労働者から冒険者へ
2年間働いてきて、見慣れたはずのギルド。だが今日は、何やら様子が違っていた。
「おい受付嬢さんよお。出来ないってどういうことだあ!?」
「ええと、ですから……」
受付のチセさんに、見るからに粗暴な冒険者が絡んでいたのである。
「バウィンさんは先日の乱闘で他の冒険者の方に大怪我をさせていますから、しばらくクエストの受付は停止となっておりまして……」
「関係ねえだろうがそんなこと! 冒険者同士のイザコザなんざ、弱い方が悪いんだろうがよお!?」
「きゃっ!」
バン、と男がクストカウンターの机を強く叩き、チセさんが小さな悲鳴をあげた。
(他の職員や冒険者は……駄目か)
朝早い時間ということもあり、ギルドにいるのは極少数の者だけ。その中にこの屈強な男を止めようとする者はいなかった。普段チセさんをギルドの看板娘などと呼んで持て囃している冒険者達も、その場でオロオロとしているだけだ。
「なあ受付嬢さんよお、大人しく言うことを聞いてくれねえか? それが出来ないってんなら――」
とうとう男が痺れを切らし、背中の巨大な斧に手を伸ばした。
(まずい!)
俺は咄嗟に体が動いていた。まさかチセさんに斬りかかるとは思えないが、受付カウンターを破壊するくらいのことなら、この男ならやりかねない。
俺は足を踏み出し、そして――男が斧を振り下ろす前に、その柄を掴んで止めることに成功していた。
「っ!? なんだテメェは!?」
俺自身、驚いていた。入口から一歩踏み出しただけで、一瞬で男までの距離を詰めていたのだから。
「このギルドの職員です。ギルド内の暴力は禁止ですよ」
「うるせえっ!」
男が振り向き様に蹴りを繰り出してきたのだが、俺にはそれがやけにスローに感じられた。僅かに身を反らすだけで回避すると、逆に相手がバランスを崩す。
(そうか、『淫魔の加護』……)
あれの効果は疲労回復だけでなく、身体能力向上とも言っていた。先程から自分では考えられないような身軽な動きが出来るのは、『淫魔の加護』の効果だろう。
「っ、この野郎!」
男は完全に頭に血が上ったようで、俺を殺しかねない勢いで斧を振り回すが、俺にはかすりもしない。サキュバスのスキルでこれ程の身体強化が出来るとは聞いたことがないのだが、今のシトリーはレベル99だ。桁外れの効果があってもおかしくはない。
そうして丸5分は経っただろうか。
「ハァッ、ハァッ、いい加減にしろよ、テメェ!」
狂ったように暴れていた男もとうとう限界が来たようで、その場に膝を着いた。
「それ以上暴れるようなら、当ギルドから冒険者の資格を剥奪しますよ」
「チッ、糞が……」
「それと、もう一つ」
俺は男を見下ろしながら、声を潜めて言った。
「次にギルドの職員に手を上げたら、お前にも同じ目に遭ってもらう」
「……はっ! ギルドの職員風情が、冒険者に手出しできるわけねえだろうが!」
「確かに職員ならそうだ。だが同じ冒険者ならどうだ?」
「何だとぉ!?」
「俺も冒険者だ。今日からだけどな。そして冒険者同士の揉め事なら――『弱い方が悪い』んだよな?」
「……てめえええぇぇぇ!」
怒りで顔を真っ赤にした男が、俺に掴みかかろうと突進してきた。だが、身体能力が向上した俺にとっては問題にならない。俺は回避しつつ、鳩尾に一撃くれてやった。それは綺麗なカウンターの形となる。
「ガハッ!」
思った以上にいい所に入ったようで、男は小さく呻いたきりその場に倒れこんでしまった。この男も冒険者として決して弱い部類ではないと思うのだが、『加護』の力は思った以上に強大らしい。
「そこの奴等。この男の取り巻きだろ? どこか安静な所へ運び出してくれ」
「へ、へえ……」
俺達を遠巻きに見ていた小汚い服装の者達が男を連れて出て行くのを見届けると、ようやく俺は一息ついた。
「ケインズさん!」
受付を出てきたチセさんが、心配そうな顔で俺に駆け寄ってきた。
「ああチセさん、大丈夫でしたか?」
「それはこっちの台詞です! 怪我はありませんか!?」
自分も怖い思いをしただろうに、真っ先に俺の心配をしてくれるとは。まさに天使のような女性である。
「大丈夫ですよ。掠りもしてませんから」
「た、確かにそうですけど! というか、いつからそんなに強くなったんですか!?」
「いやあ、ははは」
ついさっきサキュバスの魔法で強くなりました、なんて言えるわけがない。
「とにかく、助けてくれて本当にありがとうございました。何とお礼すればいいか……」
「……じゃあ、一つお願いしてもいいですか?実は俺、正式に冒険者になりたいんですよ。ギルドとして登録してくれませんか? 魔物遣いとして」
「え、ええっ!?」
彼女は一瞬驚きに目を見開いたが、しかし数秒後には何かを決心したような顔になっていた。
「冒険者になれば、命を落とすこともあります。私、本当は反対したいんですよ。ケインズさんに危ない目に遭ってほしくないから」
「気持ちは嬉しいです。でも、大丈夫ですよ。さっきのを見てくれたでしょ?」
「……分かりました。元々ケインズさんが魔物遣いを目指していたことは知っています。その夢を今からでも叶えたいと思うなら、その想いを尊重します!」
そう言ったチセさんの目は、うっすらと潤んで見えた。
俺としても、2年間お世話になった先輩に別れを告げるのは心苦しいのだが、別に会えなくなるわけじゃない。むしろ冒険者という立場として、チセさんに、そしてこのギルドに、貢献できるはずだ。
「では、冒険者としての登録手続きを行ないますので、こちらにどうぞ!」
「はい、よろしくお願いします」
チセさんに案内されて、俺は受付カウンターに立つ。まさか自分が受付のこちら側に立つとは、つい昨日までは思っていなかったのだが。
「……はい、これで基本情報は登録しました。あとは職業ですね」
冒険者としての登録はスムーズに行なわれていた。何の実績もない住民が冒険者になろうとすれば、通常は手続きに半日程度かかることもあるのだが、そこはチセさんが気を利かしてくれたのだろう。
「魔物遣いとして登録するためには、実際にテイムした魔物を1体、この場に呼んでいただく必要があるんですが……」
「ええ、承知しています」
俺もここの職員なのだから、当然そのことは知っている。そのためにシトリーと契約したのだから。俺は魔物遣いの最も基本的なスキルである、『召還』の詠唱を始める。
「『契約に従い、出でよ、我が僕――!』」
チセさんや他の冒険者達が見守る中、ギルドの床に魔法陣が浮かび上がり、そして――盛大に爆発した。
「なんだあ!?」
天井まで届くほどの炎の柱が上がり、風圧でギルドの椅子までもが吹き飛ぶ。冒険者の誰かの素っ頓狂な声が上がった。
(まさか、失敗したのか!?)
俺自身も、大変動揺していた。固有スキルのせいで落ちこぼれ扱いされていたとはいえ、まさかこんな基礎的なスキルさえ使えないとは思っていなかったのだが――と、自己嫌悪に陥りそうになったのだが。
よく見れば、立ち昇る炎の中心から、見慣れた顔の少女が姿を現した。
「フッフッフ、召還に応じ参上しました。我こそは史上最強の夢魔! さあ我が契約者よ、打ち斃すべき敵は何処に!」
自分で考えたのであろう決め台詞と共に現れたのは、残念なことに、俺の使い魔だった。