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『短編』 姉ちゃんは同級生 番外編 ~大人の戦い~

作者: 山崎空

**********


長編『姉ちゃんは同級生~井の頭の青い空~』をスルーしてこのページを訪れてくださった方のために、このスケッチ(番外編~大人の戦い~)に登場する主な人物の簡単な説明です。

*****

篠原翔太『僕』(旧姓中西。中西健太と故篠原翔子の実子。現在、五反田池田山に居住、大3)

中西春香『姉ちゃん』(旧姓上原。中西綾香の実子、大3)

中西彩香『サヤ』(中西健太と中西綾香の実子で僕と姉ちゃんの共通かつ血縁の妹、小4)

中西健太『親父』(篠原翔子と結婚し翔太を儲けるも離婚し後に上原綾香と再婚。三鷹市井の頭に居住、会社員)

中西綾香『母さん』(実家姓松永、上原春樹と結婚し春香を儲けるも死別し後に中西健太と再婚)

篠原翔子『お袋』(中西健太と結婚し翔太を儲けるも、翔太4歳の秋離婚して渡米、日本のカワイイグッズのネット販売で小さく成功。しかし2014年癌により他界)

篠原正雄『おじさん』(篠原本家の頭首。お袋の従兄。練馬区関町に居住。医師、篠原内科医院の院長)

篠原浩子『おばさん』(正雄の妻)

篠原正代『正代さん』(正雄と浩子の実子長女、大4)

篠原正也『正也くん』(正雄と浩子の実子長男で正代の弟、高3)


**********


(2016年8月14日 日曜日)

 その日、親父と母さんと姉ちゃんと彩香と僕・・・つまり、中西家の4人と僕は埼玉県川越市にある篠原家の菩提寺の一室に居た。妹のサヤ(彩香)を除いて全員礼装だ。午前中お袋(篠原翔子)の三回忌を兼ねた篠原家のお盆の法要を済ませて、参列した人達に・・・と言っても、お袋の従兄夫婦を加えた7人だけだが、軽い昼食のお膳を提供した。その席に着く前に親父に封筒を渡された。そして耳打ちされた。

「翔太、これを読めばいいから。それから、何があっても切れるなよ。」

「うん。わかった。」

俺は軽い気持ちでその封筒を受け取り、薄い座布団に胡坐をかいて座って待った。やがて皆が揃ったので、立ち上がって封筒の中から紙を取り出して広げた。予想通り挨拶文の様だ。僕がこれを読み上げるって事だが、篠原の姓を継いだ訳だし、喪主だから仕方がない。


『本日は記録的な暑さの中、輝瑞院、俗名篠原翔子の三回忌の法要にご参列いただきまして誠に有難うございます。気持ちばかりではございますが、食事を用意いたしましたので、どうぞお召し上がりください。』


その場に居た全員が、

『まあそんなもんだろうな』

という程度の軽い相槌を打って、着火ライターをリレーしながら各自サザエの壺焼きの青い固形燃料に火をつけた。そして、食事を始めた。僕は着火が完了したことを確認して、ゆっくり座った。


お袋について思い出話なんかを語ったら格好がついて良いと思うのだが、なにせ幼稚園の年少で別れたお袋の記憶は皆無に近い。それに、母方の祖父母は僕が中学の頃に相次いで若くして他界したそうで、結局僕は篠原家の事は何も知らない。ただ、お袋について強いて言える事があるとすれば、もう2年前になるが、親父を手伝ってアメリカのお袋の会社を整理していて、お袋は友人や部下から慕われていたのが何となく誇りに感じたって事だ。


親父はビールの栓を開けてお袋の従兄のおじさんに勧めた。いよいよ開戦だ!

「どうぞ正雄さん。」

「ありがとう健太君。君とはもう縁が切れたのに悪いな。まあ、翔太君の後見って事だな。」

開口一番、親父に向けて投げられたおじさんの言葉に僕はイラッとした。・・・いくら内輪とは言え、フォーマルな場で縁が切れたとか普通言うか? 確かに婚姻関係では無くなったかも知れないが、一度紡いだ絆がそう簡単に切れるもんか! 第一、親父は僕の実の父親だから血縁だ!・・・噂には聞いていたが、平気で人の神経を逆撫でする様な物言いをする人だ。しかもネチネチと。・・・上等だ・・・受けて立ってやる。僕はいきなり熱くなってしまった。だがしかし、親父は流石だ。眉一つ動かさず、苦笑を滲ませて肯定的にあしらう。

