒鳴る。


「そうはいかないわね。あなた髪の毛、自分で入れたでしょ? 私見てたわよ」

「んだとぉ! 言いがかりつけようってのか! ああん!」

「言いがかりつけてんのはアンタでしょ」

「ああ! ナメてんじゃねーぞコラァ!!」


 ライオン男はすごんだが、シルフィはライオン男の威圧を無視して女性に向かって聞いた。


「問題のラーメンってこれ?」

「ええ……」

「ちょっと割り箸借りるね」


 新しい割り箸を借りて、ラーメンの中の髪の毛をすくう。


「なるほど。同じ金髪みたいね」


 女性とライオン男は二人とも金髪だった。


「どっから見てもその女の髪だろうがよ!」

「そうかしら? 私にはあなたの髪に見えるけど?」

「んだとぉ!!」

「水掛け論する気はないよ」


 スマホを取り出すシルフィ。


「いま警察呼んであげる。この髪の毛が誰のものなのかハッキリさせようよ。DNA鑑定すれば一発でしょ」

「ハァ!?」

「良かったじゃん。あなたの髪と証明されれば好きなだけクーレムつけられるよ。やったネ!」

「………」


(マズイ……! 鑑定なんてされたら俺の髪だってバレちまう!)


 さっきまでの威勢はどこへやら。

 ライオン男の顔はわかりやすく引きつっていった。


「それでも文句があるなら訴訟でもおこせばいい。法廷で相手になるわよ。私は店側の弁護士か証人として出廷してあげる。それとも警察沙汰にする? 脅迫、強要、詐欺、恐喝、威力業務妨害、いくつ罪がつくか楽しみね?」

「………」


 ギリッとライオン男は悔しそうに歯を噛んだ。


「お、俺はサツが嫌いなんだよ! んなくだらねーことやってられっか!」


 ライオン男は捨てゼリフを残して、そそくさと退散していった。




「……………」


 ライオン男が店が出て行って、一瞬の静寂が訪れる。

 パチパチパチパチ。


「?」


 居合わせた客の中から拍手が湧き上がる。


(え?)


「あ、あの…ありがとうございます!」


 天使の女性は嬉しそうな顔でシルフィに頭を下げた。


「ああいうDQNクレーマーはマトモに相手することないわよ。どうせ叩けば埃が出るような輩だろうし、さっさと警察呼んで任せちゃったほうがいい」

「はい。次からそうします」

「じゃ、私はこれで。ビール代置いとくね。お釣りはいらないよ」


 拍手されたのが気恥ずかしかったシルフィは、ビール代をテーブルに置いて足早に店を出た。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 女性が店の外まで追いかけてくる。


「なに?」

「あの…弁護士なんですか?」

「一応ね。もうやめる予定だけど」

「辞めちゃうんですか!? どうして!?」

「どうしてって……」


 一瞬、答えを探して考え込む。


「なんだろう……向いてないから……かな」

「そんな!? さっきのやり取りはお見事でした! 胸がスッとしましたし! だからこそ、お客さんも拍手したんだと思います」

「そりゃどうも。でもあんな頭の悪いチンピラ相手なら、弁護士じゃなくても撃退できると思うよ。それじゃ」


 振り返って歩き出すシルフィ。


「いや、あの、待ってください!」

「なに? 話があるなら手短に───」

「───あなたのような正義感溢れる弁護士に、お願いしたい仕事があるんです!」




* * *




 翌日。

 シルフィと天使の女性は、ある雑居ビルに来ていた。


「ここ?」

「はい。ここです」


 シルフィの問いに天使の女性が答える。


 この天使の女性の名前はミウ。

 童顔なシルフィが見た目中学生なら、ミウはシルフィより少し大人な高校生といった感じの見た目だった。


「行きましょう、シルフィ先生」


 雑居ビルに入っていくミウを追うように、シルフィも後に続く。


「着きました。ここです」


 目的の事務所の前に到着。




【回想・昨日】



「───要するに、あなたのお兄さんは弁護士で、そのお兄さんの事務所で私に弁護士として働いてほしいと?」

「はい。シルフィ先生のような正義感の強い方と一緒に仕事をすれば、兄も昔の情熱を思い出してくれるんじゃないかと思うんです」


(正義感が強いねえ……うるさいチンピラを黙らせたかっただけなんだけどね)


 仕事が終わるのをシルフィに待ってもらってから、ミウとシルフィは公園で話していた。


「シルフィ先生は今ちょうどフリーなんですよね?」

「まあね……」

「でしたらお願いします! 兄を助けてやってください!」

「助けるなんて……そんなたいした器じゃないよ私は。ライセンスとったばかりの新人だし」

「さっきはわたしを助けてくれたじゃないですか。新人もベテランも関係ないです!」


(助けようとしたわけじゃないんだけどね)


「私はデビュー戦で大敗して事務所をクビなった奴だよ?」

「それを聞かされても、わたしにとってシルフィ先生がヒーローであることには、なんの変わりもないです」


 迷いなき表情でミウは言った。




 ミウのシルフィへの依頼。

 それは彼女の兄の事務所で働いてほしいというものだった。


 ミウの兄は、昔は弁護士としてバリバリ働いていた。

 ところが突然「弁護士なんてくだらない」と言って仕事を殆どしなくなった。

 理由を聞いても詳しいことは教えてくれない。


 仕事をしなくなって無職なのに昼間から酒を飲む、体たらくぶり。

 事務所も開店休業の状態。

 貯金で食いつないでいるが、このままでは事務所を売りに出すハメになる。


 それは避けたい。

 飲んだくれで無職の兄を見るのは辛い。

 昔のように弁護士として輝いてほしい。

 さんざん説得したが聞き入れてもらえなかった。

 でも説得は諦めたくない。


 説得のアプローチを変えてみてはどうか?

