ニッポナリ
ナナミ中古車販売の広報課長である私は、唯一の部下である才媛・冨士野恵子クンとともに、販促活動のためミャンマーへ渡航する。冨士野クンは一見古風な三二歳の独身女性だが、プライドを傷つけられると人前でも平気でもろ肌を脱いでしまうという一面が。
そんなふたりが向かった先で、失われた文明の発掘騒動が持ちあがる。
追憶がとこしえの別れかもしも彼が吾の得しことかく追いつ
一 ミャンマーへ
忘年会翌日のナナミ中古車販売である。この会社が多少おかたいところもあるというのは、昨夜あれだけハメをはずしていても忘年会の話題でもちきりということはなく、社員が淡々と業務をこなしているのである。あのあとどれだけの人間が二次会へなだれ込んだか知らないが、みんなちゃんと出社してきているようである。
わが広報課は総務部の中にあって、つい立てひとつで仕切られている。
広報課といってもメンバーは私と冨士野クンのふたりだけ。仕事の内容は販売に関する調査、取材、広報と何でもござれである。冨士野クンはこの多岐にわたる業務において、事務処理能力が迅速なだけでなく物事の客観的判断がぶれないので、ときに本筋から逸脱するきらいのある私にとって心強いパートナーである。加えて英会話が堪能、うりざね顔のシングル美人ときている。
冨士野クンは今月の社報の件で、広告代理店の男と窓際の来客スペースで打ち合わせ中である。彼は目の前の身持ちのかたそうな三十路を過ぎたポニーテールの独身女性が、昨日全社員の前で裸をさらしたなんて、想像もつかんだろうな。
打ち合わせが終わって広告代理店の男も帰り、ひと息ついたところで西川所長が顔を出す。
「君たちにお願いがあるんだが」
昨日はお疲れさまとかねぎらいの言葉があってもいいようなものだが、そこは実務において多少おかたいところもあるナナミ中古車販売のカラーである。もっとも冨士野クンの忘年会でのかくし芸、あの土俵入りを蒸し返すような言動は慎んだほうが無難である。そのぶんあとくされがなくていい。そういえば女体盛りのはてに衆人環視の性交渉にまで及んだ長谷川クンと藤原、彼らはあのあとどうなっただろう。
「ふたりしてミャンマーへ飛んでほしいんだ」
ミャンマーですか、と行く先に驚いてみせるが、本音は「ふたりして」のところを強調したかった。チャンス到来に思えた。所長が仕事の内容を説明する。
「ミャンマーへの中古車輸出についてだが、二〇一一年九月にミャンマー政府が中古車の輸入規制を緩和してからというもの大量の日本車が売れたのは知っているね。ところが二か月前にミャンマー政府が来年二〇一四年六月に自動車をいまの右ハンドルから左ハンドルへ強制的に移行させる発表をした。好調だったミャンマーへの中古車輸出は一気に終息に向かうかと思われた。バイヤーはもう日本の中古車の買い付けはできないと弱腰になっていた。ところがさっき現地のディーラーから報告があって、来年六月の右ハンドル禁止動議が否決されたそうだ。これでとりあえずミャンマーで日本車が販売できなくなることはなくなった。ただ政策がころころ変わって先行き不透明なので、ディーラーは買い付けそのものには慎重になっている。しかし一時買い控えになっていたユーザーの関心は元に戻るかもしれない。現在のミャンマーの乗用車保有台数はマイカーブーム以前の昭和三十年代の日本と同じレベルで、モータリーゼーションの到来は確実とみられている。しかもミャンマー人の日本の中古車への関心は潜在的に高いと思われる。ここは我々にとって追い風が吹いているとみるべきだろう。この気運にうまく乗っかればかなりの儲けが期待できると思う。風が吹くときに攻勢をかけて、他社と差をつけるのが商売の鉄則だ。そこで君たちにミャンマーへ出向いてもらって、まず現地の動向を探ってもらいたい。そのうえで何かと情報が錯綜してナーバスになっているディーラーに対して、いま何が必要なのかをリストアップして、バックアップできる態勢を整えてほしいんだ。ビザの発給に少し時間がかかると思うし、年末年始をはさむから年明けにでも頼む。出張期間は余裕をみて五日間取っておくよ」
「来月の社報の企画はどうしますか」
冨士野クンが口をはさむ。
「そんなもの」
西川所長が吐き捨てるように言う。
「大河に頼めばいいだろう」
社報の企画なんぞそっくり総務のほかの人間に任せておけるほど、広報課は首のすげかえがきく部署なんだぞ、そこんとこようく押さえとけよ、と言わんばかりである。長谷川クンと藤原があのあとどうなったか、訊いたところでとり合ってくれるはずがない。
年が明けて一月十二日、成田からミャンマーの最大都市ヤンゴンへ。直行便の機内である。
真冬の東京から一気に酷暑の気候へのフライトなので、服装の調節が難しい。冨士野クンは機内の寒さを考えて濃紺のブレザーである。潤いのある黒髪をうしろに束ねた姿は、ほんとうに古風な女性に見える。実際に中身は古風なのかも知れないが、それではこの前の忘年会でのまわし姿はどうだ。江戸時代の女は風呂で男と混浴しても気兼ねがなかったとはいうが、公衆の面前で裸をさらしてもわいせつとは考えなかった時代にまでさかのぼるくらい、彼女は古風な女なのだろうか。
隣でこんないやらしいことを考えてるとはつゆ知らず、いや男はいつだっていやらしいことばかり考えてるのはちゃんと知ってるがかまととぶってるのかも知れず、冨士野クンはアイポッドに聴き入っている。あまりかまってもらえないのもしゃくなので、何聴いてるのとたずねてみる。冨士野クンは、
「これ、万葉集にメロディーを付けた歌なんです。しばらく日本を離れるから心に沁みるかなと思って。一緒に聴いてみます? センセ」
と、イヤホンの片側をさし出してくれる。
小柄で色白の冨士野クンは実際よりも若く見える。二年前に彼女が広報課に赴任してきたときも、まだ十代かと思ったくらいである。三二という実年齢を知ったあとで出会ったときの印象を語って聞かせたら、まあいやだセンセ、と照れていた。冨士野クンは私のことをセンセと呼ぶのだ。物事に突き詰めて取り組む姿勢が学者肌のようだという。まんざらでもない。
イヤホンから流れてくる音楽は、シンセサイザーをバックにした女性の歌声。短調のゆったりとしたテンポで、万葉時代の和歌を切々と歌っている。往年のNHK大河ドラマの趣きである。情熱的な後奏がにわかに静かな長調へと変わる。その持続音の上をソプラノが朗々と独唱する。おもわずはっとする。
海ゆかば 水漬く屍
山ゆかば 草むす屍
大君の 辺にこそ死なめ
顧みはせじ
小学生の頃に学校からもらったソングブックに載っていた歌だ。「海ゆかば」。タイトルに憶えはあるが実際に学校で歌うことはなかった。それもそのはずだ。とても小学生に歌わせられる内容ではない。いまになってこそ、その壮絶な歌詞の意味がわかる。
海を行けば水に漬かる屍
山を行けば草が生える屍となっても
大君のおそばで死のう
うしろを振り向くまい
私たちが向かっている先はミャンマー、旧称ビルマ。当地における第二次世界大戦の日本人戦没者は十八万人とも十九万人ともいわれる。
海ゆかば 水漬く屍
山ゆかば 草むす屍
現在ヤンゴンまでの旅は、適度に空調をきかせた機内に食事が付いて約七時間。行く先でおねえちゃんとねんごろになろうなどと考えている場合じゃないか。
アイポッドの音楽がバイオリンとハープの二重奏に変わる。その前奏に導かれてソプラノが外国語の歌詞を歌う。これはね、と冨士野クンが解説してくれる。
「ほかに日本の和歌を使った歌曲がないかと思って西洋の作曲家が書いたのを探したら、CDを見つけたんです」
題名は「ニッポナリ」。二十世紀に活躍したチェコの作曲家マルティヌーの手による七曲からなる室内楽伴奏付き歌曲集で、もともとドイツ語に訳されていた和歌をさらにチェコ語に訳したテキストに曲を付けたのだそうだ。
「英文の解説に額田王とか小野小町とか静御前の名前が並んでいて。その中にKibinoというのがあって名前の横に(?)が付いてる歌があるんです。そこだけ謎みたいになっていておもしろいと思ったので調べてみると、吉備真備らしいんですね」
「へえ。でも何で(?)なんだろ」
「ほかの歌は原歌が特定できるんですけど、意訳された外国語のテキストだと特定しづらいんじゃないですか」
「それでも残された吉備真備の歌と照らし合わせていけばわかりそうなものだけどな」
CDの解説者が外国人だから仕方ないのか。ここは自分で調べてやるかな。後日の宿題としよう。
二 ダゴントレードセンター
ヤンゴン国際空港に到着して税関を出たのは、現地時間の午後四時を過ぎてからだった。こちらの顔写真をメールで送っておいたので、迎えの人間は気づいてくれると思うが、ステッカーでも掲げてくれているだろうか。ざっと見渡してみるとすぐにこちらを注視している顔がわかる。持っているステッカーに私の名前が漢字で書いてある。出迎えてくれたのはどう見たって中国人風の男ふたりである。
「どうも。リです。こちらウさん。どうぞよろしく」
