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天界法廷  作者: 咲良ゆう
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第1章




「天界法廷」




(イジメが原因で自殺した人のニュースを聞くたびに思っていた。正義はどこにあるんだろう?───と)




『1章』




 正義を追い求めたシルフィが選んだ職は弁護士である。

 シルフィは妖精族であり、目下、就職活動中だった。

 百万倍の難関である司法試験に合格した新米弁護士ではあるものの、それが即就職に繋がるわけではない。


 試験の上位合格者はスカウトされることもあるが、それは一握り。

 元手があれば個人事務所も開けるが、経営を軌道に乗せるまで並々ならぬ苦労を強いられるので、これも少数派。

 たいていの新人は、どこかの事務所に雇ってもらうことから始まる。


(おおー! こうして見ると地上そっくりだなー! ここまで再現してるとはちょっと感動)


 ここは様々な種族が暮らす天界。

 その天界にある人間エリア。

 人間エリアとは、地上の人間界そっくりに作られたエリアのこと。


 高層ビルやバス停やコンビニや、車がたくさん走っている大きな交差点などなど。

 地上の人間界で見慣れたものばかりである。

 十年ほど地上の人間界で暮らしたことがあるシルフィは、その風景に懐かしさを感じていた。


(ここかな?)


 目的地の高層ビルに到着。

 ビルの案内板にはフロアごとに様々なテナントが表示されている。

 その中に目当てのレグルス法律事務所を発見。


(すごいな……五十階から六十階まで丸ごと貸し切りとは)


 六十階建てのビルなので、六分の一を占有してる形である。


(ここまで大手の事務所だとは思わなかった。……でもまあ、たぶん大丈夫。雇ってもらえるはずだ!)


 シルフィが自信を持つのは根拠がある。




【回想・数日前】



 妖精界。

 シルフィはティターニアに謁見していた。

 ティターニアとは妖精界の女王である。


「シルフィ、司法試験合格おめでとう。あなたは妖精族の誇りです」

「いえそんなことは……あります。もっと言ってください」


 真面目な顔をしながらも、シルフィの口元はかすかに緩んでいた。


「妖精族の司法試験合格は三十年ぶりの快挙です。素晴らしいわ」

「つまり私は三十年に一人の天才ってことですか?」

「ふふ。そうなるわね」


 ティターニアとシルフィは笑いあった。

 冗談が通じる気さくな女王なのだ。


「就職先のアテはあるのですか?」

「いえ、全くありません」

「三十年に一人の天才なのに、スカウトされなかったんですか?」


 ティターニアが悪戯っぽく突っ込む。


「……それはほっといてください」


 シルフィは苦笑で返した。


 天界の司法試験は倍率が百万倍の超難関試験である。

 合格だけでも快挙なのだが、上位には入れなかった。

 シルフィはたしかに妖精族の天才だが、上には上がいるのだ。


「ではこれを持っていくといいでしょう」


 そう言うとティターニアは宙に浮いた紙にペンを走らせ、瞬時に手紙をしたためた。


「天界の人間エリアには、知人が所長をしている法律事務所があります。紹介状をしたためたので、興味があれば訪ねると良いでしょう」


 差し出された紹介状をシルフィが「ありがとうございます」と受け取る。


「どういう知人なんですか?」

「種族は精霊で、名前はランドといいます。連絡もしておくので悪いようにはしないはずです。アポも必要ならとっておきますが、どうしますか?」

「あ、いえ、そこまでしなくても大丈夫です。アポぐらいは自分でやります」


 なんだか過保護っぽく思えて、それは断ることにした。


「そうですか……」


 少し悲しそうな顔になるティターニア。

 だがすぐに気を取り直して、再び瞬時に手紙をしたためる。


「ではこちらも持っていくといいでしょう」

「これはどういう…?」

「同胞がやってる便利屋への紹介状です。天界で困ったことがあったら訪ねるといいでしょう。必ず力になってくれるはずです」


 同胞ということは妖精族。

 妖精が便利屋をやってるらしい。

 よくはわからないが、頼りになりそうな感じはする。


「ありがとうございます」


 シルフィは礼を述べた。


「でもティターニア様って、私に甘いですよね」


 ここまでしてもらうとやはり過保護に思えて、本音がボソっと小声で漏れた。

 それは聞いたティターニアが無表情で歩み寄ってくる。

 無表情でお互いを見つめる。


 しばらく見つめた後、ティターニアはシルフィをガバっと強く抱きしめた。


「だって心配なんだもん! 娘のように可愛がってきた子が、どんな危険があるかわからない天界で暮らすなんて!」


 気さくなティターニアは妖精の子供たちと触れ合う機会を多く作っている。

 なかでも小柄で童顔なシルフィは昔からのお気に入りで、可愛くて仕方ないのだ。


「ちょ!? やめ!? ティターニア様! 苦しい!」


 シルフィは強めのハグをなんとか振りほどいた。


「もう! 子ども扱いし過ぎです! 私は地上の人間界で暮らしたこともあるんだから大丈夫ですってば!」


(見た目はどう見ても子供だけどね)


 ティターニアはシルフィを見ながら思った。

 人間でいうと中学生ぐらいの感じ、というのがシルフィの見た目の印象なのだ。


「天界の人間エリアは、地上界より治安が悪いという話もあるのよ」

「最近は改善されたって話もありますけどね」

「それでも心配だわ…あなたは優秀だけど少しお調子者の部分があるから。ま、そこが可愛くもあるのだけどね」

「心配無用です。だって私は悪を討つ力がある、正義の弁護士なのだから」

「………」


 その言葉を聞いたティターニアは少し真面目な表情になった。


「?」


 不思議に思ったシルフィがたずねる。


「どうかしました?」

「……ねえ、シルフィ。司法試験に合格したからって、自分が正義の側に立ったなんて思わないほうがいいわよ」

「そこまで思い上がってませんよ。私が弁護士を目指したのは、ただ弱い立場にいる人を助けたいと思ったから───それだけなので」


 シルフィは迷いのない表情でキッパリ言ってのけた。


「ならいいけど。忘れないでね。知識に善悪なんてないし、あくまでも使う人の心がけ次第というのを」



【回想終了】




(ティターニア様の言いたいこともわかるけどね。まぁ私の倫理観がブレることはないよ。私は虐げられる人を助ける為に、正義を実現する為に弁護士になったんだから)


 シルフィは正義を実現する為に力が必要だと考えた。

 その結果選んだのが弁護士という道なのだ。


(力なき正義は無力であり、正義なき力は非道である───ってね)


 ビルの中に入り、エレベーターに乗って五十階の受付に到着。


 受付嬢は鬼族だろうか。

 直線的なツノがまっすぐ生えた美人だった。

 清楚な感じの制服を上手く着こなしている。

 ツノがなければ人間と見分けがつかないような外見である。


 このように人間エリアでは、服装も含めて姿を人間族に似せている者が多い。

 ここでは見た目も含めて、地上の人間族と同じように生活するのがルールなのだ。

 妖精族の女性は蝶のような羽を生やしてるのが特徴だが、シルフィも羽を隠している。


 羽やツノはファッションとして許されてるが、羽で空を飛ぶとかツノで電撃を発生させるとかは禁止されている。


 要するに地上の人間族が持ってない能力は、ここでは一切使えないのである。


「おはようございます」


 会釈をしながらシルフィは受付嬢に話しかけた。


「十時に約束をしたシルフィと申しますが、所長のランドさんに取り次いでもらえますでしょうか?」

「所長のランドですね。かしこまりました。少々お待ちください」


 受付嬢は傍らにある受話器を手に取った。

 しばしのやり取り後、ランドに指示されたことをシルフィに伝える。


「お待たせしました。五十九階の所長室へお進みください。エレベーターを降りて左側の通路の奥です」


 最上階は展望フロアとして一般開放されてるので、五十九階は私的に使えるフロアとしては最も上位のフロアだ。


(さすが所長だなあ)


 言われた通り五十九階に向かい、左側の通路を進んで所長室の前に到着。

 コンコンとノックをして「失礼します」と声をかける。


「どうぞ」


 所長室は高級そうなソファーやマッサージチェア、水槽や観葉植物、ミニバーまであるゴージャスな部屋だった。


「そこに座って」


 促されるままソファーに座る。

 ランドとシルフィはテーブルを挟む形で向かい合った。


「所長のランドです」


 ランドは貫禄のある男だった。

 リクルートスーツのシルフィと対峙すると、まさに就活中の大学生と面接官のような感じになった。


「シルフィです。よろしくお願いします」

「はいよろしく。さっそく履歴書を見せてもらっていいかな?」

「あ、はい」


 テーブルの上に履歴書を広げる。

 ランドは履歴書をしげしげと眺めた。


「あれ? キミ、水の妖精なの!?」


 ランドがシルフィに興味深そうな目を向ける。


「ええ、はい。『名前がシルフィなのに水の妖精って、なんでやねん!』と、よく突っ込まれます」

「ははは。そりゃそうだ。そう突っ込みたくもなるね、その名前は」


(よし! ウケた!)