 何かきっかけがあれば変わるかもしれない。


 新しく人を雇ってみるのはどうだろうか?

 「弁護士なんてくだらない」というなら、正義感溢れる魅力的な弁護士と一緒に働ければいいのではないか?

 そうやって働いてる内に、昔の熱意を取り戻してくれるのではないか……。


 方針は決まった。

 兄の事務所で働いてくれる、魅力的な弁護士を探そう。

 でも全く見つからない。

 潰れかけの事務所を手伝ってくれる奇特な弁護士などいない。

 いや、どこかにいるはず。


 そんな中、シルフィと出会う───というのが大まかな流れである。


「兄に会うだけでもいいので、会ってみてくれませんか? 謝礼はお支払い致しますので。仕事を引き受けて頂けるなら今夜のホテル代も出させて頂きます。もちろん朝食つきです」

「!!」



【回想終了】




(我ながら現金なもんだな。朝食つきのホテル代につられるなんて。助かったといえば助かったけど……)


 相談料も貰えるなら帰りの電車賃になる。


「でも嬉しいです。シルフィ先生に、この事務所で働いてもらえるなんて」

「お兄さんが私を雇う気になれば、の話でしょ? ダメだったとしても私を恨まないでね」

「わかってます」


 この事務所で働いてもいい───という条件をシルフィが飲んだのは、雇われない公算が高かったからである。

 話を聞いた感じ、ミウの兄は弁護士稼業に嫌気がさしてるらしいので、仕事をする気にはならないだろうという読みである。

 そもそも潰れかけの事務所なら人を雇う余裕などあるはずがなく、給料を払えるわけがない。

 もし何かの間違いで雇われたとしてもソリが合わなくてクビになるかもしれないし、最悪、雇い主とケンカでもして、こちらから辞めてやればいい。


(さっさと片付けて妖精界に帰ろう)


 既にシルフィの気持ちは妖精界にいっていた。


「お兄ちゃん、起きてる? 入るよ」


 軽くノックをしてミウが事務所の中に入っていく。

 ミウの兄は事務所のソファーで寝ていた。

 ここで寝泊りしてるのである。


「なんだよ朝っぱらから。俺は眠いんだ。昨日の酒がまだ残って………って、誰だ?? 依頼ならお断りだぞ。どっかヨソの事務所をあたってくれ」

「違うよ。依頼じゃない。こちらは弁護士のシルフィ先生。この事務所の就職希望者だよ」

「……………ハァ?」


 事前の打ち合わせで、話が不自然にならないよう、兄と会う時はシルフィが就職を望んでるという形にした。


「就職希望者ァ!? 募集なんかしとらんぞ!? なんの冗談───ん?!」


 兄はシルフィの顔を見て驚いた顔をした。


「!?」


 シルフィも気付いて、驚いた顔をする。


「昨日の酔っ払い!!」

「昨日の高飛車女!!」


 同時に叫ぶ。


「え? 二人は知り合いなの?」


 二人に続いてミウも驚いた顔になった。


「知り合いという程のものじゃないさ。名前すら知らないんだから」

「ですね」


 ミウの兄は昨日出会った酔っ払いの堕天使だった。


(この二人、兄妹だったのか。妹は天使で綺麗な白い羽なのに、兄は堕天使でくすんだ灰色の羽か。兄妹なのに似てねーーー!)


 シルフィは心の中で突っ込んだ。


「オマエなんか失礼なこと考えてないか?」

「いえ、別に……」


 目をそらすシルフィ。


「よくわからないけど……名前知らないなら改めて紹介しますね。シルフィ先生、この人が兄のスレイです」




 シルフィとミウが並んで座り、そのテーブルを挟んだ向かいにスレイが座るという形で向かい合う。


「で、どういうことなんだ? ミウ? 俺がいつイソ弁を募集した?」


 イソ弁というのはイソウロウ弁護士の略。

 簡単に言うなら従業員の弁護士という意味だ。


「………」


 ミウは困ったようにシルフィを見た。


「あー、それは私がミウさんに頼んだんですよ。就職先を探してるのでお兄さんの事務所で雇ってもらえないか聞いてみたいので紹介してほしいって」

「二人はどういう関係なんだ?」

「シルフィ先生はわたしを助けてくれたの」


 ミウはクレーマーのライオン男に絡まれた昨日のトラブルを簡単に説明した。


「ふーん。ご立派なこって」

「もー、そんな言い方ないでしょ。お兄ちゃんがどこかで飲んだくれてる頃、シルフィ先生はわたしを助けてくれたんだから」

「そりゃ悪うございましたね」

「で、どうかな? 就職の件。お兄ちゃんは『弁護士なんてくだらない』と言ったけど、シルフィ先生みたいに正義感溢れる素晴らしい弁護士もいるの。一緒に働けば、お兄ちゃんの考えも変わると思うんだけど」

