魔法と契約
「……落ち着いたか?」
「はい……グスッ」
なんとか彼女を泣き止ませたのは、30分は経ってからのことだった。
「とにかく、魔法で黒コゲにしたのは悪かったよ」
「はい……私も、逆ギレしてすみませんでした」
「所詮夢の中だからいいかと思って……というか」
俺はずっと気になっていたことを彼女に尋ねた。
「なんで現実でも黒コゲになってるんだ?」
そう、あれはあくまで夢だったはずだ。そうでなければここまでやらなかった……と思う。
だがサキュバスから返ってきたのは、予想外の内容だった。
「グスン……私達サキュバスは『夢魔』ですから。その名の通り、夢と現実の世界を行き来できるんです。当然、夢の中で起きたことは現実にも反映されます」
「なんだって?」
夢の中と現実が繋がっているなんてことが有り得るのだろうか。
「だってそうじゃないと、夢の中で精気を奪う意味ないじゃないですか」
「……確かにそうだな」
昔、家にあった本の内容を思い出した。『夢魔』という魔物は元々夢から生まれたものらしい。ならば夢の世界も、サキュバスにとっては現実に等しいということか。
「とはいえ、夢は夢だろ? 一体どういう理屈なんだ」
「詳しくは知りません……。人間のしゅうごうてきむいしき?に夢の世界から干渉して、オド?を通じて精気を吸収するとかなんとか……」
詳しい理屈は分からないが、とにかくサキュバス達にとっては当たり前のことらしかった。
「……あの、私からも質問なんですけど。なんで貴方は夢なのにあんな事が出来るんですか? 普通の人間は夢の中では理性を失っていて、抵抗することはないはずなんですけど……」
「ああ、それは――」
俺は自分の生い立ちと、固有スキル【明晰夢】について簡単に説明した。
「夢の中なら何でも出来る……そんなスキルがあるんですねえ。レジェンドスキルというのも頷けます」
そう言いながら実際にうんうんと頷くサキュバス。他の人間からはあり得ない反応をされて、少しだけ嬉しくなってしまったのは内緒だ。
そのときふと気付いたという様子で、彼女がぽつりと呟いた。
「ということは、もしかして夢の中だったら私のケガとか服とかも治せちゃったり……?」
「――それだ!」
「えっ!?」
急に大声を出してしまいサキュバスが飛び上がるが、それを気にする余裕はない。
俺は何故今まで気付かなかったのだろう。【明晰夢】の中なら俺は大抵のことは出来る。夢の中だけで何をしても無意味だと思っていたが、もしサキュバス相手なら現実にも反映されるというなら――
「よし、今すぐ眠るから夢の中に来てくれ。俺が燃やしてしまったケガも服も治すと約束する。もしかしたら、それ以上のことも出来るかもしれない」
「……ええと、よく分かりませんけど。とにかく貴方の夢の中にもう一度お邪魔していいんですね?」
「そうだ。俺が眠ったらすぐに来てくれ」
俺は早口でそう言って布団を被った。
それに寄り添うように、サキュバスも横になる。俺の体と拳一つ分もない距離で。
「……いや、隣にいられると落ち着いて眠れないんだけど」
「あ、はい」
完全に添い寝しようとしていた彼女を制して、今度こそ俺は眠りについた。この時ふと、目の前にいるのが魔物であるということへの不安が頭を過ぎったのだが、
「意外と初心ですよね。さっき私にあんなことしたくせに……」
ベッドの横でぶつぶつ言っている彼女からは愚痴る以上の怒りは見て取れなかったので、多分大丈夫だろう。むしろ、俺の考えがうまくいけば、彼女のためにもなる筈だ。
◆ ◆ ◆
「で、来ましたけど」
「ああ。待っていたよ」
俺が【明晰夢】に入ってすぐに、サキュバスは姿を現した。まず最初に約束を果たすことにする。
「まずは火傷のダメージからだ。『治癒魔法』!」
