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その時だった。
「なに、人の女に手を出しているんだ?」
聞き慣れた声に、道場内の視線が一つに向けられる。
入口に立ち尽くす、一つの影。
風呂敷を背負いながら、目の前の光景を目に焼き付けている、若い男。
その剣呑な雰囲気は、中の人間を黙らせる。
「リェン兄…」
師範代であるヤンだけが、喉を押しつぶしたような声をだす。
突然の登場に、訝しむ道場破り。
咳き込んだフーが薄目を開ける。
「どういうことだ、ヤン?」
師範代に目を向けるリェンと呼ばれた青年。
「申し訳ありません。道場破りが現れて、そいつが、フー姉と戦いたいと言っていたから」
「道場破り?」
そう言って、男に目を向ける。
「こいつが、か?」
フーに伸し掛かっていた道場破りは、ゆらりと立ち上がる。
「あんたが、道場主かい?」
立ち上がれない彼女を蹴り転がし、リェンと呼ばれた男に向かってにたりと笑いかける道場破り。
「あの野郎…」
飛び出そうとしていたヤンを制する。
道場破りの男に、ゆっくりと近づいていく。
が、正対することはなかった。
蹴り転がされ、うつ伏せに倒れたフーのそばで座り込む。
彼女の背中を抱く。暖かい体温が、彼の手に伝わったとき、フーは彼の目の前でくしゃりと笑った。
「大丈夫か?」
「うん。少し、くらくらするけど」
リェンの顔を見ることができるのは、彼女だけ。は、
「すまん。帰りが遅くなった」
「そんなことないよ。信じてたから」
「身体は問題ないか?」
「うん。昔と比べたら、こんなのなんて」
「俺のためにわざわざ身体を張ったのか?」
「そんなんじゃないよ。少し、昔の血が騒いだだけ」
「いつもいつも、俺が相手になるって言ってるだろ」
「あの、リェン君」
耳元に囁く彼女の言葉。
リェンは済ました顔を崩さなかった。
「俺が、約束を違えることがあの日からあったか?」
***
そう言うと、リェンはフーの腰に手を回す。
当たり前のように、彼の首に手をかけるフー。
立ち上がると同時に、片腕にフーを乗せるように抱き寄せる。
「ヤン」
近づくヤンに、まだ足元がおぼつかない彼女を渡す。
「頼む」
そう言う兄弟子にヤンは無言で首を縦に振った。
***
「あんた、道場破りなんだとな」
リェンは、道場破りに声をかけた。
必要以上に相手に近づきながら。背丈の高い、道場破りの顎を睨む。
「そう言うお前は?」
「ここの道場主だ。相手になってやるよ」
「手負い相手に、偉そうに」
ねめつけるような態度の道場主を名乗る男をあざけるような道場破り。
「なに、手負いはあんただけじゃない」
そういって、リェンは外套代わりにかけていた上掛けをはらりと外してみせる。
その姿を見て、道場破りは目を疑った。
「見ての通り」
リェンはにやりと笑ってみせる。
器用に動くさらしで巻かれた左肩。
その先にあるはずのものがない。
「俺は、隻腕なんでね」
「そういうことなら」
心臓が鼓動をうつたびに発する痛みですら、心地良い。
道場破りは高揚している。
***
「ありがとう、ヤン君」
「止められなかった、俺の責任でもありますから」
リェンの上掛けを肩からはおりながら、壁に背を預けて、フーは彼の戦いを眺めている。
「リェン兄は勝ちます、よね」
「負けたところたくさん見たことあるけどね」
さらりと、言いのけた。
「それは、フー姉だから」
「そう?」
うそぶく彼女はまんざらでもないようだった。