「まあそうですね。」

おじさんはコップを少し傾けて親父が注ぐビールを受け取りながら、

「翔子ちゃんは優秀だったけど、奔放な娘だったから大変だったんじゃないか?」

「ええ、そうですね。でも、沢山の思い出と幸せを残してくれました。」

母さん(中西綾香)は2人のやり取りを作り笑顔で心配そうに聴いている。障子戸越しにコンと鹿威ししおどしの音がした。

「そうか。それは良かったじゃないか。」

「幸せって、財産の事かしら?」とおばさん。

おっと、夫婦でこれかぁ! なんてこった! でもまあ、ひとまずお似合いと言うべきか! 低レベルで。・・・だが親父も負けてない。さりげなく話題を変えた。

「財産と言える程では・・・そうだ、浩子さんもどうですか? ビール。」

おばさんは礼装の下に太目の肢体を詰め込んでいる様な感じだ。おばさんが動く度に大粒パールのネックレスが重そうに揺れる。おばさんはおもむろに左手のひらを立てて、

「私はビールは頂きませんの。ワインなら少し。」

「・・・そうでしたか。気が付きませんで。」

この瞬間、お袋がおばさんを嫌っていた理由がわかった気がした。入院中におばさんが見舞いに来たらしいが、その日お袋は物凄く機嫌が悪かった。

「浩子、法事でワインは無いだろう。」

「あら、そうかしら。」

どうでも良いやり取りではあるが、話の腰をポッキリ折るのとすり替えるのと・・・この不毛な大人の戦いはどこまで続くのだろう? 親父は最後まで冷静を保てるだろうか? だが、次の瞬間、僕は戦闘の最前線が親父だけだという誤解をしていた事実に気付かされる。


「ところで翔太君。」

おっと、矛先がこっちに変わった感! 僕の肩に力が入った。そしておじさんを見た。筋肉質のガッチリとした体格だが、頭髪が薄いのが見掛けを年齢以上の大物に見せている。

「はい。」

「医学部だそうじゃないか。」

「あ、はい。」

「篠原はご先祖様が御殿医だから、血筋だな。」

「そうなんですか?」

「ああ、私の伯父さん、つまり君のお爺さんが勉強嫌いな人で、長男にも関わらず篠原を継がなかったから、勤勉だった弟の私の父親が継いだんだが、本来は君が篠原の直系の筈だったんだよ。」

「はあ。そうだったんですか。」

「もっとも、君のお爺さんが篠原を継いでいたら、翔子ちゃんは健太君とは出逢ってなかったろうけどな。ハハハ。」

なんだぁ!こいつ・・・なんか下品てかマジウザイ! 嫌味に自慢を混ぜてくる。そっちがそれなら・・・そう思って言い返そうとしたが、親父がちらっとこっちを見たのに気が付いた。その口元が『何があっても切れるな』って言ってる様な気がして、踏み止まった。でもなんか悔しい。

「そうだったんですか。でも僕の場合は血筋なんかじゃなくて、偏差値で進んでしまった進路です。これと言った覚悟もなく。」

これでどうだ?・・・自慢してやった!

「まあ、私や息子の正也みたいに『跡継ぎ』という使命感が無くて、気楽なもんじゃないか。」

おじさんはそう言うとビールを大きく一口美味そうにゴクリと飲みこんだ。・・・これが秘儀、肩透かしかぁ・・・流石1枚上手だ!・・・一方の僕は程よく焼けて少し苦いサザエの壺焼きを思いっ切り噛み下しながら、

「はい。でも、学部の中でも結構専攻が幅広くて・・・」

「そうだな。まあ専攻で行き詰まったら相談に乗るから来ればいい。」

「あ、ありがとうございます。」

無い!死んでも行くもんか絶対に・・・と思いつつ、『笑顔』でそう答えた。そもそも、こんな慇懃無礼いんぎんぶれいな奴が開業医をしていて患者の信頼が得られるとかマジあり得ネー。僕がその入口に踏み込んだ医師という世界も結局のところ人格者ばかりではないと言う事なのだろう。少なくとも今目の前に最悪の具体例がある。


・・・姉ちゃん、僕『おとな対応』出来てるよね。この悔しさを後で癒してくれる?・・・


僕はそんな気持ちで姉ちゃんを見た。すると、姉ちゃんは微笑んで大きな瞳を輝かせた。

「息子さんは正也さんと言うんですか?」

えぇっ! 姉ちゃんが参戦? しかも微妙に敬語を外して戦闘の意思を前面に押し出している。僕はフォローできるだろうか? まあ、いざとなったらリオリンピックネタに逃げるしかない。

「そうだが、貴女は?」

あれ? おじさんはお袋(篠原翔子)の葬式にも初盆にも来てたから、姉ちゃんを知らないって事は無いはずなんだが・・・忘れたのか?

