【番外編】副神官長物語(7)
その光景を見るまで、副神官長は信じていた、というか、思い込んでいた。
『彼』は、思い悩み、疲れ切っているはずだ、と。
しかし、副神官長の目に映ったのは、戯れる『彼』と『ソレ』であった。
***
パレヴィダ教皇の名で国王に奏上されたのは、銀狼騎士団の助命嘆願書であった。返答は即日のうちに届けられた。銀狼騎士団に関係する全てを神殿に預ける、との王命である。これを受けて、教皇より騎士団への対処を一任された副神官長は、騎士団長が住まう宿舎へと向かう馬車の中にいた。
(ここまでは、ほぼ想定通りに進んでおる。最悪の想定通りにな・・・・・・)
腕を組み、ギルバート副神官長は内心で唸った。御仔が誘拐されたという第一報を受けた時点で、今後の対策として幾つかのシナリオを想定していた。それに対する神殿としての対応も。そして、事態は最悪の方向へと向かいつつあった。
(御仔捜索の要は、天狼に最も近い銀狼騎士団をおいて他におらぬ。彼らが責任を求められて死罪などということになれば、指揮系統が崩れ、人類総出の御仔探しは成り立たなくなる)
銀の女王に身命を捧げた彼らの代わりなど、いるはずがない。彼ら以上に、御仔を真剣に探し、その協力を求めて他の人間達をまとめることのできる人間など、いるはずがないのだ。
(本当に、余計なことばかりしてくれる)
副神官長は、元老議員達に信者である奥方を通じてする些細だが精神的にくる嫌がらせを考えながら、しばし現実から逃避した。
***
馬車が木造の一軒家の前で止まる。御者が、銀狼騎士団長の宿舎への到着を告げた。取り次ぎをしてくるという御者を止め、副神官長は太鼓腹を揺らして馬車から降り立った。
神官服の裾を直しながら、彼は少し口角を上げる。
(さて、銀狼騎士団長にお会いするのは、これが初めてであるな。人の真価は想定外の事態への対処であらわれる。御仔探索などという前代未聞の事件に対する、ここまでの対応を見る限り、なかなかに見所のある若者のよう。ふむ。楽しみだ)
丸い身体を弾ませて、副神官長は扉を叩いた。
***
連日の御仔探しに憔悴した青年。成果の無さに思い悩み、先の見えない捜索に疲れ切っているはずだ。そう、思っていた。
しかし、現実は―――。
副神官長は、己の目を疑った。
そこには、闇色の子犬と紐で遊ぶ銀狼騎士団長の姿があった。
(ふむ、これは、想定外であるな)
ふつふつと、腹の底から沸き上がる感情があった。
勝手の違う辺境神殿での探索指揮は、非常に骨の折れるものであった。突如押しかけた本神殿の副神官長に辺境神官が反発したのだ。それを、顔馴染みの神官達―――各地の神殿に均等に配置している、司祭長時代からの付き合いである元神官見習い達の協力をえてどうにか抑えた。
王都と裏世界の状況にも目を光らせ続けなくてはならなかった。混乱に乗じて悪事を働く人間は必ずいるものである。目に余るものは、国王なり銀の賢獣なりに密かに通達を送った。
パレヴィダ神殿内の統制も徐々に取り難くなっている。どうせ銀の魔王が復活するならば、社会の混乱している今ならば、と、制約を破ろうとする者が出始めていた。不穏分子を牽制するのもそろそろ限界である。
正直に言って、この数ヶ月、まともに休んだ記憶がない。見かねたアルフォンス司祭長に睨まれながら滋養強壮に効く紅茶を飲んでいたところに、銀の賢獣が来訪してきたのだ。
副神官長は無意識のうちに信じていた。銀狼騎士団長は、あの憔悴しきって、耳と尾が垂れた父親魔獣と同じであるに違いないと。
しかし、現実は違った。
銀狼騎士団長は、闇色の子犬とキャッキャッウフフと戯れていた。
しかも、なんだか仔犬の姿形に見覚えがあった。
知性に輝く黒の瞳。
大きく開けた口から除く白い小さな牙。
そして、楽しげにピンッと立った耳。
仔犬の姿であれども、一目瞭然であった。特に、あの三角の耳の形など、父親そっくりではないか。
色こそ黒と違っているが、アレはどう見ても・・・・・・。
(灯台下暗しにも程があろうが。というか、私達が苦労している間、ずっと戯れておったわけか。幼獣期の、可愛い盛りの、仔天狼と)
それは、あまりにも―――羨ましすぎた。
副神官長の目が据わった瞬間であった。