「………」


 スレイは無言で煙草に火をつけた。


「お兄ちゃん! 面接中に煙草なんて失礼だよ!」

「それはオマエが勝手に決めたことだろ。俺は面接中だと思ってねーよ。何度も言うが、募集なんかしとらんのだからな」

「それでも来客中に煙草なんてマナー違反だよ」

「朝っぱらからアポなしで押しかけてきた奴にマナーをどうこう言われたくねーな。そもそもマナー違反なのはどっちだって話だ」

「………」


 なるほど。飲んだくれではあるが口は回る。

 ミウが気の毒になったシルフィは助け船を出した。


「あのぉ……今は十時半ですよね。表の看板にはこの事務所の営業時間が書いてあって十時から十七時までと表記されてます。予約制とも書かれてないので、アポなしでも来客を受け付けると解するのが妥当です。この事務所がアポなしの来客を受け付ける以上、私たちがアポなしであることは問題になりえません。そして私は就職希望者で、この場合ビジネスマナーが適当されるはずです。よって妹さんの『煙草はマナー違反』という指摘は的を射てると思うのですが」

「ほう。言うじゃねーか」


 スレイは煙草を灰皿にグシグシと押し付けて消し、シルフィに向かって手のひらを差し出した。


「?」


 意味が分からないシルフィが不思議そうな顔を返す。


「履歴書。あるんだろ。妹の顔を立てて、それぐらいは見てやるよ」


 そういう事かと、差し出された手の意味を理解したシルフィは履歴書をスレイに渡した。


「オマエ、水の妖精なのに名前がシルフィなのか?」

「はい」

「ぶはははは! マジかオマエ!」

「お兄ちゃん! 笑うなんて失礼だよ!!」

「いいの。大丈夫だよ」


 怒ったミウをシルフィはやんわり制した。

 鉄板ネタがウケたのは嬉しいのだ。


 ひとしきり笑った後、急にスレイが真顔になる。


(うん?)


「オマエ、レグルスに勤めてたのか?」

「ええ。大事な裁判に負けて、二か月ほどでクビになりましたが」


 大手のレグルスはやはり知名度があるとシルフィは改めて思った。


「その負けたという裁判資料はあるか?」

「ありますけど?」

「見せてくれ」


 スレイに裁判資料を渡す。


(これは!?)


「この裁判! なんだこれ! ありえんぞ!?」

「まあそうですよね。天界法廷のイジメ裁判は勝率5割に激減するとはいえ、14対1なんてありえないですよね……」


 自嘲気味に呟くシルフィ。


「………」


 スレイは無言でシルフィを見つめた。


(??)


 怪訝そうな顔をしてるシルフィ。


「……おい。レグルスであった事を全て話せ」

「全てって、どのくらい…?」

「就職することになった経緯から退職するまでの───覚えてる限りの全てだ」

「それだと話が長くなってしまうんじゃ……」

「構わねえよ。時間はたっぷりあるんだ。ミウ、お茶を入れてくれ」

「……うん!!」


 ミウの返事の声は弾んだ。

 長らく見てなかった兄の真剣な顔を、久しぶりに見たのがとても嬉しかったのだ。




* * *




 話は長時間に及び、時刻は夜になっている。

 スレイはメモを取りながら、シルフィの話を念入りに聞いた。

 ミウは仕事に行ったので、事務所は二人になっていた。


「なるほどなあ。そういうことか……」


 スレイは独り言のように呟いた。


「そういう事ってどういう事なんです? 聞き取りが終わったなら教えてください。この話、なんの意味があったんです?」

「結論から言うと、オマエはハメられたんだよ」

「ハメられたって……誰に何を?」

「オマエの上司だったクルドに、わざと退職に追い込まれたってことさ」

「え!? どういう事なんです? わざと退職に追い込まれたって何を根拠に!? なんでそんな事を!?」

「まあ落ち着け。順番に話そう」


 スレイはお茶をひとくち飲んだ。


「まず『わざと退職に追いやった根拠』から話そうか。オマエは主任弁護士を任されて、訴訟準備の雑事は奴の秘書に任せたんだよな?」

「そうです」

「奴の秘書がやった訴訟準備は、意図的に負けるよう仕組まれたものだぞ」

「ええ!? なんでそうなるんです!?」

「訴訟手続きにおける陪審員の選定がありえないのさ」

「陪審員の選定?」

「そう。これはイジメ被害者の代理人を請け負った、イジメ裁判だよな」

「はい」

「じゃあなぜ陪審員が鬼族や不死族や悪魔族や肉食系獣人族ばかりなんだ?」

「??」


 スレイの言ってる意味がよくわからない。


「陪審員がそういった種族ばかりで、何か問題でもあるんでしょうか?」

「おおありさ。全てとは言わないが、いま挙げた連中は暴力性や攻撃性を肯定しがちな傾向にあるからな。要するにイジメ被害者より、イジメ加害者に共感しやすいのさ」

「!?」


 初耳だったシルフィは驚いた。


「だから普通、イジメ被害者の弁護における陪審員を選ぶ時は、暴力性や攻撃性を肯定しがちな種族を極力排除して、暴力性や攻撃性を忌み嫌う種族の陪審員を選ぶ必要がある。でもそれが全く出来てないのは、意図的な負けを意識したものと言わざるを得んだろう。イジメ被害者に同情しがちな種族が陪審員に一人も入ってないのは、どう考えても異常だ」

