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小説風景12選/小説喫茶企画

変幻の瞳〜カレイドスコープ・アイズ〜

…すみません。思いきり文字数オーバーしました…。

 目の前に、一枚のスケッチがある。


 翼ある、美しい人。わずかに体をひねってこちらに向き直っている彼女は、何を意図する事もない表情で私を見ている。


 何度も色をつけようかと考えて、結局できなかった。


 彼女の名はウィー・デア。惑星イリス、ヴリト族の誇り高き導き人(アズン・クーラ)





 私の名はジム・フィッシャー。銀河連邦宇宙軍の元軍人、星系文化人類学者、そして少数民族擁護団体『イリーナの灯』の代表である。かつて私は、辺境宙域調査派遣艦ホルス号の士官だった。


 ホルス号はイリーナ・ブライス艦長の指揮のもと、様々な宙域に赴いた。最後に命じられたのは惑星ディアルコの調査。楽な任務のはずだった。ディアルコは穏やかな気質の住民が住む惑星だ。途中の宙域にもトラブルや紛争などはない。この任務を割り振った事務局の者は、休暇のようなものだとさえ言った。私たちも浮かれ気分で、ディアルコに着いたらリゾート地に行こうとか何とか、話し合っていた。


 しかし私たちは結局、ディアルコには行き着けなかった。イリス近辺に近づいた時、宙賊と結託した密輸業者の船に攻撃され、惑星に墜落したからだ。




*  *




 空が色を変える。絶え間なく。



「どうした、地球人(テラナー)



 ふり向いたウィー・デアに、私は弱々しい笑みを浮かべた。彼女の白銀の髪は空からの光をはじいて赤みを帯び、背にある翼もまた同様だった。瞳は赤と銀の入り交じった不思議な色をたたえている。天使のようだ。何度となく思った事だが、私はまたもやそう思った。



「すまない。立っていられない」



 私の平衡感覚はおかしくなっていた。今日は随分とがんばったのだが、そろそろ限界のようだ。



「いつも思うが、ジェーム。おまえの種族はひ弱だな。もっと強くならねば、良い子を産めないぞ」



 『ジム』をイリス風に発音すると、ウィー・デアは私に近寄り、あっさりと片手で抱き上げた。



「元々産めないので問題ない」



 密着した体の、弾力のある胸の感触に顔が赤くなる。離れようとすると、ぐいと抱き込まれた。



「少し歩いただけで倒れるおまえのような者が『男』になっては、一族が滅びる。戦えない者が子を産む側になるのは当然の事だ。我を張らず、強いつがいに養ってもらえ」


「地球系人類は普通、産まれた時から性別が決まっているんだよ」


「妙な慣習だな」


「いや慣習じゃなくて」


「部族が二人しか生き残らなかった場合、どちらも同じ性別を選ぶ事は許されないだろう。血を継ぐ者を残さぬのでは、祖先と子孫に対する義務を果たせない。それともおまえの種族は、それでも子どもが作れるのか?」



 できない事はない。クローニングや遺伝子関係の技術を使えば。だが倫理的な問題があるし、どちらも莫大な金がかかる。気軽に試そうと思う人間はあまりいないだろう。



「難しいが、できる」



 それでもあえてそう言うと、ウィー・デアは黙った。それから私をまじまじと見つめると、「テラナーというのは便利なものだな」と言って首を振った。信じていない様子なのは明らかだった。





 惑星イリスは文明レベルE、危険度8に分類される辺境の惑星である。銀河連邦の大雑把なくくりによると、レベルEは原始時代よりましという、単にそれだけの分類だ。


住民は背に翼を持ち、全員がほっそりとした女性の姿をしている。彼らの性は分化しておらず、両性具有であり、地球系人類には女性と認識される姿をしている。


それが我々の思考や感情にどのような影響を与えるかと言えば、初期の調査隊の対応を見れば明らかだろう。


彼らが惑星に降りた時、様子を見に来たイリス人が、次々と空から舞い降りてきた。それを目撃した上陸班メンバーは全員が全員、己の信じる神の名を挙げ、祈りの言葉をつぶやいたと言う。


 しかしイリス人はその外見とは裏腹に、好戦的な種族だった。一様に誇り高く、誇りが傷つけられたなら即座に戦闘に入ってもおかしくない。そうして彼らの外見に目をつけた悪質な密輸業者の奴隷狩りや、植民星にして利益を上げようとしたいくつかの惑星政府の独断専行など、様々な理由により、イリス人は『外から来る者は全て敵』と認識するに至った。


今ではよほどの好運が味方しない限り、惑星に降りた他星の人間は皆殺しの憂き目にあう。イリスが住民との接触禁止、命の保証ができないという危険度8の惑星に認定されたのも、その辺りの事情が大きい。




「捕まれ。飛ぶぞ」



 ウィー・デアが言った。ばさりという音がして風が起こる。翼を広げたのだと思う間もなく、私たちは宙に舞い上がった。


彼女の翼が金に、赤に輝く。髪の色が変わる。赤みを帯びた白銀から、青や紫の色身を帯びた金色がかった赤へと。


空の色と同じ変化だ。


ちらりと見た空は赤から紫へと色を変え、金を散らして青が踊ったかと思うと、また赤へと戻りつつあった。目まぐるしく変化する周囲の色彩に感覚がついてゆけず、めまいがする。意識がどこかに落ち込むような感覚を覚え、目を閉じた。



「案ずるな。落としはしない。私はヴリトのアズン・クーラ。その名にかけておまえたちを保護すると誓った」



 ウィー・デアの声がした。私を気づかったらしい。目を開くと、すぐ側に彼女の整った顔があった。その瞳は、空と同じように色を変化させている。



 変幻の瞳カレイドスコープ・アイズ



 その目を見るたび、摩訶不思議な魔法の世界をのぞきこんでいるような思いに陥る。


 イリスの空は、常に色彩を変化させている。太陽のスペクトルが何らかの原因によって攪乱され、こうした現象が起きるらしい。


この現象は空だけではなく、イリスのあらゆるものに影響を及ぼしていた。その結果、イリスの動植物は独特の特質を持って進化した。体色をカメレオンのように変化させるのだ。


惑星住人も例外ではなく、イリス人は周囲の色彩の変化によって髪や翼、瞳の色が変わる。感情の起伏によっても変わるらしいが、ウィー・デアは常に冷静で、激した所を私は見た事がなかった。


 そう思っていると私を見つめる彼女の瞳が一瞬、深い青に染まった。引き込まれるような鮮やかな青。しかしそれは一瞬で、すぐに瞳の色は銀色に変わり、周囲の空と同じ色に染まった。



「ジェーム?」


「すまない。気分が悪くなった」



 つい見とれていると、ウィー・デアがもう一度呼びかけた。私ははっとなり、慌てて彼女から視線を外した。すると色彩が乱舞する空や大地が目に入り、ぐちゃぐちゃと色が混ざり合うそれに、忘れていためまいを思い出した。吐き気まで込み上げてくる。私は目を閉じ、顔を伏せた。



「そのまま目を閉じていろ、星からの客人」



 ウィー・デアの声がした。頭がなでられる感触。


れっきとした成人男性である自分が女性(としか見えない人物)に抱き上げられ、頭をなでられている。何度経験しても居心地が悪い。


顔を上げて大丈夫だと言おうと思ったが、ウィー・デアの瞳を見てやめた。彼女の瞳は静かだった。そこにあるものをただ、そのものとしてとらえている。私が意地を張ったとしても、それを見抜くだろう。そして指摘する。アズン・クーラである自分の前で、なぜ偽りを言うのかと。


 イリス人は高い精神感応能力を持つ。彼らの言語は音声として発音されると同時に心で語られ、それによって意志の疎通をはかる。初期の調査隊が彼らと意志の疎通を図ろうとした時、『翻訳機を使わない方が通じる』という事実に愕然としたと言う。


