【番外編】副神官長物語(4)
王とは、国のために生き、国のために死ぬ生き物だ。
ならば。
ならば、誰が王のために生き、王のために死んでくれるのだろうか。
***
目前で巨大な尾が揺れる。夜の闇の中、銀の揺籃―――研究塔内の洋灯が放つ光を受け、硬質に光り輝く銀の尾。その銀毛の塊に夜ごと飛びつきストレス発散をするのが日課となって、もう何年になろうか。
(立つことが出来てすぐであったな、確か。ふむ、8年か。そして、あと11年か。せいぜい満喫させてもらおう)
日中、年相応に『可愛らしい幼子』を装って9年。これだけ続ければ幼児ごっこにも磨きがかかる。口元に乾いた笑いが浮かぶのが分かった。
(なんとも愚かな道化だ)
今宵もまた、精神年齢と肉体年齢が釣り合わない九歳児は、銀の尾を捕まえて「ああ、今日もどうにか一日が終わった」と、オッサン臭く呟く。
そして、銀毛に顔を埋めたまま、なにげなく『彼』に告げた。
「父王を亡きものにいたします」
尾の毛が一本残らず逆立った。
(ふむ。外交には向かぬな)
柔らかな銀海からプハッと顔を上げ、振り返った魔獣を見上げる。
澄んだ蒼の瞳に映るのは、小さな人の子だ。歯がゆいほどに幼い、その姿。
ふっくらとした桃色の唇を開いて、彼は微笑んだ。
「決行は、私が20となる年になりましょう。・・・・・・どうか、我が弟をよろしくお頼み申し上げます」
***
国庫はもはや限界であった。累積債務は歳入の5倍を超え、破綻は目前に迫る。
原因は明白だ。現国王の後宮における浪費である。
現在の後宮には故正妃の遺児2名、側妃14名、特例養子18名が所属している。彼らの衣食住に医療・教育費だけでもかなりの負担だ。その上、側妃と特例養子の数は年を追うごとに右肩上がりに増えている。
側妃たちが、本来の意味での存在であるならば、並外れた好色ではあれども、王家の存続のために目をつぶった可能性もある。しかし現国王は側妃を迎えるに当たり、彼女たちの役割は故王妃の遺した2王子の母親役であり、現国王が手を付けることは絶対にない、と明言し、その言を守り通している。
継母が14人。考えるだけで頭が痛くなる状況である。教育ママ、放置ママ、でーぶいママ、モンスターママ、暗殺ママ。選り取り見取りな彼女たちの中には、現国王がダメならば逆紫の上よ、と迫り来る継母もいた。ダヴィード王子のトラウマである。彼は側妃達から逃れるために、罪悪感を刺激する純粋無垢な幼子演技により一層の磨きをかけた。
特例養子と名付けられた義兄姉弟妹もまた、頭を悩ませる存在であった。彼らは、現国王が「兄弟二人きりでは寂しかろう」と、王宮に連れ帰った身寄りの無い子供達だ。上は12、下は0歳児からなる彼らは皆、王家の血筋でないにも関わらず、王族並みの待遇を受けていた。
今はまだ良い。しかし、将来的にはどうする。一度は義理とはいえ王族の一員に数えられたのだ。うかつな扱いはできない。一生を後宮で過ごさせるか、信頼できる臣下に下賜するか。「兄よ」「弟よ」と構われ慕われる度に、ダヴィード王子の胃はキリキリと悲鳴を上げた。
後宮が本来の役割を失い、無法地帯となっているのと同様に、政もまた乱れに乱れていた。
諸貴族は利を貪り、諸官は私欲を求めるばかりだった。当然だ。まともに使える臣下がいるのならば、今の後宮を放置しているはずがない。
そのような現状下に対して、書類に埋もれた幼子が奇声を上げつつ机をテチテチするのが、ここ数年の日常であった。
そして、悩み唸って、ダヴィード王子は決めたのだ。
最も、国と民のためになるであろう道を。
例え、その先にあるのが己の死であっても。
王に対する弑逆。
―――その対価は死罪である。
***
私がもう少し年長であれば、まだ他に手があったやもしれませぬが、致し方ありますまい。そう言って笑ってみせれば、銀の賢獣が低く唸った。気に入らない、という風に。
抱きついていた尾が、突如として左右に大きく振られる。
乱暴に振り解かれる形となって、尻餅をついた目前に、天狼が伏せ、視線を合わせられた。細めた蒼の瞳にヒタリと見据えられる。その瞳に映るのは―――怒気だ。
大きく顎門が開けられ、赤い腔内と白く鋭い牙が見えた。
(まずい、不興を買ったかっ。喰われる!)
後退ろうとした瞬間に襲いかかったのは、竜をも切り裂く牙ではなく、鼓膜が破れんばかりの大咆吼であった。酷い耳鳴りの後、ビリビリとした痺れが全身に広がる。驚愕と安堵に潤む視界の向こうで、ゆっくりと銀の賢獣は顎門を閉じた。
「馬鹿だね、君は。大馬鹿虚けの大間抜けだ」
叱責の声が塔に響き渡る。厳しい言葉であるのに、酷く優しい調子であった。
「僕に相談するまでは正しいけど、その先が間違ってるよ」
頬を舐められ、手をやれば、驚きに零れた涙がまだ流れていた。
「いいかい。こういう時、子供が言うべき言葉はね」
澄んだ蒼の瞳に、幼子が映っていた。
「『助けて』って言うんだよ。ダヴィード」
蒼の中に映る、途方に暮れた幼子が小さな手を伸ばすのが見えた。
震えたその手が触れたのは、暖かく柔らかな銀毛であった。
銀の賢獣。
元王族から転身した天狼は、人と魔獣をつなげる要の魔獣であり、王族の守護者である。歴代の王家に助言を施してきた彼が、王族に与えた恩恵は数え切れない。
かの銀の魔獣にダヴィード王子は問うた。
「銀の賢獣殿。王は、国のために生き、国のために死にます。ならば、誰が王のために生き、王のために死んでくれるのでしょうか」
銀の賢獣は、彼の頬を舐めて答えた。
「そうだね、少なくとも僕は、君を生かすために生きて、君を死なせないために生きるつもりだよ」
王のために死ぬとか、君はどうしてそう『死』にこだわるのかい? 一度、魔の森に放り込んで、僕の番に生の尊さを叩き込んで貰おうか?
ダヴィード王子は高速首振りで即時拒否を示した。
蒼の瞳に宿っていた涙は、その拍子にどこかに飛んで行ってしまった。