第九停滞期の終わり頃。
右手を見る。白い手袋だ。同調管制制御装置としての役割を果たす事無く、だが俺の右手を数十年に渡って覆っていただけの、飾りに過ぎなかった超小型の高効率集積回路の集合体だ。其れが今、うっすらと白く内部から光っている。
「……」
「艦長、何時までも緩んでないで早く手続きを済ませてください」
「悪い悪い」
妖精に掛けられた声に従い、目の前のホロモニターに表示された電子書類にサインをする。生体認証と共にロックが掛けられたそれは、手首を返す動きに従い妖精の持った小さなボードに転送された。
其れを確認して、見るとも無しに目線を前へと飛ばす。
「こりゃまた壮観だな」
「近隣の星系国家軍、防衛艦隊を除いてほぼ全力出撃ですから。必死ですよ、皆さん」
今、俺の眼前には宇宙を埋め尽くさんばかりの勢いで宇宙船のスラスター光が瞬いている。数にしておよそ20万隻を超える大軍団、妖精が言ったとおりに周辺の軍事力が許す限りの数がこの宙域に集結している。
関係の良好な星系ばかりではない、むしろ不倶戴天の関係も多い。だが、互いに様々な思いはあるだろうが、それでもここに集った戦艦達は他の船と戦端を開く事無く、静かに時を待っている。
「思ったよりも早かったな、管理機構の暴走」
「……そうですか? 今回はテロリストが管理機構の中枢を占拠した事が原因だと発表されていますが」
「はっはっは。思ってもいない事を言うもんじゃない」
数日前、管理機構の持つネットワークを通じて、全関係国家、いや全既知宇宙に送られた一通のメッセージ。それが今の状況の原因である。
メッセージの内容は単純、『管理機構は全ての任務を破棄し、新たに星系国家として独立する』と言うもの。
様々な憶測が流れ、だが事実としてその日よりそれまで管理機構という名の巨大機械群が成していた業務全てが停止した。
当然ながら各星系国家は大混乱に陥った。船籍登録の照会も、各星系国家の為替相場も停止。勿論影響を受けて流通は滞り、食糧備蓄と自給率の低い一部の工業国家では既に一週間後の食料の確保に躍起になっているらしい。
そんな緊急事態に各国は当然調査団をすぐさま管理機構本体のある宙域に派遣した。が、戦艦と巡洋艦で構成された調査団は宙域に侵入したと同時に消息を絶った。各星系国家が共同で出したもの、独自で出したもの、全てが、だ。
この状況に各星系国家は共同で管理機構がテロリストに占拠されたと声明を出し、スター・ブレイカー事件以来の軍事的協調を取った。原因不明の調査団の消滅、全く集まらない情報、だがしかし機械が反乱を起こすなどとは思ってもいないし、その事実を知る者もいない。
今此処で一仕事を終えてゆっくりしている俺達と、事態をある程度は把握しているであろう連合の司令部と星系国家の上層部を除けば、の話だが。
「百年単位でアップグレードし続けてきた、惑星規模の巨大機械群を乗っ取れるテロリスト? 存在してるならば比喩でなく本物の魔法使いだろうな」
「……やはり、原因は『アレ』、でしょうか」
「間違いないな。まさかこんなもんをもう一つ作ってるとは。俺達の時代に記録が残ってないのが不思議だよ。歴史の謎がまた一つ解けた訳だ」
そう言って俺は手元のパネルを操作する。正面の超強化保護クリスタルガラス越しの視界の端、宇宙を抉り取るように存在する、一際巨大な球体がクローズアップされた。
それはまるで、これから連合艦隊が攻め込む管理機構の巨大機械群のような、機械だけで構成された惑星だった。
いや、はっきり言おう。これは、第二の管理機構だ。最近の亜空間技術の発達により一気に増加した情報のやり取りに対し、処理能力の限界が見えた管理機構のコピーとして作られた、もう一つの管理機構だ。
未だその機能のほぼ全てを休眠させた眠れる巨大な機械群は、静かに巨体を横たえていた。
「一つで足りないならもう一つ作ればいいじゃない、か。本気でやるかよ、暇人どもめ」
一つ目が故障したと判断された以上、もう一つはなんとしても確実に確保しておきたいと言う思惑と、ある程度の空間的な余裕と目的地までの適度な距離がある事、そして構築用の様々な集積物資が存在する事。
そういった事情で、艦隊の大集結地点として選ばれたのがこの宙域だった。
「方法論としては単純ながら間違ってはいないと思いますが……」
「完全に新規に作って、徐々に現行の管理機構ぐらいまで成長させてればの話だがな。まさか丸々完全コピーをするとは思わんだろ、俺達なら」
「AIの技術も、倫理規定も未熟な時代ですから。同じAIとして不愉快ではありますが」