 翼ある住人は彼らの住む世界が丸い惑星である事を知っており、空の高い所では呼吸ができない事も知っていた。『星から来た』という概念を説明するのには多少時間がかかったが、調査隊と接触したイリス人が何とかそれを飲み込むと、次の日にはその周辺部族の全てがその事実を知っていた。彼ら独自の精神的ネットワークにより、『理解』が伝えられたのだ。


 そのネットワークの鍵を握るのが、アズン・クーラ。イリス独自の文化の要である。


彼らは裁判官と賢者を兼ね備えたような役目を担う。常には部族の集落から少し離れた所に住み、何かあれば種族全体の為に働く。イリス人の精神ネットワークをまとめる存在でもあり、各部族に必ず一人存在する。イリス人にとって、アズン・クーラの前で偽りを言う事は、ひどく不作法で愚かな振る舞いだ。アズン・クーラは導く者。戦士にして裁き人たる、真実を知る者なのだから。


 顔を伏せて目を閉じる。



「最近は素直になったな、頑固者のテラナー。己を偽る事をしなくなった」



 ウィー・デアが言った。淡々とした口調だったが、わずかにからかうような響きがあった。



「アズン・クーラの前で偽りを言っても無意味だろう」


「その通りだ。アズン・クーラは偽りを見抜く者。ようやくわかったようだな」


「そんなに偽りを言っていたか、私は」


「幼い者にありがちな事だ。己を高く見せようと背伸びする。微笑ましいと思えば問題ない」



 何か言おうとしたが私は、あきらめて口を閉じた。ここイリスでは、翼を持たない者は成人前の存在なのだ。


 やがて体にかかる圧力が変わった。風の向きが変わり、羽ばたきの音が変わる。



「着いたぞ」



 大地に降り立ったウィー・デアに声をかけられ、私はつぶっていた目を開けた。その途端、ぐるぐる変わる色彩の乱舞を目にしてしまい、低くうめく。


日没が近いのだ。先程以上に目まぐるしく変化する世界の色。空や大地が揺れ動き、こちらに向かってくるような錯覚に陥る。ウィー・デアに下ろされたが一人で立つことができず、よろめいて地面に膝をついた。気持ちが悪い。ほとんど船酔いの状態だ。



「目隠しをするか?」


「墓に花を添えるぐらいなら、大丈夫だ」



 私は立ち上がった。ウィー・デアが腕を添えてくれる。彼女が差し出した花を私は受け取った。


 目をやった先に、航宙艦の残骸がある。


 少し離れた所に、粗末な墓標が並んでいた。ホルス号の仲間の墓だ。


 六年前、我々はイリスに墜落した。事故ではない。当時、悪質な奴隷狩りがイリスでは行われていた。天使のように美しい住人は、他惑星の貴族や金持ち連中の間で密かに人気の商品だったのだ。密輸業者たちは定期的にやって来てはイリス人を捕らえ、脳外科手術やその他の処置を行った後、好事家に売りさばいていた。


ホルス号がイリスに近づいた時、たまたま彼らは『仕入れ』に来ていた。そうして銀河連邦軍の艦が近づいたのに気づいて……何を思ったのか、攻撃してきたのだ。


 突然の攻撃を受けた我々は、それでも持ちこたえた。艦長であるイリーナの、冷静な指揮があったからだ。しかし無傷というわけにはいかなかった。密輸業者たちは撃退したものの、艦はイリスに墜落した。頭脳コンピュータの破損は激しく、艦も二度と飛び立てないだろうほどの打撃を受けた。


 地表に降り立った我々を、槍を構えたイリス人たちが取り囲んだ。我々はそこで死ぬはずだった。イリス人の掟では、星から来るものはことごとく殺されねばならなかったからだ。


だがそこで、好運が重なった。


捕らえた密輸業者から『仕入れ』の実態を聞き出したイリーナが、捕まったイリス人を救出して治療していた事。また密輸業者が、墜落した我々をさらに攻撃しようとした事などから、イリス人は我々を、『星から来る悪魔に似てはいるが、少し違う魔物の仲間』と認識した。そうしてヴリトのアズン・クーラであるウィー・デアが、我々を裁いた。助けられた命に対しての恩義を返さねばならないと。


 我々はウィー・デアの預かりという事になり、『星からの客人』という名称を与えられた。そうして頭脳コンピュータを何とか修理して救難信号を発信し、救助を待つ事になったのである。





 私は呼吸を整えると、墓の前に歩いて行った。


 航海の間、私たちは家族だった。乗り合わせていた仲間たちとはすぐに親しくなり、互いを愛称で呼び合うようになった。学者が三名。クルーは私を含めて十二名。規模としては小さなものだが、ディアルコに向かうのなら、それで十分と判断された。辺境とは言え、ディアルコは危険度2。途中の宙域で紛争が起きたという報告もなかった。宙賊や武装商人がうろついているなど、誰一人として予想していなかった。


 墓の数は十二。密輸業者との戦闘中に死亡した者が三名。惑星墜落時に死亡した者が二名。そうして救助を待つ間、この惑星で死亡した者が七名。


 今生き残っているのは、私をいれて三名しかいない。



「イリーナ・ブライス中佐。艦長。金髪に青い目、白い肌。カルコ出身アベル人。アベルにメイベルとティナの娘二人。このイリスで不正が行われていた事に気づき、それを正さんとして戦った。真に尊敬されるべき、立派な艦長だった。上陸四年後に死亡」


 一番端の墓の前に立つと、私は花を置いた。ケリシュ。鎮魂の花だ。イリスでは、この花の香りと枝にともした火が、死者を星への飛翔に導くと言われている。星から来た我々には相応しい。


 隣の墓に移動すると、そこにも花を置く。



「エミット・カーライル少佐。副長。科学主任。黒髪に灰色の目、褐色の肌。レント出身ケイナ人。ケイナに連れ合いのターニャがいる。生真面目で、艦長に時折からかわれていた。上陸五年後に死亡」



 次の墓に移動する。



「リット・エミリア。医師。白髪に緑の目、黄褐色の肌。カルコ出身。妙な駄洒落が趣味だった。双子の弟がカルコに。上陸四年後に死亡」


「アミー・リンド。チーフ・エンジニア。黒髪にオレンジの目、黒い肌。ケイナ出身。カ・ロクサのホロ小説が好きで、非番の時にはいつも見ていた。家族と恋人がケイナに。宇宙での戦闘時に死亡」



 大破したホルスの頭脳コンピュータは救難信号を発信しているが、それだけだ。航海日誌や個人的なデータの入ったメモリが無事であるかどうかもわからない。いつか救助が来た時に、ここに眠る同僚たちが誰なのか、誰にもわからないという事だけは避けたかった。だから私はできる限り彼らの墓に来て、彼らの名前と思い出を口にする事を日課にしていた。



「フォルタナ・イヴ大尉。警備主任。白髪に黒い目、褐色の肌。レント人。ヒデと三次元チェスをよくやっていた。婚約者がレントに。上陸二年後に死亡」


「アガワ・ケイン軍曹。宙兵隊員。黒髪に黒い目、アイボリーの肌。ウサカ出身で、ホロ小説を書くのが趣味だった。ウサカで母親が待つ。宇宙での戦闘時に死亡」


「メル・カーリーン。エンジニア。金髪に青い目、赤い肌。カルコ人。酒づくりが趣味で、サユカと妙なものを良く作っていた。連れ合いと息子がカルコに。墜落時に死亡」



 遺体が見つからず、墓標だけの者もいる。それでも生き残った者たちは、全員の墓を作った。作らねばならないと思った。救助はいつ来るのかわからない。日々が過ぎるごとに、彼らの思い出も薄れて行く。私たちはそれに何とかして逆らおうとした。最低限の事だけでも覚えていたかった。忘れる事を自分に許したくはなかった。