「初めまして。わざわざお出迎えいただきありがとうございます」
冨士野クンともども握手をかわす。どちらも冨士野クンと同い年くらいである。淀みのない日本語で話す太った背の高いほうがリさん。背丈は低いがやはりお腹の出ているのがウさん。ふたりは私たちのスーツケースを持って車へと案内してくれる。
暑い。上着を脱ぐ。冨士野クンも半袖の白のブラウス一枚になる。ベンガル湾までは約二百キロである。ハンドルはウさんが握る。リさんが左の助手席に座る。普通車だがコンパクト仕様のイストは巨漢のリさんには窮屈そうだ。隣のウさんとしきりに中国語でしゃべっている。こちらから話しかけないと何も話してくれそうにない。というか割り込むタイミングが見つからないほどひっきりなしにしゃべる。こちらも割り込むほどの用事はないが、とりあえず会話の途切れるタイミングを見計らって車の年式を訊いてみる。リさんが答える。
「二〇〇三年製で八万キロ超えたくらいですね」
それだけである。またウさんとのおしゃべりが続く。
夕方のラッシュ時で道は相当に混んでいる。日本とは逆の右側通行だが、見たところほとんどが右ハンドル車である。こんなちぐはぐな運転を強いられるのも、この国が他国の支配と思惑に左右されてきた所以であることをあとで知る。渋滞のさなかでは車道を横断する人がひっきりなし。少し流れたところでは車やバイクの急な割り込み。ここでは交通ルールはあってないようなものである。日本のマナーの良さとは比較にならない。
ダゴントレードセンターは空港から南、中心街ダウンタウンの方角にある。たっぷり一時間かかって到着。道がすいていれば三十分もかからないだろう。ダゴンとはヤンゴンの古い呼び名である。自前のショールームには十四、五台の車が所狭しと並んでいる。ほとんどがトヨタの中古である。店舗にはいり社長のリュウさんを紹介される。色黒だが名前からして中国人っぽい。訊くと父親が中国国民党軍だったという。
「もうこれから日本の中古車、売れるどうかわからない。一年か二年で終わるかも知れないよ」
時々言葉に引っかかりはあるものの、日本の中古車を中心に扱っているだけになかなか達者な日本語である。六十がらみだろうか。訊くと年齢の当てっこに興じたあとでまあそんなところとだという返事が返ってくる。リさんウさんとはちょうど親子の年ほど離れている感じだ。中国系のボスが気心の知れた同郷の手下を使っているといったところか。時刻は六時前で、ウさんが店仕舞いにかかる。リュウ社長とリさんが私たちの相手をしてくれる。
「これまでミャンマーは世界一中古車が高い国と言われてきましたが」
と、日本語の流暢なリさんが現在の中古車市場について説明してくれる。
二〇一一年九月に政府が中古車の輸入規制を緩和して以降、日本から大量の中古車が輸入されて販売業者が乱立した。中には過剰な在庫を抱える業者もあって小売価格がどんどん下がっていった。こうした状況でこれまではフリーマーケットに商品を持ち込んで展示即売するブローカーが多かったが、いまはたくさんの在庫車が展示されていて比較検討できるショールームを持つディーラーが主流になりつつあるという。
私が、ここへ来る途中にも非常にたくさんの日本車が走っていた、と、ありのままの印象を伝えると、
「九割が中古の日本車です。品質が良くて壊れにくい。日本では車の寿命は十年十万キロと言われてますが全然気にしなくていい。安全だし部品もそろう。修理しやすい」
右側通行であるにもかかわらず右ハンドル車が多いのは、ひとえに日本の中古車の優秀性のためである。部品の供給がスムースでメンテナンスコストパフォーマンスにすぐれ、かつ車としての信頼度が高い。
「ミャンマーが右側通行なのはどうしてですか。もともとイギリスの植民地だったとは聞いてますけど、イギリスは日本と同じ左側通行でしょう」
と、冨士野クンが質問する。
「はい。植民地の頃は左側でしたが一九七〇年に右側に変わりました。占い師のアドバイスによると言われてます」
「占いですか」
意外な答えだった。
「植民地時代の慣習から脱したかったからとかじゃなくて」
「それもあるかも知れません」
占いが現実の政治に介入して一国のありようを左右しようとは、日本でなら困りものだがよその国の話だと何だか愉快だ。
「やっぱり事故が多いですよ。交通ルールも守らないようじゃね」
リさんが嘆く。普通右側通行に左ハンドル車が走ることで衝突の危険を回避するのである。それが右ハンドルだと死角がより広くなる。ミャンマーに近代化の波が押し寄せて、ヤンゴンのマイカー需要は自動車登録台数が去年までの集計で約四十万台と二年前の一・五倍。そんななかで右ハンドル車と左ハンドル車が混在しているので事故が頻発し、その対策として二〇一四年六月に右ハンドルを左ハンドルへ強制的に移行させるよう検討が進められた。実際、解決策としては日本のように左側通行にするかハンドルを左にするかのどちらかだったが、左側通行への変更はドライバーが慣れるまでに大きな事故が発生する危険性がより高いので、ハンドルの位置変更に決まった。右ハンドル車の締め出しについては日本車叩きではないかとの憶測を呼んだ。人気の高い日本の中古車が大量に輸入されては、自国の自動車産業の発展に支障が出るというのである。ところが先月ミャンマー政府の今後の方針が変更されて、二〇一四年六月からは新車についてのみ右ハンドル車が輸入禁止、中古車に関してはいますぐ輸入が禁止されるわけではないという話に落ち着いた。ただし現状は右ハンドル車と左ハンドル車が道路に混在して事故が多発しているので、二十年後をめどに右ハンドル車を完全に排除して、左ハンドル車のみ公道を走れるよう乗り換えを推進していくようである。
「このあたり、左ハンドル車が主流のアメリカや中国の圧力と、それに対抗する日本との駆け引きが見え隠れする気がしますね」
と、私が感想を述べると、リュウ社長はニヤリと笑い、いいこと言うね、と、持ちあげる。
「もう疲れたでしょう。ウさんがホテルまで送ります」
リュウ社長が席を立つ。
「明日十二時に迎えに行きます。午前中はワタシ仕事あるね」
昼食をともにしながら今後の中古車輸入事業について話を進めていく段取りである。
再度イストに乗り込み、ダウンタウンの方角を目指す。夜の七時近くになって道路の混み具合も少しはましになる。予約してもらったホテルは、空港とダウンタウンとの中間に位置するインヤー湖の近くにある。中級だが感じのいいホテルで落ち着けそうだ。英語も通じるしWiFiもつながる。部屋はシングルがふた部屋とってある。同じ三階のフロアにあるが少し離れている。こういったところにも会社の配慮が及んでいるのだろうか。
夕食は向かいのレストランで軽くチキンカレーで済ませる。カレーはミャンマーで最も普通に食べられているおかずである。冨士野クンをホテルの部屋まで送っていったところで、無性に下半身がむずむずしてくる。
「もう少し話がしたくなってきたな。ほら、飛行機の中で一緒に話してたニッポナリ、あの謎の歌についてコンピュータで調べてみないか」
さっきカレーを食べながら考えた、彼女としっぽりいくためのシナリオ。
「お誘いはうれしいですけど」
少し考えるふりをしながら、冨士野クンがノブに手をかける。
「そんなのセンセひとりでできるでしょう。それを調べるための出張でもないですし」
「それは」
冨士野クンは最後まで言わせない。
「今日はお疲れさまでした。おやすみなさい」
扉がパタンと閉じられた。
たしかに言えてる。
またしてもやり場のない情欲の横溢である。だがいまひとりで発散させるのはもったいない。チャンスはまだ二度ある。明日以降に備えてセーブしておくほうがよさそうだ。何かほかのことに気を紛らせないと。ここは大人のセルフコントロールである。ひとつ宿題に取っておいた吉備真備について調べてみるか。シャワーを浴びてからノートパソコンを開く。
しばらく調べてみると事がそう簡単でないのがわかる。問題の歌は「ニッポナリ」の第三曲で、歌詞はこうなっている。
風は私から葉も花もすべてを奪った
五月は死に絶えた それはとうの昔から
青ざめて口もきかなかった
ただ私の絹の衣の袖には残っている
梅の花の甘い香りだけが
この歌詞に該当する和歌を探すのだが、そもそも吉備真備に自作の歌が残されていないのである。もっと丹念に調べれば出てくるのだろうか。しかし日本人の私にさえいろんな条件で検索してヒットできないものが、外国で紹介されているなんて不自然だ。もしかしたら作者は別の人間なのかも知れない。するとKibino(?)は何のアナグラムだろう。ローマ字表記の似た名前を探したり、アルファベットをくっつけて別の記号に見立てたり、さらにそれをドイツ語に置き換えてみたりして、誰かほかの人物の名前が浮びあがってこないか試してみる。けれども一向にピンとこない。
