おれたち あうんだぜ
家紋武範さま主催「過去の挫折企画」参加作品です。
よろしくお願いいたします。
ぽんぽんと、水玉のはじける音が聞こえてきそうな夏の朝です。
「ラジオ体そう、一、二、三、四」
ふだんはひっそり静まりかえった、つばき神社の境内から、元気な声が聞こえてきます。
そうです。今は夏休み。
体そうのごうれいをかけているのは、このお宮の神主をしている宮 太郎先生。
漢字で、そのまま音読みするとグータローなので、子どもたちはだれもが、グータロー先生とよんでいます。
体そうが終わったあと、みんなはいっせいにグータロー先生をとりかこんで、つばめの子のように、次々に口をひらくのです。
「グータロー先生、ぼく、あしたから、おじいちゃんちに行く」
「そうか。シュウは熊本に帰るんだな」
「わたしは、海にキャンプに行くの」
「おなかを冷やさんようにな。ひな子」
と、まあこんなぐあいに、ラジオ体そうの紙にはんこをおしながら、ひとりひとりとおしゃべりするのが、グータロー先生の夏休みの日課のひとつなのでした。
「やったあ! オレの勝ち!」
とつぜん、拝殿のまえから大きな声が聞こえました。
グータロー先生がそちらに目をやると……。
なんと、石でできた一対の獅子と狛犬『あうん』の背中に、よじ登ってバンザイをしているチビの少年と、今、まさに登りかけているふとっちょの少年がいるではありませんか。
「こりゃあ、タクボン、リョウ!」
グータロー先生は大きな声でさけびました。
「おまえら、まだそんなことを……もし、石が落ちでもしたらたいへんなことじゃぞ」
悪びれる様子もなくやってきた二人に、先生はごつんごつんと続けざまに、げんこつのおしおきをしました。
「いいか。いつも言うとるじゃろ。これはな、獅子と狛犬とで、神様をお守りしてくださっているんだ。口をあけているのが獅子の『あ』で、とじてるのが狛犬の『うん』といってな……」
グータロー先生のお説教がさいごまで終わらないうちに、タクボンと呼ばれたチビの少年が、
「あ、う~ん、あ、う~ん」
ニヤニヤしながら身体をくねらせると、ふとっちょのリョウまでも、
「ああうんち~ああうんち~」
へんな節回しで歌いはじめ、お互い顔を見合わせて笑いころげるのでした。
子どもたちが帰ってしまうと、グータロー先生は、朝のたいこをならし、御神殿の方に向かって声高らかに祝詞の奏上を始めました。これは「朝拝」という神主さんの毎朝のおつとめなのです。
「まったく失礼なやつらですわい。この神聖なるわしらをブジョクしおって」
ぎゅっと結んだ口を、への字にまげて『うん』が言えば、大きな口をますますパカッとあけて、
「わははは。あいつら、しまいにはああうんち、ああうんちなんて歌いおって。わっはははは」
さもおかしそうに『あ』が笑います。
「それにしても、タクボンのやつ、重かった。あんなにちっちゃかったのに、いつのまに」
「ほんとに……リョウが登ってしまわなくて助かりましたわい」
あうんはそろって、境内にある大きなくすの木を見上げました。
今から八年前の夏の日、せみたちが大がっしょうをしているこのくすの木の下を、まるまる太った赤ちゃんと、小さいけれど泣き声の元気な赤ちゃんがお宮まいりにやってきたのでした。
どちらも男の子で、なまえは、リョウとタクヤ。つばき神社のすぐ近くの住宅に住む子どもたちです。
やがて、二人はベビ―カ―にのせられ、よくお宮にさんぽにくるようになりました。
『うん』につかまり、初めて歩いたタクボン。
拝殿じゅうを、ハイハイしてまわったリョウ。
時には、かわるがわるグータロー先生にだっこをされて、境内じゅうをおさんぽしてもらったこともありました。
「子どもが大きくなるのは早いもんだなあ……」
気がつくと、あうんの横にはグータロー先生がいました。どうやら同じことを考えていたようです。
「なあ、グータロー先生よう」
『あ』が、とつぜん先生に話しかけました。
五十年近く神主をしていれば、人間以外のものから話しかけられたとしても、なんの不思議もなさそうです。