「……陪審員の選定って、そんな重要なんでしょうか?」

「当たり前だろバカ。陪審員は十二票も持ってるんだぞ。適当に選定して勝率落としていいわけねーだろ」

「………」


 種族の傾向は絶対ではない。

 あくまでも傾向という域を出ないのだが、それでも勝率を少しでも上げる為には種族を気にしたほうが良いと考えられてる。


 シルフィほど大差になるケースは珍しいが、それでも大雑把な傾向はあり、少しでも勝率をあげる為に陪審員選びは気を配るというのが普通なのだ。


「地上の裁判だってそうだろ。陪審員コンサルタントって仕事があるぐらいなんだから。陪審員の選定はそれほど重要なのだ。ついでにもう一つ言わせてもらうとオマエはさっきこう言ったな。『天界法廷のイジメ裁判は勝率5割に激減する』と」


 これは最初のほうに出た話だ。


「このセリフが出るってことは、地上のイジメ裁判は被害者の勝率が高いって意味になるが、そうなのか? 勝率はどれくらいなんだ?」

「たぶん九割ぐらいです。イジメ裁判はたいてい被害者側が勝ちます」

「バカ。九割も勝てるわけないだろ。地上のイジメ裁判は天界より過酷だぞ。イジメとイジメにより生じた被害の因果関係を証明するのは茨の道だ。被害者が生きてるケースでも難しいというのに、有力な証拠───例えば加害者を名指しする遺書もなく被害者が自殺したケースでは、それこそ勝率が激減するだろう。九割なんて絶対ないわ」

「………」


「まあ地上の裁判はともかく、要するにオマエは勉強不足なんだよ。天界法廷について」


 そう言われたシルフィは、少し不貞腐れたように口を尖らせた。


「……だってそんなことロースクールでは教わってないし」

「そりゃそうだろ。法律学校は試験に受かる為の知識しか教えないからな。試験に受かる為の知識と裁判で勝つ為の知識は別物だ。レグルスでは、この程度のことも教えてくれなかったのか?」

「………」


 どうすれば裁判に勝ちやすくなるか?

 そんなことは一切教わってない。

 自分がいかに無知だった事に気付いたシルフィはガックリと肩を落とした。


「まぁそう気を落とすな。新米弁護士じゃ知らないのも無理はない」


 あまりにシルフィが落ち込んでいたので、スレイはフォローを入れた。


「……仮にクルドさんが私を意図的に退職に追いやったとして、そんなことする動機はなんなんでしょうか? 恨まれる覚えなんてないのですが……」

「贔屓されたのが気に入らなかったんだろうな」

「贔屓?」

「レグルスの新人弁護士は、五十階か五十一階から始めるのが普通だ。寮だって予約制だったはずだし。それがいきなり入寮して、しかも五十八階から弁護士として働き始めるとなれば贔屓以外のなにもんでもないだろ」

「スレイ先生はレグルス法律事務所に詳しいんですか?」

「そりゃ昔の職場なら、それなりに詳しいさ。ランドの奴は元気だったか?」

「!!」




* * *




 それから三日間、スレイは何事かを調べ始めた。

 シルフィはその間、ミウの家に泊まりスレイを待った。

 ミウは喜んでシルフィを部屋に迎えた。


 そして三日後の午後。

 スレイの調査も九割終了し、二人はレグルス法律事務所に来ていた。

 ここで調査の残り一割をやって、総仕上げをする予定なのだ。


 エレベーターに乗り込んだスレイは迷わず五十九階のボタンを押した。


(受付通さず、直でいくのか。アポがあるとはいえ、すごいな)


 シルフィは感心した。

 エレベーターが五十九階に到着し、所長室へ。


「よう。稼いでるか、ランド」


(すごいなこの人。所長にもタメ口なんだ)


「ご挨拶だな。お陰様でボチボチやらせてもらって───って、うん!? シルフィ!?」


 ランドはシルフィの姿を見て驚いた。

 スレイが一人で来ると思ってたのである。

 シルフィはランドに小さく会釈した。


「なんで二人が一緒に?」

「彼女がここを退職するに至った経緯について聞きに来た。報告書があるだろ? 見せてくれ」

「なんでそんなものを?」

「退職に何も問題なかったのか、その確認だ。やましい事がないなら構わないだろ?」

「見るぐらい別に構わんが。俺が見た限り何も不自然な点はなかったぞ?」


 ランドはクルドが作成した、シルフィが退職に至った報告書をスレイに渡した。


(不自然な点はなかった、ときたか。コイツは昔から経営の才能はあるが、法律の才能はからきしだな。現場に出ないからそうなるんだ)


 ファイルを全て読み終えたスレイはランドに言った。


「あるじゃねえか、不自然な点。これは由々しき問題だぞ?」




* * *




「……クルドから受けた報告とずいぶん違うな」


 スレイの話を聞き終わったランドが呟く。


「違うどころか、悪意ある歪曲だろ」


 スレイは厳しい口調で言い放った。


「とにかくだ。アイツは弁護士としてやっちゃいけない一線を踏み越えたのだから、然るべき処分をくだしたほうがいいと思うぞ。オマエが何もしないなら、俺がアイツを訴えてやる」

「待て待て。やめてくれ。腐ってもお前はAランクまで昇りつめた奴だ。Aランクの弁護士とは戦いたくない」


(!?)


