山下苑子(1)
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なぜ小学生女児を追い回すだけで警察のお世話にならなければならないのでしょうか。
「あのねぇ、高校生が二人で小学生の女の子追い回していたら、普通怪しむでしょう!?」
ツッコミ体質らしい制服警官が、ボールペンの先で机を叩きながら、お説教をくれる。
べつに俺の心を読んだわけではなく、ちょうどそういう話の流れだっただけだ……多分。
幸か不幸か俺の不安を悟りもせず、警官のオッサンは鼻にかかったような粘っこい声音で言葉を続けた。
「とにかく、犯罪目的じゃないみたいだし、今回は初犯だから……見逃してあげるけど、いくら可愛いからって小学生の女の子を追い掛け回しちゃダメだからね」
「わかりましたー、もうしません」
俺の隣で間延びした声を上げたのは、機村忍。蛍光ピンクのウィンドブレーカーを羽織りポニーテールを揺らしてはいるが、立派な男である。
「清々しいほどの棒読みだなぁ……。ははは、まぁいいけどね」
ごく軽い調子で、警官は忍に笑顔を向けた。
曲がりなりにも小学生女児をストーキングしていた男をここまでアッサリ許していいものなのか。俺が言うのもなんだが、追い掛け回していたことは事実なのだし、もうちょっと厳重に注意があってもおかしくはないはずだ。この街の警察って、もしかして無能?
そういえば十年前も連続殺人事件が起きたけど、犯人結局捕まらなかったなぁ……。
「で、君はどうなの、鹿妻愁君?」
自分の名前を呼ばれた瞬間、頭の中が真っ白になった。
こういう事態になっていることには納得はできるんだ。俺も忍と一緒になってとある小学生女児を追い掛け回していたワケだから。忍はアッサリ許された。だから俺も「もうしません」って一言告げてしまえば、それでおしまいのはずだ。
……ソレができないのは、対人恐怖症ゆえにである。
「ぉれ、も……」
やっとのことで、声にならない返事を絞り出した。
ひどい手汗が、握り締めた拳の中で指先を濡らしている気がする。怖気すらする。吃音と焦点の定まらない目のせいか、警官が俺を挙動不審だと判断したらしい。意識が遠のく。
「ん、何て言ったの? 君もちゃんと反省してるぅ?」
「い、いえ……」
警官は、要領を得ない俺にイラついている。
勘弁してくれ。家族と忍くらいとしかマトモに喋らない生活がここ数年続いているくらいだ。こっちを犯罪者か変態かと疑いたがる目線に耐えて、なおかつ潔白を訴えられるハートの強さなんて無い。
俺の苦悩に気づきもせず、警官は盛大なため息をついた。
「『いえ……』じゃあないでしょぉ! その蚊の鳴くような声はどうしたん? 後ろめたいトコもないんでしょぉ! 男の子ならハキハキしなさいよ。彼女のほうがずっとシッカリしてるじゃない!」
警官は、俺の隣に座っている忍に意味ありげな目線を送った。
「……彼女?」
「なーにとぼけちゃって。忍ちゃんのことだって。せっかく可愛い彼女がいるのに女児ストーキングなんて、もったいないオバケが来るよ」
なるほど、警官の目には忍が女の子に見えているのか。おぞましい仮定ではあるのだが、「いくら可愛いからって」という警官の発言は小学生女児にではなく忍の方に掛かっていた可能性も浮かぶ。しかも俺の「彼女」とか……ありえねぇ!
脊髄反射的に、今までいくら出そうと思っても出なかった声がすんなりと出てしまう。
「待ってくださいよ、コイツは『彼女』じゃないです!」
「ちょっと、なんでソレ言うには大声出せるのさぁ!」
今まで沈黙を守っていたくせに、俺の大声に反応して怒鳴ったのは忍である。いやだって、二重の意味で「彼女」ではないじゃん、お前。
「ちょっと耳貸しなよ」
俺が一言文句を言う前に、忍は俺の頭を引き寄せてこう耳打ちした。
「(現状このケーサツ官は、僕らのことを『悪ふざけの過ぎたカップル』だと思ってるでしょ。でももし僕が男ってバレたら、ロリコン&女装趣味の変態男子高校生二人組って認識に変わるぜ)」
つまり、このままカップルのフリを続行して事態を切り抜けよう、という提案か。たしかにベターだ。警官の勘違いを利用するだけだから、俺が積極的に喋る必要もない。
だがロリコン回避のために男友達とカップルのフリをするなんて……こういうの何て言えばいいんだ?
