⑩
まきがはじける音はもうしない。森が風で鳴く音は静まりつつある。そしてその代わり、暖かい室内で眠る若者の寝息が聞こえてくる。
「さて、そろそろこいつを起こすか?」
時刻は間もなく零時――年明けである。仲間たちの話の内容も知ることなく、剣士ああああはすっかり夢の世界に旅立ってしまっていた。
「そうね、みんなで年を越したいって言い始めたのはああああ自身だし」
椅子にもたれかかり、楽しい夢でも見ているのか時折笑みを浮かべる剣士の顔を観察しつつ。エクエスは相変わらずつまみを噛みながら、何かを悟ったような目で言う。
「……しかし、プリミラの言うように、こいつは本当に何も変わらないな」
「普通の人間としての生活を選んだ上に、その人間としての成長すらほぼ見られませんからね。嘆かわしいことです」
ロガールは静かにジュースを口に含んだ。彼らの様子を横目に見ながら、剣士を揺り起こそうとするプリミラは笑い交じりだ。
「そうね、次に会うまでには本当の名前くらい教えてもらわないと困るわね」
「こいつの母君が言われることには、かつてはこいつもいわゆる『いい声』でしゃべっていたらしいぞ――」
――しばらく身体を揺らされるうちに、ああああはゆっくりと目を覚ました。仲間たちの笑い声が聞こえる。いつの間に寝てしまったのだろう。気付けば、もう日付が変わる直前だ。
「おはよう」
誰かが、彼に笑いかけた――。
「やっと起きたか!」
「もうすぐ年越しですよ」
「年明け記念に乾杯するから、あんたも準備してちょうだい!」
ああああは、どこかぼんやりした頭のまま、うなずいた。まだ夢から覚めないような、ここがどこなのか掴みきれないような、そんな戸惑いをどこか引きずって。
「えー、それではみなさん、来たる新しい年もより良きものとなりますよう」
再びエクエスが音頭を取り、全員が一斉にグラスを掲げる。
「それではみなさん、再び――乾杯!」
「乾杯!」
「――!」
どうしてか、ああああはいつもの筆談ではなく自分の声を出そうとしていた。もちろん声は出なかったのだが、そのことにもっとも驚いていた彼自身は、どこか満足げに頭をかいて照れ笑いを見せていた。
今年はもう少し前向きになれる気がする。青年は、そう思った。
――遠く遠く、年明けを告げる鐘の音が聞こえる。
待ち望んだ真っ白な新年が今、訪れた。
二年前、共に世界を救った四人の若者がいた。勇者として語られる剣士を中心に、この星のいのちを奪おうとする「異界の王」と戦った勇敢な若者たちがいた。
彼らは現在、人間として懸命に生きている最中である。ときにみっともなく、ときに傷だらけになりながらも未来を目指す姿は決して歴史に残らない。しかしながら彼らは、世界の片隅で確かに輝いていた。