第三黎明戦争前期、半ばの頃。
宇宙は広い。そして、人類の腕では、四千年経とうともその広い宇宙の果てまでは辿りつけていなかった。つまり、それだけ可能性があり、それだけ余地があったのだ。
「なのに目の前の光景がある。何でそのエネルギーをもっと外向きに使わんのだろうな?」
「ロジックで行動する事を前提に育てられた、私達AIには分かりかねます。ですが、第一次星間戦争期については心理学会の統一した見解として――」
データの読み上げを始めようとした彼女の前で手を振り、止めさせた。仕官学校時代に講義で聞き飽きた長ったらしい論文は、欠伸か韜晦しかもたらしてくれないと経験上知っている。
モニター越しに見える300光年先の光景。光の線が飛び交い、その先端で閃光が弾けて消えていく。同時に消える人命と物資とを純粋に『勿体無い』と思えるのは、超越者か傍観者あるいは権力者だけだろう。
彼らは彼らなりに必死だろうし、だからと言ってこちらが無理やり捻じ込んで「戦争なんてヤメルンダ!」などとほざいた所で良くて我が船が射撃訓練の的、悪ければ強制空間補填で重なった空間に挟まれ、原子と同じ幅まで彼らが平べったくなるだけだ。
「もうそれは聞き飽きてる。『よく知らない隣人が急に増えすぎて不安だった』の一言で済む話を2時間以上も聞かされたくは無い」
「……余りにも大雑把過ぎます」
「別に誰も怒らんよ」
さて、黎明戦争期に見られた星系国家同士の境界も定かですらない当時の星系戦争は、一言で纏めれば『泥沼の遭遇戦祭り』であったらしい。
互いのレーダーに引っ掛かった敵らしき存在に突っ込み、勝つか撤退するかして後方へ戻る。残存戦力の再編が済めば再び前線『と思われる』宙域へワープ。何せ第一革命期から第二拡張期の間に人口は増えに増え、正確なデータは残されていないもののおそらく兆の単位一歩手前まで増えていたらしい痕跡が残っている。
新たな土地、新たな技術、新たな資源。当時の人類のポケットから溢れたそれらは、人口の超新星爆発を引き起こしていたのだ。超古代のゴールドラッシュや大航海時代なんぞ鼻息で吹き飛ばせるだけのエネルギーが人類には存在して、どの星系国家も共通して埋めよ増やせよ宇宙に満ちよとあらゆる手段で人口を増やしていった。
純粋なマンパワーの不足と、余り過ぎるほどに多い遊んでいる星を生産と経済の拠点とするために、ありとあらゆる手段が用いられ。
増え続ける新たな開拓地が増えた人口で緩やかに満たされるよりも早く、発達していく惑星開発技術も相まって居住可能惑星だけが増えていった。
人々は未来に夢を持ち、星空を見上げて希望を見出していた。
だが、熱狂し、増加し、膨張し、そして限界まで膨れ上がるよりも早く。
「第三黎明戦争期が始まり、未来志向は闘争思考へと否応無く変更を強いられた、か」
溢れた物資はほぼ全てが戦艦へと姿を変え、善良な一般人は戦艦を操る軍人へと姿を変え。
この時期に消費され、消滅して行ったヒト・モノ・カネを合わせれば、俺達の時代なら50年は一つの銀河系の支出が賄えると言うのだから、まさに狂気の沙汰だろう。
とある軍事星系国家では、それこそ日刊戦艦、時刊駆逐艦が可能だったらしいと記録に残ってさえいるのだから。
「……ま、ともあれ俺達には関係ないな。おっさん達と連絡は取れたか?」
「いいえ。合流予定地点には未だそれらしき反応はありません」
ともあれ、今回、わざわざこんな何も無い上に戦場からも程近い場所で亜空間に沈んで待機しているのは戦争を見に来たから、では勿論無い。何でそんな事に時間を使わねばならんのだ。
何時も食料や俗な情報を届けてくれるおっさんが、前回の取引の際こちらに頼みごとをしてきたのだ。
物質生成装置で作られた食料はどうも味が悪い。情報も得ようと思えば妖精に頼んで手に入れる事は容易いが、どうも情報を集めてくる本人の性格に問題があって「面白そう」なモノが一切入ってこない。
その点、あのおっさんはそこら辺よーく分かっている。観光パンフレットやグルメ雑誌等々、とにかく此方のツボを突くのが上手い。思わず財布の紐も緩もうというものだ。
それに比べてうちのAIは。どこそこの惑星のなんとか市の人口と経済規模なんて誰が知りたいと言ったのか。言った奴出て来いや。
「何か非常に不満を感じさせる視線ですね」
「……はぁ」
これ見よがしに溜息を付いたら人の頭の上に乗っかって髪の毛を引っ張り始めやがった。何処で覚えたその地味な嫌がらせ。