「先生ってAランクだったんですか!?」


 驚いたシルフィは思わず声をあげた。


「なんだ。知らなかったのか」


 ランドが代わり答える。


「コイツは昔この事務所のエースだった、元Aランクの凄腕弁護士だぞ。今じゃ単なる酔っ払いの底辺弁護士だが」

「ほっとけ」


 弁護士のランクには変動がある。

 ランクは上昇するだけではなく、下降もするのだ。

 上昇するか下降するか、はたまた現状維持かは、活動実績の審査によって決まる。

 飲んだくれになったスレイは徐々にランクを落とし、最後には最底辺のHランクまで落ちてしまったのだ。


(にしても、元Aランクか……所長にもタメ口だったし、すごい人だったんだな……)


 飲んだくれの上に、小さな事務所だったので、勝手に底辺の弁護士だと思っていた。

 ところが実際は大手事務所のエースだった凄腕弁護士だという。

 シルフィはスレイを見直した。

 単なる酔っ払いではなかったのだ。


「それはともかく、クルドの件は一方的に言われても判断はできん。本人の言い分も聞いてみないと」

「好きにしろよ」


 ランドは内線の受話器に向かって命じた。


「今すぐクルドを呼べ。所長室に来るようにと」




 ほどなくしてクルドが所長室へやってくる。


「なんだよ。どうかしたのか───!?」


 クルドはひどく驚いた顔をした。


「スレイか!? 何しに来たんだ!? それに───?!」


 シルフィを見て、さらに驚いた顔するクルド。


「クルド。シルフィを意図的に退職に追いやったというのは事実なのか? もらった報告書と違うのだが?」

「追いやったなんて人聞きの悪い。彼女は敗訴の責任をとって自主的に辞めたんだ。しかも『役に立たなかったらクビにされても仕方ない』と本人から申し出があったんだぞ? パウロもその言葉を聞いたはずだ。なんならパウロの奴にも聞いてみたらいい」


(やはりごまかす方向できたな。しかしクルドの野郎、全く変わってねえな。気に入らないやつは退職に追い込むっていう……)


 スレイは昔のことを思い出していた。




【スレイの回想・数年前】



 夜。事務所で一人、スレイは残業をしていた。

 スレイは生まれつきの堕天使ではなく、この頃は白い羽を持つ普通の天使族だった。


「おつかれ。まだ残ってたのか」


 コーヒーを持ったクルドが声をかける。


「ああ、明日の最終弁論を仕上げておきたくてな」

「そこまでせんでも勝てるだろ。オマエの秘書に裁判の様子を聞いたら、ほぼ勝ち確と言ってたぞ」

「だと思うけど、一応な。手は抜きたくないんだ」

「俺なら勝ち確の裁判なんて、ほどほどに手を抜くけどな。その分、他の案件を片付けたほうが効率的だし」

「効率だけが仕事じゃないだろ。そのやり方も否定はしないけどな。まあ俺は地道にやってくさ」

「そうかい。まあ頑張ってくれ。俺は先に帰る」

「おつかれ」


 スレイは部屋を出ていくクルドを見送った。




 数分後、スレイの机にコーヒーが置かれる。


「!?」


 見ると、コーヒーを置いたのはクルドだった。


「無理はすんなよ」


 用件だけ済ませて即座に立ち去っていくクルド。

 その後ろ姿にスレイが声をかける。


「ああ! サンキューな!」


 クルドは手をひらひらと振りながら帰っていった。




 翌日。

 スレイが自宅で目を覚ますと、体がダルいのを感じた。

 睡眠は十分とったはずなのに、まだ眠いのである。


(おかしいな。なんだか妙に体が重い……)


 時計は六時を示していた。


(?)


 なにか違和感があって時計を再度見たら、心臓が止まりそうになった。


(!!??)


 午前六時と思ったら、午後六時だったのである。

 もう夕方から夜に変わる時間である。

 最終弁論は十時からだったので、八時間の大遅刻である。


(まずい!!!)