俺の手から淡い緑色の光が迸る。現実の俺には使えない魔法だが、【明晰夢】の中では失敗することなどあり得ない。
「あ、凄い! みるみる肌が治っていきます!」
「あと服の方は、俺の記憶頼りになるが……『変衣魔法』!」
こちらは主に変装のために用いられる魔法で、あまり自信が無かったのだが、なんとか上手くいったようだ。
「服も元通りです! ……ちょっと布面積が増えて、可愛らしいデザインになってますけど」
「すまん、無意識のうちに細部が変わってしまったかもしれない。時空魔法なら完全に元通りに出来るかもしれないが――」
「いえ、このままでいいです。元の衣装は正直派手すぎたと思ってて……。えへへ、似合ってますか?」
「……ああ、似合ってるよ」
サキュバスのくせにあまりにも普通の少女のように笑うので、俺はつい目を逸らしながら言ってしまった。モテない男の悲しい習性というやつだ。
とはいえ、外れだと思っていた自分のスキルで他人が喜んでくれるのは嬉しいものだ。
「じゃあ念のため、一旦現実に戻ってみてくれ。そっちでも治っていれば成功だ」
「わかりました!」
そう言うと彼女はフッと姿を消し、10秒ほどで再び姿を現した。
「治ってました! 完璧です!」
「良かった。とりあえず俺がやってしまった分は治ったということでいいか?」
「はい! 本当にありがとうございます! 何とお礼を言ったらいいか……」
「元々は俺のせいだからな。とにかく悪かったよ」
とりあえず彼女の機嫌は直ったようなので、俺は本題を切り出した。
「ところで、俺からも一つ頼んでいいか?」
「はい?」
「多分俺は、夢の中ならサキュバスを好きに強化することが出来る。そして、それは現実世界にも反映されるはずだ」
突飛なことを言い出した俺を見て、彼女は目をパチクリとさせた。まあ、突然こんなことを言われたら面食らうのも当然か。
「俺の固有スキル【明晰夢】と"魔物遣い"を目指していた知識があれば、君を強化できると思うんだ。是非試させてくれないか?」
「よく分かりませんけど、いいですよ。服も可愛くしてくれましたし!」
「ありがとう。ただもう一つだけ条件というか、頼みがあるんだが……」
「なんでしょうか?」
「……我ながら都合が良いとは思うんだが、俺と"魔物遣い"としての契約をしてほしい」
これには理由がある。俺の強化がうまくいったとして、その状態のサキュバスを野に放つことは相当危険な行為だからだ。俺の使い魔として契約してくれれば、その心配もなくなるのだが。
しかしこれは正直厳しいと思っていた。彼女に炎魔法を浴びせたのは他ならぬ俺なのだから、恨まれていて当然だ。そんな人間と契約してくれるとは、到底思っていなかったのだが。
「うーん……まあ、いいですよ?」
彼女の返事は予想外のものだった。
「……本当にいいのか? 君にケガをさせた男の仲間になるってことだぞ?」
「まあそうですけど、あれは正当防衛というか、人間さんの立場なら普通のことだと思いますし。あ、普通の人間はそもそも抵抗できないんですけどね?」
彼女はサキュバスという淫靡な存在に似合わない、花のような笑顔を浮かべて言った。
「その後にちゃんと私のケガも服も治してくれた貴方は、信用できる方です。それに私を立派なサキュバスにしてくれるなら文句なんてある訳ないですよ! ……あ、でも私からも2つ条件をつけていいですか?」
「聞こう」
サキュバスから出される条件ということで身構えた俺だったが、それはいたってシンプルなものだった。
「一つは、私に毎日ご飯をくれること。もう一つは……私のご主人様になるんですから、他の女の子に浮気しちゃダメですよ?」
「……ああ、分かった。約束する」
こうして俺は、このサキュバス――もとい、シトリーと正式に契約した。
そして、いよいよ【明晰夢】による強化を試す時が来たのだ。