だんだんバカらしくなってくる。ずぶの素人が机の上でああだこうだと無い知恵絞ったところでたいした発見があるわけでなし。眠たくなってきた。パソコンを閉じる。ふと、このホテルがNDL本部の近くだったことを思い出す。NDLとは国民民主連盟の略、アウンサンスーチー率いる政党でミャンマー最大の反政府組織である。明日の午前中にでも冷かしてみることにして、地図で場所を確認しておく。
三 シャン高原の別荘
ホテルでひとり朝食をとったあと、リュウ社長との待ち合わせ時間まであたりをブラブラすることにする。まずインヤー湖に向かう。まだ八時を過ぎたくらいだが気温はぐんぐんとあがってきている。湖岸は緑ゆたかな遊歩道になっていて見晴らしがいい。観覧車が動いている。外はすさまじい車の波でここだけ別空間のようだ。水辺だからといって涼しくもなく、空気がたっぷり水分を含んでいて湖面からの陽の照り返しがむんむんする。
一時間ほど散策して湖のはずれの通りをしばらく歩くと、目星を付けておいたNDL本部のある建物に行き着く。古びた二階建ての一階が本部事務所で、入り口のショップではスーチーさんの顔写真入りグッズが売られている。九時過ぎというのにもう観光バスが横付けして、Tシャツ、マグカップ、キーホルダー、カレンダーなどを客が物色している。
スーチーさんの顔を見て京大の東南アジア研究センターの所長だった矢野暢を思い出す。矢野はスーチーさんの京大留学時代の恩師と言われている。マスコミへの露出が多かったぶん権力志向が強く、複数の女性秘書に性行為を強要していたらしい。アカデミックな女性が羞恥を捨てて行為に及ぶ、そんな淫らさに欲情したのだろうか。スーチーさんのような美貌の才媛がそばにいれば、さぞかし妄想をかきたてられたのではと邪推する。世の女性の発言力が増していく趨勢のなか、時代の空気を読めずに奔放不羈に振る舞い続けた矢野は、やがてある女性秘書から性的暴力を受けたとして告発される。矢野は秘書と性的関係を持ったことは認めるものの、同意のうえであると主張する。事件はマスコミに報じられ、日本で初めて大きく取り上げられたキャンパス・セクハラとして世間を騒がせる。京大から実質的に追放された矢野は、告発内容が虚偽であるとして逆に提訴する。自分でハメておきながらハメられたというわけである。彼のような権力志向の強い人間からすれば、秘書の行動も女の武器を使った保身に映るのだ。ときにその感覚わからなくもない。訴えは結局棄却される。その後単身ウィーンに渡るが、二〇〇〇年を目前に失意のうちに客死する。
二一世紀も女は女である限り、女の武器を使うだろう。あとは男が軟弱になったぶん、駆け引きの間合いが広くなっただけである。
十二時前にホテルのロビーで冨士野クンと合流する。だが十二時を過ぎても迎えは来ず、やがてフロントから待ち合わせを二時に変更したいという連絡がはいる。日本と違いタイムスケジュールがのんびりしている。約束通りに事が運ばないのは仕方ない。
とはいえ、いつ食事にありつけるかわからないので出かけることにする。時間も限られているし朝はホテルのアメリカン・ブレックファストだったからカレーでいいかと意見がまとまり、昨日と同じレストランにはいる。メニューは冨士野クンがピーナツカレー、私は魚のカレーを注文する。
ゆうべ冷たくあしらった埋め合わせからか、例の「ニッポナリ」の謎について冨士野クンが独自の見解を披露してくれる。
「Kibino(?)の歌詞を見ていてピンときた和歌があるんですけど」
こうしてわざわざ自分でも調べましたよ、ということを誇示しておいて気を持たせる。結局つかず離れずの関係にしておいて、あとは都合のいいように利用されてしまいそうである。
「高校の古典の授業で習った記憶があります。よみ人知らずの歌で、百人一首に載ってるような歌でもないんですけど」
さつき待つ花橘の香を嗅げば昔の人の袖の香ぞする
古今集の歌だそうだ。
五月を待って咲く橘の花の香りを嗅ぐと
昔の恋人の袖に焚きしめた香りが思い出される
冨士野クン、君もせいぜい女の色香を使って男を翻弄させるがいいさ。
とまれ、彼女が歌詞の情緒面から原歌を辿ろうとしたのは、私が作者の名前を幾何学的に類推しようとしたのと対照的である。手帳に控えてあるKibino(?)の歌詞と比べてみる。
風は私から葉も花もすべてを奪った
五月は死に絶えた それはとうの昔から
青ざめて口もきかなかった
ただ私の絹の衣の袖には残っている
梅の花の甘い香りだけが
わずか三十一文字のうちに「五月」「花」「香」「昔」「袖」の五つのキーワードを共有している。古今集の作者がよみ人知らずであるのも「ニッポナリ」の作者が判然としない事実と符合する。古今集の歌は「ニッポナリ」の原歌の候補のひとつと言えるかもしれない。ただしそれはあくまで「五月」「花」「香」「昔」「袖」のキーワードを自由に再構成すればの話で、歌詞の内容には隔たりがある。古今集の「五月」はこれから咲く橘の開花時期を指しているが、「ニッポナリ」の「五月」は過ぎ去った季節をあらわしている。古今集の「花」は橘で季節が夏、「ニッポナリ」は梅で季節が春である。また古今集は目の前に咲いている花の香りから昔の恋人を追想しているが、「ニッポナリ」は衣に残った恋人の移り香から過去を回想している。古今集の歌が「ニッポナリ」の原歌だとしても、これくらい意味が違ってくるともはや原形をとどめていないと言ってよい。それによみ人知らずの作者のところへどうして奈良時代の公卿で現存する歌を持たない吉備真備を担ぎ出してこなければならないのか、その必然性が説明できていない。
冨士野クンの洞察には敬意を表するが、謎は依然として謎のままである。
再度ホテルのロビーで待ち合わせ。二時過ぎになってようやくリさんが迎えに現れる。外に停まっているイストの運転席にはウさん、後部座席にリュウ社長が乗り込んで待っている。急な変更に対する詫びはない。お互いに融通を利かせあうのが東南アジアのいいところだ。日本のようにギスギスしていない。車はダゴントレードセンターのほうへは向かっていない様子である。リュウ社長が言い開く。
「いまからワタシの別荘へ行きます」
もてなしを受けるほどのたいした出張でもないが、期待していなかったといえば嘘になる。
「別荘はどこにありますか」
「シャン高原です」
「どのくらいかかりますか」
「そーねー、飛行機で三時間くらい」
冨士野クンと顔を見合わせる。
「今日ここへ帰って来れますか」
「帰らないよ」
そこへ冨士野クンが抗議する。
「着替えとか持って来てないんですけど」
すると運転席のウさんと助手席のリさんが口を揃えて
「ダイジョブ、ダイジョブ」
と、首を縦に振る。ウさんと話す機会があまりないので日本語はわからないのではと思っていたら、こちらの話す言葉はある程度通じているみたいだ。リさんが言い足す。
「リュウ社長の別荘は昔の藩王のお屋敷です。何でも揃ってますよ」
何でも揃ってるはいいが、こちらは機転を利かせてコンピュータとか仕事道具一式を持参しているのである。泊りならホテルを出る前にちゃんと言ってくれたってよさようなものだ。リさんとウさんも一緒に付いて来るというが、店はどうするんだろう。閉めちゃっているのか。ほかの誰かが切り盛りしているのか。人の商売まで心配しているとリュウ社長がつぶやくように言う。
「あとでビジネスの話しましょう」
なら、いい。
ミャンマーでは現状、右側通行の路上に右ハンドル車と左ハンドル車が混在することにより事故が多発している。そこで政府議会に右ハンドル禁止動議が提出されたわけだが、去年の十二月に否決された。これには日本政府の対ミャンマー政策もいくらか功を奏したようである。
ミャンマーの中古車市場はもともと大量の在庫を抱えて薄利多売の状態であったうえに、政府の方針がしょっちゅう変わるので買い控えが起こっていた。とりあえずミャンマーで日本の中古車が販売できなくなることはなくなったが、ミャンマー人の関心は次第に左ハンドル車に移ってきている。完全に右ハンドルを禁止するのは二十年先なのでまだ時間の余裕はあるが、政策転換によって著しく変化する不安定な市場であることに変わりはない。
「いまのうち車売っとかないとね。いつまで商売続くかわからないよ」
リュウ社長の見通しは暗い。ここは買い控えていた客に付加サービスをかけて呼び戻しをはかるタイミングに来ているようだ。ただし方向性を見誤れば淘汰されていくのは必至である。
「当面は独自の自動車ローンとか自動車保険、洗車や整備などのアフターケアがかなめになってくるでしょう。必要な援助があればナナミにも打診して、可能な限り協力できるよう配慮します」
と、私が提案すると、
「それもいいんだが」
リュウ社長はリさんと何やらごそごそと相談している。リさんがあとを受ける。
「社長はもっと手っ取り早く大々的にダゴンをアピールしたいと言ってます」
テレビコマーシャルでも始めるつもりか。言って悪いがたかが零細中古車ディーラーである。
「何かいいアイデアでもあるんですか」
リュウ社長の相好が崩れる。
「そうね、実はね、ほらあれ。日本語で何て言う、トレジャーハンター」
ん? 映画や小説に出てくるあれか?