 スマホは大量の着信があった。

 急いで秘書に電話する。


「あ、先生! なにやってたんですか!?」

「すまん。今から裁判所に行く!」

「もう終わっちゃいましたよ! こちらの負けです!」

「なにっ!?」


 スマホを落としたスレイは、この世の終わりのような表情になった。




 スレイは責任をとってレグルス法律事務所を辞めることになった。

 自主退職という形だが、事実上のクビである。

 最終弁論を寝坊ですっぽかすという前代未聞の失態を演じたのだから、当然の処置といえる。


 しかし、解せないのは睡眠時間。

 前日は午前零時ぐらいには寝たはず。

 それが起きたのは翌日の十八時。

 なんと十八時間も寝た計算になる。


 こんなに寝たことは一度もない。

 連日徹夜しても、せいぜい十時間ほどしか寝たことがない。

 毎日ちゃんと寝てる状況なら、睡眠時間は平均六時間といったところ。


 普段の三倍の十八時間も寝るなど、ありえないのである。


 考えられる原因は一つ。

 クルドにもらったコーヒーである。

 あれに強力な睡眠薬が盛られていたと考えると、十八時間も寝てしまったことに合点がいく。


 同じ天使族のクルドは同期のライバルであるが、良い友人であり良い同僚でもあると思っていた。

 ところがそれは幻想だった。

 クルドは出世争いのレースから邪魔者を蹴落とす為に、ライバルに一服盛って足を引っ張るような輩だったのだ。




 レグルスを辞めて個人事務所を開いてみたものの、客はつかなかった。

 最終弁論を寝坊ですっぽかす弁護士という、不名誉な悪評が広まってしまったからだ。

 行く先々で、そのことをからかわれたり嘲笑されたりもした。


 仕事もなく嘲笑され、辛い日々を送る。

 そんな辛い日々から逃げるように、酒を大量に飲むようになった。

 仕事が減るのと反比例するように酒量だけが次第に増えていく。

 酒ばかり大量に飲んでいたら、白かった羽はくすんだ灰色に変わっていった。


 こうしてスレイは天使から、堕天使になってしまったのである。



【スレイの回想終了】




(あの時は睡眠薬を盛られた証拠がなくて、どうにもならなかったが、今度はそうはいかない。積年の恨みを思い知れ!)


「退職直前、彼女はオマエに酷い罵声を浴びせられるというパワハラを受けた。これはどう説明するんだ?」


 スレイがクルドに言う。


「パワハラなんて大げさなものじゃないさ。ちょっと感情的にはなったがね」

「ちょっと? 泣くほど叱責して退職に追い込んだのが『ちょっと』なのか?」

「何度も言うが、退職したのは100%彼女の意思だ。彼女の退職に関して俺に非はない」

「そうかな? 退職のきっかけは仕事が上手くいかなかったからだ。そして仕事が上手くいかなかったのは、オマエが足を引っ張った部分も大きかったんじゃないか?」

「ハッ! バカバカしい。俺が足を引っ張った証拠なんてどこにあるんだよ?」


 スレイはカバンからファイルを取り出した。


「これは二日前までオマエの下で働いていたハーピーの秘書の証言だ。この秘書はハッキリ認めたぞ。オマエに『陪審員の選定は鬼族や不死族や悪魔族や肉食系獣人族を多く入れるように指示された』とね」


 スレイは三日間の調査で元秘書の居場所を突き止め、証言を引き出していたのだ。


(クソ! あのバカ! 退職金を倍額払って再就職先の斡旋までしてやったのに裏切りやがったな!)


「イジメ裁判でイジメ被害者の代理人をする場合、陪審員の選定で鬼族や不死族や悪魔族や肉食系獣人族を”意図的に多く入れる”のはありえない。これはイジメ裁判を知ってる者なら誰でも知ってる常識だ。イジメ裁判を知ってる者ならこう言うだろうな。陪審員選定のそんなやり方は、わざと負けにいくようなものだ───とな」

「御大層な法律講義はけっこう。それぐらいは知ってる。だが、指示については知らんな。その秘書は嘘をついてる。理由は知らんが、彼女───シルフィに何か気に入らないことでもあったんじゃないか?」


 クルドはしらばっくれた。

 これは秘書とシルフィの問題であり、自分は関係ないという方向に持っていく話術である。


「だったらこれはどう説明するんだ? オマエは秘書がデタラメな陪審員選定をしたことを知っていた。これはオマエがランドに出した報告書で確認済だ」


 報告書を持ち上げてクルドにアピールする。


「そんなデタラメな仕事をした秘書の再就職先を、オマエは斡旋したそうだな? しかも『優秀な秘書』だという触れ込みで。再就職先の所長は、オマエに『優秀な秘書だから雇ってほしいと頼まれた』と証言してたぞ? デタラメな陪審員選定をしといて、いったいどこが優秀な秘書なのか説明してみろよ」

「………」


 悔しいが説明は不可能だ。

 クルドは苦虫を噛み潰したような表情になった。


「こちらの要求は一つだ。シルフィを不当に傷つけ陥れた事への謝罪と、それに伴う誠意ある対応。どうするか明後日までに回答をよこせ。回答がない場合、この事務所を訴えてやる。その時は俺が知ってる”この事務所の過去の暗部”も全て暴露してやる。ライセンスを失っても構わないという覚悟で徹底的にやるから、オマエらも覚悟しとけよ」




* * *




 翌日。

 スレイの事務所。

 ここでランド、スレイ、シルフィの三人はひざを突き合わせていた。

 先日とは逆で、今度はランドがここまで出向いてきたのだ。


「シルフィ───いや、シルフィさん、色々すみませんでした」


 ランドは深々と頭を下げて謝罪した。


「あ、いや、顔をあげてください。私はそんな気にしてませんから」

「いや、謝らせてください。こんな辛い目にあわせるつもりはなかったんです。ティターニア様の紹介だったので良かれと思って五十八階に配属したんだけど、贔屓と取られて足を引っ張る奴がいるとは思いもしなかった」


 のんきな事を言うランドに、スレイが呆れたように言う。


「オマエは経営の才能はあるが、人事に関しては誰か優秀な奴を雇ったほうがいいと思うぞ」

「本当にすみませんでした」


 何度も頭を下げられ、シルフィはランドが少し気の毒になった。

 そもそも自分は別にランドを恨んではないのだ。

 クルドにしたって少しの怒りはあるが、恨むというほど怒ってはいない。


「もういいですよ。本当はパウロさんの下で働く予定だったのに、勝手に職場を変えた私にも責任はありますから」


 聞けばパウロというのは後輩の育成は遅いが、部下には慕われるタイプの上司だったらしい。

 顔色を窺われるタイプのクルドとは正反対なのだ。


「それより良夫さんの控訴の件はどうなりましたか?」


 シルフィがランドにたずねる。

 今回のことで最も被害をこうむったのは良夫である。

 正直、自分のことよりも一番そこが気にかかっていた。


「ウチは手を引いて、イジメ案件に強い事務所を紹介しておきました。そこなら勝てるはずです」

「陪審員選びに問題があったという真実は告げたんですか?」

「告げてません。良夫さんには大敗したお詫びとして、今後の裁判費用を全て肩代わりすることで納得してもらいました。シルフィさんが真実を公にしたいなら、そうしますが……」