「リ・エイメリア大尉。副科学主任。黒髪に黒い目。アイボリーの肌。レント人。バイオリンの名手だった。宇宙での戦闘時に死亡」


「サユカ・ディートリヒ。惑星環境生態学者。赤髪。黒い目。オーカーの肌。カルコ人。新たな料理を開発するのが趣味で、メルとのコンビは、クルー全員にとって脅威だった。上陸三年後に死亡」


「タチカワ・ヒデ准尉。船内クルー。茶色の髪。黒い目。オーカーの肌。ウサカ人。三次元チェスとジグゾーパズルが好きだった。上陸三年後に死亡」


「ルル・ディディ。エンジニア。薄紅の髪と瞳。白い肌。ヴェントリの少数民族出身。編み物が好きで、私に帽子を編んでくれた。墜落時に死亡」


「カーロ・エメッサ。エンジニア。戦闘機ハチドリ整備担当。茶色の髪に灰色の目。カルコ人。陽気でそそっかしくて、いつも何かしら騒動を起こしていた。上陸二年後に死亡」



 ささやくように言いながら、花を供える。彼らの思い出を、私の中で新たにしながら。



「時を、宇宙を、見守る神よ。魂の祖先たちよ。彼らが安んじているように。その魂に安息と平安を」



 そこでまた、めまいがした。よろめくと、背後から伸びてきた腕が支えてくれた。



「これ以上は駄目だ、ジェーム。休め」



 ウィー・デアの声がした。わたしはうなずいた。周囲が急速に暗くなっている。夜が来るのだ。いや、……そうではない。



「ジェーム!」



 意識が遠のく。ウィー・デアの声は明らかに慌てていた。なんだ、気絶しかけていたので暗かったのか。珍しく感情を露にしたウィー・デアの声を聞きながらそう思い、私は意識を手放した。




*  *




 気づいた時は、家の中だった。



「ジム。平気か?」



 マシューの声がした。私は起き上がった。



「ウィー・デアが運んでくれたのか」


「ああ。無理をさせたと悔やんでいるようだった」



 私は周囲を見回した。イリス人が飛べない我々の為に、低い土地に建ててくれた住居。木や草を編んだ繊維、獣の皮などを組み合わせた簡素なそこで、生き延びた十人は暮らした。正直言って最初は狭いと感じた。だが今は、がらんとして見える。


 空になった寝台が増えた為だ。



「墓参りはどうだった」


「ちゃんと全員の分を済ませたよ」



 マシュー・ロッサ。年若い宙兵隊員は、横たわったまま微笑んだ。その頬はこけ、青白い影がさしている。



「俺の時は、カッコイイ男前だったって言ってくれるか」


「……君はまだ大丈夫だ」


「気休めはよしてくれ。マ・リンを見ろよ」



 この家にいるもう一人の住人に目をやる。彼は二週間前から眠り続けている。その意識が戻る事は、もはやない。この地で死んだ七名と同じく。



「俺もじきにああなる。救いは、痛みを感じない事かな。どっちにしろぞっとしないが。ろくな人生じゃなかったが……最後までろくなもんじゃないな」



 私は彼の側に行くと、黙って彼の頭を抱いた。マシューは弱った腕を上げて、私の腕に手を添えた。



「ごめんな、ジム。あんたにこんな事言ったって、何にもならないのに」


「いいんだ」


「怖いんだよ」


「わかっている。私もだ」



 マシューは小さく笑った。けれど彼が泣いているのも、私にはわかっていた。





 惑星イリスが危険度8に認定された背景に、住人の気質や、外から来た者は殺せとする掟が大きく関わっていた事は間違いない。けれどそれ以上にこの惑星には、地球系人類にとって危険な事があった。


 惑星にある、ごく微量の元素。惑星住人には無害なそれは、地球系人類にとっては致命的な毒だった。大気に、土に、水に。全てのものに含まれるそれはゆっくりと、けれども確実に体を蝕む。ごく短期の滞在であれば問題はない。長くても一月程度なら。しかし一年以上をここで暮らすとなると、話は違ってくる。


 最初に異常を示したのは、フォルタナ大尉だった。彼女は次第に衰弱し始め、やがて眠ってばかりいるようになった。次はカーロ。その次はヒデとサユカ。何かの風土病かと、医師であるエミリアは必死になって調べた。そうして原因がわかった時には彼女自身、立ち上がれないほど衰弱していた。



『イリスでは呼吸するたび、何かを食べたり飲んだりするたび、地球系人類は毒に冒される。毒はゆるやかに蓄積され、やがて我々を死に至らしめる』



 それが彼女の最終結論だった。その結論は我々を、静かな絶望に陥れた。


 それでもイリーナは希望を捨てるなと言った。救助はいつか、必ず来ると。死の恐怖に怯える仲間を彼女ははげまし、一人一人と目を合わせて言った。



『聞きなさい。私たちは今、生きている。そして私たちはなし遂げた。この惑星住民を食い物にしていた密輸業者を撃退した。外の者を必ず殺せとしてきたイリスの掟を変えた。


これが惑星イリスの住民にとって、どのような未来をもたらすのか、私にはわからない。誰にもわからないでしょう、今の時点では。けれど私は確信している。いずれ、私たちのなし遂げたこの小さな出来事が、惑星全体を変え、イリス人を平和的に連邦に加盟させる道へと導くだろうと。


 どのような最後を遂げる事になろうと、私たちの人生は無意味ではない。決して無意味ではない。私たちは生きて、生きた。そしてなし遂げた。それが事実。ただ一つの真実です。これを誇りとし、最後まで生きましょう。そして我々は一人ではない……。


 連邦はいつかきっと我々を見つける。それが十年後なのか、百年後なのかはわからない。けれど必ず見つけてくれる。私たちの生きた証を。その時私たちは、語り継がれる事になるでしょう。見つけた人々の間で。この事実を知る者の間で。


 希望を捨ててはならない。最後まで。誇りを捨ててはならない。どんな時でも。私たちがどう生きたかは、やがてこの話を聞く未来の子どもたちの希望となり、支えとなる。私たちには、未来に生きる人々に責任があるのです。覚悟を決め、正しく在り、行動し、生きるのです。最後の瞬間まで』



 そう言った時既に、イリーナの体は限界だった。それでも彼女はできる限りの仲間を看取り、残る者に生きる指針を与えようとした。


 彼女の死後は、副長のエミットがその役割を引き継いだ。墓に詣でる時に、仲間の名と特徴を声に出して言うようにしたのはその頃からだ。生きてまだ動ける者は、月に一度必ず、墓へ行き、彼らの名と思い出を語った。


 その声が一つ減り、二つ減り、……惑星上陸より六年目の今では、最後の尉官である私一人が、この習慣を続けている。





 その夜、眠り続けていたマ・リンが死んだ。マシューは声を上げて泣いた。私は彼を抱き寄せて、朝までずっとそうしていた。




*  *




「大丈夫か」



 ウィー・デアが立ち尽くす私に声をかける。私は何か言おうとしたが、何も言葉を持っていない事に気がついた。何を言えば良いのか。一体、何を。


 ヴリトの村人が、墓を整えてくれている。フォルタナ大尉の墓から数えて、十四番目の墓。


 三日前に、マシューが死んだ。上陸してから六年と三カ月。調査隊の中で、一番若かった。


 何もできなかった。何もしてやれなかった。



「いいや、ジェーム。おまえは彼を支えた」



 ウィー・デアが言い、背後からそっと私を抱き寄せた。



「おまえがいたからマ・スウ、彼は、安らかであれた。私は知っている。おまえはイリ・イナとエミ・トの跡を継いだ。アズン・クーラのように仲間を支え、その魂を守ったのだ、エイ・イッラ」