 シルフィは心の中でガッツポーズをした。

 名前で笑いを取るのはシルフィの鉄板ネタだった。


 シルフというのは風の精霊全般を指す名称で、精霊族と妖精族は親戚同士みたいなもの。

 ”シルフィ”という名前なのに水の妖精というのは、ギャグのような話なのだ。


 ちなみに水の精霊全般はウンディーネという呼称がある。


 最初に和んだのが功を奏し、面接は良い雰囲気で進んでいった。


「ところで、ティターニア様は元気かい?」

「はい、元気です。そういえば手紙を預かってますので、お渡しします」


 ティターニアが書いてくれた手紙をランドに手渡す。

 手紙を読み始めるランド。

 その手紙にはシルフィがいかに良い子で優秀かというのが、こと細かく書かれてあった。


(ふむ……この子はよほどティターニアのお気に入りらしいな。とすれば、妖精界の女王に恩を売るチャンスでもあるな……)


 妖精界の女王に恩を売るチャンスなど滅多にあるもんじゃない。

 そこまで考えたランドは腹を決めた。


「なるほど。三十年に一人の天才となれば、雇わないわけにはいかないな。おめでとう、採用だよ」

「ありがとうございます!」


 あっさり採用となったのは嬉しいが、ちょっと引っかかった部分には苦笑いを浮かべる。


(ティターニア様、なに書いてくれてんですか。三十年に一人の天才って……)


「どうかしたのかい?」

「いえ、三十年に一人の天才って、ハードル上げられたなあって……」


 自分で『三十年に一人の天才』と言うのはいいけど、初めての職場でそう言われるのはプレッシャーになる。


「いいじゃないか。実際、妖精族の司法試験合格者は三十年ぶりなんだろう?」

「ええ、まあ、そうですけど……」

「だったら胸を張っていいと思うよ」

「………」


 なんか釈然としないが、この話は広げないほうが良さそうだ。


「住む所は決めたのかい?」


 幸いにしてランドのほうから話題を変えてくれた。


「まだです。これから探す予定です」

「ならウチの事務所の寮を使うといい。徒歩五分のマンションだから通勤に便利だよ。管理人に話は通しておくから」

「はい、ありがとうございます!」


(良かった。親切な所長で)


(ホントは寮に入るには予約が必要だけど、ティターニアに取り入るチャンスだからな。利用させてもらうとしよう)


 そんなランドの思惑を知らないシルフィは心から感謝した。

 住まい探しをする手間も省け、職場に近い住居を用意してもらうのは非常にありがたい。


「いつから出勤できる?」

「今日から───いや、今すぐにでも働けます!」

「いいね。やる気があるのは良い事だよ。でも今日のところは寮で休むといい。出勤はそうだな……来週の頭から出てくるといいよ」

「わかりました。来週からバリバリ働きますね!」




* * *




 翌週の月曜日。

 シルフィは期待に胸を躍らせて出勤した。


(今日から私の輝かしいキャリアが始まるんだ。よし、頑張ろう!)


 鬼族の受付嬢に元気よく挨拶する。


「おはようございます!」

「おはようございます───って、採用になったんですね。おめでとうございます」

「ありがとうございます。これからよろしくお願いします!」

「こちらこそ、よろしくね。可愛い弁護士さん」


 受付嬢はニッコリと微笑んだ。


(可愛いだって。そんなホントのこと言われちゃ照れちゃうな)


 職場は五十八階と聞かされていたが、受付嬢に挨拶したくて寄り道したのだ。

 覚えていてもらえた事は嬉しいし、わざわざ寄った甲斐があった。


 良い気分のままエレベーターで五十八階に移動する。

 五十八階は、複数の小部屋が集まって出来たフロアだった。

 部屋ごとに弁護士のオフィスがあるという形をとってる。


(えっと、たしかパウロという人の部屋に行けばいいんだっけか)


 部屋ごとに掲げてあるネームプレートから目的の部屋を探す。


(ここか)


 コンコンとノックをして「失礼します」と入室する。

 部屋の中には山羊のツノが生えた男がいた。


(バフォメット!?)


「おはようございます。今日からここで働くことになったシルフィです。よろしくお願いします!」


 少し驚いたが、元気に挨拶。

 バフォメットというのは山羊のツノが生えた悪魔のこと。


「あ、はい、新人さんですね。話は聞いてます。なんでも三十年に一人の天才だとか」


(おい、やめてくれ)


 シルフィは居たたまれない気分になった。


「僕はスーメロ、パウロ先生の助手をしています。こんな見た目ですが悪魔族ではないしバフォメットではありません。種族は獣人です。こちらこそよろしくお願いします」


 見た目の印象とは裏腹に、スーメロは物腰の柔らかい感じの男だった。

 種族は獣人族で、悪魔族のバフォメットとは無関係らしい。


 それはそうと部屋にはスーメロ以外の姿が見えない。

 キョロキョロしてるシルフィを見て、察したスーメロが説明する。


「パウロ先生は急な出張があって不在です。先生からは簡単な事務仕事を教えるように言われてます」


(事務仕事って要するに雑用だよね。そんなんより実務がやりたいんだけどな。早く法廷にも行ってみたいし)


 そんな事を思った矢先、部屋に白い翼を生やした一人の男が入ってきた。


(今度は天使か?)


「おい、この間の訴訟だけど───って、いないのか、パウロは」

「先生は急な出張で不在です。帰りは未定だそうです」


 入ってきた男にスーメロが答える。


「なんだ、いないのか。……こちらの方は?」

「彼女は今日からここで働くシルフィさんです」

「シルフィです。よろしくお願いします」


 シルフィは天使の男にお辞儀した。


「……ああ、キミが噂の三十年に一人の天才か」


 天使の男は含み笑いをした。


(どんだけ広まってんのさ、この噂……)


 シルフィは苦笑いを返すしかなかった。


「すごいよなあ。普通の新人は五十一階からスタートなのに、いきなり五十八階に配属なんてな。さすが三十年に一人の天才。いや、たいしたもんだよ」


(お願い! もうやめて! シルフィのHPはとっくにゼロよ!)


 新人いじりを終えた天使はスーメロに視線を向けた。


「で、今は何をやってんだ?」

「先生には事務仕事を教えるように言われてます」

「事務仕事ねえ……」


 スーメロの言葉を聞いた天使の男は渋い顔をした。


「んなもん、秘書にやらせればいいだろ。お前んトコの秘書はどうした?」

「サンディさんは体調不良でお休みです」

「ったく、だから秘書は複数雇えと言ってるのに」

「パウロ先生は下積みを経験することも、後の実務に必ず役立つと───」

「───そのせいで一人前になるのが遅れるのだよな。スーメロ、オマエ何年目だ?」

「……三年目です」


 スーメロは視線を落として表情を曇らせた。


「三年も働いてるのに、主任弁護士として法廷に立ったことがないってすげーよな。俺んトコの助手は遅くとも一年以内に独り立ちして、多くが法廷の第一線でバリバリ働いてるぞ?」

「……………」


 よくわからないが、パウロ先生というのはじっくり育てるタイプで、この天使の先生は後輩の育成が早いらしい。


(早く法廷に立つ為には、この先生に学んだほうが良さそうな気が…?)


「ま、オマエが亀の成長で満足してるならいいけどよ」


 そう吐き捨てると、天使の男はシルフィに視線を向けた。


「キミはどうなんだ? 亀の成長で満足できるか?」

「ええっと……」


 本音をぶっちゃけていいなら「満足できません」と言いたいが、スーメロの手前、それは言いにくい。


「……ああ、悪かった。答えにくい問いだわな」

「………」

「………」


 場に気まずい空気が流れる。


「よし、じゃあこうしよう。パウロが帰ってくるまで彼女はウチで面倒みよう。下積みなんぞ奴が帰ってきたらいくらでも出来るのだから、実務的なことを経験しとくのも悪くはなかろうよ」

「でも先生の言いつけは───」

「───奴には俺が話をつけといてやる。その彼女がやるはずだった雑用は俺の秘書を代わりに貸してやる。その新人に教える手間が省ける分、雑用処理の能率が上がるのだから文句ないだろ」


 有無を言わせずといった感じで、天使の男はまくし立てた。


「まあそこの新人さんが貴重な経験を詰む機会を放棄して、地味な下積みをしたいなら無理にとは言わんがね」


 天使の男は「どうするよ?」という目をシルフィに向けた。




* * *




 数分後、シルフィは天使の男の部屋にいた。

 心の中でスーメロに謝る。


(ゴメンなさい、スーメロさん。私、早く法廷に立ってみたいんです。雑用は後で手伝うので許してください)


「んじゃ、さっそく仕事といくか」

「はい、あの……その前にお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「クルド」

「素敵な名前ですね。私はシルフィという名前ですが、実は水の妖精なんです」

「ああ、うん」


 クルドは無表情で返した。


(あるぇ…? 鉄板ネタなのにウケない? もしかして冗談が通じないタイプ??)


