固有魔法
「……別に依頼の期限を設けたつもりは無かったんだがねえ」
エレオノーラさんは呆れた顔で言った。俺とシトリーが戻ったのは、依頼を受けてから僅か数時間後のことだったからである。勿論、依頼されていたツバキというサキュバスの身柄は確保している。
「きゅぅ」
「この伸びている狐娘で間違いありませんか?」
「……アタシの記憶より随分と情けない姿だが、まあ、間違いないね」
「やりましたね! エレオノーラさん!」
まるで自分のことのように、無邪気に喜ぶシトリー。こいつに仲間意識とかは無いのだろうか。そしてそのはしゃぐ声を聞いたのか、ツバキが目を覚ました。
「――む。ここは……? って、ひぃっ!?」
「よう。ご無沙汰だねえ」
両手両足を縛られたまま、器用に跳ね上がるツバキ。それを見るエレオノーラさんは親しげなようで、全く目が笑っていなかった。
「50年ぶりかい? こうして会えるとは思っていなかったよ」
「ご、後生じゃ! 頼む命だけは!」
「まあ座んな」
エレオノーラさんがパチンと指を鳴らすと、何もない空間から椅子が現れた。ただし、普通の椅子ではない。仰々しい拘束具と、頭上にギロチンの刃がついた――いわば、処刑台である。
そこに暴れるツバキを無理やり固定し、エレオノーラさんはその対面に座った。
「それは『正直者の玉座』という魔道具さ。少しでも嘘をついたらどうなるかなんて、言うまでもないね?」
ツバキは泣き出す寸前のような顔で、必死に顔を縦に振った。
「じゃあ質問だ。まどるっこしいのは苦手なんでね、いきなり本題だが――50年前、アタシの夫サミュエルと何があった?」
エレオノーラさんが今どんな気持ちなのか、その表情からは窺い知れない。だがツバキの方からは、可哀相なくらいに必死さが伝わってきた。
「――何も、何もなかった!」
「ほう?」
「ほ、本当じゃ! 確かに儂はあの男に粉をかけた! だが結局接吻すらしないまま、あの男は帰ったのじゃ!」
「……もう少し詳しく話してみな」
「あの夜、儂は酒場にいたあの男に声をかけた。貴様の外見に似せた姿に化けてな。そしてあっさり閨に連れ込むまでは出来たのじゃが……そ、そう睨むな! 寸でのところで、あの男は踵を返したのじゃ! 『やっぱり妻を裏切れない』とか言って!」
「ほう。嘘ではないようだが……何故そんなことを?」
「……当時の貴様が倒した魔王軍幹部『傾世のキュウビ』は、儂ら妖狐にとっては英雄のような存在じゃった。その敵討ちをしたかったのじゃが、まともに戦えば適う筈もない。そこで淫魔の血を引く儂が、貴様の男を寝取ってやろうという話になったのじゃ……」
「ならば、何故わざわざアタシの前であんなことを言ったんだい」
「……男に手を引かせたとなっては、淫魔の沽券に関わる。だから貴様への嫌がらせのためにああ言っただけじゃ。幸いにして真面目そうな男じゃったし、正直に打ち明けることはないだろうと……こ、これで全部じゃ! 嘘でないことは分かったであろう!?」
涙目で騒ぎ立てるツバキを、エレオノーラさんはしばらく黙って見ていたが、やがて腰を上げると、ツバキを椅子から解放した。
「……いいんですか?」
「まあ、嘘ではないようだしね。それに今更どっちでも良かったのさ。ただ真実が知れれば」
「お、おお! 恩に着る!それで、この手足の拘束も解いて欲しいんじゃが……」
ゴロリとうつぶせに転がるツバキの背後に立ったエレオノーラさんが、淡々と告げた。
「さて、冒険者ケインズ。アタシの依頼は完了だ。礼は固有魔法を見ること、でいいんだね?」
「……はい」
俺は何となく察していた。エレオノーラさんの怒りは全く収まっていないということを。
「あ、あの、何の話じゃ?」
「アタシの固有魔法のタネは、各属性の大本の部分を『凝縮』することさ。例えば炎魔法ならこうだ」
エレオノーラさんの手のひらに、拳大の炎球が出来る。それは徐々に小さくなっていき、その分密度を増して――やがて小指の爪ほどの大きさにまで圧縮された。
「使い魔の嬢ちゃんもよく見ておきな。炎や爆発ってのは燃え広がるものだ。それを魔力で無理やり押し込めれば、その分破壊力が増すって寸法さ」
まるで簡単なことのように言われるが、俺もシトリーも困惑していた。効果を強くするために魔法を小さくするという、それは逆転の発想だった。
「そして更に魔力で引き伸ばしつつ、大元の炎も継ぎ足していくことで――そら、【虹蛇】の一本が完成さ。なあに、慣れればアンタにも使えるようになる。それだけの魔力があるんだからね」
「は、はいっ!」
エレオノーラさんの凄まじい魔術を目の当たりにして、シトリーも柄にも無く緊張しているようだ。だがおかげで仕組みは理解できた。あとはこれをベースに【明晰夢】の中で特訓すれば、徐々に近いことは出来るようになるだろう。
問題は、先ほどから放置されたまま震えているもう一人のサキュバスの方だ。
「な、なあ魔女よ。確かに儂は悪事を働いた。それは謝ろう。だが真実を偽り無く述べたのだから、許してくれるんじゃよな……?」
対するエレオノーラさんは、【虹蛇】をくるくると回しながら、無慈悲にも告げた。
「おや。本当のことを言ったら許すなんて、誰が言った?」
「なっ――」
「まあ、せめてもの温情だ。命まではとらないよ」
エレオノーラさんは、まるで鍋でも振るうかのような気軽さで、光の線をツバキに向けて振り下ろした。その下半身、いや、尻尾を目掛けて。
「ぎゃーーー!」
凝縮された炎が爛々と輝く。それは肉体というよりも、それを形成する魔力ごと焼ききるような凄まじい光だった。そしてその光が消える頃には、ツバキの多数あった尻尾は一本を残して消え去っていたのである。
「わ、儂の……儂の尻尾がー!」
「これで一尾から出直しだねえ。その辺の狐と同格にまで落ちて、生きていければの話だが」
さめざめと泣くツバキの姿を見て満足したように、エレオノーラさんは笑顔で言った。
「ふう、これで思い残すことなくあの人の元へ逝けるってもんだ。アンタ達、どうもありがとうね! そいつの身柄は売るなり何なり、好きにするといい。アタシはもう寝るから、ここでな」
「……はい、お役に立てて良かったです。では失礼しますね」
俺は無理やり笑顔を作って、エレオノーラさんに別れを告げた。隣にいるシトリーはガタガタと震えを隠せないでいたが。
幾千の魔物を屠り、魔王をも打ち倒した英雄は、人間から見ても恐ろしい魔女だったのである。
「……ご主人様、どうします? この娘」
「……とりあえず、連れて帰るか」
「うううぅぅぅ……」
すっかりしょげかえったツバキを抱え、俺は帰路についたのだった。