 イリス人たちがなぜか動揺した。だがその時の私には、ウィー・デアの言葉の意味がわからなかった。



「何もできなかったのに?」


「ジェーム。エイ・イッラ。私はずっとおまえたちを見ていた。おまえたちテラナーは、イリスの民と同じぐらい誇り高く、気高い」



 私は首を振った。何も聞きたくなかった。



「ジェーム?」



 色彩が周囲で乱舞する。気が遠くなり、私は意識を失った。





 気がつくと、見た事もない場所にいた。岩を削ったと思しき天井。炉の炎が周囲を照らしている。横たわる肌に、柔らかな毛皮の感触があった。華やかな色の布や、良い香りの薬草があちこちに吊るされていて、どことなく懐かしいような雰囲気が漂っている。



「目が覚めたのか?」



 入り口の毛皮を上げて、ウィー・デアが入ってきた。私は半身を起こした。



「ここは」


「私の家だ。無断で悪いとは思ったが、おまえを一人にしておけなかったのでな」



 イリス人の住居は、岩山を穿った洞窟の中にある。ウィー・デアは色鮮やかな布を手にしており、困ったような顔をしてから、それを私の肩にかけた。



「アズン・クーラの庵だ。飾るものなど何もない。これぐらいは持って行けと村の者が」



 私はかけられた布を見下ろした。手の込んだ装飾や刺繍で飾られており、イリスの空のように色彩が乱舞している。



「こういうものが好きか?」


「……良くわからない。芸術的だとは思うが、見ていると目がちかちかする」


「そう言えば、テラナーは鮮やかな色を好まなかったな。我々はこうした布や花で家を飾るが、おまえたちの住処には、色らしきものがほとんどなかった。あまりにも殺風景で、村の者が不憫がっていた」



 村の者が私に気を使ってこれをくれたのか、と私は思った。常に周囲で色彩が乱舞する状況にあったので、休む場所ぐらいは色のない状態にしたかっただけなのだが、イリス人には変わった好みに見えたのだろう。


この布を持ち帰って、どこかにかけてみようか。派手だが、一枚ぐらいなら大丈夫だろう。誰かが文句を言う事も……そう思った途端、マシューと彼の葬儀の事を思い出した。


 ああ。


 あそこにはもう、誰もいないのだ。


 気づいた途端、体の芯が冷えた。何かがごっそりと、私の中からなくなった気がした。だと言うのに、何も感じない。何も。悲しみすら。



「ジェーム」



 ウィー・デアの手が伸びてきて、私の頭をなでた。



「泣いて良いぞ」


「なく?」


「ずっと我慢していただろう。マ・リンの前で。マ・スウの前で。取り乱さないよう己を律して、彼らを支えていた。おまえこそが泣きたかっただろうに。ここには誰もいない。もう泣いても良い」



 私は首を振った。



「ジェーム」



 ウィー・デアが呼びかけた。声で、そっと触れられているようだった。傷ついた小鳥を驚かせないよう、細心の注意を払ってでもいるような。



「エイ・イッラ。私はアズン・クーラだ。私の前で泣くのも取り乱すのも、恥ではない。この翼にある名誉の石にかけて、おまえの悲しみを他にはもらさぬ」


「そうじゃ、ない」



 私は答えた。



「変だな。ウィー・デア。私は……何も感じていないんだ。おかしいな。悲しいはずなのに」



 私はつぶやいた。



「わからない。私は泣くべきなのか? どうすれば、泣けるんだ」


「ジェーム」


「わからない。わからないんだ……」



 つぶやく私にウィー・デアは、腕を伸ばし、自分の方へと引き寄せた。胸に私の頭を押しつけるようにすると、背を抱く。



「おまえは、おまえにできる最善を行った。誰が知らなくとも私が知っている」


「ウィー・デア」


「しばらくこうしていよう」



 そう言うと彼女は優しいリズムで私の背を叩いた。子どもをあやすように。


 マシューにこうしてやった。ふと、そう思った。泣いている彼を抱き寄せて、こうしてやった事があった。死への恐怖に震えて泣く彼を。


 遠い昔の出来事のようだ。


 何かが込み上げてきた。私は一人だ。一人になってしまった。仲間は全滅した。救助は来ない。


 ここでゆっくりと死んでゆく。たった一人で。



「マシューに」



 私がつぶやくと、ウィー・デアの手が止まった。



「こうしてやった事がある」


「そうか」


「あの時は、私が彼を支えていると思った。でも、そうじゃなかった」


「ジェーム?」


「私は、私が支えてもらっていたんだ。泣いている彼をなぐさめた。抱きしめてやった。彼を支えているつもりだった。助けてやっていると。お笑いだ。そうじゃない。そうやって彼を助けるふりをして、そんな自分を確認する事で……、やっと生きていたんだ。それだけだ。それだけだったのに」


「ジェーム」


「マシュー。どんなにか惨めだったろう。私はあいつを利用していたんだ。自分が生きる為に。こんな……こんな男の偽善をあいつは、ずっと受けて」


「それは違う」



 ウィー・デアがはっきりと言った。



「あれはおまえに感謝していた。おまえがいてくれたから、最後まで見苦しいさまをさらす事なく、誇りをもって生きる事ができたと言っていた」



 私は顔を上げた。



「彼が?」


「おまえに感謝すると。そう言っていた」


「でも」


「アズン・クーラの言葉を疑うのか?」



 生真面目な表情で言うウィー・デアに、私は首を振った。



「疑ってはいない。だが、いつ……、そんな話を」


「マ・スウが死ぬ少し前だ。意識が戻った時があった」



 ウィー・デアは答えた。



「おまえを一人残してしまう事を案じていた。私に、おまえを頼むと言った」



 私は呆然としてウィー・デアを見つめた。言葉が出なかった。



「おまえが彼を利用したと思いたいのなら、そう思うが良かろう」



 ウィー・デアは言った。



「だがマ・スウは、おまえの行いで救われた。おまえの言う偽善で、安らかでいられた。そうでなければ恐怖の中、苦しんで逝っただろう。全てを憎みながら。あれはおまえに感謝していた。心から。これが事実だ。変える事のできない、ただ一つの事実なのだ。間違えるな、エイ・イッラ」



 ウィー・デアの手が私の頭をなでた。



「おまえの感情で、事実を曇らせるな。あれは、おまえを愛していた。家族として。そうだろう?」


「ああ」


「父を慕うようにおまえの言葉を求め、母を慕うようにおまえの慰めを求めた。そうだろう?」


「ああ。……そうなのだろう」


「だろうではない。そうだ」



 ウィー・デアは私を抱きしめた。



「おまえは最善を行った。イリスに降りてよりずっとそうしてきた。私はずっと見てきた。ヴリトのアズン・クーラであるウィー・デアが保証する。……よくやった」



 何かがあふれた。


 震える手ですがりつくと、ウィー・デアは私を抱きしめた。そうして私は、イリスに降りて六年と三カ月目にして初めて、声をあげて泣いた。




*  *




 私はそれから、ウィー・デアの家で暮らした。弱ってゆくだろう自分の体の事を考えると、一人でいるのは不安だったのだ。ウィー・デアが自分の家に住むよう言ってくれた時はだから、ありがたかった。



「マ・スウに頼まれたからな」



 そう言うと、ウィー・デアは私の頭をなでた。彼女の前で泣いて以来、良くそうするようになった。手つきは優しく、母親を思い起こさせる。けれどそれが気恥ずかしく、ある時とうとう子ども扱いのようだからやめてくれと言った。すると、ではどうすれば良いのかと真面目な顔で尋ねられた。



「どうすればって、何を」


「家族や友を現すしぐさだ。テラナーは愛情を示す時にはどうするのだ?」



 イリス人にとって頭をなでるのは、そういう意味らしいとそれで気づかされた。そこで悩んだ。地球系人類の場合、友人同士で抱き合ったり、頬にキスを贈るのはよくある事だ。だが。