「名前はさっき聞いただろ。無意味な自己紹介は時間の無駄だ」

「すみません……」


 いきなり怒られたシルフィは、シュンと俯いた。


「それより仕事だ。そこのファイルに依頼書があるので、好きなのを選ぶといい」

「好きなのを…ですか?」

「ああ、どれでもいいぞ。これなら勝てそうだという案件を選ぶといい。メインは任せるから」

「メインというのは?」

「主任弁護士をやらせてやるってことさ」

「え!? 主任弁護士をやらせてくれるんですか!?」

「そうだ」


 これは嬉しい。

 思わぬ申し出にシルフィは色めき立った。


「ウチは習うより慣れろの方針で、実際の法廷でガンガン経験を詰むスタイルなんでな」

「それはありがたいです! 頑張ります!」


 さっき怒られたのも何のその。

 俄然テンションが上がってくる。

 シルフィは勢いよくファイルを読み始めた。


 十数分後。

 勝てそうな案件を見つけた。


「これにします。これなら勝てます!」

「ほう、自信ありげだな。さすが三十年に一人の天才。どれを選んだんだ?」

「これです」


 クルドにファイルを手渡す。


「ふむ、人間族の事案か」

「はい。私は地上の人間界に十年住んでました。だから人間のことは熟知してますし、この内容なら絶対に勝てます!」

「わかった。じゃあ全て任せていいんだな?」

「はい! 百パーセント絶対に勝ちます!!」




* * *




 ───遡ること数日前───




 良夫が目覚めると、目の前には一面の花畑が広がっていた。


(ここは……?)


 見慣れない風景に戸惑うが、すぐに思い出す。


(そうか……僕、死んだんだっけ……。……ってことは…これ……天国……?)


 やや離れた場所に体育館ほどの大きな建物があり、その建物からは人の行列が伸びている。

 その行列の周囲には複数の看板が立っていた。

 看板の一つを読んでみる。



{詳しいことを知りたい方は一列に並んでください}



 看板にはそう書かれてあった。

 わけがわからないまま、列に並んでいる老人に聞いてみる。


「すいません、これはなんの行列なんでしょうか?」

「さあ……? 皆それを知りたいから並んでるんじゃないかなあ?」


 要領を得ない答え。

 この老人も自分と同じく何も知らないらしい。


(とりあえず並んでみるか)


 良夫は列の最後尾に並んだ。

 列は老人が多かったが、中年や若者もチラホラ混ざっている。


(死者の数なら、若い人より老人のほうが多いってことか)




 小一時間ほどして、自分の番が来る。

 建物の中は空港の受付のような長いカウンターがあり、受付をしてる人がざっと二十人ぐらい居た。

 行列に老人が多いのと対照的に、受付は若い人が圧倒的に多く、良夫の受付も若い女性だった。


「佐藤良夫さんですね。こんにちは」

「こんにちは…名前、どうして……?」

「その椅子に座ると、座った人が誰なのかわかる仕組みになってるんです」


 良夫は椅子に視線を向けた。

 なんの変哲もない椅子だが、何か特殊な仕掛けがあるらしい。


「ここはいったいどこなんですか? あなたは誰なんですか?」


 椅子から受付に視線を戻し、気になっていたことを聞いてみる。


「後半の質問から答えますね。私は案内係です。あなたと同じ死者です───まあ死んだのは、けっこう昔ですけども」

「案内係?」

「はい。あなたのように死んだ直後の人を案内する係です」

「案内って…どこを?」

「ここです。前半の質問にも答えますね。ここは天界という場所です。天国でもなく地獄でもなく、その中間にある世界とイメージしてください」

「天界……??」

「はい。天界です」


 さっぱりわからない。

 天界と天国は似てる気がするが、別物なんだろうか。


「天界と天国は違うんですか?」

「違います。天国というのは天界の中にある、許可がないと入れない特殊なエリアです」

「その許可は誰が出すんですか? 閻魔様とか?」

「閻魔様の場合もあるしディケー様の場合もあるし、まあ判事さんはたくさんいらっしゃいますね」


 あてずっぽうで閻魔様と言ったのだが、部分的には正解のようだ。

 閻魔様が全てを裁くわけじゃない、というのは意外だったが。


「その魂の裁きというのを待てばいいんですか?」

「そうですね。とりあえず良夫さんは魂裁判を始めるまでの猶予期間が七十年もあるので、人間エリアでゆっくりしてみるのも手だと思います」

「人間エリアってなんですか?」


 知らない言葉がたくさん出てきて理解が追いつかない。


「天界にある、地上そっくりに作られたエリアのことです。本当に似ているのですぐ馴染めると思いますよ」

「猶予期間というのは?」

「文字通り、魂裁判を始めるまでの猶予期間のことです。良夫さんは若い方なので、そこも加味されての七十年だと思います。二十年から三十年というのが平均的な猶予期間なので」

「?? 七十年あるのは良い事なんでしょうか?」

「どう感じるかは良夫さん次第ですね。天国に行く自信があるなら早めに魂裁判を申請することも出来ます。まあ七十年というのは単なる権利で義務ではありません。人間エリアに居る権利が七十年分ある、とお考え下さい」


(天国……僕は天国へ行けるんだろうか……)


「とりあえず、これをどうぞ」


 案内係は良夫にカバンを差し出した。


「その中に住む所のカギや地図やスマホやお金などなど、便利なものがいろいろ入ってます」

「スマホなんてあるんですか!?」

「ありますよ。地上そっくりに作られてる、というのは誇張ではありません。本当にそっくりなのです。あと良夫さんは子供なので給付金がもらえます」

「給付金?」

「ええ。生活費がもらえるということです。30万ギルぐらいもらえると思います」

「30万ギルって、どれぐらいの価値なんでしょうか?」

「1ギルは1円とお考え下さい。物価も地上とほぼ同じですよ」


 ギルというのが通貨単位らしい。

 1ギル1円なのは、わかりやすくてありがたい。


(生活費……ん? 生活費?)


 良夫はおかしなことに気付いた。


「死んだのに生活費がもらえるって、おかしくないですか?」

「良夫さんには魂があって、魂は生きてる状態です。良夫さんは地上界での肉体が死んだ状態ですが、天界での肉体は生きてる状態なのです」

「天界での肉体も死ぬとどうなるんですか?」

「魂裁判が即座に始まります。そこで初めて、地獄か天国か振り分けられるというわけです」

「地獄へ振り分けられると、どうなるんですか?」

「文字通り、地獄の苦しみを味わうことになります。最後には魂も砕かれるらしいですが、詳しいことはわかりません」


 なんとなく話が見えてきた。

 自分には魂があって、魂はまだ生きてる状態。

 地上で活動する為の肉体は死んだが、天界で活動する為の肉体は健在。


 案内係は簡潔にまとめた。


「早い話、第二の人生を送れるという事です」




* * *




(おー、こうして見ると地上そっくりだな。ここまで再現するとは)


 地上に酷似した光景に良夫は少し感動した。


(ここまで再現されると死んだ実感がないな。いや、死んだ実感なんて無くてもいいんだけど)


 あの後も天界について色々な話を聞いた。

 中でも良夫が最も興味をひかれたのは、天界の裁判は死者が生者を訴えることが出来るという点だった。

 しかも地上と違い、天界では民事訴訟も無料で弁護人を雇うことが出来るとのこと。

 といっても雇えるのは公選弁護人で、ベストを尽くしたい場合はお金を払って私選弁護人を雇ったほうが勝率は上がる、ともアドバイスされた。


 生活費は十分な額がもらえたので、かなり余る状態だ。

 良夫は余ったお金を全て、弁護士費用にあてることにした。

 どうしても訴えたい人間がいるのだ。


(ここ大手らしいし、良さそうな所だな)


 スマホで弁護士を探した良夫が見つけたのは、シルフィが就職したばかりのレグルス法律事務所だった。




* * *




 レグルス法律事務所。

 五十階にある応接室。

 良夫はシルフィにハッキリ言った。


「訴訟の目的は、僕をイジメた奴らを地獄へ送ることです」


 良夫は生前、死にたくなるほどのイジメを受けていた。

 イジメを苦にしての自殺というのが良夫の死因なのだ。

 天界法廷での復讐を考えるのも無理はない。


「えっと……順番に説明しますね」


 担当となったシルフィが良夫に説明する。


「まず、地獄へ行くか天国へ行くかを決めるのは魂裁判といいます。閻魔様でおなじみのやつです。一方、良夫さんがやろうとしてるのは民事裁判です。そして民事裁判は地獄へ送る決定を出すことが出来ません」