リさんがアシストする。
「コーコガクシャ」
なんだ。考古学者か。
「そうそうコーコガクシャ。ワタシ、シュリーマン先生尊敬してます。シュリーマン先生商売でたくさんお金儲けた。そのお金使ってトロイア見つけた。ワタシその逆ね。すごいの見つけて商売宣伝してお金たくさん儲ける」
いささか動機が不純な考古学者である。
シャン高原の空港に着いたのは夜の七時である。空港そばの空き地に乗り捨ててあったハイエースでリュウ社長の別荘に向かう。三十分ほど田舎道を走り、川を渡ったとこでロータリーに出る。サーチライトが案内板を照らす。
ALAOZAR VILLAGE OF THE GOLDEN TRIANGLE
「ゴールデン・トライアングルですか、ここは。麻薬造ってるんじゃないんですか」
とんでもないところに連れて来られた。リュウ社長に食ってかかる。
「ハハハハ、いまはそれない。代わりにお茶とか作ってるよ」
リュウ社長はこちらの不安を受け流すが、リさんによると政府の取り締まり強化で茶やサトウキビへの転作が進められているなか、いまでも山の中に自生しているケシを村人が勝手に採取精製して使用しているらしい。
道路が未舗装状になり、車は山と山の間を縫うように走る。トタン屋根の家が両側に点在して見える。貧しい地域であることがわかる。ロータリーを通過してから一時間たらずで別荘に着く。元藩王の屋敷というだけあって白堊の立派な二階建てである。中にはいると、紫を基調にしたあでやかな民族衣装をまとった女性が迎えてくれる。社長の奥さんである。やっとミャンマー人らしい人と知り合えた。上は半袖のボタンシャツで下はロンジーという長スカート、中背でほっそりとした体型である。栗色の髪は結いあげられてあやめ色のリボンでとめてある。化粧は濃いが目がくりくりしていて、キャラメル色の肌に艶がある。ここいらの人は辛い物ばかり食べて老化が激しいんじゃないかと思ってたら、とんでもない誤解である。おもわず冨士野クンも、
「奥さん、若くておきれいですね」
と、ほめる。まんざらお世辞に聞こえない。
「あら、いやです。もうおばあさんですよ」
日本語学校できちんと勉強しましたよというようなきれいな言葉の使い方をする。
「主人より七つ年上ですから」
冨士野クンと顔を見合わせる。すると六十半ばは超えているのか。とてもそうは思えない。奥さんがどんどん美人に見えてくる。しばらくぼうっと見惚れていると、一瞬冨士野クンの視線を感じてたじろぐ。
食堂に通される。大皿に盛られた色とりどりの料理が円テーブルに並べてある。やっと郷土料理にありつける。この感激を大きくするために、私も冨士野クンも昨日今日とカレーでしのいできたようなものである。豚肉と茎野菜の炒め物、鶏肉を細かくほぐしてからめた白い麺、川魚のスパイス揚げ、ムキエビを使ったサラダもある。こんな辺鄙なところで海の物を調達するのは大変だろうに。もてなしが心づくしであるのをさりげなく主張している。こういうときに材料が傷んでないかとかいちいち気にするのは野暮である。
私とリュウ社長、冨士野クンと奥さんがそれぞれ交互に座る。入り口側席をリさんとウさんが埋める。
「お飲み物は何になさいます?」
奥さんがたずねる。
「ビールあるよ、ビール」
と、リュウ社長がすすめる。
「じゃあお言葉に甘えていただきます」
ウさんが青いラベルの冷えたビンを持ってきてくれる。全員に一本ずつ渡ったところで乾杯。冨士野クンもこの三三〇mlサイズ一本ならいける口なのである。それにしても前に置いてある小皿にはいった茶色のネバネバした液体は何だろう。奥さんがすすめる。
「どうぞ先にそれを飲んでみてください」
香ばしいスープの表面に油がいくつか浮かんでいる。おそるおそる匙ですくって口に運ぶ。濃厚だけどキレがある。うまい。
「何ですか、これ」
「ケシの実スープです」
ゲッ、もう飲んじまったぞ。
「ケシの実って、アヘンですか?」
「安心してください。これは麻薬じゃありません」
「コレハマヤクジャアリマセン」
日本語学校の生徒のように復唱する。やれやれ、いきなり出てきたぞ、とんでもない物が。もうこうなったらなるようになれである。
六人では食べきれないと思っていた料理だが、リさんとウさんの食べっぷりがすごい。彼らが食事しているのを初めて見たが、どうりでふたりともお腹が出ているはずだ。よくこれだけの物を詰め込めるなと感心するほどの量を片っぱしから平らげていく。全員たらふく食ったところで、奥さんがこの地方に古くからある伝説を語ってくれる。
昔、北のかなたに若い王さまと王妃さまがおりました。あるとき戦争があって、火の手は王さまと王妃さまの住んでいるお城のすぐそばまで迫りました。王さまは王妃さまの身を案じて、お城の外へ逃げるよう命じました。若い王妃さまは王さまのことをとても愛しておりましたので、別れがつらくてなりません。王さまは王妃さまに、
「もし私の身に何かあっても、お腹の子を私だと思って大切に育てるのだよ」
と言ってなぐさめました。王妃さまは王さまの子を宿していたのでした。王妃さまは王さまの言いつけに従い、お付きの者と一緒に南へ南へと逃れました。その後若い王さまの国は戦争で滅ぼされてしまいました。
行くあてもなくさまよう王妃さまを、とある国の年老いた王さまが見そめました。もうお腹の子がだいぶ大きくなっていたので、王妃さまは年老いた王さまの国に落ち着くことにしました。
それから若い王さまと瓜ふたつの男の子が生まれました。王妃さまは若い王さまとの約束を守り、王子を愛する夫と思い大切に育てました。けれども年老いた王さまの愛は受け入れようとはしませんでした。
やがて王子は父と同じようなりりしく立派な青年に育ちました。そして年頃の姫さまをめとりました。輿入れして来た姫さまは王妃さまにたずねました。
「私は王子さまに愛されてとても幸せです。私も王子さまを愛しております。王妃さまはなぜ王さまの愛をお受けにならないのですか。王さまが年をとりすぎているからですか」
王妃さまは姫さまをやさしくさとしました。
「若い頃の恋はいっとき激しい炎をあげます。けれども燃えさかる炎はときに切なくはかないもの。やがて若かりし頃の情熱は美しい思い出として胸に秘め、熾火のように昔を偲ぶよすがとなるのです。長い一生を恋の情熱に駆られて過ごすには、私たちはあまりに脆くできているのですよ」
王妃さまの一生は長くはありませんでした。そのうちに病にかかって亡くなってしまいました。
姫さまは王子と末永く一生を添い遂げるつもりでおりましたが、あたかも王妃さまの言葉が啓示のようになり、王子はいくさに出かけて死んでしまいました。悲しみにくれた姫さまはすでに王子の子を身ごもっていましたので、お腹の子を亡くなった王子と思い大切にすると誓いました。やがて王妃さまと瓜ふたつの王女が生まれました。
王女が美しく成長した頃、この国が戦争に巻き込まれました。年老いた王さまはさらに年老いておりましたが、王妃さまにそっくりな王女をこよなく愛していましたので、忠実な家来である森の民に王女の身柄を託しました。森の民はお城の外の森に住んでいる屈強な戦士の集まりでした。森の民はかつて王子が森に建てた塔の中に王女をかくまいました。年老いた王さまはあらゆる国に向けておふれを出しました。
「われは死すとも森の民は死せず。いとしき王女を手に入れたくば、森の民を打ち倒してみよ。倒せた者にこそ王女は与えられるであろう」
その後年老いた王さまのお城は攻め滅ぼされてしまいましたが、勇敢な森の民はよその国のどんな攻撃にも屈しませんでした。彼らは闘争心を高めるために不思議な薬を使っていると恐れられていました。
時がたち、塔にかくまわれている美しい王女の噂を聞いた藩王が、森の民に戦いを挑みました。奸智にたけた藩王は、まず森の民が薬の原料として育てている白い花を焼き払ってしまいました。戦意を失った森の民は、藩王に率いられた軍隊にあっけなく倒されてしまいました。森の塔に辿り着いた藩王は、王女を連れ出そうと中にはいりましたが、そこに王女の姿はなく、あるのは白い骨ばかり。壁にはメッセージが彫られていました。何て書いてあったと思います?」