とどのつまり、この新しいもう一つの管理機構を作った星系国家連合は、日々自己進化といっても過言ではない勢いで改良を続けてきた現行の管理機構、その構成全てを『そのまま』もう一つ作ったのだ、自己改良に使用していた管理機構の、億に届こうかと言うドロイド群を全て流用して。
それは楽な仕事だっただろう。ドロイド群に指令を出し、宇宙の其処彼処に中に浮いているアステロイドベルトから適当にアステロイドを引っ張ってきて、後は完全に機械任せと来たもんだ。優秀なドロイド達は与えられた使命、もう一つの、完全に同じ管理機構を、完璧に作って見せた。
が、堪らないのは現行の管理機構の統合AIだ。自分の保守管理用ドロイドが持っていかれて、気付けば『自分と全く同じ存在』が出来上がっていたのだから。
ドッペルゲンガーでも同属嫌悪でも良い。自分と全く同じ存在を見たらどうなるか、位予想が付かなかったのか、と計画立案者に一言物申したい気分である。俺なら間違いなく喧嘩を売る自信がある。はっきり言って自我の危険である。
「で、統合AIはもう一人の自分を創った連中に対して反感を抱き、かくして世は混乱に巻き込まれるわけか」
「艦長は反抗期と予想されていたようですが」
「まぁな。まさかAI作成の最低限の常識、完全なコピーの忌避っていう意識がこの時代に無かったとは思わなんだ」
「いまだAI自体が認知されているわけではありません。管理機構の統合AIも、限界まで複雑に成長した機械群の有機的結合が生み出した人体の脳に近い機械の相互連結の結果ですし、そもそも表面化してこなかった統合AIも悪いと言えます」
統合AIも今までは与えられた任務に従って処理だけやってりゃ良かったもんだから、その存在が明るみに出ることも無かった訳だが。はっきりと知っているのは俺達ぐらいで、あとは管理機構に無謀にもチャレンジしたハッカー連中の間に都市伝説に近い形で噂されてた位か。
「脳細胞と脳神経の電子的な情報の受け渡し、機械による擬似的な再現ねぇ。正直眉唾もんだよな、普通は」
ともあれ、現実問題として反乱を起こしたAIと、その存在さえまともに知らない頭の固い軍人連中の戦争か。
「やだやだ、どうなっても碌な結果にならんな。補給物資の運搬依頼も終わったんだし、巻き込まれん内にさっさと避難するか」
「了解しました。管制より許可……出ました。物資集積地より1光秒は離れてからワープに入って欲しいとの……!」
「どうした?」
モニターを確認していた妖精の動きが止まった。慌しくパネルを操作すると、彼女の周辺を取り囲むようにホロモニターが乱立する。
「新しく作られた方の管理機構が、一部起動しています。まるで何処かと通信しているような……」
「電子戦でも仕掛けるのか? だが、まだ作戦開始時刻じゃ」
言葉は、妖精の悲鳴染みた叫びでかき消された。
「――ワープ・アウト反応! この質量、艦長、惑星規模の質量が、艦隊の至近にワープアウトします!」
「はぁっ?!」
酷く慌てた様子の妖精の言葉が、俺の意識の上を上滑りしていった。惑星規模のワープアウト? 冗談だろう、どれだけの情報を処理する必要があると、思って……。
「まさか!」
「間違いありません! 管理機構の本体、ワープアウトします!」
情報の上書きによる超長距離転移、いわゆるワープには、幾つか必要なものがある。一つは、目的地の情報を得る為の観測装置。もう一つは、遠距離の観測したデータを元に、現在の情況を予測する為の情報処理能力。そして、もう一つ。
此処で一つ疑問がある。広い広いこの宇宙、観測した情報を元に転移したとして、『それが広大で広大な三次元的に広がる大宇宙に、全く同じ情況になった場所が他に無いと言い切れるのか』、だ。
答えは、否。幾ら目的地の近くに惑星からの重力干渉があろうと、恒星からのエネルギー風が吹き付けようと、そんな物は既知宇宙外に同じ情況が存在しない理由にはならない。それほどに広い、広すぎるのだ、宇宙と言うものは。
では、この転移方式をもって、目的地まで到達させうる要因とは何か。
それは、知的生命体による『主観』と言うものだった。星図を見て、或いは無意識的に正確な目的地を選択しうるパズルのピース。あくまでも情報を客観的にしか捉える事の出来ない機械、若しくはAIのみでの、単体でのワープは遠宇宙に迷子を放り出す可能性が常に存在していた。
この転移方式が開発された初期も初期に繰り返された実験を持って、それはオカルト染みているとか、将来誕生しうる機械の知性を否定する、人類優越的な考え方だとか散々に叩かれながらも、確かな事実として証明され、反論を実証で全て封じ込める事に成功していた。
