2
道場破りといえど、客人には違いない。だから、お茶の一杯でもってもてなすのだった。
真ん中で座る男に近づくと、彼女の足音がひたひたと聞こえた。
いつもなら、子供達が、元気を超えて、稽古に励む声が聞こえるばかりなのに。
耳が痛くなるほどの静けさは逆に違和感を覚える。
そわそわとした気配が段々と、強まっていく。
毎日、子供たちが雑巾がけをして磨いた床の、その真ん中で足を崩して座る浪人風の男。
四方八方に乱れた髪も整えることをせず、立てかけた鞘を抱くように、待っている。
ぎらぎらと脂ぎったような気配が男から漂う。
それが道場破り。そんな、気配。
子どもたちは、皆、壁に背中をくっつけるように、座っている。
ふざけあうこともなく、背筋もしゃんとしているのは珍しい。
近づくにつれて、強まっていく気配。フーはその感覚に心当たりがある。
人斬りの気配。
まざまざと見せつけるように醸し出すような人間に、子供たちは見たこともないはずだ。
それに、そんな人間に彼らを向き合わせたくない。
***
道場破りの男は座ってからずっと、微動だにしなかった。
たったそれだけなのに、苛立ちのように殺気を振りまいていた。
無造作に座っているようでいて、立てかけた鞘を今にも抜いてしまうような気配。
それは、血と脂を浴び続けてやっと、研ぎ澄まされていくようなもの。
気配に聡い子供達がまったく近づこうとしないのが、その証拠だ。
生半可な道場破りならば、こんなことにはならない。
「長旅、ご苦労様です」
男の目の前に回った彼女。男は固く目をつむり、刀を腕に抱いていた。声をかける彼女にも反応しない。
フーは気にせずに、腰を下ろした。お盆に載せたお茶を目の前に差し出しながら。
「粗茶ですが、一杯いかがですか」
その言葉を聞いて、初めて、男はつむっていた瞳を蛇のようにゆっくり開く。
たてた肘を支えに顎をのせた掌。
目の前に出された湯飲みに目を落とさず。
彼女を見初めた男は、ニヤついた顔を隠さない。
不気味な気配に、フーは盆を胸の前に抱くようにしようとして。
拒まれた。
「どうかされましたか?」
不気味な程に折れ曲がった節くれた指が彼女の手首を掴む。
「あんた、俺と同じ臭いがするよ」
かっと見開いた瞳が、脂を塗りたくったように照り光る。
「洗っても、洗っても落ちない、血の臭いが」
「あら、気を悪くしてごめんなさい。私も女性なので」
「冗談もなにも」
男の所作に気がついたのは、かろうじて目にすることができたのは、師範代を任された少年のみだった。
フーの首筋にたてられた刃。
男の鞘から抜かれた刀が瞬く間に、襟足にたてられたのだ。
「ほら、あんたは腰を抜かしてもいない」
確信したような、男の笑い方は赤ん坊のようにくしゃくしゃとしたものだった。
男を静かに見つめるフーの瞳はひどく冷め切ったものだった。
「修羅場を何度もくぐり抜けた、顔かたちだ」
「………」
「何が道場主はしばらく戻ってこない、だ。目の前に格好の人間がいる癖に」
首にあてた刃を離し、ゆっくりと、柄を引き、刃を鞘にしまう。
「あんた、俺と戦え」
「いや、といったらどうしますか?」
囁くような彼女の声が硬さをみせる。
「あんたをやる気にしてやんよ。どうだ、3人くらい」にやりと、含み笑う男。「肩慣らしに切り刻めばいいか」
壁によった子どもたちを顎で示す男は表情を崩さない。
二人の目線が重なった様はまるで火花が散ったよう。
フーは大きくため息をついた。
視線を切った。顔を隠すようにうつむかせ、息を細く、長く吸った。
「一人でも多い、ですよ」
男は、眉根を寄せる。
元の調子を、彼女は取り戻していたのだから。
「主人が戻ってくるまでの余興なら、私もつきあいますよ。お手柔らかにお願いしますね」