「良夫さんが納得してるなら、私はそれでいいです」


 イジメ事件に強い弁護士を紹介した上で、今後の裁判費用を全て肩代わりするというのは十分なフォローに思える。

 今回の件は、最たる被害者である良夫が救われることが一番なのだ。


「ただもし高裁でも良夫さんが負けてしまった場合は、真実を明らかにしてもらっていいですか? 一審に大きな問題があったことが明らかになれば、最高裁で戦う時の印象も変わるでしょうし」

「わかりました。そうさせて頂きます」

「でも陪審員選定に問題があったとはいえ、大敗したのは私の責任なんですよね……」


 自嘲気味につぶやくシルフィ。


「いえ、大敗に関してはクルドが戦犯なのでシルフィさんの責は微小です。不名誉な記録をつけてしまい申し訳ないです」

「私の名誉なんてどうでもいいです。陪審員選定がうまくいったとしても、私の腕では負けていたかもしれないし……。それより良夫さんへのフォローをきっちりやってもらえるなら、それでいいです」

「フォローに関しては全力でやらせて頂きます」


 ランドは改めて頭を下げた。


「その戦犯だったクルドの処遇はどうしたんだ?」


 スレイがランドにたずねる。


「ウチの稼ぎ頭だったがクビにしたよ。味方の足を引っ張るというのはけっこうあるが、意図的に裁判を負けさせるなんて、どう考えてもやり過ぎだからな」

「………」

「………」


 ランドは少し間をおいて言葉を続けた。


「……本当はもっと早く、昔の段階でこの決断をすべきだったんだよな。オマエの事もすまなかった。最終弁論をすっぽかしたのは、本当は単なる寝坊じゃなかったんだろ?」

「……もういいさ。証拠もないし」


 多くを語らなくても、二人の気持ちが数年ぶりに通じ合う。

 お互いにそんな感覚があった。


「あのハーピーの秘書はどうするつもりなんだ?」

「彼女が所属してる事務所ごとウチに引き入れるつもりだ。お互い、スネに傷持つ身となってしまったからな。こうなったら一蓮托生でいくしかない」

「金持ってるトコは違うねえ」

「ホントはシルフィさんとオマエも、ウチに引き入れたいんだがな。損得勘定だけじゃなく、謝罪の意味も込めて。来てもらえるなら高待遇を用意するつもり。今度はやっかみが出ないよう配慮もする」

「俺は遠慮しとくよ。このボロ事務所も案外気に入ってるんでな。なに、オマエんトコは訴えたりせんから安心してくれ。さっきの俺に対する謝罪で十分だ。諸々を和解ってことにしようぜ」

「ありがとう。そう言ってもらえると気が楽になる」


 数年ぶりの和解である。

 ランドはシルフィに視線に向けた。


「シルフィさんはどうしますか? もしよければ、もう一度ウチに来て頂けると嬉しいのですが……?」




* * *




 スレイとシルフィの二人でランドを見送る。


「良かったのか? アイツの事務所は給料高いし、パウロは優秀な弁護士だぞ?」

「いいんです。弁護士は辞めるつもりだったし、あそこの事務所に未練もないですから」

「ふーん」


 シルフィはランドの申し出を断った。

 せっかくの申し出だが、あそこで働く気にはなれなかったのである。


「………」

「………」


 二人は少しの間、押し黙った。

 お互い、相手の言葉を待ってる感じ。


「………」

「………」


 静寂を破ったのはスレイだった。


「……なあ、もしオマエが良ければ、ウチで働くか? せっかくライセンスをとったのに、活用しないなんて勿体ないだろ。もっともアイツの所ほど給料は出せないし、俺もパウロほど優秀な弁護士ではないが……」

「この事務所、募集はしてないと聞きましたが方針変わったんでしょうか?」


 シルフィは悪戯っぽく笑った。


「そうだな。方針変更。求む、シニアパートナー」

「シニアパートナーって共同経営者のことですよね。それって新人でもOKなんです?」

「ああ。新人可だ。ただし、俺の指導は厳しいぞ?」

「それは望む所ですね。天界法廷については知らないことがまだまだ沢山あるんで、いろいろ教えてほしいです」

「それで構わないなら、採用だ。……よろしくな」


 スレイはそっぽを向きながら、照れくさそうに握手の手を差し出した。


「はい! こちらこそ!」


 シルフィは満面の笑みを浮かべ、両手でスレイの手を握った。




* * *




「良かったー!」


 ミウは心から嬉しそうな笑顔だった。


「シルフィ先生なら、お兄ちゃんも気に入ってくれるような予感があったのよ!」


 スレイは結局、シルフィを雇うことになった。

 雇う程度にはシルフィを気に入ったのも事実である。


(案外コイツの勘も当たるのかもな)


