第二拡張期の終わり頃。
「いやー、こりゃいい湯だ」
俺は今おっさんから買ったパンフレットを有効活用し、その結果とある観光惑星にいるわけなのだ。適当にページを開いて載っていた場所を目的地とする実にワンダフルで浪漫が溢れる選択方法なのである。
空を見上げれば小さな雪がゆらゆらと降り注ぎ、ちょいと視線を下ろせば翡翠色に濁った四十一度の温泉に浮かぶ手桶。中にはぬる燗の入った徳利がお猪口をお供に揺れている。酒の肴は露天風呂の壁の向こうに見える緑深い山と静かに凪いだ海、そして何と言っても雪である。
温泉で雪見酒なう。超古代の流行語らしい。ちょべりぐ。
『艦長、艦長。応答願います』
故に無粋な仕事の事は今は忘れて、こうやってのんびり過ごす事が何よりも大事なんですー。口うるさい妖精の通信なんか聞こえませーん。
俺は今この誰一人いない温泉を独り占めする大切な役目があるんだ。と言うわけで手袋をはめた指を弾いて見る。音が出ないのに通信は止まる不思議。
温泉に手袋を付けて入るのはマナーが悪いとな。その通り。いやまったく持ってその通り。だがしかし軍人として、艦長として船を降りる時には必ず装着してリンクを保っておくように、と言うのが軍規で決められている以上仕方のない事なのである。
だがしかし同時にリラックスできる時にはしっかり休養をとる事も軍人として大切なお仕事。俺的には最上位。ゆえに管制AIの引き止める声も通信も涙を振り切って休養をとっているのだ。彼女はシステム的に船から下りれないからなー。残念だなー。いや本当に残念だなー。
「……あ、酒切れたか。しゃーないなぁ」
と言っている内に徳利が逆さにしても一滴もアルコールを吐き出してくれなくなったので、しぶしぶお湯から立ち上がり腰にタオルを巻く。脱衣所まで歩いて10秒、体をいちいち拭くのが面倒なので個人携行用のシールドを手袋経由で顔から下、皮膚の上で発動。なんという事でしょう、あれだけ濡れていた体が一瞬で乾いてしまいました。
うっかり腰に巻いたままだったタオルも水分と一緒に吹っ飛んで全裸ですがなにか。
まぁいいかとほろ酔い気分の千鳥足で脱衣所へ。他に誰かいるでなし、人目もないので気にする事はない。流石に顔と髪の毛は濡れたままなので、私服と一緒に置いておいた購入したてのタオルで拭き、ちゃっちゃと着替えて受付前まで移動。
「代金は……炭素結晶の2,3個でもあれば足りるだろ」
受付にも誰もいないので受付テーブルに体を乗り出し、奥にあるドリンククーラーへ手を伸ばし、飲み物をげっちゅ。珪酸化合物とは手が込んでやがるぜ。いやこの時代なら普通に流通してるんだったか。割れやすいのに。雰囲気を出す小道具なんだろうか。
ともあれ厚紙で出来た蓋を取ってよく冷えたマルボワ牛の乳とやらを頂きます。ちなみにマルボワとはこの星の名前で、マルボワ牛の乳はチーズにしてよし、そのまま飲んでよし、料理に使ってよしの万能食材なんだそうな。牛自体は異様に肉が硬くて食えたもんじゃないそうだが。
口元にぴたりと当てた飲み口の冷たい感触、ふわりと立ち上る冷気とその中にふんだんに混じり込んだ濃厚な牛乳の香り、傾ければ口の中にはほんのりとした甘さと感じるか感じないかのトロミが流れ込んでくる。温泉で熱を持った体の中心を優しく通り抜ける、その冷たさと喉越しを快感と言っても過言ではなかろう。
自然と空いた手は腰へと導かれるように動いて腰骨の上に。添える様に、あるいは陶酔からの転倒を防ぐように力強く腰を掴む。感謝。ただ感謝があった。
最後の一滴まで吸い尽くすように、儚く既に全てを吐き出した瓶を地面に垂直に立て、まるで祈るようにその真下から口を離さず、俺は気づけば数分間もそのままであった。
「……ぷはぁっ。やべぇ、舐めてたわマルボワ牛乳。これが宇宙食品アワード10年連続金賞の底力か」
余韻がまだ口の奥、喉の底に残っている感覚がある。しかしそれはしつこさでは決して無い。体が覚えているのだ、その快感を。勝手にお代わりしようと震える手を押さえつけながら、振り切るように足を進めていく。
飲む前には妥協があった。飲んでいる時には感謝があった。そして、飲み終わった後には決意があった。
「また来る。そして、また飲もう。絶対に、絶対にだ」
そして俺は無人の温泉街を出発して、次の目的地へと移動した。雪はもう降ってはいない。露天風呂とは言いながらも環境コントロール用のシールドで温泉を包み、露天風呂限定で俺が降らせた降雪だし、正確には露天じゃなくしてる気もするが、風情がどーたらとかはあんまり気にしないのが楽しむコツである。
「…あ、移動手段が無いな」
はじめの一歩で躓いた。
来た時は近くのアステロイドベルトに止めた我が船から人目の無い所へ(吐き気を堪えつつ)転送装置を使ったので、足が無い。折角観光惑星とか言う星全体が見所の固まりで出来ている場所なのにどうしたものか。公共交通機関も絶賛全ストップ中なので。
全くタイミングの悪い事だ。仕方が無いので移動手段を探す事にする。
「んー…これでいいか」
流石観光惑星。そこら中に食事処や軽食屋がある。軒先で買ってすぐ食べる人用にか、歩道にも幾つかオサレなベンチが置いてあったので一個借りていく事にしよう。お洒落には一歩足らず、さりとて朴訥とは言い切れず。そんな感じのデザインベンチ。座り心地がそれなり以上になれない所がワンポイント。