グータロー先生は落ち着いた表情で、『あ』を見つめると、問い返しました。
「どうかしたかな?」
「子どもたちは夏休みまっさかりだ。前からずっと思ってきたんだけど、おれたちにも夏休みをもらえないものかね」
先生は、この思いも寄らない『あ』の申し出に、細い目をこれ以上ないほど見ひらきました。
「夏休みだって?」
そしてもう一度、まじまじとあうんを見つめ、たずねました。
「おまえたちも夏休みがほしいというんじゃな?」
あうんはかわるがわるこたえました。
「なんかこう……五百年近くもすわったままだと、しりのあたりがむずむずしてきて……」
「おなじ顔ばっかりしてると、目も鼻も口もくっついてしまいそうですわい」
それを聞いてグータロー先生は、なるほどなあ、もっともなことだと思いました。
「わかった。何百年もここにじっとすわって神様のお守りをしてきたんだ。おまえたちにも夏休みが必要だということを神様に申し上げておこう。ただしな。今回は二日間じゃ。それも夕方暗くなってから、夜が明けるまでの間にしよう。そうしないと、だれかに見つかったら大さわぎになってしまうだろうからな。それでよいかな?」
「ガッテンですわい」
あうんは、声をそろえてうきうきとこたえたのでした。
待ちに待った、あうんの夏休み、第一日目。
ほの白い月が、オレンジ色に変わりはじめるころ、おたがいの石の身体は少しずつやわらかくなってきました。
むねやせなかはふさふさとした毛でおおわれ、四本の手足の先に、りっぱなつめがのびてきました。
大きな口からはするどい歯がのぞき、赤い舌も自由に出し入れできるようになりました。目玉もぎょろぎょろと左右に、上下にうごかせます。
「おお。『うん』よ。ずいぶん男まえになったなあ」
「ふん。いまさらなにをおっしゃいますかい。『あ』こそみちがえましたわい」
あうんは思いきりよく、こけむした石の台からとびおりました。
いよいよ、夏休みのはじまりです。
「さあて、まずはなにをしましょうかい?」
「うへへへ。まずはあっちあっち」
『あ』はまかせてくれといわんばかりに、先にたって参道をぬけていきました。
鳥居の前に、道路をはさんで、小さな酒屋があります。店はしまっていますが、缶ビ―ルを買える自動はんばいきの前に、『あ』はとくいげにすわりました。
「ほら、グータロー先生がよく買ってるのがあるだろ」
先生は、ときおり冷えたビールの缶を手に、境内をいそいそと横切って帰っていきます。
その様子が、いかにもうれしそうなので、缶のお酒とはおいしいものだろうなと、あうんはうらやましく思っていたのでした。
「おお。ほんとに。ボタンでえらべばいいのですな」
あうんはかわるがわる太い前足で、のびあがるようにして自動はんばいきのボタンをおしました。
けれども、お金を入れていないのですから、なんにも出てくるはずがありません。
しびれをきらした『あ』は、
「この、くそったれめが!」
そうさけぶなり、うしろあしでガシャンと思いきり自動はんばいきをけとばしました。
ウ―ッ ワンワンワン
おとなしくねていた酒屋の犬がけたたましくほえはじめ、二階のまどがひらく音がしました。
「おっと。これはやばい!」
「にげるしかありませんな」
せっかくのビ―ルも買えずに、あうんたちは、いちもくさんに走り出しました。
「くっそお。せっかくのチャンスを……」
『あ』はなんども舌打ちしながら歩いていました。
『うん』はといえば、まっさおな顔をして、まだ足のふるえが止まらないようです。
「犬にほえられるってこわいことですなあ」
そんな『うん』に、『あ』はあきれ顔で言いました。
「あのなあ。おまえもいちおうは犬なんだぜ。それにおれたちほど顔にはくりょくのある犬なんて、めったにいないんだからな」
しばらく歩いていると、三階だての白い建物が見えてきました。
「おっ、あそこがタクボンとリョウの住んでるとこだな」
「ちょっとばかり行ってみましょうかい?」
あうんが近づいていくと、暗い自転車おきばの方から、なにやらぼそぼそと話し声が聞こえてきます。
「なあ、リョウ、オレいやだ」