 天使と見紛う美女、それも苦しんでいる時に支えてくれた恩人相手にむさ苦しい男がそれをするというのはどうも、良心が咎めると言うか、まずい気がする。



「……今まで通りで良い」


「そうか」



 ウィー・デアは私の頭をなでると、背中をぽんぽんと叩いた。これも良くやるしぐさだ。



「背中をそうやって叩くのにも何か、意味があるのか?」



 尋ねてみると、ウィー・デアは「おまえには翼がないから」と答えた。



「親しい友同士は髪をなで、翼をなでる」


「なら、私も君の髪や翼をなでた方が良いのか?」



 するとウィー・デアはなぜか、視線を泳がせた。



「いや。それは不道徳だ」


「親しい者同士はやるのじゃないのか?」


「おまえはまだ一度も華赤の宴に出ていない」



 困ったような顔で言うウィー・デアを追求すると、華赤の宴は成人式のようなもので、それに出た者が大人として認められるのだそうだ。私は一度もそれに出ていないので、イリス人の中では半人前扱いになるらしい。



「『星からの客人』にも適用されるのか? それは」



 首をひねりながら尋ねると、ウィー・デアは「普通はされない」と答えた。



「だがおまえは私と暮らしている。この事実から、今ではイリスの民と同じと考えられている」


「そうなのか……ああ、養子縁組みたいなものかな。じゃあ、ウィー・デアにとって私は子どもに当たるのか?」



 するとウィー・デアは、ものすごく変な顔をした。



「エイ・イッラ。私はおまえを私の子どもにするつもりはないし、それではあまりに問題だ」


「問題になるのか?」


「ああ」


「どういう問題なんだ?」



 ウィー・デアの目と髪が、ふわりと青く染まった。これがイリス人にとって動揺している状態だと、その頃にはわかるようになっていた。



「説明するのは難しい。どうも私はおまえと話していると、自分が罪深い人間に思えてくる」


「罪深い?」


「何も知らぬ幼子をだましているようで」



 意味がわからずぽかんとしていると、ウィー・デアは笑った。



「イッラ。おまえが華赤の宴に出られるよう、今頼んでいる所だ。それさえ終われば、おまえが私にどう触れようと、問題はなくなる。だがそれまでは、おまえは成人とは見なされない。村の者の手前、おまえからわたしの髪や羽根をさわるのは、控えてほしい」



 良くわからないが、そういう事らしいと、私は自分を納得させるほかなかった。




*  *




 宴の月が近づく。


 私は体調を崩して伏せる事が多くなっていた。ウィー・デアは滋養のある果物や、薬草を採ってきては食べさせてくれた。イリス人の成人式がぜひ見たくて、私は懸命に食事を取り、元気でいようとつとめた。


 ヴリト族の他の村人たちとは、それまであまり交流がなかった。だが宴が近づくと、ちょくちょくやって来ては話しかけてくる者が増えた。顔見知りになった何人かは、好きな花や色について色々と尋ねてきた。何だろうと思っていると、ある日新しい衣装を仕立てて持ってきてくれた。



「こんなに地味で良いのか?」



 ウィー・デアの友人だと言うメイ・エーアが言った。渡された衣装は白い布にイシュー・ベクェ、森に咲く小さな花が刺繍された、ごくシンプルなものだ。他のイリス人がきらきらしく着飾っているのと比べると、確かに地味だろう。



「テラナーには、ここの太陽はまぶし過ぎる。色がありすぎてつらい。これで十分だし、私はとてもうれしく思っています」



 説明するとメイ・エーアは微笑み、私の頭をなでようとして、後ろからウィー・デアにはがい締めにされた。



「ちょっとした挨拶だろう、ウィー・デア」


「油断も隙もない。とっとと出て行けメイ・エーア」



 むっつりとして言うウィー・デアに、メイ・エーアはげらげら笑った。



「おまえがそんな顔をするなんて! テラナー、おまえ、快挙をなし遂げたぞ!」


「ジェームだ。そう呼べ。テラナーではない。ジェームだ」



 ウィー・デアはきっとした顔で言った。メイ・エーアが笑いをおさめる。



「そうだな。私が失礼だった。すまない、ジェーム」



 メイ・エーアは私にそう言うと、翼を大きく広げてから床につくほど下げて見せた。正式な謝罪の仕種だ。



「おまえたちのイリ・イナは見事な人物だった。彼女の心が明るく燃え、世界を照らしているのを我々は見ていた。おまえもそうだ。死にゆく仲間を支え、その心の輝きが曇らぬよう、己が心を捧げたおまえを、その心を我々は見ていた。それゆえ我々は、我々のアズン・クーラがおまえを『イッラ』と呼んだ時、反対はしなかった。前代未聞だったがな」


「『イッラ』……?」



 その言葉をウィー・デアから時折聞いてはいたが、特に気に止めてはいなかった。家族か友人に対する呼びかけだと思っていたのだ。だがメイ・エーアの口にした言葉は、何か意味合いが違うようだった。意味を尋ねようとしたがそこで、ウィー・デアが早く出て行けと言うような事を言った。苦笑いしてメイ・エーアは出て行き、私は意味を尋ねそびれた。




 その夜、私は高い熱を出した。とうとう、と私は思った。とうとう死神に追いつかれた。調査隊の仲間と同じ症状だった。彼らもまず熱を出し、それから衰弱が始まったのだ。





*  *





「ジェーム」



 呼びかける声に目を開ける。ウィー・デアが側にいて、私の顔をのぞきこんでいた。



「ウィー……デア」



 名を呼ぶと、ほっとしたような顔をして微笑んだ。



「エイ・イッラ。おまえは三日も眠っていた」


「私の番が、来たようだ」



 そう言うと、彼女の顔が歪んだ。



「駄目だ」


「ウィ、」


「駄目だ。まだ宴に出ていない。華の月の歌も歌っていない。新しい衣装も着ていないだろう」


「そうだったな。せっかく、みんなが新しい服を……」



 気が遠くなる。冷たいものが額に当てられ、何かが口にあてがわれた。喉を通り抜ける何か。苦い。ウィー・デアの作る薬湯だ。



「ジェーム」



 ああ。だが、効果はおそらくない。私を弱らせているのは、惑星イリスそのものだから。大気が。大地が。水が。全てが静かに、しかし確実に私を衰弱させている。



「どこへ、行くのかな」



 ぽつりと言うと、ウィー・デアが私を見た。



「ウィー・デア。このイリスでは。死んだ者は、どこへ行く?」


「ジェーム……!」


「教えてくれ。どこへ行くんだ?」


「祖先の元へ。星の光に導かれ、平安の道を行く」



 一瞬震えたが、ウィー・デアは答えた。



「テラナーの、魂も?」


「わからない。だがイリ・イナたちはきっと、星々の道を行き、祖先に迎えられている。あれほど気高い者たちだ。それにおまえはずっと、彼らの墓を訪れては、祖先の魂たちに彼らの事を頼んでいた。イリスの精霊たちはそれを聞いていた。きっとイリ・イナたちの祖先を探して、迎えてくれるよう頼んでくれたはずだ」



 ウィー・デアの家に移ってからも、私は彼女に頼んで仲間の墓をしばしば訪れていた。何かしていなければ、おかしくなりそうだったのだ。だがイリスの民にはそれは、信心深い行為と映ったらしい。そうではないのに。


 いや、それともそうなのか? 助けを求めて行う行為は、祈りでもあるのだろうか。私の行いがイリスの民には、祖先と神への取りなしの祈りと見えた。そのように、このイリスに住まう精霊が……そこにいる何かが。そう見なして、憐れみをくれるという事はないのだろうか。



「そうなら、良いな」



 綺麗だな、と思った。ウィー・デアの瞳は炉の炎の照り返しを受けて、淡く赤と金に染まっていた。髪と翼も。


 ああ。本当に綺麗だ。



「悪くない」


「ジェーム?」


「うん。悪くない……ウィー・デア。私は、怖かった」



 彼女が私の手を握ってくれるのがわかった。



「一人で死ぬのが。誰も仲間がいない所で、取り残されて。何もできないで死ぬのが怖かった。自分が消えてしまう事が」


「……」


「六年、待った。救助は来ない。怖かった。今も、少し怖い。何もなさず、何も残さず。私の人生は何だったのかと」


「ジェーム」


「でも、君に会えた」



 ウィー・デアがはっと息を飲んだ。



「君は、率直だ。君には偽りがない。君はそこにあるものを、ただそのものとして見る。私たちテラナーが忘れてしまった事だ。自分の弱さを隠す為に、私たちは自分自身の心さえ偽る。分厚い鎧で覆ってしまい、そうしているうちにやがて、本当の事を忘れてしまう……」