「あ、春香と言います。」

おじさんはちらりと母さんを見てから、

「綾香さんの連れ子でしたっけ?」

「あ、はい。」

「お母さんにそっくりだ。」

どうそっくりなんだ? 2人共美人とか言え!礼儀だろうが!・・・てか、きっと知らないふりに違いない。流石の狸レベルだ! 姉ちゃんは思わぬ方向に話を振られて面食らって、『ハイ』と返事を返すのが精一杯だったようで、一瞬悲しそうな表情をして押し黙ってしまった。そして隣の彩香と顔を見合わせて、優しく彩香の頭を撫でている。彩香がおじさんに飛び掛ろうとするのを抑えるように。まさにこれが心理的ストレス転化行動ってやつだ。


「正也は今応慶高校におりまして、この秋に大学の学部を決めますの。もちろん医学部なんですけど。」とおばさん。

「そうですか。それは受験が無くてよろしかったですねぇ。」

おっと、母さんもさんも参戦? 援護射撃か?

「ええ、長女の正代の時は都立だったので(受験が)大変でしたわ!」

「そうでしたか。」と親父。

あれれ、親父は話を膨らまさないのか? おばさんはお受験の大変さ加減と長女が一流の大学か医学部に進学したという詳細な状況を自慢したかった様だが・・・そうか、さすが親父、変な質問やコメントが出て乱戦になる前に終結させたんだ。


 もっとも、おばさんには悪いが僕も姉ちゃんも入試が大変だったと云うその都立だ。僕としては姉ちゃんと一緒に受けた入試がちっとも大変でも苦しくも無かった訳で、今思えば楽しかった様にさえ思える。少なくとも両親に過渡な心配を掛けたとは感じていない。入試に家族を巻き込む程の悲愴感を持ち込むってのは、結局、高望みし過ぎとかで、戦う前に既に敗北を予感しているからだと思う。冷静に、色々作戦を考えて、難関を攻略突破するRPGだと思えば、楽しむって程ではないが、悲愴的にはならないと思う。要するに、十分な経験値(LV)と身体値(HP)とアイテムを準備しさえすれば、入試というダンジョンは攻略できるはずだからだ。それに、攻略(合格)した時の高揚感が結構誇らしいと思う。・・・蛇足だが、魔力(MP)は定義外だ。ホイミは効果が無いだろうし、自棄ヤケになってパルプンテを唱えても『何も起こらなかった』って事になるだろう。



 昼食を食べ終わり、ほうじ茶を飲んで食休みをし、1時が近付いたので、寺務所に声を掛けて寺の裏手の墓地に向かった。寺務所で卒塔婆と線香の束と手桶および柄杓ひしゃくを渡された。彩香が線香と柄杓、姉ちゃんが手桶、僕が卒塔婆を持った。彩香は柄杓を指揮棒のように振り回しながら姉ちゃんの前を歩いている。

「サヤ、ぶつけて壊すなよ!」

「だいじょうぶーだ!」


墓はこの寺の墓地のどちらかと言うと北東側の隅にある。隅のせいか、周囲の区画に比較しても一回り小さい。そこに慎ましく白い御影石の墓標が立っている。それでも、そこは墓守によって落ち葉が丁寧に取り除かれて清掃され、お盆の花飾りが活けられ、鬱蒼とした樹木が上空を覆うように囲んで、ひんやりした空気が流れ、せみ時雨が降り注いでいた。その墓前に若い僧侶が1人すでに到着していて、そのお坊さんの指示に従って卒塔婆を立て、手桶に水を汲み、線香に火を点けて墓参りの準備をした。


  『南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧 ・・・・・』

  『魔訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 ・・・・・ 菩提娑婆訶 般若心経』 


仏法僧の念仏から始まる一連の真言密教の経典が唱えられ、皆が線香をあげて、墓参りが滞りなく終了した。そう言えば、この流れはたぶん、東洋哲学序論の仏教ニヒリズム(大乗仏教)で習ったはずだ。忘れていたのではなく、最初から覚えてなかったのだが。

墓標に水をかけて、線香の煙と香りとお坊さんが叩く小さなリンの響きに包まれて手を合わせた時・・・『ありがとう、翔ちゃん』・・・ってお袋の声が聴こえたような感じがして、気持ちが和らいだと思う。


