プロローグ――下克上
とあるダンジョンの最深部。
『神秘の結晶』の前に、赤褐色の鱗を持つ巨大な竜が立ちはだかった。
「我は神秘の守護者。弱き者に『結晶』は渡せぬ。故に汝の力を見極めさせてもらおう。今回の冒険者は……」
竜の瞳が俺を真っ直ぐに捉えた。
「……なに? レベル5の"魔物遣い"が一人だと!? しかも戦闘系スキルは一切無し、固有スキルは【明晰夢】? ふざけているのか!」
俺は臆することなく堂々と言い返した。
「一つだけ訂正させてもらおう」
「ほう?」
「俺は一人じゃない」
それと同時に、俺の後ろからフードを深く被った女性が姿を現した。
「ほう、貴様の仲間……いや、モンスターか。気配を隠しても我の目はごまかせぬ。貴様、サキュバスであろう? 人間から精を啜る下等な悪魔が、我と相対するつもりか!」
中位以上の竜種の叫びは、魔力を帯びた咆哮となる。俺のような並の人間がまともに喰らえば、それだけで失神は免れない。
だがその咆哮は、俺に届く前に彼女の前で掻き消えた。
「何!? サキュバス風情が魔力障壁だと!?」
「……さっきから好き勝手言ってくれるじゃないですか。たかがレベル75のトカゲ風情が」
彼女が身に纏っていたローブを脱ぐと、幼い顔立ちに似合わない艶やかな肢体が露わになる。そして同時に、彼女のステータスも。
「種族は下位サキュバス、レベルは……99だと!?」
「ふふん。驚きましたか?」
「馬鹿な! 下位サキュバスがそこまで成長できるはずがない! ましてやそれを、レベル5の"魔物遣い"が従えられるはずが――」
「まあ、そこは色々あったんだよ」
俺は出来る限り不敵に笑って言った。
「これ以上の問答は不要だ――やれ!」
「了解ですご主人様――『紅蓮の火球』!」
不意をついて放たれた炎弾は、並の魔術師が放つそれの優に倍はある大きさだった。
だが竜も負けじと応戦する。
「クッ、なめるなよ淫魔! 『灼熱の息吹』!」
両者が放った炎がその中間で激突した刹那、俺は指示を出した。
「よし、想定通りだ。やれ! シトリー!」
「任せて下さい! 『フローラの風』!」
彼女が放ったのは、ただの風魔法ではない。それ自体の殺傷力は極めて低いが、ものを特定の方向に運ぶことだけに特化した風である。
戦闘で使われることはまずない魔法であったが、今この場においてそれは、混じりあい滞留していた炎の塊を竜に浴びせかけるように作用した。
「グオオオオォォォォ!」
竜自身が放ったものを加えた、二人分の炎。その直撃を受けてもなお、竜の体はその形を保っていた。
目を丸くしたシトリーが俺の側まで飛んできて、小声で話しかけてくる。
「(ちょ、どうするんですかご主人様! あのドラゴン全然生きてますよ!)」
「(そりゃあ火焔竜に炎なんて致命傷にならないだろ)」
「(じゃあどうするんですか!? 私が使えるようにして貰ったの、ほとんど炎魔法じゃないですか!)」
「(いや、もう十分だ)」
俺は再び目の前の竜に向き合った。この僅かな時間でダメージは回復したようで、俺の方に話し掛けてきた。
「……見事だ、"魔物遣い"。そしてサキュバスの従者よ。上位のソーサラーにも劣らぬ炎の魔法だけでなく、精霊が使うという風の古代魔法まで使いこなせるサキュバスが存在するとはな。それもお主の"魔物遣い"の力か?」
「そうだ。そして火焔竜にあえてその炎魔法で仕掛けた意味。理解して貰えるよな?」
「ああ。我に並大抵の炎など効かぬが、お主ほどの者がそれを知らぬわけではあるまい。つまり、この場所の守護者たる我に怪我を負わせることなく、その力を示してみせたと。そういうことだな?」
「その通りだ。俺達の目的は『神秘の結晶』を手に入れるために、ただ力を認めて欲しかっただけだ。そのためには、これが最善の方法だと考えたのさ」
「フム……つまりその気になれば我を殺せるというのに、情けをかけたというのか……」
「いや、情けをかけたわけじゃない」
俺は頭を振った。
「お前は人を無闇に害するモンスターではなく、『神秘の結晶』が盗掘されることを防ぐ、この世界にとって必要な存在だ。そんなお前の在り方に敬意を表したのがこの結果だ。不満か?」
「……いや。我の方こそ、お主をただの無謀な冒険者と侮っていた非礼を詫びよう。この『神秘の結晶』は好きに使え。これはお主達のような気高き冒険者にこそ相応しい」
そして続く言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
「そうだな、お主のような信頼の置ける"魔物遣い"であれば、我の子を預けてもよいのだが……」
「本当か!」
(この俺がとうとうドラゴンを従えるときが来たのか!? もうこの気まぐれなサキュバスだけに頼らなくてもよくなるのか!? 正直めっちゃ嬉しいぞそれは!)
しかし俺の希望はあっさりと打ち砕かれた。
「肝心のお主のレベルが5ではな……仕組み上どうやってもテイムできんだろう。というか、その高レベルのサキュバスもどうやってテイムしたのだ?」
……よく考えればそうだ。レベル5の"魔物遣い"ではいくら魔物の方から信頼されていても、ドラゴンとの契約なんて不可能だ。シトリーを仲間にできたのは、こいつが元々弱い夢魔だったからに過ぎない。
「分かった。ドラゴンのテイムは諦めるよ……折角の機会を申し訳ないな……」
「いや我こそ申し訳ない……というか、我を倒した男がそこまで落ち込むな!」
「ちょっとご主人様! 今私の代わりにドラゴンをテイムしようとしませんでした!? それって浮気じゃないですか!」
「浮気ではないだろ!」
反論しようとした俺の体に、シトリーが思いっきり抱きついてきた。豊満な胸の感触に、俺の脳内は瞬時に桃色になりかけたのだが――
「もう! もし浮気なんてしたら――絞り殺しちゃいますよ♪」
笑顔でこんなことを囁かれて、俺は瞬時に現実に戻された。
俺と彼女の奇妙な主従関係は、まだまだ続きそうだ。
楽しんでいただければ幸いです。
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