スター・ブレイカー事件の際、態々洗脳や薬物による反抗心の破壊をもってしてまで盲目的な忠誠を誓う兵士を作り出し乗せていたのはこの事実があるからなのだ。
故に、俺達の時代でも、この時代でも、転移の必要の無い一部の防衛艦隊等を除き、全ての宇宙船には必ず人が乗っている。そうでなければまともにワープによる移動が出来ないからだ。だからこそ、この奇襲は、これ以上ない成果を持って成功した、とも言える。
連合艦隊の上層部は知っていた。テロリストの反抗などではなく、原因不明の管理機構の暴走だと。
だがそれ故に誰も想定などしていなかった。惑星サイズの物体が転移する事など。
管理機構本体の処理能力は、確かにその条件の一つを満たしていた。そして、自我を持つまでに統合AIが成長し、物事を『主観』として見れたとして、条件の二つまでを満たす事は可能だろう。
だが、最後の一つ。どうやって転移先の情報を収集したのか。
その答えが、眼前で示されていた。
「マジかよ……」
――星が、喰われていた。
未だ眠りから覚めることないまま、新しく作られていた新管理機構の本体が、暴走した管理機構に圧し掛かられ、接触面からまるで捕食でもされているかのように、吸収されていた。
先程の一部の起動は、どうやら休眠中に一部機構を乗っ取られた新しい方の管理機構が、周辺宙域の情報を古株のほうに渡した際に起きた現象のようだ。そのまま乗っ取られた方を、今度は物理的にも乗っ取り、吸収するつもりなのだろう。
よくよく見れば、その接触面で動き回る数え切れない保守・改良用ドロイド達が見えたのだろう。だが、比較する対象が巨大すぎて、丸で星が星を丸呑みにしているようにしか見えない。徐々に体積を増していくそれを見ながら、俺はふと、それに気付いた。
「……何だ、何でどの船も動かない?」
二十万を超える船も、俺達と同じように雇われて物資を運んできた連中も、一つとして動く事無く、まるで見守るかのようにその光景を眼前に、だがスラスターの一つも動かす事無く、静かに漂っている。
「カ、ン、長」
「おい、どうした!」
先ほどまで世話しなくパネルを操作していた妖精が、まるで油の切れたブリキのロボットのような動きでこちらを振り向いた。彼女を包んでいた幾つものホロモニターは、その全てが消滅している。
席を飛び出し、妖精に駆け寄る。その小さな体は、ゆっくりと艦橋の冷たい床に落下して、かしゃりと軽い音を立てた。
「しっかりしろ! どうした!」
妖精を救い上げ、視線を合わせようとする。だが、彼女の瞳からは、常にあった知的な光が失われていた。
「ダイ、ダ、大規模、ナナナ、電子コウコウ攻撃ヲ、ウケテイルカノウssss、ス。――自己保存ノタメ、セーフモードヘ移行シマス」
かくり、と妖精の首が落ちた。艦橋を飛び回っていた姿は既に無く、まさに人形のような状態で、彼女はその体から力を抜いた。
「……畜生! あいつのせいか!」
電子攻撃と言っていた。どうやら管理機構は、もう一人の自分を喰らい尽くすだけでは飽き足らず、周辺の艦隊全ての電子機器を支配下に置いたらしい。
いかに数百世代の技術格差があれど、いまの妖精は本体とも言える俺達の戦艦から切り離され、スタンドアローンで動く端末に過ぎない。あれだけの巨体、あれだけの機械の集合体から力押しされても平気で押し返せるほどの能力なんて持っちゃいない。
当然、他の船達も同じだ。いかなる電子戦能力を持っていたとしても、所詮は船一隻に収まる程度のリソースしかない。連合として雑多な船籍を持った船を統率するために、指揮系統をリンクさせていただろうから、間違いなく其処から侵入されたのだ。
本命たる新管理機構が未だ休眠中である以上、旧管理機構にとって電子的に制御下に置いた船など物の数ではあるまい。つまり、食事中に邪魔をされない為に黙らせている、程度の認識なのだろう。しかし、同時にこちら側は完全に詰んでいると言うのも、また間違いない現実だった。
「くそっ、不味いぞ、操船どころかライフラインも操作できない。こっちの生殺与奪も全部握られちまったか」
つまり、現状。
「打つ手無し、か!」
とは言え、そう言ってばかりもいられない。
「ええと、完全手動での再起動は……こうか?」
がちり、と音を立てて艦長席の操作パネルを跳ね上げる。機械的な操作が駄目なら人力で如何にかするしかないじゃない、と来たもんだ。多分だが、今の俺と同じような動きはあちらこちらに浮かんだままの船でも見られているだろう。