「ダメなんですか!? 僕をイジメてた奴は殺人までしたのに!?」


 納得いかない良夫は大声をあげた。

 シルフィが良夫を窘める。


「落ち着いてください。地獄へ送ることは出来ませんが、報復権というのがあります。生前受けたイジメは全てやり返すことが出来ます」

「報復? 報復できるんですか?」

「はい。イジメ裁判は報復か慰謝料のどちらかを請求できます」

「どちらかしか選べないんですか?」

「はい。そういう決まりになってるんです」


 これは少し不満だだった。

 本当は報復も慰謝料請求もやりたいが、どちらかしか選べないなら答えは一つだ。


「じゃあ報復にします」

「……わかりました。では終身報復権を請求します」

「終身報復権ってなんですか?」

「相手が天界に居る間、魂が生きてる間ずっと報復できる権利です。イジメで殺されたのだから、相手にも同じ苦しみを味わってもらいましょう」

「はい!」


 相手にも同じ苦しみを味わわせる───これこそが良夫が欲しかった言葉である。

 良夫はシルフィに全幅の信頼を置きたい気分になった。


「でもこれってイジメた奴らを死後、天界に来てから罰するという事ですよね? 奴らを地上界にいる間に罰することは出来ないんですか?」

「それは地上の法廷の役割ですね。天界法廷で出された判決は、いかなるものでも地上界に影響を及ぼしません」

「………」


 地上界で罰することが出来ないのは残念だが、それは地上の法廷の役割というのは頷ける。


(まあ、そりゃそうだよなっていう。この天界とかいう世界でも、報復の機会があるのならそれでいっか……)


 他にも良夫は訴訟に関しての様々な説明を受けた。

 またシルフィも良夫の事情を詳しく聞いた。

 なかでも殴る蹴るなどのイジメの詳細を聞かされた時は胸が痛んだ。


(この子はきっと生前、すごく辛い思いをしてたんだろうな……まだ中学生なのに自殺するなんてさ……)


 陰惨なイジメを受け続けた良夫の心情を思うと、心が締め付けられるように苦しくなる。

 シルフィは、このあどけない中学生を勝たせてあげたいと強く願った。


 話の終わり際、最後に良夫はシルフィに聞いた。


「この訴訟、勝てるでしょうか?」


 そう聞かれたシルフィは良夫の目をまっすぐに見つめ、自信たっぷりに答えた。


「勝てます。百パーセント!」




* * *




 クルドのオフィス。

 シルフィはこの部屋の一画を貰って仕事をしている。


「原告との打ち合わせはどうだった?」


 コーヒーを手に持ったクルドがシルフィに尋ねる。


「特に問題なかったです。いま訴状を作成中です」

「そんな事する必要ないぞ。雑用は秘書にやらせて、オマエは弁論内容を考えておけ。それが一番大事なのだから」


 訴状を書く手を止めて、シルフィはクルドに聞いた。


「任せちゃっていいんでしょうか?」

「おう、いいぞ」


 クルドはコーヒーを一口飲むと、シルフィが書きかけだった訴状を秘書に差出して命令した。


「おい、この訴訟の準備を最優先でやっとけ」

「わかりました」


 背中に羽の生えたハーピーの女性秘書が訴状を受けとる。

 書類を渡したクルドがシルフィに言う。


「クライアントの希望は被告への報復、それも終身報復権なんだな」

「いけなかったでしょうか?」

「別にいけなくはないさ。クライアントの希望を叶えることが俺達の仕事なわけだからな」




* * *




 数日後。

 相手方の弁護士から示談交渉がしたいという申し出があった。

 シルフィと良夫は、事務所の応接室で相手方の弁護士と会うことにした。

 イジメっ子は欠席で、三者での話し合いである。


 相手方の弁護士は眼鏡をかけたリザードマンで、名前はデニス。

 いかにもインテリのベテラン弁護士という風貌の男だった。


「───終身報復権の請求は取り下げてほしいです。慰謝料を一千万ギル支払うことで収めて頂けないでしょうか?」

「ダメです。慰謝料はいりません。依頼人の望みはイジメた相手に報復することだけです」


 デニスの申し出をシルフィは即答で断った。

 事前に示談の条件は良夫と打ち合わせ済みなのである。


「……では報復権の二年分では、どうでしょうか? イジメの期間は二年間だったはずです。終身報復は長すぎます」


 一方のデニスも示談の条件は打ち合わせ済だった。

 報復権の二年分が妥協できるラインなのだ。


「話にならないですね。ぬるすぎます」


 しかしこれもシルフィは即座に撥ねつけた。


(クソ! 下手に出てればイイ気になりやがって)


 デニスは心の中で舌打ちした。


(しかし、どういうつもりだ? 示談交渉にこんな───いかにもロースクール出たてのヒヨッコ感が満載の新人しか同席させないなんて……俺を舐めてるのか?)


 天界の弁護士はランク制でA~Hまでの八段階がある。

 シルフィの弁護士バッジはデザインがHランクで、最下辺のランクを意味するものだった。


 デニスがつけてるのはDランクのバッジだ。

 上から四番目のランクのバッジをつけているデニスにとっては、どうしてもシルフィが赤子同然に見えてしまうのだ。


(だが油断は出来んのだよな。レグルスといえば手強い相手が多い大手事務所だ。新人しか同席しないのは、何かの法廷戦術なのかもしれないし……)


「終身報復権を取り下げてほしいなら慰謝料十億と、毎日の土下座と、額に『僕はクズです』という焼き印を刻むこと。これが条件です」

「無茶苦茶だ!」


 あまりな条件にデニスは憤慨した。

 十億ギルというのはいくらなんでも高すぎるし、土下座と焼き印もひどすぎる。


「そんな条件、飲めるわけがない!」

「では訴訟するしかないですね」

「!?」


 シルフィの強気な態度にデニスは面食らった。


(本気なのか!? こんな条件で示談できると本気で思ってたのか!?)


 もう一度シルフィの顔を見てみるが、この新人は自信満々の顔をしたままだった。


(……いや、なるほど。最初から示談する気など無かったということか。Hランクのガキのクセに生意気な)


「わかった。それなら裁判で決着つけるしかないな。次は法廷で会おう」


 デニスはカバンを手に席を立った。




* * *




 裁判当日の天界法廷。

 天界の人間エリアの民事裁判所、Fー5482コート。

 ここがシルフィとデニスの決戦の地だ。


 被告側の席にはデニスと、良夫へのイジメを主導していた明の姿があった。


 通常、生者は天界へ足を踏み入れることは出来ない。

 ただし、死者に訴えられた場合や証人として喚問された場合は強制的に天界へ召喚される。

 地上に戻ったとき天界での記憶はなくなるが、地上での生を終えて死亡した時から天界での記憶が復活する。

 天界法廷で出された判決も死亡直後から効力を発揮する、というのが大まかなルールである。


「レイラ判事の入廷です。全員起立!」


 守衛が大声で叫ぶと、専用口から二本の曲線のツノが生えた女性が出てきた。

 ツノが直線なのは鬼族、曲線なのは竜族、ツノが直線も曲線もあるのが獣人や悪魔族というのが大雑把な見分け方である。

 この判事の女性、レイラは竜族だった。


「ああ、いいですよ、立たなくても。どうぞ座ってラクにしてください」


 レイラは笑顔で言うと、中央の判事席に座った。


(優しそうな判事で良かった。優しい人ならイジメには厳しいはずだ)


 この判事なら勝てる───シルフィは勝利の自信をより深めた。


「こんにちは、市民の皆さん。これより訴訟番号YWQ6742388、良夫VS明の審理を始めます。原告代理人は冒頭陳述をどうぞ」


 シルフィは立ち上がり、簡潔に冒頭陳述を述べた。


「原告、良夫は被告である明の暴力的なイジメによって自殺に追い込まれました。よって原告は被告に対し終身報復権の行使を求めます。以上です」


 シルフィが座ったのを見て、レイラはデニスに言った。


「被告代理人、どうぞ」


 デニスも立ち上がり冒頭陳述を述べる。


「被告には一切落ち度がなかったと主張します。以上です」


 デニスは原告側を見ながら思った。


(まさか弁護人が新人のヒヨッコのみとはね……俺を相当舐めてるってことだな。ふざけやがって)


「ふむ……弁護人、両名は前へ」


 レイラ判事はマイクのスイッチを切り、シルフィとデニスを手招きした。


「シルフィさん、原告側の代理人はあなた一人なの?」

「そうです」

「ランクHのようだけど、法廷は何回目?」

「初めてです」


(ええ!? 新人!? 新人で一人ってなんなの!? 大手のレグルスが人手不足というのはないだろうし、よほど自信があるってことなの?? でも訴訟手続きも変だったし、ホントにこの新人に投げっ放しなのかしら…?)


