【番外編】副神官長物語(8)
9/15 加筆修正致しました。
陽光に鈍く光る白い牙。
膨らみユラユラと揺れる銀の尾。
そして、深い蒼の瞳に宿る激情の炎。
副神官長の背筋を脂汗が伝った。
***
後になって思えば、言い過ぎであった。銀狼騎士団団長ヴォルデは、後になって思い返せば、目は窪み頬は痩けて草臥れきっていた。しかし、言い訳をすれば、当時は疲労の極限に達していたのだ。あれほどの執務量をこなしたのは、前国王を弑した時以来である。
御仔が見つからず、終わりの見えない激務に倒れそうになりながら向かった先で、保護する予定であったヴォルデは、(副神官長の目から見て)暢気に仔犬と戯れていた。しかも、その仔犬は、彼らが探し求めていた銀の女王の御仔であった。
―――頭の中が真っ白になった。次いで、膨大な言葉が副神官長の脳内で渦巻いた。
(何故気付かぬ。貴様らは銀の女王の側近であろうが。最も天狼を間近で見る機会が多いというのに、何故その三角の耳が銀の賢獣に瓜二つであると分からぬのだ。見ろ、今紐をくわえている口と牙の形など銀の女王に生き写しであろうが。色か、色が違うからか。黒色である如きで気付かなくてどうするのだ。というか、何故、黒なのだ。天狼は銀の毛並みに蒼の瞳ではないのか。まさか、黒色だと伝え忘れているなどということは・・・・・・ありそうだ。なにしろ、銀の賢獣は、詰めが甘いと評判の我ら王族の先祖であるのだ。「うっかり伝え忘れていたよ」と誤魔化すように尾を振る賢獣が目に浮かぶようだ。それにしても何とも愛らしいことよ。仔天狼に見えるなど数百の生を繰り返してもあることではない。黒の並みはフワッフワ、肉球はピンクでプニプニなのだぞ。その希少な仔魔獣と遊ぶなど、なんと、なんと―――羨ましい)
この間、団長と仔犬を視界に入れてからわずか二秒である。連日の徹夜によるハイテンションと仔天狼の愛らしさに思考が暴走したのだ。
銀の女王の御仔が見つかった安堵とあまりにも灯台下暗しの顛末への脱力の果てに、副神官長は、無自覚に据わった目で一人と一匹を見た。
(ふむ。コレにて一件落着か)
副神官長の顔に『表情』が付けられた。
(手柄は銀狼騎士団に与えた方がよいな。元老院への牽制になろう。――しかし、気にくわぬ)
その『表情は』、悪友である教皇と配下の神官達と共に試行錯誤した末に会得した、
(気にくわぬ。・・・・・・私にも一撫でさせろ)
悪徳神官笑いを浮かべて、副神官長は一歩を踏み出した。燦々と陽光を浴びる草木の中で、笑い戯れる一人と一匹に向かって。
***
副神官長は、偉そうにのっしのっしと中庭を横切って二人と一匹の元に向かった。
最初に気がついたのはヴォルデ団長であった。黒の瞳に警戒の色が浮かんでいる。
(悪徳神官が何をしに来た、といったところか。やれやれ、手の掛かる『弟』だ)
元皇太子は、先王の末子と『された』弟に、悪徳神官らしく見下すような目線をやった。
ヴォルでの背後に控えるエレナ副団長も、こちらを睨み付けている。アンベルク伯爵の一粒種は相も変わらぬお転婆のようだ。
九歳の時に、魔力暴走で錯乱した巨大鶏を丸焼きにして以来、炎の魔術を駆使して数多の人魔を討伐あるいは屈服してきた騎士である。優秀な文官の血筋から彼女ほどの武闘派が生まれたことは、貴族七不思議の一つとなっていた。
殺気のこもった視線を浴びせられながら、副神官長は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
(ふん。過去に魔の森で空腹の銀の女王と狩りをした時に比べれば、この程度の殺気など)
わざと人間側二人を挑発しつつ、副神官長は彼らの足下にいる黒い仔犬を見下ろした。小黒毛玉はキョトンと黒の瞳を丸めて何事かと三人を見上げていた。小さな口でじゃれていた遊び紐をくわえたままだ。小さな前足は体格の割に太く、将来の有望さをうかがわせた。
(大きくなるとはいっても、さすがに人間を丸呑みにできる天狼とは思っておらぬだろうがな)
一歩踏み出し、丁寧に貴族式の礼を取ったのはヴォルデ団長であった。
「これはギルバート殿。このようなあばら屋までお越しいただくとは。さて、本日はどのような御用件でいらっしゃったのか」
何の用だ、さっさと帰れ、といったところか。
副神官長は、横柄に頷き返してやった。
