75話 咄嗟の行動は、なかなかとれないものです。
すこしずつペースを戻していきたい
俺は運がいい筈じゃなかったのか。いや、事件に遭遇してメモリの気分を逸らしてやれないか、とは思ったりもしたが、こういうものを望んでいたわけではない。
肉塊のようなそれ……肉スライムと表現した方が良さそうなそれは、従業員のモノと思われる死体をゆっくり、ゆっくりと飲み込んでいってる。
倒れている死体は、労働者のもの、接客職員のもの……服装から見るに、店内での身分差に関係なく死んでいる、と思う。
こういうときに観察できるようになってしまっているのは恐怖耐性のせいか。
足元でねとり、と音がする。
水たまりのように広がった、肉スライム。
拳大の目玉があり、こちらを見ていた。
「メモリ、にげるぞっ……!」
気づかれたならもう関係ない。呼びかけ抱き抱えて、反応を待たずに階段をあがる。
衛兵がどこかにいないか、あたりを見回す。
「あれ……?」
人がだいぶ少ないような。
さほど時間が経っていたわけでもないだろうに、店に入る前と比べ人がだいぶ疎らになっている。店番がいないような場所もある。
それは後で考えると決めて詰所に向かう。
街中であるにもかかわらず行方不明事案が多発しているため、帰宅勧告を発しているらしい。
3時間以内に帰宅し、各自自宅、もしくは宿泊施設にて家族、同居人の確認。夕方と翌朝には衛兵たちが回り、不在者の確認をして回る予定とのこと。
商店跡地のような場所の肉スライムについて報告してみれば、そっちはまだ把握していなかったらしく、合わせて調査にあたるとのこと。兵士にも行方不明がいくらか出ているそうで、調査が遅れる可能性もあるそうだ。
「ということで早々に帰ってきたんだけれども」
「色々言いたいことはあるのだけれど、そのスライムに姿を見られてるのね? 非常によろしくない状況にあるんじゃないかしら」
「ん、ああ……でも、見た感じ脳とかはなかったし、大丈夫かなって」
「ゴーレムにも脳はないけど、自己判断できたりするし、逆に脳があっても単純な反射行動しかできない動物だっているし、そのあたりはアテにならないわ」
「まあ、そうか。気を付ける。すまんな、サマンサ」
運が良いからそういった事件に遭遇するとは思っていなかった、という油断はある。
ただ、運が良いからといって『有利なことしか起こらない』訳ではないのだ。少し反省。
皆で夕飯を食べた後、少し記憶を巡る。
できるかどうかわからなかったが、肉スライムを見たときの光景を思い出す。その光景の中で、鑑定を使ってみる。実際には使わなかった鑑定を、記憶の中にあるそれに対して使う。
ステータスは見えなかったが、名前と種族は見えた。
ダニエル・スタン エルフ。
スライムでも魔物でもない、人の姿だった。