お坊さんが皆に一礼して寺の方に引き上げたので、

「それじゃあ、これで終了ですね。今日はどうも有難うございました。」

僕がそう言うと、おじさんが、

「翔太君は我家の墓にも線香をあげてくれ!」

「あ、そうですね。」

「墓はこっちだ。」

皆がおじさんについて行こうとすると、おじさんは首だけで振り返って、

「ああ、中西の皆さんは結構です。翔太君だけで。」

確かに中西家は篠原本家の墓に参る義理は無いのだが、ついでとは言え、お盆の墓参りを断る人が居るものか? どういう性格なんだこの人! 僕はやっぱり我慢の限界かも。・・・だがその時親父の神対応だ。

「そうですか。それではお言葉に甘えさせて頂きます。」

僕は一つ深呼吸をして親父と目配せをした。

  『ウザイ奴にはあえて逆らうな!』

親父がそう言っている様に思えた。

  『わかった。・・・実害を感じるまでは。』

と僕は無言で応えた。親父と並んだ母さんもその様子を微笑んで見ていた。

「翔ちゃん、控室で待ってるから。」と姉ちゃん。

「うん。じゃあ行ってくる。」

僕はあえて『お参りしてくる』と言わなかった。・・・ささやかな抵抗。

「待ってるよー!」と彩香。

僕は左手を少し上げて彩香に笑顔を投げかけてから、覚悟を決めて、おじさんの後に続いた。


 墓地の北側の道を2分程西に向かって歩いた。綺麗に清掃されたその道沿いには歴代住職の墓と思われる苔むした『阿闍梨あじゃり』の墓標とおそらく夕方にはそれらを照らすだろう石灯篭が並んでいて、両脇の杉の大木の梢でミンミン蝉がやかましく鳴いていた。

「知らないだろうから教えるけど、君のお爺さんは駆け落ち同然に篠原の家を出たんだ。」

「駆け落ち?」

「ああ、使用人の女とな。」

「それが僕のお婆さんですか?」

「違う。そんな事が許される時代じゃない。別れさせられるに決まってるじゃないか。生木の皮を剥ぐようにな。」

「そうですか。」

「似た様な事を何度か繰り返したみたいだ。そんな破天荒で破廉恥な事だから、爺さん、つまり君の曾祖父ひいじいさんが許す訳がない。」

「どうなったんですか?」

「結局は勘当さ。それで墓にも入れて貰えず、さっきの角地の墓になったって事だ。」

「そうですか。」

僕はお爺さんが篠原本家に馴染まない人だったって事が判って、なんか人間らしく思えて、むしろ誇りに感じた。このルーツ話を自慢げに話す親戚のおじさんを好きにはなれないが、良い事を教えてもらった。お袋が奔放な性格だったと言う事なら、それこそが血筋なんだろう。切れそうになる気持ちを抑えて大人対応をしていれば、こういう情報が転がり込む事もあるのかと思った。


 篠原本家の墓の区画は一見して周囲の4倍はあった。その区画は高さ1メートル位で約15センチ角の白御影の石柱をおよそ1メートル間隔で立てて、その石柱の間をダラリとたるんだ2本の錆びた太い鎖で繋いで、領地を主張する様に隣接する区画と明確に分離してあり、区画の中央部を2段積みの石垣の様な基礎で高くして、その上に大きくて立派な黒御影石の墓石が周囲を見下ろして威圧するように建っている。その墓石の正面のアプローチの両脇に大きな石灯篭が2対建っている。墓の周囲はやはり墓守によって丁寧に掃き清められ、立派なお盆の花飾りがしてある。これが御殿医のご先祖様の居所という事か。

 その一番手前の石灯篭の前に、ブルーデニムのパンツで、男はUCLA、女はLOVEをプリントした白いTシャツに、男は薄い水色のパーカーを肩に掛け、女はライムのサマーセーターを腰に巻いたアベックが微妙な距離感で離れて立っていた。どうやら献花やお供えの準備を一通り済ませたらしく、待ち人の到着を待ちながら、熱心にスマホをのぞき込んでいる。たぶん2人共小形モンスターを集めるゲームをしているのだろう。