いきなり謎なぞを出されて、あまりまともに考える気がしない。こういうときの渉外はそとづらのいい冨士野クンの役目である。さっそく振ってみると
「センセ、私よくわかりません」
冨士野クンにも気の利いた答えは思い浮かばないようである。奥さんが答えを教えてくれる。
「こう書いてありました。『見つけてくださいまして、ほんとうにありがとうございました』」
どうリアクションしてよいやら。
これって笑い話のオチなのか。シリアスなおとぎ話なのか。何とも拍子抜けする幕切れである。
「今度はワタシの番ね」
リュウ社長が奥さんの話のあとを引き継ぐ。リさんに合図を送って促すと、リさんが話の口を切る。
「社長はここから奥の山の上のほうで一軒の住居を見つけました。中にはいると誰もいませんでした。驚いたことに棚の上にはいくつもの髑髏が飾ってありました。恐ろしいので急いで逃げようとしましたが、あたりに人の気配はありませんでした。昔この地方に首を狩る風習のある部族がいたことは知られていましたが、誰も見たことはありません。その部族はいろいろなまじないを行っていたと言われます。なかでも奇っ怪なのが自分たちの血を子孫に残していくための儀式で、生け捕りにした敵のつわものを女の前で殺し、そのすぐあとに性交をして、つわものの魂を女の腹の中に宿らせるというものです。見つけた住居はこの首狩り族が住んでいたもので、飾られていた髑髏は殺されたつわものの首だったに違いありません。その裏付けを探すために明日山へ行ってみようと思うのですが、ここはぜひ先生にも付いて来ていただいて現場を先入観のない目で見てもらいたいのです。そして住居が首狩り族のものである確かな証拠をつかみたいのです」
またとんでもない提案をしてくるものだ。思いっきり難色を示す。
「興味深いお話ですが、考古学とか民俗学とかそちらの方面はさっぱりですよ」
「あなたは先生じゃないのですか」
「私ですか? 冨士野クンがセンセ、センセと呼んでいるだけでセンセイジャアリマセン。
ただのしがない中古車ディーラーの広告屋が日本車の売り込みに来ているだけですよ。だいいちこんな格好じゃ山歩きは無理です」
そこですかさずリさんとウさんが、
「ダイジョブ、ダイジョブ」
と、両手を上下にひらひらさせる。
「山の上のほうだけど歩きじゃないです。その格好で十分ですよ。見ていただくだけでいいですから」
「でも亜熱帯のジャングルでしょう。どんな危険が潜んでいるかわからない。首狩り族が襲ってきたらどうするんですか」
ここはリュウ社長が応じる。
「それ心配ない。あのときの感じではもうあそこ人住んでないと思う」
「思うじゃ困るなあ。ひと晩考えさせてくれませんか」
なりゆきにまかせるしかないと腹をくくっていたはずだったが、ミャンマーに来たそもそもの理由を考えると、命を張ってまでリュウ社長の夢に付き合う必要があるのだろうか。
歓迎の晩餐がお開きになり、私と冨士野クンは二階の寝室へ案内される。先に冨士野クンの部屋の様子を見てみる。窓は私たちが通ってきた村のほうを向いていて見晴らしがよさそうだ。次に私の部屋。窓はすぐそばの山側を向いている。どちらの部屋も泊まっていたホテルの部屋よりひとまわり広い。ベッドはダブルでシャワーも付いている。
「それじゃセンセ、おやすみなさい」
冨士野クンの疲れた体からたちのぼる酸っぱい体臭が、女の甘い匂いと入り混じって鼻をくすぐる。ビールの酔い心地のなか、刺激的なフェロモンにムラムラしてくる。冨士野クンのあとを追う。
「さっきのリュウ社長の誘い、どう思う?」
こちらの抑えがたい下半身の欲求を察知してか、冨士野クンは冷たくあしらう。
「いやだセンセ。そんなのひとりで考えてらして」
「せっかくこういう落ち着いたところに来てるんだから、もうちょっとおおらかに、のんびりと」
「センセ酔ってる。旅の恥はかき捨てと思ってません?」
扉がバタンと閉められる。
「君のこと、そんなふうに思ってないよ」
本心でもないがドア越しにムキになる。酒の勢いで妙な格好をつけてしまって極まりが悪い。自分の部屋に戻る。
下着一枚になってベッドにうつ伏せに倒れる。もうシャワーを浴びるのも面倒くさい。足だけでも洗いたいんだけどな。どっと疲れが出る。
どのくらい時間が経ったのかはっきりしない。さっきから扉が軽く叩かれているみたい。ここどこだっけ。頭の中がぼうっとして焦点が定まらない。思い出した。リュウ社長の別荘だ。明かりを付けたまま寝入ってしまったようだ。あかぬけた部屋の内装に遠い外国の片田舎に来ている感じがしない。もう真夜中なんじゃないだろうか。扉はしきりにコツコツ音をたてている。うす気味悪いが、大きな屋敷の私の部屋に魔物が訪ねてくるいわれはない。仕方がない。放っておくわけにもいかず、気は進まないが起きあがり、扉のほうへ歩み寄る。
ノブをまわすと外には奥さんが立っている。首をかしげてにっこりと微笑み、栓のあいたビールを二本、どう?とばかりに前に差し出す。魔物ならぬ美女の登場に、にわかに心は晴れ晴れしく、そこはかとない期待を胸に部屋に招じ入れる。
「ごめんなさい。お休みでした?」
「いえ。少しうとうとしてました」
ビールを一本受け取る。ふたりしてベッドの上に腰かける。
「さっきの話ですけど」
奥さんはビールをビンごと傾けながら、息が吹きかかるくらいにまで距離を縮めてくる。
「ぜひ明日の主人の調査に付き合ってくださいません?」
奥さんと目を合わせながら私もちびちびやる。さっきのよりアルコール度数の高いストロングタイプだ。
「ここはとてもいいチャンスだと思いますのよ。幻の首狩り族の住居発見となれば、うちの主人はとても有名になるでしょう。それが何より商売の宣伝になります。どうか私たちに力を貸してください。あなた、そのためにこちらへいらしたのでしょう?」
「まあ、それはそうですけど」
おもわず目を伏せる。何の力になれるかわからないからおよび腰なのである。奥さんの膝が私の足に触れかかる。目線を上にあげる。年に似合わず形のよさそうな胸。趣味のよい香水が情欲の念をかきたてる。
「首狩り族の性の儀式、どんなふうにやるかご存知?」
「いえ」
「教えてあげるわ」
奥さんはビールをサイドテーブルに置くと、穿いていたロンジーを脱ぎ捨てる。束ねた髪をさっとふりほどき、ベッドにあおむけになる。紫色のショーツを脱ぎ捨て、膝を立てたまま股間を開き、指先でぽんぽんと叩く。
「さあ、ここに来て。頭を入れて」
私は持っていたビールをひと息にあおる。誘われるままに股間めがけて顔を近づける。
甘酸っぱい匂い。
秘部から粘っこい液が溢れている。
すると両の腿でギュッと絞め込まれる。
心地よい圧迫感。
しばらく絞めて、ふっと力を抜く。
またギュッと絞める。ふっと力を抜く。
「おわかり?」
ふたたびぐいっと股に力を込める。
そして力を抜く。
「こうやって相手の首を絞めて窒息させるの」
また力を入れる。
「それから首を斬り落として、ここにたっぷり血を塗り込めるのよ」
力を抜く。
「そのあと旦那さまがはいってくるわ」
力を入れる。
奥さんは股に力を入れたり抜いたりを繰り返す。あるときほんとうに首が絞まるんじゃないかというくらいきつく絞める。
「んぐぐっ」
それからまたふっと力を抜く。
今度は少しやさしく絞める。
また力を抜く。
だんだん陶然としてくる。
「どうです、気持ちいい?」
「ううっ。もっと、もっと」
「主人と一緒に行ってくれます?」
「行く、行く」
「約束する?」
「する、する」
なんだか感覚がおかしい。
意識のコントロールがきかない。
部屋がぐるぐるまわってるみたいだ。
酸欠状態が続いて頭がおかしくなったか。
そういえばビールの栓はあいていた。
しまった、盛られたか。
次第に気が遠くなる。
四 首狩り族の住居