と、頭頂部に感じる疼痛を無視していると、艦長席の小さなディスプレイに通信が来た事を知らせる文字が躍っていた。
「あいよ」
「よお、……嬢ちゃんは何やってんだ?」
「あんたがやられてるのと同じ事さ。中身は反対で不満の表れみたいだが」
通信先では、上機嫌な小さな女の子を肩車し、その子に髪の毛を引っ張られているおっさんが映し出されていた。
「まぁ……こっちに比べりゃ痛くはなさそうだが」
そう言うおっさんは若干涙目である。正直キモい。その光景を見ながら、そう言えば前回頼みごとをしてきた時もこんな感じだったな、と思い、俺は頭頂部の疼痛の原因を知るのだった。
「で、護衛の件は問題なく引き受ける訳だが」
「ありがたい。恩に着るぜ」
おっさんの商会はここから程近いとある星系国家の主星、の隣の隣の惑星系の衛星にあるわけだがその近くまで戦線が後退し、住人達の疎開が始まっているらしい。
おっさん達も商会の社員達とその家族連れで疎開したは良いのだが、現在人類の既知範囲で治安の良い宙域など存在しない。
だからと言って軍艦が申し訳程度に護衛に付いてくれる避難用の船団には手荷物『まで』という制限がある。
商会の全財産を持ち出し、再起を図りたい。
社員達の安全も考えつつ、安全に行きたい。
だが、前にも経験したように傭兵がお宝を積んだ戦闘能力が皆無に近い船団を相手に裏切らないとは思えないし、戦争中の宙域の近くを脱出している最中に敵艦隊のレーダーに引っ掛かったらもうアウトだ。
最悪撃沈、良くても身包みはがれた上で捕虜扱い。
どうしたものかと頭を抱えて、ふと思い出した。俺達の存在を。
「おっさんには世話になってるからな。別に構わんよ」
「いてて、ああ、助かる。正直本当に困っていたところだったからな。あいたっ?! とっ、ともあれ、目的地の座標データを送るから、そこまで頼む」
「いいから孫は降ろして預けて来い。可愛がってるのは分かったから」
たった七隻の輸送船、だが荷物は商会の財産だけではない。己の家族と社員達、その家族。おそらく半分はそういった人々とその荷物と食料を乗せているのだろう。
こんな怪しい人物に委ねるには重すぎる筈。態度は豪胆だが仕事は慎重かつ丁寧、そんなイメージのおっさんだったが、どうやら大胆さも兼ね備えているらしい。
「よく俺達みたいな怪しい奴らに頼む気になったもんだ」
孫を降ろして戻ってきたおっさんにそう尋ねる。初めて会った時よりも白の割合が増えたぼさぼさの髪を手櫛で整えながら、おっさんは人好きのしそうな笑みを浮かべた。
「これでも人を見る目はあるつもりでな」
「抜かせ」
苦笑いを交し合う。景気良く大量のレアメタルやレアマターをぽんぽんと取引の代価に払う俺達が、今更商会一つの、しかも人と家財道具を大量に載せた船なんぞ襲っても大して旨みも無いし意味も無い。そんな打算も在るくせに。
しかも小さな子供を連れての通信だ。大した対価も無く情の一つも引ければ万々歳と言った所か。
「だろ?」
「半分当たりだ」
ちょっと意外だった。残り半分を目線で促す。
「可愛いだろう俺の初孫!」
「ただの孫自慢か!」
返せ、数秒前の俺の驚きを返せ。
「ったく。データ受信完了。確認と登録を頼む」
「……はい」
今の今まで無言で人の髪の毛を引っ張っていた妖精が、不満そうに飛び立った。
「ふぅ。んじゃ、条件の再確認だ。そちらの船には記録は一切残さない事、これから起こる事は全ておっさんの胸にだけ仕舞って、墓まで持っていく事。それだけ守ってくれればこちらからは他に何も無い」
「助かる、が、本当に良いのか? 多少の対価なら何とかなるんだが」
「良いんだよ。おっさんの商品が気に入ってるからな。こんな事で傾かれちゃこっちが困る。精々引越し先でも頑張ってくれたまえ」
画面から視線を外し、肩を竦める。視界の端を掠めるように白髪頭を下げるおっさんが見えたような気がしたが、きっと気のせいだろう。
「艦長」
「どした」
外した視線の先で、妖精が一つの情報を空間に投影している。体を乗り出し、覗き込む。
「……おっさん、すまんが予定変更だ」
「何?」
「目的地は、別の星にした方が良さそうだ。理由は聞くなよ? 少し回線を閉じるぞ」
何か言おうと口を開いたおっさんの回線を切る。
「確率は?」
「現在の戦況では、早まる事はあっても起きない可能性はほぼ0%です」
「他の候補を出してやってくれ。出来るだけ安全で、商売のやり易そうな所を、な」