 デニスが口を挟んでくる。


「裁判長、代理人の数で言うならこちらも一人だし彼女も一人、条件は同じだと思いますよ」


(同じではないでしょ。このタヌキ)


 しれっと言うデニスに、レイラは眉をひそめた。

 ちなみに呼び方は『判事』と『裁判長』があり、どちらでも構わないということになってる。


「シルフィさん、法廷が初めてなら代理人は複数つけることをお勧めします。後日改めて冒頭陳述をやり直すことも出来るけど、どうします?」

「この訴訟は私に全て任されてます。私はたしかに弁護士としては新米ですが、人間界に十年も暮らしてた実績があるので、この訴訟は一人で大丈夫です」

「!?」

「!!」


 レイラとデニスは驚いた顔をした。


(……そうか。コイツが妙に自信たっぷりだったのは、人間界に住んでた経験からくる自信だったのか)


 デニスはシルフィの謎の自信の理由に、ようやく得心がいった。


「だから冒頭陳述をやり直す必要はどこにもないです。すぐに審理を進めてください」

「被告代理人は、人間界で暮らした経験は?」

「ありませんね。一日たりとも。───ああ、審理をすぐに進めるのには賛成、と付け加えておきましょうか」

「……わかりました。二人がそう言うなら明日から審理を進めましょう。双方、異議はありませんね?」

「はい」

「然るべく」


 天界法廷における『然るべく』とは裁判所の判断、判事の意思に従いますという意味で使われる。




* * *




 翌日。審理再開。

 いよいよ本格的な戦いが始まる。

 先手を持ったのはシルフィである。


「まずは原告でもある佐藤良夫を証人として申請します」

「異議あり! 証人リストにありません」


(はっ? なに言ってんの? この人?)


 シルフィはデニスを訝しげに見た。

 冷静に法的根拠を述べる。


「民事訴訟法975条に、原告と被告は証人リストになくとも、いつでも何度でも証人として申請できるとあります」

「その通りですね。異議を却下します。証人は証人席へどうぞ」


 レイラ判事は異議を却下したが、デニスは不敵な笑みを浮かべていた。

 それを見てシルフィが察する。


(そうか……この人、私が新人なものだから揺さぶりに来てるんだ。だから却下されることがミエミエの異議でも平気でぶつけてくるんだ。……そんな嫌がらせになんか負けるもんか)


 証人席に座った良夫。


「宣誓を───」

「───ああ、いいです。省略で」


 宣誓を促そうとしたシルフィの言葉をレイラが遮る。


「以降、全ての証人は宣誓したものと看做します。質問をどうぞ」


 判事にはいろんなタイプがいる。

 入廷の起立を省いたり宣誓を省いたり、レイラ判事は形式ばったものを省略しがちなタイプだった。


「良夫さん、まず自殺の理由を聞かせてください」

「自殺の理由は、明のイジメが苦痛だったから、耐えられなくなったからです」

「イジメと自殺には密接な因果関係がある、という事ですか?」

「そうです。僕が自殺に追い込まれた原因は、ハッキリ言いますけどイジメです。自殺した理由はイジメ以外ありません」

「ありがとうございました。以上です」


(地上のイジメ自殺裁判がチンタラしてるのは、イジメと自殺の因果関係の証明が面倒だからなのよね。その点、天界法廷では自殺した本人がイジメと自殺の因果関係を証明してくれるんだから、こんなん勝ち確に決まってる)


(………とか思ってんだろうなあ。イジメと自殺の因果関係なんぞ、たいした問題ではない。そもそも地上では”イジメは自殺に繋がる行為”と最高裁が認めたことも知らないんだろうな。あのドヤ顔を見るに)


 デニスはシルフィのドヤ顔を、余裕の笑みで見ていた。


(コイツはたぶん本物の青二才だな。訴訟手続きが変だったり新人をぶつけてきたのは、何かの法廷戦術というわけではなさそうだ。今の証人尋問を見るにイジメ問題にも疎いようだし色々と勉強不足らしい)


(……イヤらしい笑い方するわね。なんか軽蔑の視線を感じる。私を新人だと侮ってるのかな? たしかに私は新人ではあるけど、地上界で十年暮らした経験を甘くみるなよ。私が人間をどれだけ熟知してるのか見せてやる!)


「反対尋問をどうぞ」


 判事に促されデニスが立ち上がる。


(さあこい! どんな論法できても粉砕してやる!)


 敵をまっすぐに見据えたシルフィは戦闘意欲に満ち溢れていた。

 ところが───


「質問はありません」


 ───まさかの質問なし。

 シルフィは肩透かしを食った。


(質問ないんかい!!! 不敵な笑みを浮かべていたのはなんだったんだ!? 単なる新人に対する嘲りの笑いか!? ……これはあれかね。プライドだけ高くて実力が伴ってないのかしらね。私を嘲笑するぐらいしか反撃がなかったという。ふふ、Dランクといってもたいしたことはないわね)


 しっかり嘲笑を返しておくことをシルフィは忘れなかった。




 一回目の公判はあっさり終わった。

 地上でいう『公判』とは刑事事件の裁判のことで、民事の裁判は『口頭弁論』と呼ぶ。

 この二つを混同してる人は地上でもけっこういるが、天界では刑事も民事も裁判の手続きを全て”公判”と呼んでいる。


 他にも『被告』と『被告人』という言葉は、地上と天界では違う。

 地上でいう『被告人』は刑事裁判、『被告』は民事裁判で使う言葉なのである。

 だが天界では被告と被告人の使い分けはなく、どちらも好きに使っていいことになってる。


 こういった言葉の用法の微妙な違いは多い。

 基本的に天界の法律用語は、わかりやすさ重視なのである。


「相手の弁護士、何もしませんでしたね」


 裁判所の廊下を歩きながら良夫はシルフィに言った。


 相手方の弁護士はイジメと自殺には因果関係がなかった───という主張をすると読んでいた。

 だから相手方の反論を予想し、シルフィは良夫にいろいろ受け答えを教えておいたのだが、それを披露することもなく終わった。

 肩透かしはシルフィだけじゃなく、良夫も感じていたのだ。


「何もしなかったのは打つ手がなかったから、なんだろうね。イジメられた本人が因果関係があると言ったのは大きいよ。イジメ被害者本人の証言は何よりの証拠なのだから」

「ですよね」


 ここまでは予定通りに裁判が進んでいる。

 上々な滑り出しだ。

 シルフィも良夫も今日の結果には良い手応えを感じていた。


「裁判始まる前に、判事がシルフィさんと相手の弁護士を呼びましたよね? 何を話してたんですか?」

「たいしたことじゃないよ。私が新人弁護士だから、代理人を複数つけたほうがいいんじゃないかって提案されただけ」

「え!? 新人なんですか!? シルフィさん!?」

「ええ。でも私には人間界で十年過ごした経験があるわ。人間についての知識はそんじょそこらの奴には負けないつもり。それに相手の弁護士は私を新人と侮って舐めてかかってきてるので、そこにも付け入るチャンスがあると思う。必ず勝つから心配しないで」


 そう言われても、新人というのはやはり気になる。

 いまいち納得いってないような良夫にシルフィが言葉を重ねる。


「大丈夫よ。地上のイジメ裁判だって、加害者VS被害者の場合ほとんど被害者側が勝つでしょ?」

「それは……よく知らないけど、そうなんですか?」

「そうよ。イジメ裁判における被害者と加害者の戦いなんて、被害者側が勝つに決まってる。今日の公判だって良い感じだったでしょう? だから何も心配いらないわ。大船に乗ったつもりで任せて」

「わかりました。お任せします」




 良夫と別れたシルフィは、事務所に戻って次の公判の準備をしていた。


「どうだった?」


 コーヒーを持ったクルドがシルフィに聞く。


「順調です」

「それは何よりだ。期待してるぞ」

「はい!」


 コンコンとドアをノックする音。

 ドアが開いて犬タイプの獣人の男が入ってくる。


「ちょっといいか?」

「パウロじゃないか。久しぶりだな」

「いま出張から帰ったところだ」


 犬タイプの獣人の男はパウロだった。

 シルフィが部下として働くはずだった男である。


「話はスーメロから聞いた。ウチに配属される予定だった新人を横取りしたそうだな」

「人聞きの悪い。この新人が俺んトコで働いてるのは、本人が望んだからだぞ?」


 クルドがシルフィに視線を向けると、パウロも同じようにシルフィに視線を向けた。


「キミが新人のシルフィだね。そうなのかい? キミは望んでこの男の下で働いてるのかい?」

「ええ、はい……」


 裏切ってしまったという思いは否めない。

 シルフィがバツが悪そうに答えた。


「僕やクルドのような個人オフィスを貰ってる者は、部下を自由に雇ったりクビにできる権限を持ってる───という事は知ってる?」

「……いえ。知りません」

「クルドは部下をたくさん雇ってたくさんクビにする、どんどん切り捨てる方法を用いてることは?」

「……知りません」

「おい、ちょっと待てよ」


 クルドが口を挟む。


「まるで俺が部下を使い捨ててるみたいな言い方じゃないか。俺は些細なミスでクビにしたりはしないぞ。たくさん雇うのは競争意識に伴う良い緊張感を持ってもらい、良い仕事に繋げる為だ。実際、俺のトコから一人前になった奴は多いし、デメリしか言わないのはフェアじゃないだろ。そもそもお前に俺のやり方をどうこう言われる筋合いはない」