朝はリさんが起こしに来た。身じたくをして飯を食ったら出発だという。奥さんに約束したことがもう既成事実になっている。階下へ降りるとリュウ社長とウさんが豆ともち米を蒸したものを食べている。女たちはまだ起きていない。ちょうどいい。どちらとも顔を合わせたくない。コーヒーの香ばしい香りがする。飯をすすめられるが食べる気がしない。のどが少しヒリヒリする。
外はようやく明るくなってきた感じだ。一一〇ccのバイクが二台用意されている。リュウ社長はウさんバイクのうしろに、私はリさんのバイクのうしろに乗る。うしろの者がリュックを背負う。
「山のほうは車がはいって行けるところじゃないし、あと気を付けておいてほしいのは、あなたのような日本人が勝手にはいっていい場所じゃないってことです」
どうやら麻薬密輸の取り締まりのことを言っているらしい。ここいらは深い谷である。いまは朝の七時だがむっとしている。
奥の山地を目指す。バイクの進む道がだんだんと険しくなる。家も人影も見当たらない。まわりは草と木ばかりである。少し傾斜がなだらかになったかと思うと、今度は下りである。さらに進んで、この山に向かっているのかなと思っていた山をすでに三つほどやり過ごす。未舗装状の道の振動がめっぽう尻にこたえてくる。さらにふたつ山を越えて、登り坂が平坦になったところでバイクが止まる。
森の中へとはいって行く。道らしい道はないが鬱蒼としておらず、なだらかな地平に木はまるで植林されたように整然と生えている。別荘がある谷よりも涼やかで、高原という言葉がぴったりである。
五分ほど進むと、ひらけた空間に長方形の平屋が建っている。別荘を出てから二時間が経過しているが、建物を目にするのは久しぶりだ。屋根は藁ぶきで、外まわりは幅二〇センチほどの木の板が縦に並んでいるだけの粗末な造りである。中にはいってみる。うす暗いので懐中電灯をつける。空気が澱んでいて埃っぽい。大人が五、六人暮らせそうな広さである。中央に炉がある。壁にしつらえられた棚に髑髏が並べられている。全部で九つある。背後から何かが襲ってきそうで言葉が出ない。
住居の裏へまわる。レンガ造りの円形の建造物がある。高さは七、八メートルくらい。見上げるとどこからともなくケケッ、と鳥とも獣とも知れない声が響く。建物にレンガを使うのはこの地方では中国式だそうだ。原始的な住居と不釣り合いな外観。はて、何か引っかかる。異なる文化の混在。頭の中がモヤモヤする。扉にかんぬきが掛けてある。あけて中を覗いてみる。四畳ほどのスペースがある。天井は吹き抜けで、青空の下を足早に通り過ぎていく雲がここが高地であることを思い出させる。外から舞い込んだ木の葉が地面に積もり、壊れたレンガが足の踏み場もなく散らばっている。
「何に使ったんでしょうね」
リさんの言葉をきっかけに、頭の中のモヤモヤが動き始める。突然、啓示のようにゆうべ奥さんが語ってくれた伝説が思い出され、モヤモヤに光が射す。目の前にある建物の構造と伝説の内容とが合致していき、モヤモヤが払拭され晴れ渡っていく。
「これ、きっと塔ですよ。伝説の王女をかくまっていた」
リュウ社長が色めきたつ。
「何、塔だって?」
「中を見てください。レンガがいっぱい落ちているでしょう。外壁の保存状態を考えるとこれは外側が崩れたんじゃなくて天井が崩落したんだ」
さっきの住居に住んでいた首狩り族が、伝説の森の民に違いない。とするとこのかんぬきはどう説明したらいいだろう。もしかすると王女はかくまわれていたというよりも、勝手に外へ出られないよう見張られていたのかもわからない。森の民が戦意を昂揚するために使っていた薬というのはおそらくアヘンだろう。とすると伝説で藩王が焼き払ったという白い花はケシになる。まだ何か残っているかも知れない。
「少しあたりを調べてみましょう」
住居からさらに奥を探索すると、急に視界がひらけて遠くの山々が見渡せるようになる。まわりの様子からここが山地の尾根であることがわかる。斜面には藩王が焼き払ったはずのケシがしたたかに根付いて、谷を吹き渡る風に揺れている。
住居のほうへ戻り、頭の中を整理してみる。伝説の年老いた王は僕である森の民に王女を守らせた。森の民は勇猛果敢な戦士の集団であったが、その闘争心はケシの実から造られるアヘンをよりどころにしていた。出産適齢期を迎えた女は捕えた敵のつわものを股で絞め殺し、そのあとに性交してつわものの魂を胎内に宿らせる術を施していた。昨晩の奥さんとのやり取りから察するに、つわものにはたんまりアヘンを与えて抵抗できないようにしていたのだろう。つわもののほうもむしろ陶酔のうちに女の股に導かれておとなしく殺されていったのかも知れない。こうして戦士の血は脈々と受け継がれて他国からの攻撃を退けた。あるとき森の塔にかくまわれた美しい王女の噂を聞きつけた藩王が、森の民に戦いを挑んだ。藩王は森の民の闘争心の源であるケシを焼き払い、戦意を削いで攻め滅ぼした。しかし塔にかくまわれているはずの王女はとうに死んで白骨化していたのだ。
自説を開陳すると、リュウ社長が大きくうなずく。
「それで王女の骨はどうなった?」
そこが問題である。伝説は藩王が塔の中で白骨死体を見つけ、壁に彫られた王女のものと思われるメッセージを読んだところで唐突に終わる。
「塔の中を調べましょう」
もう一度塔へ戻り、内壁にメッセージが残されていないか入口からライトで照らして確かめる。だがそれらしきものは見つからない。
「藩王が塔へ踏み込んだのは森の民を滅ぼしたあとでした。あたりには死体が散乱していたと思われます。いくら王女とはいえ朽ち果てた死体なんかその場に放置して引き揚げたに決まってます。きっとこの中にまだ埋まってますよ。それを見つけさえすればここが伝説の塔であった決定的な証拠になります」
「よし掘ってみよう。でもちょと待て。危ないかもよ」
リュウ社長がウさんに指示を出す。ウさんがそこいらから長い棒きれを見つけてきて、レンガが散らかった地面をあちこちバンバンと叩く。すると枯葉の中からガサガサッ、とのたうつものが出てきてこちらに飛びかかってくる。
「ひいいっ」
ぶつかるかと思いきや、私たちの足元を抜けてするすると塔の外へ逃げていく。体長一メートルほどの灰色のヘビである。ほかの三人は何だおどかせやがってくらいにやり過ごしてレンガを片付け始めるが、こちらは恐ろしくてすぐにでも逃げ出したい。
ひととおりレンガを外に運び終わって昼飯である。リさんがリュックから包みを取り出す。中には麺棒のような揚げパン。水筒は四人分が用意されている。
作業を再開する頃にはちょうど太陽は真上にあって、塔の中の地面を隈なく照らしていた。枯葉を取り除いたあと、リさんとウさんが土にスコップを入れる。私とリュウ社長は外から見守る。一時間ほど掘り進めたところでリさんが声をあげる。何か見つけたようだ。期待していた通りのものが形を現わし始める。リさんとウさんが頭蓋骨を掘り当てた。土をふり払うと後頭部あたりが異様に突き出ているのがわかる。奇形だろうか。流線型の美しいフォルムである。リュウ社長が包みにくるんでリュックにおさめる。これで十分と判断したのか、引き揚げの合図を出す。
ついにやった。私たちは伝説が事実であったのを証明してみせたのだ。
別荘に戻った頃には陽はだいぶ傾きかけていた。バイクの音を聞きつけて奥さんと冨士野クンが玄関先まで出迎えてくれる。冨士野クンは奥さんと同じような民族衣装を身に着けている。うすもも色のロンジーを穿いて髪を同じ色のリボンで纏めた姿はまるで少女のようだ。リュウ社長はヤンゴンの知り合いの記者に連絡すると言っている。私はシャワーを浴びる。替えの下着とバスローブが用意されている。
しばらくくつろいだあとで祝いの晩餐である。リュウ社長がビールで乾杯の音頭をとる。
「伝説が本当にあった話だなんて信じられません」
奥さんはわが子を自慢するように私の洞察力をほめる。昨日奥さんの腹の上でもがいてたのを思い出してくすぐったい。
