サキュバスの少女・シトリー
「『夢魔』……?」
「そう、サキュバスです! ふふ、怖気づきましたか?」
目の前の少女が、その豊かな胸を一層張るかのように言った。
ピンク色のフワフワした髪の合間から見える羊のようなツノ。肌色の多い大胆な格好。自慢げにピコピコと動く小さな羽と尻尾。
なるほど、言われてみればサキュバスだ。
(でも一応調べておくか……)
俺が『魔物鑑定』のスキルを使うと、相手の情報が頭に浮かび上がってきた。ちなみにこのスキルを使えるのは一定レベルの"魔物遣い"だけであり、それを俺が使えるのは【明晰夢】の効果である。
★名前:シトリー
★レベル:5
★種族:レッサーサキュバス
★スキル:投げキッス・セクシーウインク・炎魔法Lv1・レベルドレイン
どうやら彼女が下位サキュバスであることは間違いないらしい。
夢魔は人間の夢に侵入し、精気を奪うといわれる魔物である。なるほど、それなら俺の夢にこうして現れることも不可能ではあるまい。
まあ、これも全部俺の夢である可能性もゼロではないのだが。
「で、一応聞くけどサキュバスが何の用だ?」
「そりゃあもちろん、精気を貰いに来たんですよ」
「さっき命も奪うとか聞こえたけど」
「ふふふ。私はお腹が空いているので、人間さんが死ぬまで搾り取ってやろうということです」
ペロりと舌を出して、特に悪びれもせず言い切るサキュバス。彼女達にしてみれば人間などエサに過ぎないのだろう。
「もうお話はいいでしょう。さあ、観念してください!」
そう言うとサキュバスは俺のことを押し倒してきた。彼女の可愛らしい顔が目の前に迫り、俺は思わずドキリとしてしまった。
「怖がらなくていいですよ。むしろ最高に、その、気持ちよくしてあげますから……」
若干照れた様子ながらも、彼女はその唇を近づけてきた。
ここで彼女の誘いに乗るというのも魅力的ではあったのだが……俺は右手を彼女の顔との間に挟み、そのまま顔を押しやった。
「ちょ、何するんですか! ……って、え? 何で人間が抵抗出来るんですか!? ここ、夢の中ですよね?」
「夢の中だからだよ」
俺は身を起こすと、驚愕したままのサキュバスを見下ろしながら、詠唱を始めた。
「『紅蓮の炎よ、我が手に』」
俺が掲げた右手の上に、拳ほどの大きさの火の玉が現れる。そしてそれは徐々に膨らみ、やがて直径1メートルほどになった。
そんな俺の様子を、サキュバスは呆然とした顔で見ていたが、やがてその顔に引きつった笑みが浮かんだ。
「え? もしかしてそれを私にぶつける気ですか? えへへ。そんな酷いこと……しません、よね?」
それは俺に媚びる笑顔というよりも、目の前で起きていることが理解できずに笑うしかないといったところか。こんな美少女を酷い目に遭わせるのは気が進まないが……俺は努めて無慈悲に告げた。
「……夢魔による被害者は去年だけで100名以上。行方不明者も含めればその2倍とも10倍とも言われている。立派な人類の脅威だ」
目の前のサキュバスの顔がサッと青くなった。
「ち、違うんですよ! さっきはちょっと格好つけただけで! 本当は殺す気なんて全く無かったんです! というか私、直接人間を襲うこと自体、実は初めてで!」
「そうか、運が悪かったな。次は頑張れ」
「次なんて絶対ないじゃないですか!」
涙目でガタガタと震えるサキュバス。あまりにも可哀相な姿だったが、相手は魔物だ。ここで痛い目に遭わせるのも人間として間違いではないと思う。
幸いにして、ここは俺の夢の中。俺に殺す気がない以上、どんなに強力な魔法を使っても死ぬことはない。夢の中とはそういうものだ。
「じゃあ、元気でな――『紅蓮の火球』」
「いやああああぁぁぁぁぁ!!」
俺の上空にあった巨大な火の玉が、緩やかにサキュバス目掛けて落ちていき――そこで俺は目が覚めた。
◆ ◆ ◆
「酷い夢だった」
俺はベッドの中で一人呟いた。まさか夢の中で魔物に襲われるとは思っていなかったのだが、【明晰夢】のスキルを持つ俺にとってはむしろ幸いだったといえるだろう。
そして俺はベッドから起き上がろうとして――俺の下半身に覆い被さるようにして倒れている存在に気づいたのだった。
「……って、酷いのはどっちですか!」
それはよく見れば、ついさっき夢の中で撃退したはずのサキュバスの少女だった。そのサキュバスが、体のあちこちが黒コゲのまま、わんわんと大泣きしていたのだ。
「私本当に初めてだったんですよ!? やっと『悪魔避け』をつけてない家を見つけて! しかも弱そうだから落ちこぼれの私でもいけるだろうと思って! 初めて直接精気を吸えると思ったのに!」
「……あー、ちょっと落ち着いて」
「何故か夢の中で相手に抵抗されて! しかもよく分かんない魔法で黒コゲにされて! 私が一体何をしたっていうんですか!?」
「(襲おうとしたじゃん……)」
「そんなに私とするのが嫌だったんですか!? 私が落ちこぼれだからですか! この体に不満でもあるんですか!」
サキュバスが強引に俺の手を掴み、思い切り胸を鷲づかみにさせてきた。ちなみに服はほとんどが燃えているので、ほとんど直である。
「と、とにかく落ち着いてくれ!」
「落ち着いてなんていられないです! こんなことがばれたら他のサキュバスの間で100年は話のネタにされます! いっそ殺して! うわーん!!!」
……ここが一軒家でなければとっくに通報されていただろう。
俺は彼女を宥めるのに30分は費やすことになった。