エピローグ
『博士、観測機材のセッティング完了しました。最終確認をお願いします』
「はいはーい。それじゃデータをマザーに移してあげて。フルチェックが終わったら承認サインするから」
『超深度亜空間潜航装置のサポート用ケーブル、第一から第百五十七まで接続完了! テスト開始します』
「オッケー! 少しでも妙な反応があったら直ぐに連絡して! 全部を並列観測して比較するのを忘れないようにね!」
『博士、このデータなんですけどー!』
「あー、これは……ふむ。興味深いわね。でも今日は保存だけしておいて、後で分析班に任せといて!」
……はてさて、あの惑星規模コンピュータを消し飛ばしてから、すっかり時は流れに流れた訳だが。未だに分からん、どうして俺が此処に居るんだろうか。いや、分かっているけど何となく、こう、納得いかないというかなんというか。
広い広い指揮管理センターの最上段。偉そうで立派な椅子に腰かけながら、俺は眼下で忙しく動き回る百数十人を見下ろし溜息をついた。
「溜息をつくのは歳を取った証拠だそうですよ」
そう言いながら天然モノの「お高い」コーヒーを音を立てずに目の前のデスクに置く女性は、外見に似合わず何処か円熟味のある笑みを浮かべている。
とは言え不老処置が一般化したこの時代、外見に似合わずと言うのは最早使い古された感のある表現だが、彼女と自分自身に限って言えば外見に似合わずという表現さえ憚れる。
「そう言うな。俺だってまさかこうなるとは思ってもいなかったんだ。溜息の一つや二つ、ついつい漏れるってもんだ」
「別に溜息をつくのが悪いという訳ではありませんが、貴方のその溜息一つで寿命が縮みそうになっている方々がいらっしゃる事をお忘れなく」
そう言われて視線を周囲にめぐらせれば、確かに幾つもの視線を感じる。どれもこれもまるで叱られるのを怖がる子供のような視線だ。最上段に並ぶ席に座っているのはそれぞれ名も知られた提督であり、艦隊司令官達であり、古株の上に古株を重ね合わせたような連中なのに。
まぁ、子供と言っても間違いはないのだろう。この近くの席に座っていられる奴らは大体軍の士官学校の第一から第三期生、出世が早くて四期生程度だろう。全員俺がしごきにしごいてやった奴らだ。
上がしっかりしてれば下もしっかり育つだろうと言う俺の持論に従って、思いっきり「教育」した奴らだからなぁ。そりゃ腰も引けるか。
こちらを伺うような視線で見てくる爺婆ども……中身は、だが。外見年齢はまちまちだ。彼ら彼女らに気にするなと言う風に軽く手を振ってやると、はたから見ても分かるくらいに空気が弛緩した。
「そんなに緊張せんでも良いだろうに。別に今日は怒鳴ったりはせんよ」
「あ、いえ! ……え、本当ですか?」
なんでそこで不思議そうな眼を向けてくるんだお前ら全員。
「一週間ほど前の訓示で、最高顧問権限、なんて言う名目でここの偉い方々全員呼び出して正座させて怒鳴り散らしてませんでしたか? 危うく幹部クラスが全員船の甲板掃除からやり直し、なんて事になりかけてましたけど」
「ありゃお前らが悪い。上になったらちゃんと下を見ろって体に教えたのに忘れやがって」
いい年こいてしょぼんとするなお前ら。可愛くないぞ。
「……ん? あいつどうした? 二期生の」
その時の事を思い出したのか全員で肩を落として蒼褪めている連中の中に見慣れていた顔が一つ無い。尋ねると、幹部達の視線が揃って俺の隣に向いた。
「横領を画策してましたので、現在資源アステロイドベルトで奉仕作業中です。五年ほど」
そう言って俺の目の前に空間モニターを表示させる。
「またこいつか。仕事は出来るのに何で反省しないかな」
「最近はいかにマザーの目を掻い潜るか腐心してましたから。セキュリティホールの発見には役に立ってましたけど、実践しようとしてましたのでそろそろお灸が必要かな、と」
まぁ、五年もすればまた二十年くらい真面目に働くだろ、と二期生連中に声を掛けると、そいつらは揃って頭を抱えていた。お前らも士官学校入りたての頃は似たようなもんだっただろうが、脛に傷持ちだろう、ほぼ全員。
軍の設立当初はまともな人材が集まってこなかったので、頭数集めにそこらの喰いつめ者や一期生がとっ捕まえた海賊連中からまだマシなのを引っこ抜いたからそうなったんだが。
『――全工程、クリア。最終確認お願いします』
っと。そうこう言っている内に漸くこの時が来たか。
「……確認しました」
