【番外編】副神官長物語(3)
長い銀髪は高く結い上げられ、瞳と同じ蒼色の花が編み込まれている。
『彼女』が絨毯の上でクルリと回れば、薄荷色のドレスがフワリと膨らんだ。
裾から覗く白いレースと細い足首は、黒真珠色の靴に続いている。
幼い風貌に不似合いな、艶めいた黒の光沢。
―――それこそが、『彼女』の本性。
桃色の唇が弧を描き、此方に向かい白魚のような指が伸ばされた。
春の妖精が如き少女と、手を合わせる。
―――鏡越しに。
「ふむ、何とも可愛らしい少女だ」
「・・・・・・一体、何を始めるつもりなのかな?」
絨毯の上に伏せた巨大な魔獣が、鏡の中で呆れたようにヒゲを揺らした。
踊るように振り返った『彼女』は、腰に手を当てて無邪気に笑う。
「今日、銀の賢獣様が選んだ先生に会うんだ。えへへ。絶対にびっくりするよっ。王子じゃなくて『王女』が来たら!」
ゆったりと長い銀の尾を振り、銀の賢獣は問う。
「で、本当の所は?」
巨大な魔獣の顔に抱きついて、ひくひく動くヒゲに手を伸ばしながらダヴィード王子は答えた。
「人の真価は、予想外の出来事への対処で現れるものです。貴方が御推挙なさった先生のお手並みを拝見といきましょう」
柔らかな布地に顔面を覆われた銀の賢獣は、やれやれと蒼の瞳を細めて唸った。
「何とも可愛らしいことだね」
でしょう、今さっきから天井裏にいる密偵も同意見だと思いますよ、とダヴィード王子が小さく笑い声を上げる。
「ところで、密偵に聞かれないためだとは思うけれど、くっついたから折角のドレスが毛だらけだよ。いいのかい?」
「・・・・・・あ!」
詰めが甘いところは、僕と同じ王族の血だね。
数千年前の王子が、牙を剥き出して笑った。
***
予想外の出来事にあったときにこそ、その人物の真価は分かる。だからこそ、私は女装して新しい教師に会おうとしたのだ。しかし―――。
(これは想定外だったな)
目前にいる『女性』。いや、ここは幼くとも紳士として『ご婦人』と呼ぶべきだろうか。ご婦人は、長い銀髪を団子に纏め、鼠色のドレスを身に纏っている。緑の瞳には理知的な光が宿り、白の手袋をはめた手で口元を隠し笑う様には気品があった。目立った装飾品もなく、厳格な教師らしい服装と態度であった。
―――しかし。
のけ反るようにして彼女を見上げた。私が五歳であることを差し引いても、随分と背が高い。喉元まで覆うドレスではあるが、肩幅と手足の大きさを隠せていない。致命的である。
(ふむ、この場合、どうでたものかな)
ダヴィード王子は、驚いたフリで目を丸くする演技をしつつ、内心でどう反応すべきか脳内知識を漁った。
―――教師を女装で驚かそうとしたら、教師も女装して入室してきた場合の王族としてのあり方。
そんな馬鹿な事例まで対応した知識はなかった。当たり前である。そんな無駄な文章に貴重な羊皮紙資源を消費するはずがない。
ちらりと横に視線をやれば、推挙者として立ち会っている銀の賢獣が限界まで尾を膨らませていた。よく見るとふるふると震えている。ふむ、頬も微かだが膨らんでいるな。爆笑寸前と見た。
その隣にいるアゼマ公爵は真っ青だ。『ご婦人』のお父上は今にも気絶しそうであった。どうやら、事前に知らされていなかったらしい。
(まあ、当然か。知っているならばなんとしてでも止めたであろうからな。筆頭公爵家嫡男が第一王子に女装で挨拶をするなどという椿事を、アゼマ公爵が許すはずもない)
仕方があるまい、と両手を広げた。止まった時間を動かそう。
「あなたがアレクシせんせー? 僕とお揃いでドレスだね!」
笑いながらドレス姿のアレクシ殿に抱きつく。うむ。我ながら可愛らしい幼子である。
「でも、どーして先生はドレスなのー? ドレスは女の人が着るものだから着たらダメだって、僕、さっきアゼマこーしゃくに言われたよっ」
純粋無垢な子供の瞳で見上げれば、紅の塗られた唇が歪むのが見えた。
「それはですね、殿下」
アレクシ殿は、アゼマ公爵に向かい微笑んだ。何とも不気味な笑みであった。思わず手を離して後退ってしまった。
「我が父、公爵が申したのです。今日のご挨拶に全裸か女装して参上するのであればパレヴィダ神殿への入信を許す、と。さすがに全裸で王宮に来ては衛兵に捉えられますので、女装をいたしました」
(それは、不可能な試練を申し渡すことで遠回しに駄目だと伝えようとしたのではないのだろうか。そして、我が城の衛兵は何をしているのだ、このような不審者の侵入を許すとは)
もはや演技も忘れて目をまん丸にしたダヴィードが固まる横で、アレクシがアゼマ公爵に詰め寄っていた。
銀の賢獣は、牙を剥きだし爆笑しながらタシタシと前足を大理石に打ち付けている。我慢できなくなったらしい。彼の咆吼に耳をビリビリさせながら、ダヴィードはアレクシを凝視していた。珍獣を見る目であった。
これが、第一王子が、星空の美しさ以外の、本では知ることのできないもの、一角獣への愛に狂った男に初めて出会った瞬間であった。