「ジェーム。もう良い。話すな」


「話したいんだ。ウィー・デア。君は綺麗だ。君といると、……私は。自分の人生にも何か、意味があったと思えてくる。無駄ではなかったと……」


「……ジェーム。エイ・イッラ。私はおまえが思うほど、美しくも気高くもない」



 ウィー・デアはうなだれた。私は微笑んだ。



「おかしな事を言うね。君は私を支えてくれた。苦しい時に声をかけ。悲しい時に抱きしめてくれた。マシューが死んだ時、泣きわめく私を抱いていてくれたのは、誰だ?」


「アズン・クーラなら当然の事だ。おまえは悲しまねばならなかった。だが衝撃が深すぎて、悲しむ事ができなくなっていた。私がしたのはおまえの心を少しほぐしてやり、悲しみが、涙が、当たり前に現れるよう導いた、それだけだ。アズン・クーラなら誰でもやる」


「それを私にしてくれたのは、君だ」



 私は言った。



「アズン・クーラなら、誰でも。そうだろう。だが私は、私のアズン・クーラが君であった事をうれしく思う」


「ジェーム」


「いつかと反対だな」



 私はちょっと笑った。



「疑わないでくれ、ウィー・デア。私は君に救われた。君はアズン・クーラとして、私の友人として、最も良い事を私にしてくれたんだ。そうでなければ今ごろ私は、絶望し、全てを憎んで死んでいただろう……。感謝している。心から。これは事実だ。変える事のできない、ただ一つの事実。君もそう言ったじゃないか、エイ・イッラ」



 私がそう言うと、ウィー・デアがびくりと肩を震わせた。彼女がいつも私に使う呼びかけを、私が口にしたのに驚いたらしい。



「エイ・イッラ」


 もう一度繰り返すと、彼女の瞳が青く染まった。



「意味を知っているのか?」


「知らない。でもそう呼びたい」


「そうか」



 目の前で、ウィー・デアの色彩がみるみるうちに変化した。翼の色が深青になり、髪の色が青銀に染まる。その瞳が。青く、青く染まり、ほのかに燐光を放ち出す。


 綺麗だ。


 そう思った。それが限界だった。力尽きて目を閉じると、頬に何かが触れた。髪に。額に。唇に。そっと、風が触れるように。


 歌を聞いた気がした。聞いた事のない、けれどとても懐かしくて美しい歌を。




 次に目覚めた時、メイ・エーアが呆れ果てた顔で前代未聞だとつぶやいていた。他にも何人かのイリス人が立っていて、外には大勢が詰めかけている様子だった。


何事かと思っていると、駆け込んできた顔見知りの村人が、寝ているままの私を布でぬぐって綺麗にし、飾りたて始めた。あの新しい衣装を着せられ、何が何だかわからずにいる内に、花冠を被せられる。


やがて村人が全員、歌を歌い始めた。髪と瞳を青く染めたウィー・デアが入ってきて私の手を取ると、笑い声が上がった。花が後から後から投げ込まれ、歌はうねりのように響いて私たちを包んだ。仏頂面をした老いたイリス人がずかずかと入ってきて、「認めるか?」と叫ぶと全員が「認める!」と叫んだ。


 その時になって私はやっと、『イッラ』がイリス語で『愛しい人』を意味し、『エイ・イッラ』が『私の伴侶』を意味する言葉であると知らされたのだった。




 その後、自分が結婚式を上げている事すら知らなかった私と、強引に式を上げてしまったウィー・デアの間で悶着が起きたとしても、不思議ではないだろう。彼女は下手に出て謝り続けたが、最後には開き直って「おまえが欲しいと思ったからやったのだ。何が悪い」と言い切った。


 その頃には疲れ果てていた私は何か言う気力もなくなっていた。ただ「長く生きて、私の子を産んでくれ」という彼女の頼みにだけは、「産めません」と答えるしかなかった。



 

*  *




 華赤の宴に私は、少しだけ出席した。体調の優れない私をウィー・デアは抱え、連れていってくれた。恋の歌を歌い、性を分化させてゆくイリス人たちの姿は美しく、彼らの翼が、髪が、目が、様々な色をまとった後に青く染まり、燐光を放つさまは、息を飲むほど幻想的だった。



「君は分化しないのか」



 ウィー・デアに目をやると、彼女はいつも通りの姿だった。



「私にはおまえがいる」


「私がテラナーだから、分化できないのかい」



 そう言うと彼女は困ったような顔をした。図星らしい。イリス人が男女に分かれるのには、何か特殊な条件が必要なのだろうと私は思った。同族の出す何かのサイン、あるいは分泌する物質。だが私はイリス人ではないので、ウィー・デアを変化させる事ができないのだ。



「私はおまえを愛しているし、それで十分だろう?」



 そう言って、彼女は私に口づけた。ふわりと青く染まった彼女の髪と目は、この上なく美しかった。



「そうだね。でも、約束してくれないか」


「何を」


「私がいなくなったら。必ず別の誰かと恋をして、幸せになってくれ」



 ウィー・デアは私を見つめた。その瞳が真っ青に染まり、ふうっと銀色になった。



「おまえの望みは何であれ、かなえてやりたいが」



 微笑んでから、ウィー・デアは言った。



「それは、とても難しい」


「努力だけでもしてくれないか」


「酷い事を言う……」



 ウィー・デアは私をそっと抱きしめた。



「約束してくれないのか?」



 小さく言うと、ウィー・デアは顔を伏せた。



「おまえの望みだ。約束しよう」



 そうして彼女は言った。



「だが私はおそらく、星の道を辿る事になるその日まで、おまえを忘れられはしないだろう」





*  *





 宴の日以来、私からは急速に体力が失せていった。横たわったまま、床から起き上がれない。マ・リンやマシューの時と同じだ。他の仲間たちと同じ。いずれ食事も取れなくなり、眠ってばかりになり、ある朝冷たくなるのだろう。



「ジェーム。エイ・イッラ。起きているか」



 ウィー・デアの声。まぶたを動かし、どうにか目を開ける。



「ラルクの実を採ってきた。口にできるか」



 ウィー・デアは、今ではつきっきりで私の世話をしてくれている。体を拭き清め、着替えをさせ。下の世話までさせてしまうのは申し訳なかったが、彼女は大した事はないと言って笑った。食欲はなかったが、彼女の好意に答えたかった。私は支えられて身を起こし、ラルクの実を口にした。一口か二口で、食べられなくなってしまったが。



「もう少し食べられないか」



 声をかける彼女に、小さく首を振る。



「してほしい事はないか」



 彼女の言葉に目を閉じる。今の私には自分の体を支える力もなくなっていた。ウィー・デアの胸にもたれていると、「ジェーム?」という声がした。その声が心地よかった。彼女の心音が聞こえる。


 気がつくと、部屋の中は薄暗くなっていた。私はウィー・デアにもたれたまま眠っていたらしい。身じろぐと、彼女が気づいた。



「気分はどうだ」


「少し、良い。あれから、ずっと……?」


「大したことはない。さっき日が沈んだ。おまえは、太陽がない方が楽だろう? 外に出てみるか?」



 外。


 うなずくと、ウィー・デアは私を毛皮で慎重にくるみ、抱え上げた。それから外へ出る。


 空と大地は、紫と黒に沈みつつあった。



「飛ぶぞ」



 そう言うと、ウィー・デアは翼を広げて飛び立った。





 降りた所は、十四ある墓の前だった。



「ウィー・デア……?」


「おまえが気にしているのではと思った」



 彼女が言う。夕闇の中、良く見ると、墓には一つ一つ花が供えてあった。



「君が……?」


「ああ。何かしてやりたかったが、他にできる事がなかったのでな」



 ウィー・デアは私を地面に下ろした。それから「見ていてくれ」と言って、墓の前に立った。



「イリ・イナ・ブラ・イッス。中・佐。艦・長。金髪に青い目、白い肌。カ・ルコ出身ア・ベエル人。ア・ベエルにメイ・ベエルとティ・アーナの娘二人。このイリスで、不・正が行われていた、コトに気、づき、それを正さんと、して、戦った。真に、尊敬されるべき、立派な艦・長だった」