眼下のスタッフ達の視線がこちらに集まってくる。そして、その中心に立つ博士、彼女の視線は物理的な熱量さえ持っているかのように、キラキラと輝いている。
視線を少し上にあげれば、感覚補助用の大型バイザー越しに、モニターに映し出された白亜の双胴艦が見えた。『白岳』だ。
「最高顧問、研究部最高諮問機関長、連邦議会議長名代の権限を持って、承認する」
そう告げると、眼下のスタッフ達の間に一気に緊張が走った。
「実験、開始します」
白亜の戦艦に、大量に繋がれたラインから膨大なエネルギーが流入していく。観測機の示すデータの数値が、指数関数的に跳ね上がる。役目を終えた物から次々に切り離されていくラインは、出港の際に別れを告げるテープのように、宇宙空間へと押し出されていく戦艦からひらひらと落ちていく。
「超々深度亜空間潜航、開始します!」
音はしない。だが、先ほどまで威容を誇っていた白は、瞬きの間にその姿を消していた。
「……測定可能深度、突破しました」
「観測機に異常無し。周辺宙域にも変化は見られません」
「予定出現時刻までカウント3、2、1……『白岳』、確認できません」
そして、ゆっくりと椅子に腰を沈める俺の口からは、大きな解放感とともに吐息が零れ落ちていた。
指揮管理センター内に、さざめく様な声が満ちていく。不安を多分に含んだそれは、何時まで経っても10秒後の未来に時間を飛んだ筈の戦艦が姿を現さない事から来る物だ。その空気を吹き飛ばすように、俺は椅子から立ち上がり、段々と不安げな声の大きく鳴り始めたセンター内に鳴り響く様な大きな拍手をした。
「おめでとう、諸君。成功だ」
そこに居た全員が、呆気にとられた表情を浮かべるのを見られただけでも、この道化じみた行動は正解だったのではなかろうか。
「きょ、教官! 何を言っているのですか! 最新鋭戦艦と、将来有望な士官が一人、行方不明になったのですぞ!」
「教官はとっくに止めてるだろが。お前はまだその呼び方が治らんのか」
センター内の人々の意見を集約させたようなその大声に、俺は両耳を押さえて小言ガードをしながら呆れたような声を出す。そして、俺の隣で静かに佇んでいた副官に掌を差し向けた。
「どうぞ」
何を打ち合わせた訳でもないのにそれだけでこちらの欲しい物を読んでくれるのは、流石の付き合いの長さだろうか。衰退期からこっち、もう数千年の長きに渡って副官を務めたのは伊達じゃない。
受け取ったメモリーデバイスを弄びながら、ゆっくりと博士の方に歩みを進めていく。博士は、俺の方を見ながら、信じられない、と言った風にそのクリっとした目を大きく広げていた。
……あれ、ばれた? ああ、小言ガードのせいか。妙に鋭い所は相変わらずだなぁ。
「ほれ、実験のデータ」
「え、あ、はぁ?! あんたやっぱり!」
「次はもうちょっと時間のかからない実験にしてくれ」
そう言って肩を叩いて、当時友人付き合いもしていた天才の名も高き女性の呆けた表情をしり目に、俺は再び最高顧問の椅子に戻る。
背後で、急にざわめきが聞こえた。彼女だけに聞こえるように話したから、会話の内容は聞こえてはいないだろう。すると、迎えが来たのか。
俺は椅子の前に立ち、懐から一つの封筒を取り出し――。
「いよっしゃああああああああああああああ! 終わったあああああああああああああ!! 俺はこの仕事を止めるぞおおおおおおおおおおお!!!」
『えええええええええええええええええええ?!』
辞表をデスクに叩きつけた。
んで、それから数カ月後。
「で、どうなった? そっちは」
『どうなったもクソも無いわよっ! さっさと戻ってきなさい!』
俺は宇宙を気楽に漂う『白岳』の艦長室で、モニター越しの罵声を浴びていた。
『いきなり軍の最高位の人間が辞表出すし、マザーはあっさり認めちゃうし、直後に転移してきた船に乗って消えちゃうし!』
「まぁまぁ落ち着けって。そりゃそうだろ、上司居ないんだから俺が辞めたいと思ったら辞められるようになっててもおかしくないさ。マザーにはそうするように言い含めといたし」
ちなみにマザーとは、元管理機構AIがうちの妖精さんによってきっちり『修正』と『教育』をされた後、軍の管理システムを司る事になった後の愛称である。
当時はまた面倒くさい仕事を押し付けられた、と良く剝れていたもんだ。
『大体その『白岳』は軍の所属でしょう?! 見せてよ貴重な資料!』
「はっはっは。そう言われると思って買い取り済みなんだなこれが」
何時からだって? 軍を設立したその時にさ! 売り手も買い手も俺だからチョロイもんだったぜ!