「木造の住居とレンガ造りの建物が混在してたでしょ。とても違和感があって、それでピンときたんです。習俗の異なるふたつの文化の思惑が交錯してるんだって。ミャンマーの道路事情とおんなじですよ。伝説の年老いた王は王妃のことを愛していたけど、受け入れられないまま王妃が死んじゃった。それでおそらく王妃に生き写しの王女を愛することで、叶えられなかった思いを慰めた。曾孫ほど歳の差があるものだから、争いに巻き込まれて王女をかくまうにもよそ目を気にして、習俗こそ違うものの忠実な家臣である森の民にまかせることで醜聞をまぬがれようとした。一方で森の民は与えられた任務を誇りに思い、王女の身の安全を確保するために自由まで奪った。年老いた王の寵愛に振りまわされた塔の中の王女は、かわいそうにかんぬきまでかけられて監禁状態だったと思いますよ」
リさんはすばらしいの「す」を伸ばし気味にして称賛する。
「やっぱり先入観のない人に見てもらうと違いますね。僕たち地元の人間ではなかなか気の付かないことがわかるんですから」
リュウ社長が相槌を打つ。
「日本人は頭いいよ。だからワタシ目を付けたよ」
そこへ冨士野クンが疑問の矢を放つ。
「塔の中には王女の頭蓋骨だけがあったんでしょう。ほかの骨はどうなりました?」
リさんとウさんが顔を見合わせる。たぶん、とリさんが推理を働かせる。
「病気か年とって弱ってしまって、生まれ変わりの儀式やったんじゃないですか。それで首を斬り落として、首だけ塔の中に置いといた」
私は唸った。
「なるほど。藩王が見つけたのも王女の頭蓋骨だけだったんだ」
「あの辺を掘り返したら藩王に殺された連中の骨がごろごろ出てきますよ。きっと」
仮説の展開に熱中する。
明日は夕方からヤンゴンで記者会見の予定である。
夜もだんだんと深まってきた。奥さんは、
「そろそろお休みなさいます?」
と、私と冨士野クンを気遣う。私たちは食事のお礼を述べて引きさがる。
冨士野クンを部屋まで送る。
さっき外から帰ってきたときは冨士野クンのいでたちについて何も言わなかった。ここでとっておきのお世辞を言う。
「とてもよく似合っているね。好きだよそういうの。清楚な感じがして」
冨士野クンは軽く礼を言って照れ笑いしている。
「今夜はミャンマー最後の夜だよ。どう、もう少し一緒に」
「だめですって、センセ。夜のふたりきりは」
返事のあとが含み笑いだっただけに、まんざらでもないんじゃないかと思ってスイッチがはいる。
「君、そんな清楚ななりして、男は気があると思うじゃないか」
「私、センセの気を引こうと思ってこんな格好してるんじゃありません。勘違いしないでください」
そうでしょう。そうでしょうとも。当然そういう答えが用意されてるでしょう。ふん。三十過ぎて清純ぶってお高くとまってるが、それじゃあこの前の忘年会は何だ。女だてらに人前でまわし締めて裸さらして。そういえば冨士野クンのパイオツは拝ませてもらったが、それは会社の同僚もおんなじだ。けれど一番大事なところはまわしを締めた出島だけが見ていてこちらは拝ませてもらってない。うっぷんがこみあげてくる。
「出島に見せられて私には見せられないのか」
冨士野クンは目をまんまるくしてハアッと息を吸い込む。口は啞然と開いたままである。フォローしようとしたが、たちの悪い酔漢を振り切るように部屋へ逃げ込もうとする。その反抗的な態度についカッとなる。
「何を清楚な行かず後家」
「何ですって!」
扉がビシャッと閉まる。
やってしまった。
五 ヤンゴンでの記者会見
ヤンゴンでの記者会見には、私たちが泊まっているホテルにほど近い湖畔の高級ホテルの広間が貸し切られた。午後六時からの開始予定であったが、次第に反響が大きくなってプレスの数もどんどん増え、二十人を超えたところでテレビカメラまで導入されるというので、さらに大きな広間への移動を余儀なくされた。結局、開始OKのサインが出たのは七時半をまわってからだった。成田への帰り便は九時四五分定刻である。もうあまり時間がない。
壇上のメンバーが紹介される。リュウ社長と私、それに通訳としてリさんがそれぞれ挨拶する。まずリュウ社長が今回首狩り族の住居を調査するに至ったいきさつを述べる。リさんはそれを逐一私に訳してくれる。
「私はダゴントレードセンターで日本の中古車販売を営んでおりますかたわら、シャン高原に住んでいたとされる首狩り族について独自に調査をしてまいりましたが、このたび日本から招きましたビジネスパートナーが考古学者の肩書を持っていて」
おいおい、そんなこと誰も言ってないよ。リさんのほうに向かってしかめ面すると、テキトーに流してくださいと制される。
シャン高原に伝わる伝説が紹介され、伝説中の森の民が実は首狩り族であると指摘した私の貢献が語られる。ここで発掘した頭蓋骨がプレスの前に置かれる。驚嘆の声とフラッシュの嵐。説明の途中ではあるがすぐさま質問の手があがる。
「そちらの頭蓋骨は後頭部が異常に発達しているようですが」
しばらく間をおいたあと、リュウ社長がもったいぶって口を開く。
「おそらく宇宙人のものでしょう」
いっせいにどよめく。
ちょっと待ってくれ。その仮説、確かに昨日の晩餐で盛りあがったが、今ここで言うべきことじゃないだろ。
リさんがなだめる。
「勢いですよ。みんな髑髏見て興奮してる。風が吹いてるときに攻めとけば、あとはこっちのもんですよ」
うちの西川所長とおんなじこと言ってる。
「伝説の初めの部分に、若い王妃は北のかなたからいくさを逃れて来たとありますが、地球ではなくほかの天体からやって来たのではないかと思います。王妃の子どもである王子が父親そっくりで、そのまた娘が今度は母親そっくり。つまりこれは宇宙人の血が地球人の血よりも優性的に隔世遺伝した結果、このような地球人とは異なる形状の頭になったのではないかと想像されます」
リュウ社長の勢いはとどまるところを知らず、気炎をあげてプレスを煙に巻いている。
ここで手があがる。日本の考古学者の立場から私の見解を聞かせてほしいという。やばい。こちらに火の粉が降りかかってきた。言わんこっちゃない。仕方ないので、そうじゃないですか、とテキトーに受け流しておく。また手があがる。私の考古学者としてのこれまでの活動実績が知りたいらしい。コメントの信憑性を疑っているようだ。もうダメだ。フォローしきれない。いよいよ化けの皮が剝がれる。リさんどうしよう。
「テキトーに話作っちゃってください。ダイジョブ。ここは外国だからバレませんよ」
そのテキトーなことほどこういう切羽詰まったときに何も思い浮かばないんだよ。天を仰ぐ。ええい、ままよ。
わが国でとても有名な侍である源義経は、兄の源頼朝と対立し、追っ手に追いつめられて日本の東北地方で自害したとされておりますが、実は義経は死んでおらず、生きて中国大陸に渡り、チンギス・ハーンと名乗って、モンゴル帝国の創始者になったという伝説があります。チンギス・ハーンなら皆さんもよくご存じでしょう。ふたりは活躍した年代も一致していますが、私はこの伝説が真実であることを、チェコの作曲家マルティヌーの歌曲「ニッポナリ」に隠された暗号を解くことにより裏付けたいと思います。
「ニッポナリ」は全七曲で、日本の古い短歌をドイツ語に翻訳したテキストからさらにチェコ語に訳した十七首より、作曲者が選んで曲を付けたものです。この「ニッポナリ」の第三曲のオリジナルは、吉備真備という八世紀の役人が詠んだ歌とみなされていますが、どうもその原歌がはっきりしない。というのも日本には吉備真備の歌が残されていないのです。なぜ日本に残されていない歌がドイツにあるのか。そこで注目したのが吉備真備と源義経との関係です。
吉備真備は日本からの使いとして中国に渡り、兵法書『虎の巻』を持ち帰って広めたと言われています。源義経はこの『虎の巻』を持っており、指南書として重宝していたことが知られています。もしチンギス・ハーンが源義経だったとすれば、大陸へ渡ってからの戦いの場にもこの兵法書を逆輸入して用いることで、モンゴル帝国を築きあげるのにさぞかし役に立ったでしょう。そして彼の『虎の巻』には歌が書き残されていて、それがおそらくハンガリー経由でドイツに伝わったのではないかと推測されるのであります。