そんな3人はゆっくり座れそうなベンチの背もたれに手を掛け、軽く力を入れて固定されていた部分ごと地面から引っこ抜く。手袋で一撫で、これでOK。
思考コントロール通りに自在に動く事を確認し、ゆったりと腰掛け観光マップを広げた。
「おお、マルボワ牛の牧場が近くにあるの…か…」
思わず言葉を飲み込んでしまった。ごくり、と喉が動く。たったの一文、ポップなフォントで書かれたその広告が、俺の視線を掴んで離さない。
「マルボワ牛乳100%アイスクリーム、だと?!」
やべぇもう他の目的地とかどうでもよくなった。
牧場なう(ちょっと気に入った)。
亜音速でかっ飛ばす事約3分。目的地に到着した俺は足取りも軽く牧場の入り口の前に立っていた。着地と同時に背後で酷使したベンチが地面と衝突して粉々になったような音がしたが気のせいだろう。そういう事にしておこう。
「でけぇ!」
と、その光景を見て思わず口をついて驚きの声がでた。マルボワ牛、目測で3m位ありやがる。しかも二足歩行しとる。もう牛って言うよりミノタウロス。確かに肉は硬そうだ。そんなのが十数匹、重々しい足音を響かせながら歩いていればそりゃ声もでる。
ふと進化の可能性について考えて3秒で止めた。そんな事よりアイスクリームだっぜ!
「誰かいませんか。居ませんよね。そりゃそうですよねー」
誰も居ない。温泉街も誰も居なかったのだから当たり前といえば当たり前である。普通の神経してたらとっととシェルターに篭るか金があれば他の星に逃げるかしているか。
TVのスイッチを入れてを見れば、どのチャンネルに合わせても『我が惑星に対し、宣戦布告がなされました。緊急避難命令が発令されました。お近くのシェルターか宇宙港まで速やかに避難してください』という一文と、侵攻予想時刻まで後12分と表示されている。カウントダウンは現在も進行中である。
「間の悪い奴らめ、俺のアイスクリームの責任取らせてやろうか」
『止めてください』
独り言に対し妖精の囁きが突っ込んできた。ちっ、回線を強制接続したのか。独り言だと思っていたのでちょっと恥ずかしい。
『艦長、そろそろお戻りください』
「んー? 今日からだったか、第二拡張期の終わりは」
『はい。そして、第三期、黎明戦争期の始まりです』
俺達にとっては効率の悪すぎる超空間航法の限界まで広がった人類、その狭くとも広い筈の縄張りを取り合って起こる、人類が始めて直面する星間戦争。今日はどうもその開始当日らしい。これから十数年単位で続く星間戦争は、名前は忘れたがどっかの星系国家同士の売り言葉に買い言葉が原因で、それに端を発する軍事的緊張と互いに戦力を睨み合いで国境線に貼り付けていたら他の星系国家に背中を刺されたんだったか。同盟とみせかけてが実は敵と裏で手を組んでました、が歴史学者さん達の結論だっけ?
『いいえ。計測記録と通信の傍受によりますと、超空間航法の制御に失敗し、睨み合いの中心でワープアウトした海賊船が直接の原因のようです。混乱した海賊船が発砲、軍艦が小破。反撃が海賊を外れ、相手国の軍艦に直撃、撃沈。当然の如く相手国も反撃し、現在は泥沼の艦隊戦が繰り広げられています』
で、チャンスとばかりに背後から他の国が襲い掛かる、と。
「そんなもんか。で、空き巣狙いの第一被害星がここか」
やだねぇ、星間戦争慣れしてない同士、止め処が分からないから際限無く広がっていくんだよな。喧嘩した事のないガキかってんだ。ま、観光惑星だし特に被害も無かろうから、落ち着いたら帰るさ、と返そうとした言葉は途中で遮られた。
牧場の真ん中に降り注いだ、衛星軌道からの対惑星爆撃によって、だ。
『空き巣狙いではありません。記録によれば、この惑星は属する星系国家の主要食料生産惑星の一つであった為、惑星爆撃によって以後数百年は人の住めない環境になった、との事です』
その声は脳を滑るように通り抜けていった。
聞こえる、マルボワ牛たちの悲鳴が。長閑な牧場の風景は炎に飲み込まれ、既に視界を埋め尽くすのは炎の赤さだ。鼻に付く、材木の焼ける匂い、牧場の自慢だったのだろうアイスクリームの売店の看板は衝撃で弾き落とされ、地面に突き刺さって折れ曲がっていた。
ついでに牛肉の焼ける良い香りもしてきたので空腹が刺激された。正直たまらん。
『なお、マルボワ牛は3日に渡る惑星爆撃の結果、絶滅が確認されています。現在惑星侵略艦隊として派遣されているのは50隻程ですが、内5隻に核弾頭が搭載されていた為、初期星間戦争に多く見られた惑星自体を破棄せざるを得ない状態まで追い込まれた幾つかの星に、この星も含まれています』
ああ、腹が減る。涎が止まらない。ちょっと齧っても良いんじゃなかろうか。ほら、手を伸ばせばすぐそこに、良い感じで焼けたお肉が――。
瞬間、目の前で、閃光が、弾けた。
「あ、ああ、ああああああっ!」
悲嘆が零れる。さっきまであったお肉はもう、無い。すまない、すまない。あんなに美味しそうだったのに。俺には聞こえた、聞こえていた。『美味しいよ! 食べて! 早く食べて!』と俺を呼んでいたマルボワ牛の声が!