「ボクだっていやだ」
リョウとタクボンの声にまちがいありません。
あうんは、すかさず二人の間に割って入るとたずねました。
「おいおい、どうした? なにがいやなんだって?」
話し声がぴたりと止んだとたん、
「ひゃあああああ」
かん高いさけび声とともに二人はひしとだきあい、その場に、へなへなとすわりこんでしまったのです。
「おい、なにをこわがってるんだよ。おれたちだよ。お宮のあうんだよ」
「まあ、こんな顔ですけど……。妖怪でもオバケじゃありませんわい」
そこで二人は、だきあった手の力を少しだけゆるめて、おそるおそる顔をこちらに向けました。
「ほんとだ……あうんだ……でもいったいどうして……」
「おれたち、今、夜の間だけの夏休み中でな。で、どうした? こんな真っ暗なところで、おまえら、いったい何の話してるんだ?」
『あ』がたずねると、リョウはとつぜん、鼻をすすりはじめました。
「バカっ! 泣くな。リョウ」
そういうタクボンのひとみにも、大つぶのなみだがもりあがっていたのでした。
東の空がはちみつ色にかわり、すがすがしい朝の空気が、つばき神社の境内をつつみはじめました。
あうんは約束どおりに、また石にもどりました。
たのしいはずの夏休みが、とつぜんつらいものになってしまったのです。
夕べ、タクボンはあうんに、夏休みが終わったら遠いところにひっこししなければならないと話したのでした。
「あいつがいなくなっちまうのか……」
「なんか気がぬけますねえ……」
どちらもすっかりしょげかえっていました。
やがて……。
「なあ。『うん』よ」
しんみりと『あ』が口を開きました。
「おれたちって、どのくらいいっしょにいたんだろうな」
「……たしか、腰に刀をさした人間のいる時代からでしたな。そのあと、戦争もあれば、大きな地震もありましたな」
あうんは、向かい合って過ごした長い長い年月をあらためて思いおこしていました。
タクボンはすすりなきながらこんなことを言ったのです。
―オレ、いつまでもここでくらせると思ってた。大きくなるまで、ずっとリョウといっしょにあそべるって思ってた。あうんはいいよな。ずうっといっしょにいたんだろ? これからだってずうっと、ずうっといっしょにいるんだろ?―
そのことばは、深く、あうんの心にしみこんだのでした。
過ぎてしまった時間の道のりをたどれば、なんとまあ自分たちは、長い時間をともにすごしてくることができたのでしょうか。
戦争で、あやうくお宮がもえそうになったこと。
台風で、境内の木がほとんどたおれてしまったこと。
何日間にもわたって、せいだいなおまつりをもよおしたこと。
ふるさとのさまざまな歴史は、そのままあうんの歴史につながっていました。
いっしょにいることがあたりまえ。あうんはそう信じて疑わなかったのです。
「もしも、『うん』がいなくなってたら……そう思っただけで、ここいらがなみだの池になっちまいそうだ」
「わしだって……『あ』のおかげですわい。きょうまでずっとここにすわってこれたのは……」
石でできているはずなのに、おたがいの瞳はうるんでいました。
「なんでだよ!」
とつぜん、はきだすように『あ』が声をあげました。
「オヤジのテンキンだかなんだか知らねえけどよ。なんで、リョウとタクボンがわかれなきゃいけないんだよ! かわいそうじゃねえか。ここにいれば、ずっとずっと友だちでいられるのに……」
そのときです。
後ろからグータロー先生の声がしました。
「はなれたって、友だちにかわりはない。おたがいが大切に思っているんなら、心はぜったいにはなれたりはせんのじゃよ」
グータロー先生はことばを続けました。
「人はなあ、いろんな理由で、はなればなれにならざるをえんことがいっぱいある。いつも近くで顔を見て、あそんだり、しゃべったりできなくなるのは、ほんとうにつらいもんだ……。だがな。人の心にはふしぎなアンテナがついてるもんでな。いつもたがいの方にアンテナを向けてれば、いっしょにいるとき以上に相手のことがよく見えてきたりもするんじゃよ。何年いっしょにいたって、見えないときは見えないんじゃがのう」