 早口でまくし立てるクルド。

 しかしパウロも負けてない。


「僕が問題にしてるのは新人の彼女がそれら全てを知った上で、全て納得した上で働いてるのかってことだ。何も知らせずに働かせるのは、それこそフェアじゃないだろ」


 パウロとクルドは一触即発の空気になった。

 この二人は普段から仲があまり良くないのだ。


「……あの、すみません」


 自分のせいでケンカみたいになってるのは、なんだか居たたまれない。

 シルフィはおそるおそる口を開いた。


「知らなかったのは事実ですが、私は既に訴訟を手掛けてますし、このままクルド先生の下で働きたいです。役に立たなかったらクビにされても仕方ないぐらいの覚悟で働きたいと思ってます」

「よく言った! 素晴らしい心がけだよ」

「………」


 シルフィにそう言われた以上、パウロは何も言うことがなくなった。




* * *




 応接室。


(パウロさんには悪いことしたかな。でも、今のクルドさんのオフィスのほうが私には合ってるのよね。下積みより実戦をやりたいのも事実だし……)


「……どうかしましたか?」

「あ、ううん。何でもないの」


(いけないいけない。今は仕事に集中だ)


 良夫とシルフィは次の公判に向けての打ち合わせをしていた。

 気を取り直してシルフィが良夫に言う。


「次の被告側の証人は斎藤という学校の先生みたいだね」

「よく知ってます。僕の担任でしたから」

「その斎藤先生はイジメのことも知ってたの?」

「わかりません。『イジメられてるのか?』って聞かれたことはありますが……」

「なんて答えたの?」

「………」


 良夫は言いにくそうに口をつぐんだ。


「イジメは話したくない事もたくさんあるだろうけど、正直に教えて。事実を知らないと弁護に支障が出る可能性が大きくなるから」


 シルフィは真剣な表情で良夫にたずねた。


「………」


 少し間があってから、良夫が小さくつぶやく。


「……『違います』って……」

「………」


 良夫は担任の斎藤に『イジメられてるのか?』と問われて『イジメられてない』という旨の返答をしたらしい。

 肝心のイジメ事実を、イジメられた本人が否定する。

 これはちょっと不利な事実だ。


「なるほどね……あっちの証人になるわけだ」


 今度はシルフィが小さくつぶやいた。


「でもイジメはあったんです! 僕が証言したじゃないですか!」


 大きな声で主張する良夫。


「うん、でも証言は先生に述べた事と矛盾してるよね。イジメがあったと言ったり無かったと言ったり。良夫さんはウソつき扱いされるかもしれない」

「そんな!」


 もしかしたら裁判は一気に不利になるかもしれない。

 その可能性がチラついた良夫は表情を曇らせた。


「地上のイジメ訴訟でもよくあるのよね。加害者側がイジメの事実を認めず、イジメなんてなかった、と主張してくるのは」


(こんなことならイジメの事実を記した遺書でも残しておくんだったな……)


 遺書を残さなかったことが悔やまれる。


「でもまあ大丈夫だよ。良夫さんはクラスの皆が見てる前で殴る蹴るのイジメを受けたんでしょ?」

「はい。みんな見てました」

「やめてほしいと言ったんだよね?」

「最初は言わなかったけど暴力が酷くなってからは言いました。やめてくれなかったけど……」

「なら大丈夫だよ。クラスメートを証人として申請しよう。証人が多ければイジメ事実は認められるはず」

「証言してくれますでしょうか?」

「大丈夫。なんとか交渉してみるよ」




 二回目の公判に向けて、シルフィは休日返上で仕事を頑張った。

 食事は外食や弁当で済ませ、寝る時間も惜しむ程である。

 本当は生活用品や可愛いインテリアをそろえる為のショッピングに行きたいし、銀行口座を作ったり、役所に転入届も出しておきたい。


 でも───


(───色々やりたいことはあるけど、裁判が終わったらにしよう)


 初めて任された仕事が主任弁護士というのは、とてもラッキーなことだと思う。

 これは大きなチャンスなのだ。

 この裁判を勝利に導けば、おそらく次も主任弁護士を任してもらえる可能性が高い。


 全ては輝かしいキャリアの為、シルフィはただひたすら仕事に打ち込んだ。




* * *




 天界法廷。

 二回目の公判。


「原告の担任だった斎藤茂治を証人として申請します」


 デニスの求めに応じ、入廷してきた斎藤が証人席に座る。


(やはりこの証人を使ってきたわね。それならこちらも予定通りやらせてもらうわ)


 用意しておいたメモに目を落とす。

 メモには反対尋問のポイントが書かれていた。


「斎藤先生、根本的なことをおたずねしますが、そもそもイジメはあったんでしょうか?」

「あったと思います」


(…………………………え?)


 斎藤の予想外の答えにシルフィは固まった。


(なに言ってんのこの人?)


「あったと思う───という根拠は、なんなんでしょうか?」


 デニスは証人席に向かって歩きながら質問した。


「根拠も何も原告が被告に殴られてるのを見たことあります。格闘ごっこの遊びには見えませんでしたね。あれはイジメでしょう。何をどう考えたって」

「原告と被告のイジメ以外にも、他のイジメを見たことはありますか?」

「ありますね、たくさん。どの学校にもイジメは必ずあります」

「イジメはありふれたもの、という事ですか?」

「そうです」


 デニスは何を考えているのか?

 意図がわからないシルフィはただただ困惑するしかなかった。


 狼狽してるシルフィを見てデニスは内心、ほくそ笑んだ。


(くくく、驚いてやがる。大方、イジメの事実を争うつもりだったんだろうな。オマエの考えなどお見通しだ。せいぜいそこで呆けてろ!)


「ここに天界統計局が調べた、イジメに関するデータがあります」


 自分の席に戻ったデニスは、用意していたファイルを手に掲げた。


「統計局が調べたところ、97%以上の人間が小中高の学校にイジメがあると回答しました。イジメは学校生活を送っていれば当たり前に発生する非常にありふれた現象である事を覚えておいてください。これを参考資料Aとして提出します」


 デニスはファイルを証拠としてレイラ判事に提出し、コピーを陪審員にも配った。


「もう一つデータがあります。イジメ被害者の自殺率は千人に一人の割合、0.1%です。つまり自殺は被害者全体の1%にも満たない超レアケースなのです。この超レアケースというのを覚えておいてください。これを参考資料Bとして提出します」


 同じようにファイルをレイラ判事と陪審員に配る。


「さて、皆さん。原告側は、被告が原告をイジメて自殺に追い込んだことが不法行為であり報復権が発生すると主張しました。要するに被告に落ち度があると。───でも、果たしてそうなんでしょうか?」


 両手を大げさに広げるオーバーアクションで、デニスは疑問を呈した。


「先ほど示した資料の通り、イジメは学校生活を送っていれば当たり前に発生する非常にありふれた現象であり、イジメ被害者の自殺率は微粒子レベルの超レアケースです。とするなら、イジメと自殺の関連性も微粒子レベルに低いと言えます。だってそうでしょう? もしイジメが自殺に繋がるならば、イジメを苦にしての自殺者は毎日たくさん出てもおかしくないぐらい、山ほど居るはずなのだから」


 調子に乗って熱弁を振るうデニスをシルフィは呆然と見ていた。

 予想外の主張をされて、思考停止になってしまったのである。


「ここからわかるのはイジメというのは───」


 でも、今が良くない流れだというのはわかる。

 今すぐにデニスを黙らせたい。

 そんな気持ちが先走ったシルフィは立ち上がって叫んでいた。


「異議あり!」


 法廷にいる皆はシルフィに顔を向けた。


「………」

「………」


 注がれる視線。

 流れる沈黙。


「………」


 思わず叫んでしまったが、頭の中は真っ白だ。

 何をどう反論していいのかわからない。

 レイラ判事はシルフィを不思議そうに見た。


「……原告代理人、異議をどうぞ?」


 そんなこと言われても異議なんかない。


「あの………………………」


 口ごもるシルフィ。

 言葉が出てこないのがもどかしい。


「どうしました? 異議の理由を述べていいのですよ?」

「………」


 依然として言葉が出てこない。

 俯いて黙ってしまうシルフィ。


「………」


 察したレイラ判事が静かに述べる。


「……異議がなければ、座ってください」


 シルフィは力なく座り込んだ。

 レイラ判事がシルフィに呼びかける。


「原告代理人」

「………」


 返事がないので再度呼びかける。


「原告代理人!」

「……は、はい」

「理由もなく異議を唱えるのはやめたほうがいいです。遅延行為は法廷侮辱罪にとる判事もいるので」

「すみません……」


 その様子を見ていたデニスは笑いをこらえるのに必死だった。


(おやおや。新人ちゃん、やっちまったな。でも異議もないのに異議を唱えるのは傑作だったぞ。ヒヒ、法廷における伝説のお笑いネタとして語り継いでやるよ)