『詐欺じゃない!』
「法は犯してないんだよなぁこれが」
そう言って高笑いする俺に、通信モニター越しに歯噛みする博士。
「真面目な人をあまりからかっちゃ駄目ですよ?」
「いやー、もうこいつがうちの部署に入ってきてから、極力顔を合わせないようにしたりこんな邪魔くさいバイザー付けたりと大変だったしな。これぐらいは良いだろ」
『殆ど会議にも顔を全く出さないから名前だけ貸してるお偉いさんだと思ってたわよ……』
その偶の会議で大真面目な顔でプレゼンしているお前を見て笑わなかった俺は十分に偉いと思う。
『で、あんたら、もう戻ってこないつもり?』
「知り合いは居るからな、顔は出すさ」
「そうですねぇ。偶にはマザーと代わってあげないと、また反抗期になられても面倒ですからね」
俺と女性型アンドロイド機体から何時もの姿に戻った妖精の話を聞いて、博士は画面の向こうで崩れ落ちた。
『最高顧問の秘書さん、憧れてたのにぃ。……私が育てたAIが私より女性らしいって……』
そんな理由か。
「ま、ともあれ、しばらくしたら戻るからさ」
そう言って、俺はモニターの片隅に、一つの画面を映し出した。ずらりと並ぶ、軍関係者と連邦政府からの通信着信履歴。そろそろミリオンを突破しそうな勢いである。
「これ、どうにかしてくんない?」
『……うわぁ』
ドン引きしないでほしい。確かに普通に暮らしている一般人ならお目にかかれないような高官どころがずらりと並んでいるけれども!
『一介の技術者に無茶言わないで頂けませんでしょうか』
「だってさ、内容が揃って「戻ってきて!」なんだぜ? 俺は第二の人生を満喫したいんだよ」
「そのうち指名手配されそうな勢いですよね。既知銀河系内には情報求む、と顔写真がばら撒かれてますし」
『一介の! 技術者に! 無茶言わないで!!』
「そう言わんと」
「また差し入れに特製プリン作ってあげますから」
『あれ貴女の手作りだったの!?』
いやー、女子力で圧倒されてんね、君。まぁ、この通信は暗号通信でも何でもなく記録に残る一般回線で連絡してるから、直ぐに彼女の所にも回線がパンクするほど連絡がいくだろう。俺の味わった苦しみの一部でも味わうと良いさ!
「ふはははは!」
『悪い顔ねー』
「今までのパターンから想定すると、被害者は博士だと思いますが」
その言葉の意味を一瞬で理解した彼女の顔色が青ざめたのを横目に、俺は通信のスイッチを切る。頭が良いと話が早くて助かるね!
――掛かってこない、よし、計画通り。
「博士の個人用通信ラインがパンクしました」
「だろーな」
そう言って、俺は艦長席にゆっくりと腰を落ち着けた。
「では、『艦長』、どこに行きますか?」
「前々から決めてたさ。先ずはマルボワ牛のアイスクリームからだ。次に商会の小娘に会って、パンフレットを貰って、小回りの効く輸送船を買って……」
そう、マルボワ牛の名産地として今も名高いあの惑星は、俺が居た頃は既に無かったし、既知銀河を股にかけて手広く商売する商会なんて存在すらしていなかった。
きっと、俺がやった結果でそうなったんだろうし、数ヶ月前に出発した俺がまた少し何かを変えるのかもしれない。けれど、それを知る事手段が無い以上、それは別の俺と別の妖精だけが知る、小さな小さな秘密の楽しみなのだ。
何も無い宇宙空間を裂いて、巨船がゆっくりと亜空間から姿を現していく。俺は完全同調装置を付けた右手を、パネルに勢い良く振り下ろした。
「行き先を探しながら手紙を書こう。今度は、届ける手紙を!」
そして、楽しみも出会いも、これからも無限に広がっている!
とりあえず、本当にとりあえず完結しました。SFが、それも気軽に宇宙戦艦物が書いてみたい。ただそれだけの思いつきで書いてました。
初挑戦の一人称、説明が多い、書けない時期が長すぎる等々、不満も多々ありますが、それでも書きたい物は書いていたかな、と思いました。
楽しんでいただけた方には申し訳ありませんが、最後に一言。
「私が一番楽しかった!」
お粗末。