「正代、正也!」

おじさんがそう呼び掛けると、そのアベックが顔をあげた。僕は『正代』と呼ばれた女性を見て驚いた。

「ああっ! 篠原先輩!」

「あら、中西君。久しぶり。・・・でも今は私と同じ篠原ね。苗字。」

「なんだお前達知り合いだったのか。」

「高校同じだもの。でもお話しするの4年ぶり位ね。」

篠原先輩(正代さん)はそう言うと、僕の横に来て小声で、

「山中君(彼氏)の事は微妙だから。ネ!」

「あ、はい。」

僕も小声でそう答えた。そこへ正也君も近寄って来て、

「お久しぶりです。」

「あの時の久我高祭以来かな?」

「ですね。ハルさんはお元気ですか?」

「うん。一緒に来てるけど、今は寺の控室に居るよ。」

「マジすか。会いたいです。」

「僕を待ってるから、一緒に来れば会えるよ。」

「はい、そうします。」

「にしても、篠原先輩が親戚だったとは!」

「私も翔子おばさまの告別式で知ったのよ! 喪主が貴男だったから驚いたわ!」

「そうと知ってればもっと親しく出来たのに。」

「そうよね。惜しいことをしたわ!」

「えっ、それどういう事ですか?」

「あなた達は有名人だったじゃない。・・・だから、サインとか。」

「ああ、そう言う事ですか。」

「吉祥寺駅前のプレクリコン(プレ・クリスマス・コンサート)も見に行ったのよ!」

「そうですか。それはどうも有難うございました。」

その様子を見ていたおじさんは、

「なんだ、正代も正也も翔太君を知ってるのか。それじゃあ紹介する事もないな。世間は狭いもんだ!」

***

自慢になるから、今は敢えて口に出して言わないが、当時、姉ちゃんと僕はスタイルK(高校生向けファッション誌)の読者モデルで、かつ都立久我山高校のアンプラ3Pユニットだった。そのユニットのボーカルがJKユニット(スワイプ・イン・ドリーム)にスカウトされてデビューして、今はもう有名になって、全国ツアーをしている。その時関係したタレントプロダクションから僕達姉弟妹に今でも時々モデルの仕事依頼が来る。

***

・・・なんて考えていたら、おばさんが不機嫌に割り込んだ。

「あなた達!」

この掛け声で、篠原本家のお盆の墓参りが順に始まった。もちろんおじさんが先頭だ。そして、僕は正也君の後って事になる。僕が線香をあげて墓標に合掌してお参りを終えると、おじさんが軽やかに言った。

「それじゃあ、着替えて帰るか。」

つまり、労いのお言葉は無し。



 20分後、篠原姉弟を含めた9人は山門手前の駐車場に居た。全員普段着に着替えている。姉ちゃんも僕もいつもの様に、白いソフトデニムのパンツに姉ちゃんは白い島人、僕は黒い海人のTシャツだ。もっともこのTシャツは3代目だ。親父が沖縄に出張に行くと機内販売で買って来る。彩香はブルーデニムのサロペットタイプのミニスカートでコミックのキャラをプリントした白いTシャツのせっかくの可愛いキャラを覆っている。

 僕達姉弟妹と篠原姉弟はもうすっかり打ち解けてしまっている。その証拠に、彩香は正代先輩と手を繋いでいるし、正也君に頭を撫でられても嫌な顔をしない。互いに名前で呼び合う事にもなった。