「被告代理人は続きをどうぞ」

「続けます」


 改めて仕切り直し。

 デニスは弁論を再開した。


「つまりですね、原告が自殺した本当の理由はイジメが原因ではないのですよ。そうではなく、自殺は原告が弱い人間だったことが原因なのです。その証拠に、イジメは学校生活にありふれた現象なのに、イジメを苦にしての自殺者が極端に少ない現実があるという事を思い出してください」


 ファイルを持ち上げてアピールしておく。


「おそらく原告は仮にイジメがなかったとしても、些細なことで自殺してしまうような弱い人間なのでしょう」


(今こそ『それは勝手な推論です!』とかで、異議を挟むタイミングなんだけど無理そうね……)


 レイラはシルフィを気の毒そうに見た。


「結論を述べます。原告は極端に弱い人間です。そして原告が極端に弱い人間なのは被告にはなんの関係もないことであり、被告の落ち度ではありません。落ち度があるとするなら、それは極端に弱い原告のほうです。原告の極端な弱さこそが落ち度なのです。以上です」




 二回目の公判が終わり、法廷を出て廊下を歩くシルフィに良夫が詰め寄る。


「おかしいですよあんなの!!」

「………」

「なんで僕の落ち度になるんです!?」

「………」

「冗談じゃないですよ! 悪いのはイジメたアイツだっていうのに!!」

「……大声出さないで。注意受けちゃう」

「大声も出したくなりますよ! 僕に落ち度があるなんて言われちゃ!!」

「………」


 憔悴気味のシルフィは何も言えなかった。


「なんで反論してくれなかったんです!?」

「ゴメンなさい。ちょっと予想外のことが起きて……」

「たしかに向こうの主張は予想外でしたけど、僕が悪者にされてるのに何も異議を唱えないなんて!」

「………」


 それについては返す言葉もない。


「勝てますよね!? 僕に落ち度があるなんて主張、通りませんよね!?」

「それは……そうだと思う……」


 『絶対勝てます!』と意気込んでいた以前とは打って変わって、シルフィは力なく答えるしかなかった。




 事務所に戻ると、廊下でスーメロとすれ違った。


「あ、シルフィさん。どうですか? 裁判の調子は?」

「最初は優勢だったんだけど、ちょっと調子悪くなってきたかな……」

「そうですか……」


 暗い表情を見たスーメロは、シルフィが苦戦してることを感じ取った。


「……ま、まあ気にすることないですよ。なんたってイジメ裁判は勝率五割ぐらいの、どっちが勝ってもおかしくない裁判と言われてますから」

「!?」


 スーメロはシルフィを励ました。

 だが、シルフィはスーメロの言葉に大きな衝撃を受けていた。


「五割!?」

「え、ええ……はい?」


 スーメロはシルフィが驚いたことに、逆に驚いていた。


「どっちが勝ってもおかしくないって、どういうこと!? どういう意味!?」

「え、だから加害者と被害者の、どっちが勝ってもおかしくないという意味ですが…?」

「!!??」


 地上のイジメ裁判というのは、たいてい被害者側が勝つ印象だ。

 どう考えたってイジメられた側は被害者であり、被害者と加害者では加害者が悪いというのが普通の感覚だ。


 だから自信があった。

 天界法廷でもイジメ被害者が勝つと。


 ところが、天界法廷では必ずしもイジメ被害者が勝つわけではないらしい。

 これはシルフィにとって大きな衝撃を受ける事実だった。




* * *




 公判は何度か行われたが、手応えはあまり良くなかった。

 それどころか劣勢といってもいい程に押されていた。


 何しろ事あるごとに”イジメはイジメられる側に落ち度がある”という論法でこられたのだ。

 原告が自殺しなかったとしても、イジメにはなんの問題もないとも主張された。

 イジメはありふれた現象であり、極端に打たれ弱い原告が悪いのだと。


 そんな暴論に説得力などないと思う。

 ないと思うが、あそこまで堂々と主張されると不安になってくる。


 Dランクの中堅弁護士が無意味な主張をするとも思えない。

 相手方の弁護士であるデニスは、それで勝算ありとみて主張してるのだ。

 であるなら、あんな暴論でも一定の効果があるんじゃないかと思わざるを得ない。


 天界法廷の判決は、十二人の陪審員が一人一票持っていて十二票。

 判事は一人で三票持ってるので合計、十五票。

 この十五票を奪い合い、過半数以上をとったほうが勝つのだ。


 あの暴論に説得力を感じる者がどれだけいるのか?

 正直、自信がなくなってきている。


 絶対に勝てると思われた裁判だったが、終盤に進むにつれて雲行きは怪しくなってきていた。


(感触は良くないけど、まだ負けたわけじゃない。最終弁論をどうするかで印象は変わるはずだ。どう言ったら心に響きやすいか……)


 シルフィは連日徹夜で最終弁論の内容を考え続けた。




* * *




 天界法廷。公判最終日。


「───以上の証拠から、真に落ち度があるのは、極端に弱い人間である原告のほうです。被告にはなんの落ち度もありません。判事と陪審員には、賢明な判断をお願い致します。以上です」


 最終弁論が終わったデニスは勝ちを確信していた。


(ふふ、勝ったな。向こうの事務所がなに考えてるかは知らんが、相手が新人一人で助かったぜ)


「次に原告代理人、最終弁論をどうぞ」

「………」


 シルフィは水を一口飲んだ。

 ゆっくり立ち上がり、法廷の中央に歩みを進める。

 穏やかな笑顔でシルフィは語り出した。


「……仮定の話です。思い浮かべてください。あなたにはとても大切な子供がいるとします。両親から大事に育てられた子供は、他人が困っていたら助けてあげるような優しい子に育ちました。ところが───」


 穏やかな顔から、険しい顔に変える。


「中学生になった時、とても暴力的な同級生と同じクラスになりました。その子は短気で気に入らないことがあるとすぐに暴力を振るうような人間でした。そうですね…仮に暴力厨と名付けましょう。たまたま同じ班になった事で、その暴力厨とあなたの子供の付き合いが始まりました。暴力厨はマンガやゲームに出てきた技をマネするという遊びをやりたがりました。ただ、あなたの子供は暴力が嫌いで、しぶしぶ付き合っていました」


(………)


 法廷内は皆、シルフィの話に聞き入っていた。


「最初は冗談ぽくゲームの技名を模倣して、軽く叩く程度のものでしたが、やり返してこないのを確認すると、あなたの子供を徐々に強く叩くようになりました。冗談の”遊び”から、単なる”暴力”へと変わっていったのです」


(………)


「その頃はハッキリ上下関係が出来ていました。あなたの子供は暴力を受けるだけじゃなく、ジュースやお菓子を持ってこい買ってこいと命令されるようにもなりました。お金はもちろん自腹です。あなたが子供へあげたお小遣いは、全て暴力厨に巻き上げられる形になりました」


(………)


「あなたの子供は毎日殴られ、お小遣いを巻き上げられ、学校生活が苦痛になりました。成績も落ちて元気もなくなりました。でも親の前ではなるべく普通に振舞いました。心配かけたくなかったからです。暴力厨の暴力は目立つ部分を殴らないという巧妙なもので、顔は殴られなかったけど体には無数のアザが出来ていました。そんなこともあってイジメは発覚しませんでした」


 他にも持ち物を隠されたとか、壊されたとか、奪われたとか。

 女子トイレに放り込まれたこともある。


 そういった残酷なイジメの内容をシルフィは詳細に語った。

 それはあまりにも陰惨で、聞いてる者が耳を塞ぎたくなるような残酷なものだった。


「───そうして、イジメられ続けたあなたの子供は完全に生きる気力を無くしていました。あなたの子供にとって人生は、もはや単なる生き地獄でしかなかったのです。死んだほうがラクだ。そう考えさせられる程にイジメは陰惨なものでした。死ぬのは怖い───でも生きることはもっと怖い。あなたの子供は学校の屋上から身を投げて自殺しました。わずか十四年の生涯でした」


(………)


