【7】人と魔獣が結びし盟約
日が沈み、月明かりが差し込む洞窟の中、いつものように幼獣達は母親に話をねだる。
それは、いつものことだった。だが、幼獣達のねだった話が問題だった。
それは―――
「御母様。『御父様』について教えて下さい」
母親の魔獣は、銀の耳をピクリと動かし、尻尾をブワッと膨らませた。
「そうだな……。父親か……」
何時もならすぐに話し始める母親の初めてみせる躊躇う様子に、聞いてはならないことを聞いたかと幼獣達が不安げな顔をする。それに気づいた母親は、安心させるように幼獣達の顔を舐めてやる。
舐め終わった後も、暫く目を伏せて思案していた母親は、最終的にこう結論付けた。
「愛し仔達よ。お前達がもう少し大きくなってから父親について話してやろう。アレは、情操教育に悪い存在だからな」
情操教育に悪い父親ってどんな父親だ、と『くろいの』の脳内で妄想が渦巻いた。
「じょーそーきょういく?」
弟妹達が知らない単語に首を傾げた。
「うむ。あのような浮気獣のことなど、今はまだ知らなくてよい。王宮に行く前になったら教えよう」
その言葉に『くろいの』は驚いた。
「御父様は王宮にいらっしゃるのですか?」
そうだ、と母親は頷いた。
「さて、それでは、今夜は森の外の危険について話をしようか」
暗に父親の話は打ち切りだと示し、母親は話を続ける。
「我々魔獣は、魔力の源である森の外に出ると魔力を失い、ただの獣になってしまう。我らが一族だと、犬に近い生き物になる」
幼獣の一匹が疑問の声を上げる。
「ですが、御母様。それでは、魔力を使って王族と契約を結ぶことができなくなります。契約の地は王都。人の住む地です」
良いところに気がついたな、と母親は幼獣に微笑みかける。
「契約を結ぶことによって、我らは人を介して魔力を得ることができるようになるのだ。」
別の幼獣が不安そうに鳴く。
「じゃあ、僕達、犬みたいに弱い獣になって王都まで行くのでしょうか?」
怯える幼獣を安心させるように母親は答える。
「案ずことはない、我が愛し仔。私は既に王族と契約を結んでいるため、森の外でも魔獣のままだ。害意ある者はすべてこの牙で引き裂き、お前達には毛一本も触れさせはしない。それに森から王都までは王族が派遣した護衛達に運んでもらうことになる。あの者たちは中々に優秀だ」
不思議そうに幼獣が尋ねる。
「どうして森の外では魔力がなくなるのですか?」
少し長くなるぞ、と断ってから母親の魔獣は古の物語を幼獣達に語り出した。
「それが、我らが魔獣と人が結んだ契約の一環だからだ。古の時代、人は我らが敵であった。魔獣と人は、互いに互いを狩り、滅ぼしあっていた。だが、ある時、魔獣の王たる獣が一人の王族と出会った。彼らは友となり、互いの同朋を憂う心を知った。そして、彼らは契約を結んだ。人は人の地で、魔獣はこの根源の森の地で暮らし、お互いの領地を侵さないという契約を。そして、その契約の証として我ら魔獣はこの森から出ればただの獣となるようになり、人はこの森に入れぬようになった」
「年月が過ぎ、人が幾世も代替わりするうちに、人は我ら魔獣を恐れなくなった。そして、我ら魔獣との交流を求めた。我らもまた人の世に興味があった。そして生まれたのが、新たな契約だ。人と魔獣が契約を結び、魔獣が魔力を持ったまま人の地で過ごすことができるようにしたのだ」
「ただし、我ら魔獣は、魔力はあれども、契約主の人間の同意なしには、己又は契約主の命に危険が迫らない限り、人の地で人を害することができなくなった」
「しかし、この契約を悪用するものが現れた。魔獣にも人にも」
「そこで我らが一族は人の王族と新たな契約を結ぶことにした。契約を悪用し、世を乱す魔獣や人が現れた際に、我らが一族と人の王族が力を合わせて粛清を行うというものだ。この契約に則り、魔獣と人の仲介を行うのが、我らが使命だ」
ふむふむ、と頷いていた『くろいの』は、ふと疑問に思った。
「では、御母様。なぜ、私達の一族が、そのような使命を担うことになったのですか?」
それは、と母親は何でもないことのように告げる。
「我らが人間風に言うと魔獣の王族だからだ」
「へぇ。……えっ」
そういえば、言っていなかったか、と悪びれもなく母親は言う。
「王族といっても、人間のように魔獣を統べたりはしない。我らが一族が魔獣において最強である。ただ、それだけだ」
(それって結構凄いことなのでは)
心の中で呟いた『くろいの』は、新たな疑問を抱く。
だが、聞こうかどうか迷っているうちに、弟妹の一匹が何の躊躇もなく母親に聞いた。
「では、御母様。御母様と御父様とでは、どちらの方が強いのでしょうか?」
御母様が口の端からギラリと光る牙を覗かせて嗤う。
「この私に決まっておろう」
御母様が、家庭内どころか魔獣最強の女王陛下であると知った日だった。
***
ちなみに、御父様がした『浮気』とは、王宮の料理長(息子5人娘3人を育て上げた女傑)に兎の蒸し焼きをねだったことらしい、と後に『くろいの』達は知ることになる。
その程度で『浮気』とは……とは口が腐っても言えない『くろいの』達であった。
なにしろ、その話をした時の御母様は毛を逆立て、尻尾を膨らませ、爪と牙をむき出しにした臨戦態勢だったからだ。お母さまがあれほど恐ろしいと感じたのは件の竜狩りの時以来だった。
御母様は、御父様が自分以外の女性に食事をねだったことがよほどお気に召さなかったらしい。曰く、「我が朝一で生け捕りにして来た一角獣は食べず、他所の女に肉をねだるとは……! 何たる侮辱!」だ、そうだ。
ちなみに、一角獣に対する定義は様々ある。
人間曰く、「神聖なる神の御使いであり、パレヴィダ神殿が崇め奉る聖獣」
御母様曰く、「その肉は柔らかく、迸る血は爽やかな喉越しの極上の逸品」
まだまだ出番のない憐れなお父様曰く、
「外交問題に直結するため人の地では手を出せない珍味。魔の森でならば喜んで食べるが、人の地で傷の一本でもつけようものなら、各所から非難囂々。抗議の意味でご飯のランクが下がるから、愛する奥さんが生け捕りにしてきたやつを広い心で見逃してやったら、家庭内での地位が下がった、我が逆恨み対象ナンバーワンな魔獣」
現時点では幼獣達の脳内に
「父親=じょーそーきょういくにわるい」
という公式が燦然と輝いていることを幸か不幸か王都の父親は知らないのであった。
彼が幼獣達の誤解を解く日はまだまだ遠い。