 私は息を飲んだ。彼女が言い始めたのは、私がいつも墓の前で記憶を確認し、繰り返してきたホルス乗

員の個人データだった。



「エミ・ト・カー・ラアル。少・佐。副・長。科、ガク主任。黒髪、灰色の目、褐色の肌。レン・ト出身ケイ・ナ人。ケイ・ナに連れ合いのタアニャ」


「リト・エ・ミッラ。医、師。白髪、緑の目、黄、褐色の肌。カ・ルコ出身。双子の弟がカ・ルコに」


「アイ・ミー・リン・ド。チーフ・エン、ジニア」


「フォー・ル・タナ・イッヴ」


「アッ・ガワ・ケ・イン」


「メル・カー・リイン」


「リ・エイ・メッラ」



 私は墓に向かう時、銀河標準語で話していた。イリス人の彼女にとっては、聞き取るのも難しかったはずだ。それなのに。



「サ・ユカ・ディー・ト・リーイ」


「タ・チカワ・ヒデ」


「ルールー・ディディ」


「カーロ・エ・メッサ」



 発音がイリス風だ。けれども彼女は一つ一つの墓の前で、その墓標に象徴される一人一人の名をしっかりと発音していた。銀河標準語で。



「マ・リン。社、会、心理、ガク者。白髪に、青い目。黒い肌。カ・ルコ人」



 マ・リンのデータを口にし、最後の、新しい墓の前に立つ。マシューのものだ。



「マ・スウ・ロッサ。伍、長。宙、兵、隊員。金髪に、青灰色の目。白い肌。カ・ルコ出身。最後、まで職務、に忠実、であり、生き、残ったホゥ・ルッス号、の、仲間を、救う事に、全、力を尽くした」



 それからウィー・デアはイリスの言葉で付け加えた。



「彼らの魂に平安あれ。星々が彼らを導くように」



 言い終わると振り返る。



「間違いはなかったか?」


「……ない。どうして」


「覚えた」



 ウィー・デアは私の元に歩み寄ると、膝をついた。



「何年も側で聞いていれば覚える」



「……ありがとう」


「言っただろう。何かしてやりたかった。それだけだ」



 わたしの髪に、彼女の手が触れた。私も何かしたかった。それで、彼女に手を伸ばした。ウィー・デアはその動きに気づいて、私の手を取った。指に顔を寄せる。私は彼女の髪に触れた。



「エイ・イッラ・イシュー・ベクェ(恋人よ、あなたは森にひっそりと咲くベクェの花のようだ)」


「エイ・イッラ……ウシュー・レク・エ(愛しい人よ、あなたは空を行くレクの翼のようだ)」



 ウィー・デアの呼びかけにイリス語で答えると、彼女は目を丸くしてから笑った。



「私の伴侶は私をレクの翼と呼ぶのか?」


「おかしかったかな」


「いいや、私の花。レクは力強く飛ぶ鳥だ。私もまた、おまえの元に飛ぼう。どこにいても。何があっても。星の道を……」



 彼女は言葉をふと止めると、続けた。



「おまえが星の道を行き、私が地上に残されたなら。私は夜空を見上げるたびに、おまえを探すだろう。おまえとは約束をした。だから新たな恋をして、幸せになる努力はする。けれどいつか、私が星の道を行く時には。私の翼を導いて欲しい」


「私が、君を?」


「ああ。星々の間でケリシュの枝に火をともして、行く手を照らしてくれ」


「テラナーでも、大丈夫かな。イリスの精霊が、怒らないか?」


「怒りはしない。むしろ、新しい仲間が来たと喜ぶだろう。星々の間には、祖先たちの魂が住む。彼らは精霊となってわれらを見守っている。おまえは私の伴侶なのだから、彼らも拒みはしないよ」




 彼女と言葉を交わしたのは、結局、その日が最後だった。翌日から私は意識を眠りの中に静めた。だから何が起きたのかを知ったのは、全てが終わってからだった。


 七年たってようやく、連邦の艦が来たのだ。




*  *




 目覚めると、見知らぬ白い空間だった。耳慣れぬ音。きんきんとした電子音。誰かが近づく気配がして、私はそちらに視線を向けた。



「気がついたのね」



 近づいてきたのは女性で、ひどく奇妙に見えた。色の変わらない黒い髪、灰色の目、翼を持たない体。思念のイメージを伴わない、ざらざらとした言葉。



「私はエリン。辺境宙域探査艦ラムダの医師です。話ができますか?」


「……、……、」



 何とかして声を出そうとしたが、できなかった。エリンと名乗った女性は、何かの機械を私の喉に当てた。



「さあ。これでどうです?」


「……っあ」



 振動が喉に伝わり、声らしきものが出た。



「所属と氏名が言えますか」



 私ははるか昔に名乗っていた、自分の階級を思い出した。



「ジム、フィッシャー中尉。ホルス号、士官……」


「第12辺境宙域調査派遣艦ホルス号ですね。イリーナ・ブライス艦長の」



 うなずくと、エリンは言った。



「救出が遅れてすみませんでした、フィッシャー中尉。七年前、ホルス号が行方不明になった頃、この宙域で戦争が起きたのです。混乱がようやく納まった時には、ホルス号の事件そのものが忘れ去られていました。


 私たちはたまたまこの宙域に来て……救難信号に気づいたのは偶然です。生存者がいるとは思ってもいませんでした。他の方々にはお気の毒でしたが、あなただけでも救助できて良かった」



 救助。


 私は救助されたのか。


 七年もたって。イリスの土になる事を覚悟した今になって。


 そこで私ははっとなった。ウィー・デア。彼女はどこだ?



「かのじょ、は」


 そう言うと、エリンは首をかしげた。



「彼女? あの原住民ですか」



 違う。私の伴侶だ。



「あのイリス人には驚きました。惑星イリスの危険性については知っていたので、上陸するかどうかで随分ともめたのです。ですが、放っておくわけにもいかないだろうと、確認の為にシャトルを下ろしたのですよ。もちろん、十分に警戒した上でです。


 そこへいきなり現れたのですから。攻撃されたと思った上陸班が発砲して、危うく殺してしまう所でした」



 ウィー・デア。何て事を。


 エリンは私の表情から、親しい間柄だったと見当をつけたらしい。口調を和らげて言った。



「大丈夫です。誤解はすぐに解けました。彼女のおかげで亡くなったホルス号の乗員の名を記録と照合する事ができましたし、あなたを我々の所に連れてきたのも彼女です。しかし、いまだに信じられません。排他的なイリス人に銀河標準語をしゃべらせるなんて、どんな魔法を使ったんです?」



 銀河標準語。



「かのじょ、……どこに」


「どこって、イリスですよ。原住民を惑星から連れ出す事はできませんから。よほど親しくされていたのですね。我々があなたを艦に運び入れた時も、ついて来ようとして。それはできないのだと納得させるのが大変でした」



