第2話「オットセイいない問題 (2)」
昨晩、急にオットセイがいなくなった事件を「オットセイいない問題」と呼称し、叫野水族館の人たちはショボくらしい会議室でアレやコレや、ああでもないこおでもないと対処法について議論し合っていたが、なかなかに良い策が思いつかなかった。
だが、水族館スタッフの1人である百々明日香は、なんとオットセイに限りなく似ていた女性スタッフ:乙戸静に代わりにオットセイとしてなりきって貰おうという案を出してきた。
一見……いや、一見どころではなく明らかに頓珍漢なアイディアだ。オットセイがいないからといって、オットセイによく似たスタッフを展示するとはいかがなものなのかと。倫理的観点だとか道徳に反しているとか、何かそういうレベルで議論される事とかではなくて、なんかこう、「おかしくね?」みたいな。「いや、そこでそうするのおかしくね?」みたいな?そんな感じなんだなと思っていただければ大丈夫だと思う。
しかし、会議室のひとたちは考えた。赤字になりつつもギリギリ保てていた、ただでさえ足元ガバガバな運営だというのに、叫野水族館の目玉だったオットセイがいなくなってしまった今、きっと近隣住民(最も来場客になり得そうな方たち)も「あぁ、もうオットセイいないんだ。あぁ、もう行くのやめよう。」だなんて言うに違いない。全員が全員ではないとしても、恐らくそういったほんの些細な負の連鎖が続くことでもって緩やかに営業利益が下がっていき、最終的にとんでもない赤字となって破綻。もれなく水族館を閉めることになるだろう。つまり、廃館だ。叫野水族館の終焉であり、死だ。世界の破滅だ。何もかも、終わりだ。まきののおわり。何としてでも、最悪の事態は避けなければならない。
だが、例のアイディア以外に我々はどう対策すればいいのだろうか。新しいオットセイを引き入れるだなんてまず出来ないだろう。時間に余裕なんてものはないし、そもそも何処の水族館からオットセイをおねだりすればよろしいのかという問題もある。仮に運よくオットセイを譲ってくれた方がいたとしても、実をいうと我々叫野水族館、財力が正直、無い。叫野水族館は発言や行動に力は無いし、財の力も無い組織だよ。ふふふ。笑い事ではないけどね。でもここまで来たら笑いしか起きなくなるもんなんだよ。
ならば、この事件の一時的な対処策としては「オットセイ、いなくなりましたー。なので他の楽しんでくださーい。」と開き直ることだ。……開き直るって言い方なんか嫌やね。だが、こうするしか方法はない。……はずなのだが、会議室ひとたちは、完全にこの方針で進むことに、ほんの少し不安を抱いていた。何度も言うが、叫野水族館はオットセイしか目玉が無かった地味な場所だ。「他の楽しんでくださーい。」とはいえども、その肝心な「他」の要素で来場客を楽しめられるかというと、いまいち自信が無い。オットセイがいない問題に直面しているせいで、結局はオットセイ以外のお魚さんたちを見て楽しんでもらうことになるが、いまいち展示方法に拘りを持たず、テキトーにお魚を泳がして紹介してはいおしまい、なスタイルなので、とてつもなく地味なのだ。それに、お魚の種類については我々よりもライバル的存在の水族館の方がバリエーションが豊かなので、お魚目当ての客は間違いなくそちらに取られてしまう。だからこの方法では安心出来ない。かといってオットセイによく似たスタッフを展示するなんて馬鹿げたマネをするのはもってのほかだ。ましてや炎上なんかしてしまったらどうするんだ。インターネッツにお住まいの裁定者きどったユーザーたちが、「この水族館はスタッフをオットセイとして扱った!基本的人権の反故だ!反人道的企業だ!!!!」だのと喚いて叫んでひっくり返し、挙句には先と同じく、水族館を閉鎖せざるをえない状況に陥る可能性だってある。さてどうしたものか。う~ん、う~ん……
と考えた矢先、「待ってください!!」の一声と共に、会議室の扉は勢いよく開かれた。大きな音と共に会議室に入り込んだのは、明日香のよく知っているあの人物だった。
―――どうでもいいんだけど、おじさんね、このとき会議室の扉の近くにいたのね。だからね、このとき、勢いよく開かれたとかいうその扉に思いっきし当たってたんだよ。あれね、本当に痛かったよ。いやホントに。
話を戻すが、扉を開いた主は紛れもない、乙戸 静だった。
「私!!この水族館のためならオットセイにだってなります!!!!だからココを……私たちの叫野水族館を!!終わらせないでください!!!!」
静は叫んだ。それはそれはもう、渾身の訴えだった。
だが、彼女の叫んでいるその姿は……
そう、紛れもない、オットセイそのものだった。静が必死に水族館の存続を訴えているのも、オットセイが雄叫びを上げているようにしか見えない。いや、てかこれオットセイが会議室に来て何か言っているぞ。どうなってんだコレ。オットセイがいなくなったっていう問題で議論しているのに、まさかそのオットセイが実際に会議室に来てしまったぞコレ。……本当はオットセイではなく、同じ水族館で働くチームの1人であるはずなのに、それは明日香だけでなく、会議室の議論を支配する重鎮たち……いや、その場に居た全員が、同じことを思っていた。そして、悶々と迷走の街道を翻弄していた彼らは、ついにある一つの、いたって簡単な終着地点へとたどり着いたのだ。
「じゃあ君、オットセイになってよ。」
あまりにも簡潔すぎる回答だった。自分が必死に真心たっぷり込めて、それはもう情熱的に、パッションの塊と化した如く、人間の情とやらに訴えかける涙を誘う熱い叫びをかましたというのに、彼らはそれをあたかも無い物だったと思わんばかりの扱い。こちとら全力投球でかましたというのに、バントで球を打たれたような気分だ。いや別に、問題はないんだよ。だって、オットセイになりますって、私さっき宣言しちゃったし。全然、何もおかしいことはないよ。いたって単純で明快な結論だよ。うん。でもさ、でもさ………………もし仮にココに文字の大きさを変えられることが出来たとしたら、私は大々的に伝えたいんだけどさ…………ほら……他にも…………………何か、こう…………もっと、良い言い方…………あるやん!!!!!!
静は心の奥で沸々と吹き出しそうな怒りのプッシャアを勢いに任せて放す寸前まで来たが、自分の中にある、ありとあらゆる感情を押し殺し、無機質に答えた。
「じゃあ、やります。」
我々の行くべき道は決まった。といっても、この道がはたして正しいものなのかは誰もわからない。だが、我々は進むしかないのだ。いかなる結果が待ち受けていようとも、その歩みを止めてはならないのだ。我々が正しかったどうか―――それは、進まなければ、ずっと分からないままなのだ。だから、歩くのだ。
会議室のひとたちは長く続いた論争に決着がついたこと、そして静の大いなる英断に、各所から拍手が湧き起った。明日香も、水族館が存続することが決まった嬉しさで、ガッツポーズをかました。でも、静は心なしか不安げな表情を浮かべていた。この後に、もっと奇妙で不可解な問題にぶつかりそうな予感が、何故か心の中で感じ取ったのだ。しかし、その不安は隅に置き、ひとまずこの安心と決着を祝うムードに流されることにした。
会議室の外はいつの間にか暗くなっていた。明日は何だか、雨が降りそうだ。