前門の虎、後門の狼?
いや、肛門が危険?
……自分で思いついておいて何だけど、くだらねぇ!
とにかく、今一番大事なことは、何事もなく警官から解放されることだ。ここは忍に従おう。
俺は小さくうなずいて、忍に「提案に乗る」と目配せした。
とはいっても、忍が起こした行動といえば、俺の腕に自らの腕を絡め始めたくらいだった。地味なカップルアピールだ。突拍子もない行動をされるかと身構えていたので、俺は少し安心した。
「はぁ、仲がイイねぇ……」
「よく言われますぅ」
この状況を楽しんでいるようにも見える忍が、警官の冷やかしに愛想よく対応する。このままいけば、最終的には平和的解決が望めるだろう。
「僕が高校生の頃もねぇ、いろいろ馬鹿なことやったもんよ。これでも結構モテたからねぇ、駅前の繁華街で友達と女の子ナンパしちゃったりしてさぁ……」
そのうちに警官の説教は、俺らには関係のない話題に移っていった。正直聞くに堪えなかったが、無心に耐え続けるしかなかった。
*
交番から解放される頃には、道行く人々の顔も読み取れないほどに暗くなっていた。すみれ色と朱色の混じり合う空が、そろそろ帰宅しなければならないと告げている。
「しっかし、対人恐怖症の男がケーサツ官に怒られるとか、拷問に近いよね」
一応俺のことをいたわってはいる忍だが、あっけらかんとした笑い声とセットだと全く説得力がない。
「全くだな! 何が悲しくてお前とカップルごっこをやらなきゃいかんのだ」
「いいじゃん、僕の彼氏に間違われるってコトは、少なくとも僕の隣にいて不自然じゃない程度に愁の顔も整ってるって判断されたってコトでしょ。光栄に思いなよ」
「……」
ドヤァ、と得意顔で忍は微笑む。
コレが虚勢なのか本気なのかを、俺は判断できない。小学生からの付き合いゆえに、忍の顔面を客観視するのは難しいのだ。知り合った当初は小学生で、同性の顔の善し悪しなんて関心の外だったし、付き合いが長いゆえに見慣れてしまって、綺麗だブサイクだと考えを巡らせる前に「コレは忍の顔だ」と頭が判断してしまうのだ。
しかし、たとい美少女ヅラが事実であろうが、こいつは救いようのない……
「『女装癖の変態ナルシストだな。そして残念ながら、俺のたった一人の友達でもある』」
「!?」
俺の思考と一言一句違わぬ言葉だ。まさか本当に心を読まれてしまったのだろうか。
「……って顔に書いてある。愁は考えてるコトが顔に出過ぎ。大丈夫だよ、僕は人の心なんか読めないよ。愁と違ってね」
ドクン。
みぞおちのあたりに、嫌な緊張感が走る。
忍は本当に意地が悪い。だけれども、間違ったことは言わない。
さすがに俺の動揺は露骨すぎたのか、忍は急にしおらしい態度になる。
「愁はさ、ホントはその力、もう使いたくないんだよね……言いだしたのは僕だけど、あの子に──山下苑子に<干渉>するの、止めておく?」
「いや、やるって決めたのは俺だし、それに……」
山下苑子というのは、俺たちが追いかけていた小学生女児のことだ。
そう、俺たちには……というか俺には、どうしても山下苑子と話をしなければならない理由がある。
「このままじゃ千夏がかわいそうだ」
千夏は俺の妹だ。この一週間ほど学校にも行かず塞ぎ込んでいて、見ていられないくらいに落ち込んでいる。そしてその原因は分からないものの、「山下苑子」が関わっているのは確かだ。
「じゃあ、明日も『山下苑子』に会わなきゃね」
「あぁ……」
返事をしながら、俺は小学生女児こと山下苑子を追い掛け回すに至った経緯を、改めて思い返した。
2015.02.06up