 いない。


 ウィー・デアはここにいない。



「こ、こは。ど……こ」


「ラムダ号の医療室です。艦は現在、ディアルコに向けて航行中です」



 ディアルコ。



「フィッシャー中尉? どうしました。毒素はほぼ無毒化させましたが、ご気分でも」



 ウィー・デア。



「ど、して、くれ」


「中尉?」


「もどして、くれ……たのむ。イリスに。もどし、」


「混乱しているようですね。鎮静剤を打ちましょう」



 嫌だ。


 頼むから戻してくれ。私をイリスに。


 ウィー・デアの元に戻してくれ……。




*  *




 私は鎮静剤を打たれ、ラムダ号の中で眠って過ごした。意識を取り戻すたびにイリスに戻せと言う私に、エリン医師は、深刻な精神的外傷後ストレスからの一時的混乱と診断した。


 実際、私はひどいありさまだった。変化しない周囲の色彩に閉塞感を覚え、艦内の単調な色の取り合わせに怯えた。イメージを伴わない、壊れたような言葉に神経がすり切れそうになった。かつて所属していたはずの世界は、今では馴染みのない、奇妙で恐ろしいものと化していた。私は薬を打たれて眠り、そうでない時はウィー・デアの名を呼び、イリスの言葉をぶつぶつと呟いて過ごした。


 ディアルコで私は何日も検査とカウンセリングを受け、毒素の影響を調べられた。その間死亡したと思われていた自分が二階級特進し、銀河連邦軍少佐になっている事実を知らされたが、特に何も感慨は覚えなかった。イリスに墜ちる前なら喜んだかもしれない。けれど今の私に、何の意味があると言うのだろう。


 イリスに戻してくれという私の願いはそうして、かなえられなかった。危険度8の惑星は、立ち入り禁止の惑星になった。私の経験は興味深いレポートとして一部の学者を喜ばせたが、それだけだった。


 私は軍を退役し、失意の日々を送る事となった。そんな時、エリンから会いたいという連絡が入った。





「お元気そうですね」



 女性医師はそう言うと、小型の映像再生機を取り出した。



「今日はこれを見ていただきたくて。本当は艦にいる間に見ていただきたかったのですが、あなたはあの、いささか混乱されていて」


「当然でしょう。死にかけた上、献身的に支えてくれていた妻からも引き離されたのですから」



 エリンはすまなそうな顔になった。私がイリスの住民と婚姻関係を結んでいたという事実は、ディアルコに着くまで理解されなかった。混乱した人間の妄想と見なされたのだ。



「思ってもみませんでしたので。奥さまとの事は本当に……」



 まごついたように言ってから、咳払いする。



「それで、見ていただきたいんです。実はうちのスタッフがたまたま記録していたのですが、意味がわからなくて。ですが最近になって、あなた宛のメッセージではないかと気がつきました」


「何です?」


「奥さまの映像です」



 私は愕然としてから身を乗り出した。





 小さな再生機の中で、ウィー・デアがこちらを見ていた。映像は不鮮明で音声も雑音が混じり、良く聞こえない。いや、そうではない。


 これはイリスの言葉だ。だが機械を通しているので心のイメージが遮断され、意味が散乱してしまうのだ。



「何と言っているのか、わかりますか」



 記録は短く、すぐに終わった。食い入るように映像を見つめていた私は、「もう一度」と頼んだ。映像と音声が、最初から繰り返される。


 彼女の心に心を沿わせる。映像であろうとできるはずだ。私たちは伴侶なのだから。


 そうして聞こえてきた『意味』に、私は目を閉じた。



「……約束」


「え?」


「約束、です」



 涙が滲んだ。ウィー・デアは私に呼びかけていた。これが最後だとわかっていたのだろう。何とかして伝えようとした。かつて交わした約束を。



「小さな花よ。おまえを仲間の元に帰す」



 私は彼女の言葉を銀河標準語に直した。



「約束しよう。再び出会う事を。いつか私の飛び立つ時まで、星々の間で火をともしていてくれ。おまえが星々の間に帰るのなら、私たちは必ず会えるだろう。いずれ私もそこに行くのだから」



 エリンは怪訝な顔をした。



「そこに行く?」


「イリスでは、死者の魂は星の道を行き、祖先の元に帰るのです」



 涙があふれ、彼女の姿が歪んだ。星の道。祖先の魂。最後に交わした言葉を思い出す……。



(おまえが星の道を行き、私が地上に残されたなら。私は夜空を見上げるたびに、おまえを探すだろう)


(けれどいつか、私が星の道を行く時には。私の翼を導いて欲しい。星々の間でケリシュの枝に火をともして、行く手を照らしてくれ)


(エイ・イッラ・イシュー・ベクェ)



「……エイ・イッラ・ウシュー・レク・エ」



 私は泣きながらささやいた。不鮮明な映像の中の彼女に。




*  *




 それから私はイリスのような辺境惑星の住民の、人権を護る組織作りを始めた。イリス人が排他的な掟を持つに至ったのは、悪質な密輸業者の奴隷狩りと、植民しようとした様々な惑星政府の思惑によるものだ。私たちがイリスに墜ちた理由も、遡ればそこにある。


 組織の名は『イリーナの灯』とした。最後まで希望を捨てず、正しい行動をしろと言った、我々の艦長の記憶を忘れたくはなかったからだ。


 そうして私は、ウィー・デアの姿をスケッチに描いた。




 思い出す彼女はいつも、少し離れた所から私を振り返っている。思えばいつも彼女は、私が倒れないよう、無理をしないよう、少し離れた所から見ていてくれていた。表情はほとんどない。けれど今ならわかる。あれは心を外に現さないよう、自制していたのだ。結婚してから少したったある日、ウィー・デアがこっそりと教えてくれた。星からやって来た客人たちには、いつも興味津々だった。中でも頑固で、意地っ張りで、それでいて他を支えようとしていた私から、どうしても目が離せなかったと。


 彩色はしなかった。できなかった。変幻する色彩の惑星、その中でもひときわ鮮やかだった彼女のカレイドスコープ・アイズを、何を使えば表現できると言うのだろう。いいや。決してできはしない。


 今日も私は、スケッチを眺めてから仕事にかかる。惑星エムの住民の権利が侵害されているとの報告が先程入った。イリスの時のような密輸業者が暗躍しているらしい。詳細を調べ、場合によっては傭兵を雇い、断固とした措置を取らねばならない。


 大抵において、当の住人たちには知られる事のない活動だ。だが誰かがやらねばならない。イリーナが言った通り、我々には未来に生きる者に責任があるのだ。





 そしてウィー・デア。私の伴侶。あの惑星にいる間、私たちを支えたのは艦長の言葉だった。イリーナは一人一人の胸に人間らしさの灯をともし、最後まで誇りをもって過ごせるよう、死を迎える時にも勇気をもってのぞめるよう、私たちを内から支えた。私たちが自暴自棄にならなかったのは、彼女の言葉が胸に残され、炎のように内から燃えていたからだ。


 その小さな灯が消えそうになるたび、支えてくれたのは君だった。さりげなく、けれど的確に君は、私たちの負担にならぬよう、手を差し伸べてくれた。ウィー・デア。私のエイ・イッラ。


 君の為に私は火をともそう。熱意を、勇気を、そして何より、人としての優しさを。誇りをもって人々の胸にともそう。希望となって受け継がれるよう。叡智となって輝き続けるように。星々の間でともし、道筋を照らそう。君が地上で暮らせるよう。心安らかに過ごせるように。


 そしていつか……いつの日か。君の子孫は星々を目指すだろう。他の多くの種族がそうであったように。その時のしるべとなるよう。迷う事なく翼を広げ、希望に満ちて、はるか彼方にまで飛んで行けるように。




 私は君の為に、星々の間で火をともし続けよう。



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― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしいお話しでした。読んでいる途中からは涙が溢れて止まりませんでした。 一枚のイラストから、あのような壮大で美しいストーリーを生み出したと知ったときは本当に驚きました。 素晴らしい想像力…
[一言] ゆずはらさまの作品を読むのは二度目なのですが。 青の夜明けからも思ったのですが、色彩の表現が素晴らしくて、一気に最後まで読めちゃいました! ジムの「産めません」という言葉が、とても面白くて〜…
[一言] 美しい作品をありがとうございます
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