『至急、船にお戻りください。この時代の兵器では艦長のシールドを削る事もできませんが――』
「――対大型艦隊用決戦機を送れ、可及的速やかに、だ」
『……艦長?』
「復命!」
『は、はい! 対大型艦隊用決戦機『梟将』直ちに転送します!』
意識せず出た厳しい声に、珍しく慌てた様子が聞こえてきた。今、俺の様子が見えていたならば、俺が腸が煮えくり返るような怒りを感じさせる表情で立っているのが分かったかもしれない。食いしばった口元から垂れる赤い血が見えたのかもしれない。
俺は、今、怒っている。
「……絶対に許さない」
数十mほど離れた所に、スマートな人型にも似た機体が空間を捻じ曲げ出現した。10mほどのその機体は、ブースターも装着しておらず、武装も無い、装甲もあるように見えない。人を大きくしただけに見えるその機体は、その実単体で『俺達の時代の』艦隊を単機で葬ることを可能にする事を目標に作られ、だが技術の進化に開発が追い付かず置いていかれた徒花だ。
巨大化する戦艦、其れに伴い上昇するシールドの耐久力、装甲素材の改良。ついには個人で操縦する小型機では火力が絶対的に不足すると言う結論が出た為、日の目を見る事無く倉庫に眠っていた物を、俺なら『要求を満たせる』と言う事で素体のままのそれを貰い受けたのである。
武装もジェネレーターも無い。シールドも装甲も無い。今のこいつが持っているのは、慣性をほぼ完璧に押さえ込め、機体を自在に移動させる事が出来る慣性制御装置と、俺とのリンクだけだ。
「貴様らぁ……」
俺は機体に乗り込み、同調管制制御装置(手袋)とのリンクを開始する。この瞬間から、アステロイドベルトに浮かぶ俺の船と、俺と、この機体は全てイコールで繋がれる。
戦艦のセンサーとリンクした俺の視界に、今まさに爆撃を続けている艦隊がマーキングされた状態で写りこんだ。瞬間、速度はゼロから音速の壁を突き破る。
「俺から牛乳ばかりかアイスクリームまで奪っておきながら!」
高速で下から上へ大気圏を突破しながら機体が光を纏う。光学迷彩のちょっとした応用だ。
「目の前から美味しそうな焼肉まで取り上げるのかぁぁっ!!」
停止。眼前には10隻ほどの爆撃艦隊。動揺したのか動きは乱れ、それでも、散発的ながらも攻撃を仕掛けてこれた事は褒めても良い。きっとそれなりの錬度を誇っていたのだろう。素晴らしい、だが無意味だ。
「絶・対・許・さ・ん」
拳、いや、蹄が船のどてっぱらをぶち抜いた。
光学迷彩の応用で体長10mのマルボワ牛を投影し、機体に纏った今の俺はマルボワ牛の化身、GODマルボワなのだ!
『光学迷彩の無駄遣いですね』
「ロボットが宇宙戦艦相手に無双するよりましだろうが」
『どちらにせよ相手にとっては悪夢でしょう』
25km級の戦艦が生み出すシールドを、この機体の全体に集中展開。これで殴るだけで大抵の船は沈みますので。
「そーれ牛パンチ! 牛パンチ! 牛キック! 牛頭突き! 牛シャイニングウィザードォ!!」
その日、一つの伝説が生まれた。とある星を襲った精鋭艦隊が、光り輝くマルボワ牛に宇宙空間で一隻残らず大破・撃沈されたと言う。何故か記録映像は全て消失し、生き残りの証言を誰も信じなかった。だが、彼らだけは知っている。戦争の大勢には影響しなかったものの、とても個人的な理由で、一つの惑星と、億を越える人々の命と、とある惑星の名産品が歴史を違えて生き残った事を。
「食べ物の恨みは怖いんだよって話だな」
『大いに間違っています』