「ふん。まったくだな。こんな魔の森近くの何の面白みもない辺境まで、わざわざ、この儂が来てやったのだ。せいぜい感謝するがいい」
(本神殿に帰還後に待ち構えている、辺境に来たために滞っている業務の山に、今から胃が痛いのだぞ)
『儂』は『悪徳神官長』の一人称だ。「そっちの方が偉そう!」と目を輝かせた、当時神官見習いであったシリルの提案で決定した。
実際、自分で言っておいてなんだが、何様な台詞である。事実、黒色の仔犬が不愉快そうに耳を立て、尾を膨らませている。黒のつぶらな瞳に浮かんだ嫌悪の色に、密かに傷つつきつつ、副神官長は言葉を続けた。
「御子探しが難航しているようだな。喜べ。パレヴィダ神殿の副神官長たるこの儂が直々に女神ローネルシアに御子の行方に関して御伺いを立ててやろう」
全くもって嬉しくなさそうな騎士二人と仔犬一匹に、とびっきり下卑た笑みを浮かべて副神官長は、闇色の仔犬―――モニカを見やった。
「儀式には供物が必要だ。幸いなことにお前達にはちょうどいいものがある。なに、供物と言っても殺しはしまいよ。儀式が終わった後は、珍重な黒の獣として我が神殿で大切に世話をしよう」
ヴォルデとエレナがとっさにモニカを背後に庇った。モニカも、唸りながら警戒するように後退る。
(これはまた、嫌われたものだ)
副神官長は内心で嘆息した。
この場に置いて最も庇護を必要としている者は誰であるか。
それは、王家の血筋を引いておらず、伯爵家の一人娘でもない存在だ。
そう。マニア垂涎の存在―――希少な闇色を瞳と毛皮に持つ双黒の仔犬である。
御仔探索の不調により、権威が失墜しつつある銀狼騎士団では、もはやモニカを守り切れない。元老院が行うであろう彼らへの責任追求の中には、当然、闇色の仔犬モニカの引き渡しも含まれている。
だからこそ、不可侵の神域である神殿での保護が必要であると判断したのだ。決して、神殿にお持ち帰りして柔らかい毛皮と肉球を堪能するためではない。馬車の中で膝に乗せるのを楽しみになど、していないのだ。
ヴォルデが言葉を選ぶようにゆっくりと反論した。
「大変ありがたいお申し出ですが、銀の女王陛下は神に属さぬ身。教徒でない御方の御子の行方を尋ねれば、女神の機嫌を損ねることになりかねないのでは?」
よけなお世話だ、一昨日来やがれ、ということだ。
(ふむ。随分強気に出たものだな。よほど、この闇色の仔犬が気に入ったらしい)
神殿の情報網によれば、それはもう目に入れても痛くないほどの可愛がりようであり、銀狼騎士団揃って闇色の仔犬に骨という骨をガジガジと囓られて骨抜きのフニャフニャらしい。
さもあらん。副神官長は、限界まで全身の毛を逆立てた黒毛玉を見下ろした。怒りにかフルフルと震える様は、威嚇の唸り声さえも微笑ましく愛らしい。上からポスポスと撫で回したい愛くるしさである。
周囲の建物から感じる視線の多さは即ち、モニカの行く末を案じる騎士の野次馬達の多さを物語っている。貴様ら、御仔捜索(仕事)はどうした。辺境でもできる本来業務をアルフォンス神官に押しつけた自分のことを棚に上げて、副神官長(弟保護にきた元兄)は、胸と言うより腹を反らして嘲笑を浮かべた。
「ふむ。確かに、銀の女王が、我らが崇高な女神の真価を理解していないのは確かだ。しょせんアレは獣だからな。だが、我らが女神ローネルシアは慈悲深き御方。あの銀色の罪深き獣にも情けをかけて下されようぞ」
とりあえず、周辺100km以内に銀の女王がいないことを女神に祈りながらの台詞である。あの女王陛下は意外と地獄耳なのだ。笑い飛ばされるか喰われるかは、そのときの空腹度合いによる。
それまで団長であるヴォルデを立てるように控えていたエレナ副団長が、たまらずといったふうにギルバートに抗議した。他の団員達も殺気だっている。
「失礼ながら、ギルバート殿。少々お言葉が過ぎるのではありませんか」
ギルバートは、緩みそうになる口元を引き締めて、怒りの表情を浮かべた。
(そうだ、怒るがよい。貴殿らの敵はパレヴィダ神殿だ。対立するならば我らにしておけ。要所要所で勝たせてやるから)
国家機関である元老院と対立するよりは、彼らの不満の矛先をパレヴィダ神殿に向けた方がよい。
先の見えない御仔探索に疲弊した彼らが自棄になって暴走すれば、銀狼騎士団は自滅する。その前にヴォルデ騎士団長を人質に取って騎士達を牽制し、彼らの不満をパレヴィダ神殿に向ける。