グータロー先生は、まるで自分に言い聞かせるように、ひと言ひと言ゆっくり、力をこめて言いました。
「二人ともすっかりふさぎこんでいるようじゃ。タクボンのおかあさんから相談を受けたもんでな。わしは今日、このことを二人に話してみようと思う」
そしてグータロー先生は、なにかを思いついたように、ふっと笑顔になりました。
「それはそうと……おまえたちの夏休みもおしまいじゃから、ひとつ、今晩は楽しくやらんか」
その晩、もぎたてのなしのように、みずみずしい月がのぼりはじめたころ、グータロー先生は、敷きものと、大きなふろしきつづみをかかえて、お宮にやってきました。
あうんは、すでに境内のくすの木の下で、グータロー先生が来るのを今か今かと待ちあぐねていました。
「先生、おれたちのほかにも、お客さんが来るって言ってなかったか?」
「はて? それはもしかすると……」
うわさどおりにそのお客さんは、とりいをくぐりぬけて、タッタッタと小走りに近づいてきました。
リョウとタクボンです。
グータロー先生は、くすの木のしたに敷きものを広げ、大きなふろしきづつみのひもをほどきました。
出てきたのは、まるでお正月のような朱ぬりのお重箱。
「タクボンも、リョウも、今晩だけはわしが責任もってあずかるとお家の人に言ってあるからな。心配せんで、うんとおあがり。さあ、あうんもえんりょはいらんぞ」
「うわああ、おいしそう!」
先生がふたをひらいたとたん、みんな、かんせいをあげました。
あげたてのからあげに肉だんご。ふっくらしたたまごやきに、シーフードサラダに、にものや、まっさおにゆでたえだまめ、たくさんのおむすび、ぶどうやなしのくだもの、小豆をかけた白玉だんごのデザートまで入っています。
よだれをポトポト落としながら、舌なめずりしているあうんの前に、先生は、ほどよく冷えた缶ビールをさしだしました。
「これだ! これだぜ」
「ああ、もう最高ですな!」
『あ』と『うん』のよろこんだことといったら……。
「先生」
タクボンが、すくっと立ち上がりました。
「先生、オレ、心のアンテナ、いつもここに向けておくよ。ここはオレが生まれた場所で、リョウがいて、お宮があって、先生がいて、あうんがいて……ここはオレのふるさとだから。大切な場所だから」
「そうじゃのう」
グータロー先生は、なんどもうなずきました。
まだまだ幼いと思っていたタクボンが、急に大人びたように感じられました。
「まあ、とにかくカンパイしようじゃありませんかい」
『うん』のさいそくで、
「おお、そうだった。そうだった」
先生は立ち上がりました。
「それじゃ、二組のあうんにカンパイといこう。そばにいても、はなれていても、心が向かい合ってることにかわりはないからな」
「そうか。リョウ、オレたちもあうんなんだ」
「でも、ほんとうのあうんはおれたちだぜ」
「とにかく、カンパーイ」
くすのえだのすきまから、ひょっこりと顔をのぞかせた月が、まるでカメラのシャッターをおしているかのようにみえました。
こうして、あうんの夏休みは終わりました。
石にもどったあうんの顔は、心なしか以前よりもうれしそうです。なぜかといえば、グータロー先生は、来年は一週間の夏休みを神様にお願いしてみようと約束してくれたからでした。
「そのころ、タクボンもあそびに帰れたらいいな」
「そのように、神様がとりはからってくれるのを祈るしかありませんな」
向かい合って話しながら、『あ』は、大きく開いた口であははと笑いました。
「ところで、おまえの顔ったら……夕べのめしつぶ、くっつけたまんまで石になってやがるの。わっははは」
『うん』の口が、むうっとへの字に曲がりました。
「かまうもんですかい」
「なあ、『うん』よ」
『あ』があらたまったように呼びかけます。
「向かい合ってるって、いいもんだな」
「これから、また、ずうっとですな」
「よろしくたのむぜ」
「わしの方こそ」
赤とんぼがつういと、あいだをよこぎっていきました。
そろそろ、今年の夏ともおわかれです。