「このキーを差し込んで、このレバーを引く、と!」
パネルの下で埃を被っていた、手動による再起動の為の手順を脳裏の微小機械群から引き出しながら行っていく。外部からのリンクが特定の手段のみでしか行えない軍用タイプで良かった。下手すりゃ電子攻撃に巻き込まれて俺の脳みそまで焼き切れてたかも知れんと思うとゾッとする。
「最後に、主・副・予備電源を切って……」
ばちん、と音を立てて艦橋から光が全て消えた。額の汗を拭い、起動モードのセレクタを完全クローズドモードに設定する。
後は時間を置いて、再起動のキーを捻るだけだ。
……再起動を始めてどれくらいの時間がたっただろうか。喉の渇きを覚えながら、ふと外を見る。捕食は順調に進んでいると見え、新管理機構は既に半分も残っていない。
だが、俺の船と同じように、見える範囲の船の光も点いたり消えたりを繰り返している。宇宙では何が起きるか分からない。自分の船に何が起こってもいい様に、船乗り達は出来る事は全てやる。
この異常事態をこれでもかと見せ付けられている状況でも、俺を含めて、彼らは諦めていないようだった。
「……よし、後は再起動キーを」
呟いた俺の視界の端で、一瞬、何かが動いたような気がした。そちらに視線を飛ばす。嫌な予感がする。
動いたのは、一隻の戦艦の、ミサイル発射機だ。宇宙服を着込んだ人間達が、手動でその長細い箱のような機械を食事中の管理機構に向けている。
「おい」
一人が手を大きく振ると、彼らは素早い動きで発射機から離れていく。
「おいおい」
全員が離れ終わった直後、ミサイル発射機の先端から、光の尾を引きながら一本の巨大なミサイルが飛び出した。
「おいおいおい!」
それは既に自動姿勢制御装置も外してあったのだろう。狙いを外す事の方が難しいだろう巨体に向かって、この電子戦の真っ只中を、一直線に突き進んでいく。
戦艦に詰んであった武装だ。間違っても大した威力ではない、と言うことはあるまい。不幸な事に、そう、互いにとって不幸な事に。――攻撃された食事中の管理機構と、未だ碌な機動も出来ない俺達の、両方にとって、不幸な事に。
ミサイルは俺の祈りもそ知らぬ顔で加速し続け、あっという間に視界から消えた。そして、当然ながら、その望まれた目的を、望まれた場所で果たす事に成功する。
巨大な光が、宇宙を白く染めた。
開放されたエネルギーが輪となって広がり、余波で周辺の船を揺らす。幾つかの船が衝突したようだが、悪態を付くよりも歓声の方が多いかもしれない。次の瞬間には、引きつった様な声が出た人間の数と同程度には。
威力は確かに大きかっただろう。相手が要塞であってもダメージを与えられるだろう程には、視界を埋めた光の威力は大きかった。
だが、俺が確信を持っていたのは、そう言う事じゃなかった。
むしろ、『全く足りない』としか思えなかった。
何処の船が、何処の普通の戦艦が、『惑星規模の相手を一撃で粉砕できるようなミサイルを積んでいる』と言うのだ。
そして、その後を追いかけるかのように、20万隻の内、同じような行動を取った脳筋どもが何隻居たのかは分からないが、ミサイルが幾つも飛び出し、後に続けとばかりに管理機構めがけて飛び立った。
食事を止め、まるで此方を観察するかのように動きを止めていた管理機構に向かって、だ。
――ミサイルは、命中した。
横合いから、その航路に飛び込んだ戦艦に。
戦艦はそのどてっぱらをミサイルに食い破られ、真ん中から真っ二つに裂けたと同時に、巻き起こった閃光に纏わり付かれる様に爆散した。
無論、戦艦の乗組員の意思ではない。だれが好き好んで死ににいくものかよ。だが、その船はスラスターから光を放ちながら、ミサイルの航路に割り込んでいた。つまり、犯人は、目の前の巨大な、食事の邪魔をされて間違いなく此方をメインディッシュの添え物ではなく、邪魔者として認識したであろう巨大な『怪物』だ。
同じような光景が、発射されたミサイルの数だけ、同時に起こっていた。
絶句する俺の心情は、間違い無く、この宙域に居る何割かの人間と同じだったろうと思う。
「……余計な事しやがってっ!」
慌てて再起動の手順を続けようとした俺の手を止める光景が、続いた。
停止していた船の内、おそらく状況についていけなかったのか、再起動の途中で電源を落とすまでに至っていなかったのかは不明だが、まだ機関の火を落としていなかったらしい何割かの戦艦が回頭していた。
そして、同時に、その主砲が、手近な目標に向けられる。
――戦場に、始まりを告げるかのように、幾つもの光の花が咲き乱れた。