「正義はどこにあるんでしょうか? 判決をくだす皆さん、どうか自らの良心の声に耳を傾けてください。以上です」




* * *




 レイラ判事は陪審員が出した結論が書かれた紙を見ながら思った。


(想像以上の結果になったわね)


「では判決を読み上げます───」


 デニスは勝ち誇った顔。

 シルフィは無表情で判事の言葉を待つ。


「───判決、14対1で当法廷は原告の訴えを全て退けるものとします。裁判費用は原告の負担です。以上、閉廷」


 木槌を叩いてレイラは閉廷を告げた。


「おめでとう」

「ありがとうございます!」


 デニスと明はガッチリ握手をした。


「そんな!? どうして…!?」


 一方、信じられない結果を目の当たりにしたシルフィは愕然としていた。


 正直、勝てると思っていた。

 裁判を通して被告側の屁理屈に押された感はあったが、最終弁論で逆転した自信はあった。

 接戦にはなるかもしれないが、勝利する自信はあった。


 ところが───ふたを開けてみれば14対1の惨敗。

 こんな結果になるなど全く予想してなかった。

 それだけに惨敗のショックは大きい。

 シルフィは大きなショックを受けたが、それ以上にショックを受けたのは良夫である。


「おかしいですよ! こんなの!」


 全く納得いかないという顔でシルフィに詰め寄る。


「どうして負けなんですか!? しかもあんなボロ負けなんて!!」

「待って。負けに納得いってないのは私も同じだよ。もしかしてこれ───」

「もしかして、なんです!?」

「大声出さずに落ち着いて聞いてね」


 シルフィは小声で良夫に耳打ちした。


「もしかしたら、投票に不正があったかもしれない」




 判決から間もなく、シルフィは判事室を訪れた。

 判事室の前には槍を持った半魚人の守衛が立っている。


「私はシルフィという弁護士です。さきほどの判決についてお話があるとレイラ判事に伝えてもらえますか?」

「少しお待ちを」


 半魚人は備え付けの受話器を手に取り、シルフィの言葉を受話器に向かって伝えた。


「───はい。わかりました」


 すぐに話が終わる。


「判事がお会いになるそうです。中へどうぞ」


 シルフィは判事室へ入った。


(やっぱり来たわね……来ると思ってた)


 訪問を予想していたレイラは、部屋へ入ったシルフィに座るようすすめた。


「そこにかけて」


 レイラとシルフィはデスクを挟んで向き合う形となった。


「で、話って?」

「はい。さっきの判決なんですが、14対1というのはあまりにも不自然ではないでしょうか?」

「投票に大差がついたのは、おかしいってこと?」

「はい。接戦ならまだしも、あそこまで大差がついたのはおかしいと思います。陪審員の投票はなんらかの不正があったんじゃないでしょうか? 例えば誰かに脅されていたとか……」


(そうきたか……)


 レイラは「ふぅ」と一息ついて、言った。


「それはないわね。公判中、陪審員は缶詰状態になるので外部の者との接触を許されてないのよ。家族でさえも面会できないの。判事が───つまりこの場合は私のことね───私が許可した者には会えるのだけど、私は誰にも許可は出してないわ。つまり陪審員は全員、公判中、誰にも会ってないってこと」

「………」


 唯一の望みをあっさり否定されたシルフィは、いうべき言葉が見つからなかった。


「……あのね。天界法廷は地上の法廷とは違うのよ。あなたは地上で暮らした経験があると言ってたけど、天界法廷は地上の法廷と同じように考えないほうがいいよ。たしかに似てる部分もある。でも、違う部分だってたくさんあるのだから」

「………」


 何も言えずに黙りこくるシルフィ。


「投票に不正がなかったってことは、納得してもらえた?」

「………」


 少しの沈黙の後、絞り出すような声でつぶやく。


「……………私の最終弁論、そんなにダメだったでしょうか? そんなに……心に響かなかったでしょうか?」

「個人的な見解としては悪くなかったと思うよ。だから私はあなたに一票入れたわけだし」


(一票は判事が入れてくれたのか……)


 惨敗がショックなことに変わりはないが、ほんの少しだけ慰められた気がした。

 といっても、判事も二票は向こうに入れてるわけなのだが。


「じゃあどうして陪審員は全員が全員とも、被告に投票したんでしょうか…?」

「それはたぶん───」


 そこまで言いかけて言葉を飲み込むレイラ。


(どうしようこれ……正直に言うとショックを受けるかもなあ……)


「??」


 シルフィはじっとレイラの言葉を待ってる。


「……言いにくいんだけど……法廷に立つのも初めてという新人と、何千回と法廷に立ってきたベテランの力量差が出ちゃった感じというか……」


 悩んだ末、レイラはモゴモゴと歯切れの悪い返答をした。


「………」


 シルフィはレイラの言葉に落ち込んだ。

 弁護士としての力量差があることはわかっていたが、人間界で暮らした経験値でいうなら自分のほうが上だ。

 だから総合的な実力は互角だと思っていた。


 でもそれは幻想だった。

 人間界で暮らした経験など、なんの役にも立たなかったのだ。

 14対1という無慈悲な結果がそれを表してる。


「………」


 圧倒的敗北の情けなさにシルフィは泣きたい気持ちになった。


(あなたが惨敗した理由は他にもあるんだけど、そんな顔されると言いにくわね……)


 泣きそうなシルフィを見ながらレイラは困った顔をした。


「うーんと……そうね……私があなたに出来るアドバイスとしては、事務所を移籍することも含めて、今後の身の振り方を考えたほうがいいって事ぐらいかな」




* * *




「どうだった?」


 事務所に戻ったシルフィにクルドが声をかける。


「……すみません。ダメでした……」

「なに!? 負けたのか!?」

「はい……」

「まあ新人ならしゃーない。負けることもあるさ」


 負けて怒られると思ってたシルフィは少し安堵した。


「スコアはどうだったんだ?」

「………」


 ボロ負けは言いにくい。

 シルフィは黙って俯いた。


「どうした? スコアは?」

「……………です」


 小さな声でボソボソと答えるシルフィ。


「なんだって?」

「………14対1です」

「………」


 今度はクルドが一瞬無言になった。


「……………はあ?」

「………」

「14対1だと!?」

「はい……」

「ふざけんな!!」


 クルドは激怒した。


「オマエが絶対勝てるっていうから全て任せたんだぞ!? その結果がこれか!?」

「すみません……」


 返す言葉もない。

 シルフィは神妙な面持ちで謝った。


「いくら新人といえど、たいていはもっとマシな結果を出すぞ!? なのにオマエはこれか!? 遊びじゃねーんだぞ!? このスコアがどういう意味かわかってんのか!? 言ってみろ! どういう意味なのか!!」

「惨敗です……」

「オマエわかってないだろ! 惨敗の意味を!!」


 激高してるクルドは天使とは思えないような、まるで悪魔のような形相になっていた。

 怒り収まらないクルドはシルフィの顔を指差しながら叱責した。


「わかってないようだから教えてやる! ウチの事務所はこんなクソみたいなスコアで負けたことはない! オマエは俺だけじゃなく、事務所の面子や信用にもドロを塗ったんだ!! スコアは公開される! あの事務所はボロ負けするような弁護士がいる所だ───そんな噂が立ったら今まで築き上げた信用が傷つくんだよ! 新しい仕事も取りにくくなるし、既に抱えてるクライアントだって不安に思うだろう。仕事に悪影響が出まくりだ! この意味わかってんのか!? ああん!?」


 早口でまくしたてるクルド。


「……すみません……」


 既に泣きそうになってるシルフィは、ただただ謝るしかなかった。


「この落とし前、どうつけるつもりなんだよ!」


 まるでヤクザのような迫り方でシルフィに詰め寄るクルド。


「………」


 ヤクザに絡まれた気弱な市民のように、シルフィは怯え切った表情をしていた。


「ったく、クソの役にも立たねーな! 何が三十年の一人の天才だよ。バッカじゃねーの」


 そこまで言われた時、シルフィの目からは涙がポロポロと零れ始めた。


「泣けば許されると思うなよ! クソが! 泣きたいのはこっちのほうなんだよ!」

「………」


 泣けば許されるなんて思ってないが、涙が勝手に溢れてくるのだ。

 自分の意思で止められないのが悔しい。


 そんな時、ふとシルフィの脳裏にレイラの言葉が思い出された。



『うーんと……そうね……私があなたに出来るアドバイスとしては、事務所を移籍することも含めて、今後の身の振り方を考えたほうがいいって事ぐらいかな』



 レイラの助言と、この苦痛から解放されたい、という二つの思いが頭の中で渦巻く。

 その時シルフィは自然とこう口走っていた。


「……責任とって事務所やめます。すみませんでした……」

「その言葉はいらない」


(?)


「オマエはクビだ!」


 一瞬、引き留めてくれるのかと期待した自分がバカだった。


「………」


 シルフィは力なく項垂れた。





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