ヴォルデを元老院から守ることもできて、正に一石二鳥の策であった。しかも、今なら可愛い仔犬の皮を被った、魔獣最強種『天狼』の幼獣付きである。というか、でかい図体の弟よりも仔毛玉の方がメインになっていた。
副神官長は気合いを入れてヴォルデを語気荒く怒鳴りつけた。
「部下の躾がなっておらぬな。先王の落胤だからといって思いあがるなよ。貴様が団長などという地位につけたのは、双黒の髪と瞳を国王陛下が珍しがっただけであろう。お前の無能さ加減は、幼獣一匹見つけられぬ今回の件で、皆よく分かっておる。……ああ、無能なのは、貴様一人ではなかったな。貴様を含めた団員全員が役立たずの穀潰しよ。銀狼騎士団などという大層な名前はお前達には不相応だな」
(さて、暴言の一つでも頂ければ重畳。国王陛下からの委任状と、その不敬罪を合わせてヴォルデを連れ帰ってくれよう)
「黒などという汚らわしい色を持つ気味の悪化け物どもめ。我らが純白の一角獣様と真反対の色を待つ貴様達は、前世でどのような悪行を犯したのであろうな?」
―――ノリノリの副神官長は気付いていなかった。
「まったく。本当に躾がなっておらぬな。黒色は、世間では、珍しい色合いだからと珍重されているようだが、我らが神殿は、お前達を甘やかしはしまいよ。愚かなお前達が己の罪深さを知ることができるように、仔犬共々しっかりと躾直してやろう」
―――ヴォルデ団長の背後にいる、闇色の仔犬。その瞳に宿った物騒な光に。獲物を見定めた御母様に瓜二つな、その獰猛な笑みに。
凶暴な肉食魔獣に狙われた被食者―――副神官長は、下卑た笑みを浮かべて言葉を連ねた。
そして、気付いた時には、ソレが目の前にいた。
***
陽光に鈍く光る白い牙。
膨らみユラユラと揺れる銀の尾。
そして、深い蒼の瞳に宿る激情の炎。
怒れる魔獣が女王の御光臨である。
副神官長の背筋を脂汗が伝った。
彼の誤算は、闇色の御仔が盟約を交わすほどヴォルデを気に入っていたことである。命を預けるに等しい盟約の友が、これほど早く見つかるとは思っていなかったのだ。
その上、闇色の天狼へと御仔が転身してからの遠吠えも不味かった。
「御母様ー! パレヴィダ神殿のバカ副神官長にいじめられましたー。助けてー。御母様ー!」
愛し仔の鳴き声に応えて、文字通りモンスターペアレントが飛んできた。
激昂する銀の女王に睨み据えられて、やりすぎた副神官長は思った。
(ふむ。これは喰われるな)
彼の意識は、突風に吹き飛ばされたところで暗転した。
その日、アルフォンス神官は急ぎの文を受け取り、銀狼騎士団までボロ雑巾―――のようになった副神官長を迎えに行くことになった。
妙に騎士達の視線が冷たかったのを覚えている。経緯を聞いても「自業自得です」としか応えてもらえなかった。アルフォンス神官が必死でした介抱の甲斐あって、副神官長は帰りの馬車の中で無事に意識を取り戻した。彼の第一声は「それで、喰われたのは手か足か耳か腹か」だ。
五体満足で腹も丸々と肥え太ったままだと教えて、何があったかの説明を聞き、アルフォンス神官は頭を抱えた。「銀の魔王一家と銀狼騎士団を敵に回すとは、何をお考えになってやがりますか、この魔獣ブターっ」という彼の怒りもむなしく、副神官長は悲しげに呟くのみだった。
「あと少しで、天狼の幼獣を神殿に持ち帰れたというのに。無念だ」
思う存分撫でくり回したかった・・・・・・、と落ち込む副神官長に、アルフォンス神官は決意を固めた。だめだこのブター、早く辺境神殿から本神殿に昇進して首に縄付けなければ、と。
後日、捜索部隊の信者をまとめるために出張中だったシリル神官が「俺も魔獣ブターの手伝いがしたかったのに。アルフォンスだけずるい!」と拗ねたのに困って、アルフォンス神官が「分かった。じゃあ今度は二人一緒にブターの所に行こう」という約束をするというのは、また別の話だ。
***
パレヴィダ神殿と天狼一家の関係は、この後一気に悪化することとなる。少なくとも、表面上は。違法召還事件でピークに達した両者の亀裂は、しかし、アルフォンスとシリルが約束通り二人揃って本神殿へと枢機卿として昇進した年から、様々な出来事を経て、徐々に修復されていった。
その裏で、太鼓腹を揺らした魔獣ブターがいただなんてことは、今はまだ誰も知らない未来の話である。そう、行方不明の御仔が見つかった御母様の喜びの雄叫びを聞いて、安堵で地面に尾まで倒れ伏したヘタレ御父様もまだ知らない。