そう言って艦長席に座り直し、2つのディスプレイでそれぞれ星図を開く。おっさんの指定した座標の惑星は、現在の激戦区からは遥か遠く、現在中立を保っている星系国家の後方にある惑星の一つ。
問題は、もう一枚の星図にはその星が無いという事だ。
「おっさん」
通信を繋ぎ直す。画面の向こうにいるのは、不満げに腕を組んだ初老の男性だ。
「……どうしても、か? 商売の許可は取りやすいって話しだし、一応安全面からも商会の幹部連中と協議して決めた星なんだが」
「そう言う問題じゃなくてな。悪いが、その星は諦めてくれ。悪いようにはしない」
視線を逸らさずに告げる。何が悲しくてむさい親父と見詰め合わなきゃならんのか。
「分かった。こっちは説得しておく。頼んだ」
「すまんね」
「何、無理を言ったのはこっちだからな。何より」
鼻を鳴らすおっさんは、強かな商人の目をしていた。
「そっちの方が、儲かりそうだ」
「そりゃあんた次第だよ」
ちげぇねぇ、と呟いて笑い出したおっさんとの通信を切る。
「艦長、条件を満たす惑星の座標の登録、完了しました」
「ん」
「それから、輸送船団の後方にワープ・アウトの反応があります。どうされますか?」
「面倒だ。さっさとおっさんらに合流して、跳ぶぞ」
「了解しました」
せり出したプレートに手を置く。光が集まり、手袋が形成される。瞬間、流れ込んでくる情報群。その中に、おっさん達の乗った船の後方にワープアウトしようとしている反応があった。
ふと300光年向こうを探れば、戦場跡には砕けた戦艦達の亡骸が浮かぶばかり。あちらの戦闘が終了し、勝った方がおっさんの輸送船を発見したのだろう。傷を負ってはいるが勝利の余韻で昂ぶっている連中には、戦果の序でにちょうど良さげな獲物にでも見えたのか。
「亜空間からの浮上プロセス、問題なく終了しました」
粘度の高い液体が体中から滑り落ちていくような感覚とともに、船体が亜空間から巨体を現す。
同時に、双胴部分の先端から前方に向けて大量の情報が叩き付けられた。
「跳ぶぞ」
「どうぞ」
亜空間と宇宙空間の境目から滑り出すと同時、船体後方の機関が唸りを上げた。恒星機関が内包する星から受け取るエネルギー量が跳ね上がり、船体を前方に蹴り飛ばす。
何も無い空間に叩き付けた情報は、転送先の三次元座標に存在する、漂う微粒子、光子、重力、惑星風、あるいは何も無いという証明のデータ群だ。集積されたそれらが開放される一瞬、そこは『目標とする空間と同位』となる。その情報が霧散する前に楔として打ち込まれた船体は、それ自体が一瞬だけ不確定な存在となり、だが同時に『その空間に確かに存在するモノ』として扱われる。
二重に存在しているという事は、両方にあるという事だ。そして、飛ぶ前の空間、霧散した情報があった場所は当然のように元の空間となり、跳んだ先の空間には二重に存在していた『確かに存在するモノ』が出現する。
超空間航法の原理自体はこの時代も4千と3百年後も変わらない。変わったのは、叩き付けることの出来る情報の処理能力と、ワープ先の情報を得るための観測装置の観測範囲と、情報の規模だけだ。
より遠くへ、より多くを。
その原理に従って研究され続けた結果が、効率化よりも力押しとも言える方向性だったのは間違いない。だが、結果として要求は満たされ、以前のものよりも効率よく遠くへ、大きな物を跳ばせる様になったのもまた事実。
「ワープ・アウト」
「んむぐっ」
超空間航法はやはり「酔う」。一瞬とは言え自分の体の感覚が二つになり、片方が消滅する感覚を感じながら片方に偏っていく感覚、とでも言えばよいのだろうか。
我が戦艦との同調のために受けた処置のお陰で鋭敏になった感覚は、常人なら気づく事もないコンマ数桁以下の時間に受ける感覚をきっちり残していってくれる。お陰でこちとら毎回歯を食いしばって我慢しなきゃならん。
不意打ちでさえなければ我慢できるのだけが救いではあるが。
「も、もいっちょ跳ぶぞ!」
「――観測データの処理完了。どうぞ」
ワープアウト、直下にいたおっさん達の船を、此方の船の慣性制御の範囲内に収め、加速はとぎらせ無いままに、前方に続けて情報を叩き付けた。
数秒後、ワープアウトした艦隊は、逃がした獲物に対して舌打ちを残し、暫く諦め難いのか周辺を探って、自軍の基地へと何も知らぬままに帰還していった。
「こりゃまた田舎に来たもんだ。どこの辺境惑星だここは」
「その内宇宙に名前を知らない者の居ない位、大都会になるかも知れんぞ?」
「おいおい、何年先の話だそりゃあ」
「四千三百三十七年程度かと」