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 悪事を働く黒い魔女たちの操る術法の中に、「名づけの呪い」というものがある。これは術者が呪いの対象に偽りの名前を与える代わりに、本当の名前と言葉の自由を奪うという類のものだ。一見するとおそろしい呪いのようだが、実はこれはいたずら用の実害のない呪文にすぎない。術者が手を出さずとも、呪いをかけられた者が偽りの名前の衝撃から立ち直ったときに勝手に解けるようになっているのである。そのため、いたずらや嫌がらせ目的の術者は相手に可能な限りのショックを与えようとし、結果としてなかなかにひどい名前が与えられる傾向にある。

 剣士ああああと呼ばれている青年は、冒険が始まる直前に通りすがりの老魔女から偶然この呪いを受けた。この瞬間、彼の本当の名前と言葉は奪われ、親しい人物や自分自身でさえも思い出すことができなくなったのである。もちろん、家族や友人、仲間たちと話すこともかなわなくなった。そもそも彼の旅立ちの直接の理由というのが、呪いをかけた老魔女をこらしめることだったのだ。

 結局、老魔女をこらしめることはできなかったのだが、前述のような呪文の性質から、彼の呪いは放置されることになった。だが「ああああ」という、もはや意味さえもない偽りの名前のひどさから剣士は立ち直れず、彼が冒険中に本当の名前を取り戻すことはなかった。

 それから二年。彼は未だにあの日と同じところに立っていた。

「一体どれだけ崩れやすい心なんですか! 彼の精神は豆腐ですか? 豆腐なんですね!」

 ところ変わって剣士ああああの自宅、やわらかな色の火を灯す暖炉の置かれたダイニングにて。剣士親子がパーティの支度のためにキッチンの奥に引っ込んでいるのをいいことに、ロガールが珍しく不満をぶちまけていた。陽は落ちて、外はもう暗い。

「まあまあ、落ち着けロガール。ほら、俺が持ってきた酒でも飲むといい」

「宗教上の理由で飲酒はいたしません!」

「……ごめんなさい」

「やーい、へぼ騎士が滑ってるー」

 へぼ騎士と呼ばれたエクエスは、つなぎとして出された温かい紅茶の入ったカップを片手にぐっとこらえる。ここで自分まで荒れたら、もう場の収拾はつかないからだ。彼がカップの中身を悔しそうに一気飲みする横で、ロガールは頭を抱えて落ち込んでいた。

「もう二年ですよ、二年。いくらつけられた名前がひどかったとはいえ、いくらなんでもひきずりすぎでしょうに」

「まあな……」

 半ばやけになって、かなりの無茶を伴い紅茶を飲みほしたエクエスは、小さくなったロガールの背中を叩きながら話を聞くことにした。

「世界が着実に復興に向かっているというのに、彼だけが立ち止まっていてどうするんですか……。彼は、世界を立ち直らせた英雄だというのに……」

 ロガールの深い溜め息が、彼に出された紅茶の湯気を儚く散らす。それを見たエクエスは、大慌てでこの場を取り繕うだけの言葉を必死に考えだそうとする。だが、うまくいかない。ちなみに助けを求めてもからかわれるだけだと考え、彼はできるだけプリミラの方を見ないことにした。

 キッチンの方からは、剣士親子の用意する料理のおいしそうなにおいがふわふわと漂ってくる。これはおそらく、クリームシチューか何かだろうか。彼らはきっと、こちらのやり取りなど知らないであろう。いや、知らないでいいのかもしれない。

「……私はあれから、ぼろぼろになった教団の立て直しに携わりました。その中で上からも評価をいただき、少しではありますが出世もしました。プリミラ、あなたはこの二年間、どう過ごしましたか?」

 下を向いていたロガールは急に視線を上げ、それまで知らんぷりをして紅茶を飲んでいたプリミラに話を振った。彼女の方は、まさか自分に声がかかるとは思っていなかったのだろう。ひどく慌てて、丸っこいカップを取り落としそうになっている。

「えっ、あ、あたし? まあ、それはもちろん魔法の修行だけど……」

「エクエスは?」

「お前も知ってのとおり、俺はメソンで姫様の護衛の仕事を……」

 ロガールは、わざとらしいまでに大きな溜め息をもう一度つく。

「ほら。世界の一部である私たちも、この二年で世界とともに少なからず変わっているのですよ。彼を除いてはね」

 暖炉のまきがはじける音、手料理の胃をくすぐるにおい。しあわせな家庭の様子にまぎれて、僧侶は嘆いていた。もっとも報われるべき勇者のささやかな不幸を、心底嘆いていた。


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