「車で来たんでしょ?」と正代さん。

「ううん、電車」と姉ちゃん。

「礼服はどうしたの?」

「宅急便で送ったの。」

「なるほどね。電車ならそれが楽よね。」

そこへおじさんが割り込む。

「我家は車ですから。2筋程奥の木陰に止めてある。」

おじさんは明らかに有名なドイツ車のキーを差し出して、

「正也、先に行って車を冷やしておいてくれ!」

「あ、僕は翔太さん達と電車で帰る。」と正也君。

「私もそうするわ!」と正代さん。

おじさんは特に残念そうな様子もなく、

「なんだそうか、良いけどあまり遅くなるな!」

「もう子供じゃないわ!」

「そう言う事は自分で稼ぐようになってから言え!」

正代さんはおじさんの威圧的な発言をスルーした。すると、おじさんは親父と母さんを見て、

「それじゃあ私達はここで失礼する。」

「きょうはどうも有難うございました。」と親父。

「今度は七回忌かな。」

「またよろしくお願いします。」

「それじゃあ。」

母さんとおばさんは特に何も言わず会釈を交わしただけだった。こうして、篠原夫妻は車で帰り、僕たちは『小江戸』と称される川越の繁華街を散策して帰る事になった。


川越の市街地は北から寺町、蔵造り、大正浪漫と続く街並みがメインの観光スポットになっている。もちろん、ちょっと外れて喜多院の五百羅漢という見所もある。

「翔ちゃん、どういうコース?」と姉ちゃん。

「寺町をスルーして、蔵造りを散策して、喜多院で自分探しってどう?」

「自分探しって?」

「自分に似た羅漢様が必ずあるらしい。」

「そっか。じゃあぁ、お姉ちゃんが翔ちゃん羅漢様を見つけてあげるわ!」

「い、嫌な予感。」

「大丈夫よ!」

「そんで、大正浪漫でお茶して、最後に本川越(駅)から西武(新宿)線。」

「そうね。それが良いわね。」と母さん。

「翔太にしては詳しいじゃないか。」と親父。

「にしてはって、それは無いよ。一応ポチッと調べたんだから。」

「そうか。」

「正代さんと正也君はどうしますか?」と姉ちゃん。

「僕はハルさんと一緒に行きます。ファンですから。」と正也君。

「あら、ありがとう。・・・じゃあ私と並んで写真を撮りましょう。」と姉ちゃん。

「実は自撮り棒持ってきました。」

「なんだ、最初からそのつもりだったんだ。」と俺。

「はい。実は。」

「サヤも時々モデルしてるんだよ!」

「知ってる。彩香ちゃんも可愛いから撮りたいけど、良いかい?」

「へへん! 正也兄ちゃんならまあ、良いよ!」

「おお、ありがとう!」

なんか、篠原姉弟は親の性格は引き継いでなくて、ぜんぜん普通だ。

「じゃあ、行こうか。にしても暑いから、どっかでペットボトルの水を買わないとな。」と親父。

こうして、7人の小江戸散策が始まった。


寺町通を過ぎて、蔵造り通りを正代さんと並んで歩いていると、正代さんが少し低いトーンで僕に話しかけてきた。

「ねえ、父さんと話した?」

僕は少し構えた。

「・・・話しました。」

「ごめんなさい。嫌な思いしたでしょ!」

「そんな事は・・・ありませんけど。」

正代さんは速足で3歩程先に出て振り返った。そして、体を僕に向けて見上げるように僕の顔を見つめた。僕は立ち止まってちょっと引き気味に正代さんを見詰めた。

「した筈よ。私も正也もそれが嫌でフォーマルな場所では両親と他人のふり。」

「そうですか。」

正代さんは1歩近付いて僕の瞳を覗き込む様に見詰めた。

「ねえ、正直に言って!・・・嫌な思い・・・したよね。」

「ま、まあ。」

正代さんはもう一度僕を見つめなおして微笑んだ。可愛い笑顔だった。

「でも切れて無かったって事は、翔ちゃんはエラい!・・・翔ちゃんは羅漢様だわ!」

「持ち上げ過ぎです。」

正代さんと僕はまた並んで歩き始めた。

「そんな事ないわ! 彼は10分持たなかったもの。」

「あ、ご両親に紹介したんですか、山中先輩。」

「うん。彼、温厚だから良いかなって思ったの・・・でも、もうグチャグチャだった。」

「そうですか。なんか目に浮かぶ様です。・・・あ、すみません。」

「いいのよ。ご想像の通りだから。・・・だから私、卒業したら家を出るわ!」

その時、後ろから正也君が割り込んだ。

「姉貴は良いよナ、簡単に脱出できるし。」

「あんたも自立しな!」

「うん。いつかね。」

正也君は先を歩く姉ちゃん(春香)とサヤ(彩香)を時々スマホで撮りながらご満悦の様子だ。姉ちゃんも彩香もそれに気付いているが、ネットに流さないという約束をしたらしく、カメラ目線で愛嬌を繰り出したりしている。

「正也、無断で写さないの! ご迷惑よ!」

「今日は許して!・・・こんな機会もう無いかもだから。」

僕と正代さんは顔を見合わせて苦笑した。僕を見上げて微笑む正代さんは優しくて可愛い女性に見えた。そのお姉さんに保護されてか、屈託なく笑ってはしゃぐ正也君も可愛く思えた。

「翔太さんと姉貴も写すから。」

「私は写さなくていいわ!」

「マジ?・・・でも記念だから良いじゃん!」

「篠原姉弟は仲が良いのですね。ブラコンにシスコンですね。良い意味で。」

「そうね。あなた達と同じよ!」

「あ、ご存知でしたか。」

「有名だったわ!」

「ですね。」

「そうね・・・正也と私が仲が良いのは、両親が共通の敵だからだわ!」

「そんなに嫌いなんですか?」

「大嫌い。心底嫌い。」

躊躇ない返答だ。

「お寺ではそんな風には見えませんでしたけど。」

「家族としては普通にしてるわ! 演技してるの。ある意味。」

「おじさんとおばさんは知ってるんですか?」

「知ってると思うけど、嫌われる原因が自分達だって解ってないし、嫌われる事にそれほど大きなストレスを感じないみたい。テーブルを叩いたり蹴ったり、要するに物理的に衝突しなければ問題なく接してくれるのよ。」

