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あれ程の出来事があったのに、夜はいつものように静かだ。リェンはいつものように、道場に足を踏み入れる。珍しい、先客がいることに気がついた。
「どうした?」
「昼間のことで、反省をしていたの」
広い道場の真ん中で、座していた彼女。
「日課の邪魔だった?」
「別に、誰がみてようと変わらない」
そういって、素振りの準備をするリェン。
毎夜、月の光の幅が狭まるまで、素振りを繰り返す。
それが、道場主になる前から続けている日課だ。
「売り言葉に買い言葉で向かってしまったから」
背を向けていた彼に向かって、独り言のように。
「もう、二度とそうしないって決めたのに、ね」
「破ったところで、誰もとがめない」
「誰も、でもね。私が許せない」
「………」
「そんなことしても、無益なのに。それに頼ってしまった、今の私が許せないから」
「だから、ここにいるのか?」
「うん。リェン君が来る前に戻ろうとしたけど、答えが出ないから」
「なら…」
その時、初めてフーは、リェンが向き合っていることに気がついた。
胸が、自然と高鳴ってく。
投げ出されたそれが、最初、なんであるのかわからなかった。
「俺と、一戦交えてくれないか?」
床に投げ出されたのは、竹刀。
目にした瞬間、ふっと張り詰めていたものが緩んだ。
「もう、戦わないって約束したよね? リェン君」
「残念だ」
そう言って、投げた竹刀を拾うリェン。
だが、戻ろうとしない。
近づけば、そうするほど、表情が見える。
「どうしたの?」
「お前が、少しだけ立ち向かってくれたおかげで、仲間を守ることができた。礼を言う」
「それは、リェン君のおかげだよ。戻ってくるって信じてたから。それまで頑張れた」
「お前は、お前だ。どんなお前でも、俺は受け入れる」
「リェン君は、昔の私と決着をつけたいんでしょ?」
「違う…」
どうともならないような、表情。
フーは柔らかく笑う。
「ありがと。なんだか、すっきりした。お願いだけど、もう一度、言ってほしいセリフがあるの」
「何を?」
「『俺の女に手を出すな』」
そう言われて、リェンはやっと思い当たった。
道場破りが、彼女にのしかかっていたときだ。
頭に血が登って、思わず言い放った言葉。
少しだけ真顔がのぞくと、すぐに顔を背けた。
「言うの? 言わないの?」
顔を近づけるフーに。
「そういうところ、イエさんに似てきた」
顔をそむけるリェン。
「そういうの、嫌い?」
沈黙が続いた。
そして。
「わかったよ」
フーの無防備な耳にリェンはささやきかける。
耳元から、口を離し。
「何度も言わせるな」
顔をそむけようとしたとき、
耳元まで顔を真っ赤に染めている彼女を見た。
「………」
まんざらでもなく、照れたような顔をされると、こちらが毒気を抜かれる。
いつも、彼女に負けてばかりで、けれど、それもいいかと思い始めたのはいつからだろうか。