 スレイはそんな事を思った。


「食堂の仕事は続けるけど、手が足りなくなったら言ってね。わたしも手伝うから!」

「そん時はよろしく頼むわ」

「任せて!」


 ミウはシルフィに向き直り、うやうやしくお辞儀をした。


「シルフィ先生。至らない兄ですが、どうか気長に見守ってやってください」

「やめて。私は新人で、仕事を教わるのはこっちのほうなんだから」

「いえ。わたしにとってシルフィ先生はいろんな意味で恩人なんですよ。この気持ちが変わることはありません。どうかこれからもよろしくお願い致します」


(そんな大層なやつじゃないんだけどね、私は……)


「お兄ちゃん、今夜はお祝いしようね! シルフィ先生も一緒に!」


 言うだけ言って、ミウは食堂の仕事に行った。


「元気ですよね、ミウって」

「昼間から飲んだくれだった兄が働き始めたのが、よほど嬉しかったんだろう」

「お祝いするとか言ってましたね。それだけお兄さん想いってことなんでしょう」

「お祝いなら今すぐビールで乾杯するか?」

「昼間からお酒はダメですってば」

「冗談だよ」


 二人はクスクス笑った。


「さて、仕事の前にまず言っておくが、これからは敬語禁止な。呼び方もスレイで構わないよ」

「え、でも…さっきミウにも言いましたが、私は仕事を教わる立場なのに敬語禁止なんですか?」

「シニアパートナーに敬語は不要だ。例えばオマエが主任弁護士になった場合、主任のオマエが補助の俺に敬語を使ってたらクライアントは不安になるだろ? 俺が依頼人の立場ならこういう不満を抱くぞ。『どうしてこの事務所は偉い立場にいる実力者が主任弁護士をやってくれないのか?』ってな」


 言われてみるとそうかもしれない。


「わかりまし───わかった。そうするよ」

「うん」

「あ、でも……」

「でも、なんだ?」

「主任弁護士って、私がやるのかな?」


 正直、主任弁護士をやるのは不安だ。

 それはスレイに任せて、自分はサポート役をやったほうがいいような気がするのだ。

 だが、スレイは事もなげに言った。


「当たり前だろ。難しい案件は共同で当たってもいいが、基本は別々に活動するんだから。シニアパートナーが主任弁護士ぐらい出来なくてどうする?」

「別々に活動するの?」


 てっきり二人で一緒に裁判やるものだと思っていたシルフィは、ますます不安な気持ちになった。


「そうだ。俺の過去については話したよな?」

「はい───うん」

「俺もこの事務所も、業界での評判はあまり良ろしくない。だから当面は公選弁護人をやっていくつもりだ。公選弁護人については知ってるな?」

「大まかには。天界法廷の公選弁護人は刑事だけじゃなく、民事もあるんだよね?」

「その通り。そして公選弁護人は薄給の代わりに依頼がたくさんあって仕事に困らない。新人が公選弁護人で修行するのは、よくある道なのさ」


 たしかに新人がやる仕事としては合ってる気がする。


「公選弁護を二人でやるっていうのはダメなの?」

「ダメではないさ。だが、どんな新人でも公選弁護人は一人でやるのが普通だ。それを複数でやったのでは『あそこの事務所は公選弁護人も一人で出来ないのか』と、笑い者になるぞ。悪評が立つと結果、ますます仕事が取りにくくなる」

「悪評ってどこで立つの?」

「インターネットでボロクソに書かれるぞ。知人や友人のネットワークや、近所の評判も侮れない。無料法律相談所に仕事を回してもらえることもない。この案件はウチの事務所じゃ難しいな…という時、同業他社に仕事を紹介してもらえることもない。いろいろデメリがあるんだよ」


 なんとなくはわかる。

 もし自分が弁護士を探すとしたら、ネットの評判や知人友人の紹介、無料法律相談所の紹介などをあてにするだろうから。


「それに一人でやったほうが経験値はあがるぞ。もっとも闇雲に経験値をあげるだけでは修行の効率も悪いので、一週間に一日ぐらいの割合で勉強日も作ろう。過去の裁判を振り返って問題点を洗い出す勉強会だ。これで経験値を効率よくレベルアップに繋げることが出来る」


 なるほど。

 たしかに修行には良さそうな方法だ。


(いろいろ考えてくれてるんだなあ)


「……あとこれはあまり言いたくないんだが、事務所は火の車なんでな。薄給の公選弁護は一件でも多く引き受けて、経営を安定させたいというのもある」


 これはもう、腹を決めるしかなさそうだ。


「わかった。不安はあるけど主任弁護士として頑張るよ」


 本当は二人で一つの裁判をやりたかったのだが、覚悟を決める。

 事務所が火の車なら、そんな事を言ってる余裕もなさそうだ。


(いつまでもミウの部屋に居候になってるわけにもいかないしね。出ていく前に、ミウには防犯グッズをあげよう。あの食堂でトラブルに巻き込まれないようなモノを)




 事務所の名前は『スレイ法律事務所』から『リトルフェザー』に変更した。

 シルフィ&スレイという名前も提案されたが、これはシルフィが断った。

 自分の名前を出すのが恥ずかしかったのだ。


 こうして新しい法律事務所、リトルフェザーが誕生した。

 シルフィとスレイの新たな物語の始まりである。





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