「そうなんですか。僕なんか、誰かに嫌われたら、取り敢えずショックで凹みますけど。」

「普通はそうよ! でもあの2人は例外。まあ、軽いサイコパスだわ!」

「なんかある意味凄い人格ですね。」

「そうね。・・・凄いと言えばね、患者さんには信頼されてるのよね。名医だって。」

「へえー、そうなんですか。」

「意外でしょ! 病気の話はうまい具合にオブラートに包んだりするし、医学的な話を解り易く話すのが上手なのよ。しかも患者さんの気持ちが解るらしいの。元気付けたり勇気付けたりそっと背中を押したり。」

「凄い。それだけでもう充分名医ですよ。」

「そうね。つまり、父さんは病気の人の顔色は読めるのに、健康な人の顔色は読めないの。」

「そうですか・・・そうなんですか・・・なんか不思議です。」

僕はハッとした。親戚付き合いとして感じたおじさんのウザくて腹立たしい印象を、そのまま医者としての人格に転写していて、それが間違いだと言う事が解ったからだ。正代さんとこうして話をしなかったら、とんでもない誤解をしてしまうところだった。おじさんが名医だって事は今日の僕にとってはある意味救いだけど、だからと言って、間違いなく好きにはなれない人だとは思う。


 僕達7人はその後、喜多院でお互いに似た羅漢様を捜し、当然だがその羅漢様と一緒の記念写真を撮った。正也君は景色が代わる度に姉ちゃんと彩香を中心に写真を撮って喜んでいた。僕はその姿を見て、高校時代の姉ちゃんと赤いミラーレスを思い出して、なんか胸がキュンとするような嬉しい気持ちになったりした。


 僕達御一行様は最後に大正浪漫の喫茶店で休憩した。そこで正代さんと姉ちゃんと僕は秋の学際で相互訪問する約束をした。もちろん彩香も一緒に。そして、本川越駅で準急西武新宿行に乗った。天井のシロッコファンから出てくる気持ち良い冷気と鉄道の快いリズム音が、緊張して疲れた精神を優しい眠りにイザナってくれたと思う。もっとも、僕の疲労の主因は昨日のビックサイトの大イベントへの参戦だ。姉ちゃんと正代さんが扮した、レイヤーに人気の『レム・ラム』の可愛いくも恐ろしい夢を見たような気がする。ともかく、田無を過ぎた辺りで彩香に揺り起こされるまでうたた寝をした。僕と中西家の5人は西武柳沢で降りて吉祥寺行きのバスに乗り換えた。正代さんと正也君は、おそらく2駅先の武蔵関駅で降りて歩くのだろう。


 その日の夜、僕は井の頭の家に泊まった。そう言えば、ここに泊まるのは2週間ぶり位だ。井の頭の家って言っても、大学1年の夏までここで暮らしていたのだから、僕にとっては実家で、2階の僕の部屋もそのままにしてある。いつもの様に向かいの姉ちゃんの部屋に姉弟妹が集合した。姉ちゃんはペールピンクに白いドット、彩香はクリームイエローに白いドット、僕はスカイブルーに白いドットというおソロのパジャマだ。僕も彩香も部屋の真ん中のカーペットに座り、姉ちゃんはベッドに腰かけている。彩香は4年生にもなると流石に僕の胡坐の中に納まらなくなって、今は彩香専用のクッションを抱えて座っている。3人共同じコンディショナーの香りに包まれている。