そもそも私が吉備真備と源義経の関係に着目したのは、「ニッポナリ」七首中に静御前の歌が含まれていたからです。静御前は源義経の恋人で、追われる身となった義経に同行しておりましたが、雪深い吉野という山に来て恋人の行く末を案じた義経が、静御前と別れる決心をします。「ニッポナリ」の静御前の歌は、そのときの別れの悲しみを歌ったものです。
吉野山峰の白雪踏みわけて入りにし人のあとぞ恋しき
時系列でいうと静御前の歌は、義経と別れたあとに義経を追慕して詠んだことになっておりますので、静御前の歌を義経が知るはずはない。けれども女というのはしたたかで計算高いものです。恋人に溢れる思いを打ち明けず、自分の胸におさめておくでしょうか。やはりどうしても愛のメッセージとして直接伝えたいと思うのではないでしょうか。そうすることにより、たとえ別れが永遠のものになろうとも、自らの思いを相手の心に刻み込むことができる。さらにそれを際立たせるために、別れたあとで募るであろう寂しさを、あえて別れ際に訴えて、心をわしづかみにしようとする。己の姿が相手の心に消えず残っていると信じることこそ、愛する人への追憶の寂寥を慰めるよすがとなるのです。
吉野山の峰の白雪を踏みわけて姿を消して行ったあの人が恋しい
このようにしてふたりの思い出を美化し、永遠のものにしたのではないでしょうか。
ここで再び吉備真備が登場します。「ニッポナリ」で吉備真備作とみなされている歌の内容はこうです。
風は私から葉も花もすべてを奪った
五月は死に絶えた それはとうの昔から
青ざめて口もきかなかった
ただ私の絹の衣の袖には残っている
梅の花の甘い香りだけが
これ、衣に残った香りから昔の恋人を追想していますよね。もしかしたらこの歌は、源義経が尊敬する吉備真備の名を借りて詠んだ、静御前を偲ぶ歌ではないでしょうか。というのも、「ニッポナリ」の中に源義経ゆかりの人物の歌が二首も登場する。これは単なる偶然か。むしろ吉備真備と静御前のふたりの名前が揃っていれば、これらを結び付ける源義経の存在がおのずと浮かびあがってくるのではないか。そしてさらに空想を飛躍させるならば、「ニッポナリ」の収録歌はチンギス・ハーンこと源義経が戦いに明け暮れる日々のなか、静御前や遠いふるさと日本の美しい思い出として大切に懐中していた詩であり、そののち彼の手を離れて遠く欧州にまで羽ばたいていったのではないか。生きているうちはつらい別れを経験しなければならなかった源義経と静御前の魂が、詩という思い出の衣をまとってひとつになり、ユーラシアの野山を駆けめぐったのではないかと想像するのであります。
一気にまくしたてた。水を打ったように静まり返るプレス。やがて温かく惜しみない拍手が巻き起こる。リさんの通訳がどこまで正確に伝わったかわからないが、日本のサムライ源義経が海を渡ってチンギス・ハーンになった。その伝説が真実である理由を日本の古い詩をもとにした西洋の歌曲に求めた、くらいの理解は行き渡っている手応えがある。
やった。またしても素人の推論が脚光を浴びた。痛快このうえない。事実の裏付けはどうあれ、静御前が義経と別れたあとの追憶の寂寥のくだりはいい線いってるんじゃないかと思う。静御前は白拍子だったから、恋人との別れ際に気の利いた歌のひとつくらい送っているはずだと考えたのだ。
「すごいですね。みんなカンドーしてますよ」
「ありがとう。きっとリさんの通訳がよかったんだよ」
実はこのアイデア、リュウ社長の奥さんから伝説を聞かせてもらったときから頭の中で少しずつ発酵していた。それが追いつめられた状況になって急速に形をとってまとまり、口をついて出てきたのである。まあ勢いでしゃべったので多少強引というか、口から出まかせの責めはあるが。
ここで時計を見る。もう八時半を過ぎている。フライトまで時間がない。入り口のほうを見ると冨士野クンがウさんと並んで立っている。動物の曲芸でも見るような視線である。プレスからまた手があがる。なぜ頭蓋骨が宇宙人のものであると思うのか、その根拠を聞かせてくれという。これ以上かまっていたらいつボロが出るや知れない。それに飛行機の時間にだって間に合わない。リさん、ごめん。ここは何とか取り繕って。
ひとりそそくさと退席し、プレスの人波をかき分ける。ウさんの誘導に従って慌ただしく車の中に滑り込む。冨士野クンもあとに続く。
ヤンゴン国際空港のチェックインカウンターに着いたのは出発三十分前の午後九時十五分。何とか間に合った。ウさんに礼を述べて国際線の出国ゲートに向かうが、ゲート入口から溢れる長蛇の列。万事休すと思いきや、ウさんがすかさず搭乗者以外立入禁止のところまで私たちを引っ張っていって、列の中へと割り込ませる。ひんしゅくものである。あとはこの人の仕業ということにしておいて、知らん顔するよりほかはない。それでもちらとうしろを振り向くと、右手を軽くさしあげてサヨナラのポーズをとるウさんの姿がなんだか仏像のように見えた。
エピローグ 機内で
冨士野クンは朝からひと言も口をきいてくれない。機嫌を損ねてるのはわかっている。隣でおとなしくしてくれてるだけでもましである。
キャビンアテンダントが飲み物をすすめる。冨士野クンはミネラルウォーターを注文する。私はビールでも飲んで旅の疲れをいやすつもりだったが、昨日酔いにまかせてひどいことを言った手前、遠慮する。オレンジジュースを頼む。すると冨士野クンが、
「センセ、ビールじゃなくていいんですか」
何気に皮肉がこもっているが、彼女のほうから気まずい空気を取り除いてくれたことに、まず素直に感謝する。
「昨日はほんとうに申し訳なかった。ごめん。謝ります。許してください」
彼女に対してこんなふうに頭を下げるのは初めてである。しかも平謝りである。
冨士野クンはミネラルウォーターがはいったカップを見つめたまま黙っている。怒っているふうでもない。やがておもむろに口をひらく。
「あの、ニッポナリのことなんですけど」
まったく別の話題に飛んではぐらかされる。さも許しはしないけど目をつぶりますって感じ。主導権を握る魂胆である。口惜しいがここは彼女のペースに乗る以外にない。
「何となく作者がわかったような気がするんです」
私が会見場でぶちあげた解釈などまるで眼中にないような口ぶりにカチンとくるが、それでも、ほう、と、いままで何事もなかったような相槌を打ち、差しのべられた救いの手にすがる意思を示す。
「結局偽作なんじゃないかと思うんです。この和歌集のテキストを編んだドイツ人って、私たちよりもよっぽど和歌に通じていたと思います。吉備真備作みたいに見立ててありますけど、吉備真備に和歌なんて残されていないくらい調べたらすぐにわかる。そんな人の名前をわざわざ借りてきて、これは偽作ですよとわかる人にはわかるよう前置きしておいて、自分の趣味に即した日本の抒情を拵えたんじゃないでしょうか」
なるほど。編訳者の韜晦趣味か。そういう見方がいままでで一番説得力がありそうな気がする。冨士野クンはどういうきっかけでその結論を導き出したのか。また何でだしぬけにそれを打ち明けようとするのか。思いめぐらせようとすると、昨日の頭蓋骨発掘から今日の記者会見に至るまでに起こったすべてが頭の中を旋回する。すると冨士野クンのほんとうに伝えたかったことがぼんやりと見えてくる。おびき寄せられ踊らされ、のぼせあがっていい気になり、素人は物事を先入観のない目で見る、だから本質に迫れるみたいに思いあがって。
そうかい。そういうことかい。君もそうやって私を適当にあしらって躍らせるがいいさ。女の武器を使ってね。こっちだってなるべく波風立たないよう踊らされたふりしてるんだ。
冨士野クンは自説のコメントを求めようともせず、ミネラルウォーターを口にする。鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気である。いま私が何を考えていたかも見透かしているのだろうか。
浮き足だって感じるのは高度一万メートル上空を飛んでいるばかりでもない。