「今日はなんか妙に疲れたよね。」

僕はそう言って右隣に座っている彩香の頭を撫でた。

「サヤ、おじさんもおばさんも嫌い!」

「やっぱり話題はそこへ行くよね。」

姉ちゃんは長い髪をタオルで包むようにして乾かしながら、肯定する。

「凄い人達だったねぇ。」

「僕、大人になったでしょ。」

「うん。立派だったよ!」

帰ってから何度かこの手の話になる度に姉ちゃんは僕が期待した通り労ってくれる。だけど彩香はかなりご不満の様だ。

「お父さんもお兄ちゃんも意地悪されっ放しだったよぅ! どうして?」

「そっか、サヤにはそう見えるんだね。」

「そうじゃぁないの?」

僕は彩香に優しい視線を向けて、そして少しドヤ顔で、

「意地悪だってわかってて、グッと堪えて、平気な顔でお相手をするのが大人なのさ。」

「えぇー そんなの嫌だぁー 嫌いな人はお相手したくない!」

姉ちゃんも彩香の開放的だが一途な性格が少し気になって、

「そうだね。でも、簡単に人を嫌いになったらいけないよ!」

「どういう事?」

「人にはね、好きになれる所と好きになれない所があるのよ。」

「どういう事?」

「嫌いな所だけを見て嫌いになったら、良い所を見逃してしまうでしょ。」

「なんか難い!」

確かに姉ちゃんの言う通りなのだが、僕は彩香がこのまま素直な大人になって欲しいと思った。

「まあ、サヤにはまだ早いよ。サヤはサヤが感じたように好きになればいいし、嫌いでもいい。」

「そうね。」

「お兄ちゃんはしばらくこっちに居るんでしょ?」

「明日帰るつもりだけど、なにか?」

「・・・えっと・・・宿題手伝って欲しい。」

「なぁんだ、まだ残ってんの?」

「工作が・・・」

彩香は大きな瞳で期待一杯に僕を見詰めている。なんか逆らえない。

「じゃあ、明日は荷物を受け取らないとだから、夜また来ることにしよう。」

「ほんと?」

「ああ。」

「サヤちゃん良かったね。」

「うん。」

そう言うと彩香は大きな欠伸をした。

「あらら、サヤちゃん、今日はいっぱい歩いて疲れて眠いんじゃない?」

「疲れてないけど、なんか眠い。」

「ここで寝るか?」

「ううん、サヤの部屋に行く。」

「そっか。」

彩香は立ち上げって、クッションを入口近くの壁際に置いて、引き戸を開けながら、顔だけ振り向いて、

「おやすみ、お姉ちゃん、お兄ちゃん。」

『おやすみ』

姉ちゃんと僕は彩香が部屋を出て行くのを見送った。

「翔ちゃん、残念でした!」

「なんの事?」

「サヤちゃんと寝たかったんじゃない?」

「いやいやいや、あり得ないしょ!」

「そうかしら。」

姉ちゃんを見ると可愛く微笑んでいた。

「もう4年生だし!」

「4年生だとあり得ないの?」

「あ、いや、そろそろ胸も・・・」

「あぁあ、翔ちゃんの・・・ドスケベ!」

「ハイ・・・以後気を付けます。発言。」

僕はしばらく姉ちゃんがブラッシングしているのをぼんやり眺めた。姉ちゃんは多分僕の視線をしばらく楽しんで、

「ねえ、こっちに来て!」

「あ、ああ。」

姉ちゃんの部屋は久しぶりなので、少し妙な感じだ。

「はい、後ろ!」

「うん。」

僕はブラシを受け取って、姉ちゃんの後ろ髪を何回か梳いた。それから姉ちゃんは長い髪を手で束ねて、無造作に背中側に流すようにして、ベッドに横になった。

「久しぶりよね。私のベッドに翔ちゃんが来るの。」

「そうだね。」

姉ちゃんが壁際に移動したので、僕も姉ちゃんのベッドに横になった。そして右手で頭を支えて姉ちゃんを見詰めた。いつもの様に姉ちゃんの大きな瞳に僕の顔が映っている。すると姉ちゃんは微笑んで、

「翔ちゃんは昨日はビックサイトで体力消耗して、今日は法事で精神力を消耗したのね。」

「そう言えばそうだね。」

「じゃあ翔ちゃんが消耗した体力と精神力を回復してあげるわ! 確かホイミとエスナよね。」

「あ、ありがとう。よろしくお願いします。できれば先にエスナで毒抜きを!」

「任せて!」

姉ちゃんは右手の人差し指で僕の額を撫でる様にして、

「エ・ス・ナ!」

姉ちゃんと僕は笑顔でしばらく見つめ合った。

「姉ちゃんも今日は変な話になって嫌だっただろ?」

「うん。ビックリしたし、連れ子だって面と向かって露骨に言われて、なんか悲しかった。」

「安心して、僕も連れ子だから。」

「そうね。だから私、翔ちゃんのお嫁さんになれるのよね。」

「うん。」

姉ちゃんと僕は軽くキスをして、きつく抱き合った。

「大好きよ!」

「僕も大好きだよ!」

こうして、2人共心地よい気持ちと言うか感覚と言うか、姉ちゃんと僕の2人きりでないと味わえない至極の幸福感に包まれて眠りに落ちた・・・と思う。翌朝、彩香が間に割って入って、起こされるまで。




     姉ちゃんは同級生の2年後

       スケッチ ~大人の戦い~ 終わり。

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