【番外編】副神官長物語(1)
赤、赤、赤。
一面の深紅に幼子は叫んだ。
「また、赤字・・・・・・っ」
ガッデム! と羽ペンを握ったまま机に崩れ落ちる七歳児。
何とも末恐ろしい光景である。横のソファーに腰掛けたアレクシが、宥めるように声をかけた。
「落ち着け、我が友よ。吟遊詩人が傾国の美姫と謳う美貌が台無しだぞ」
訂正する。宥めているのか神経を逆撫でしてしているのか分からない言葉を放てば、噛みつくように怒鳴り返された。
「うるさい。私は男だっ。・・・・・・これが落ち着いていられるか! このままだと国が滅ぶんだぞっ」
羽ペンをぶんぶんと振り回す幼子は、名をダヴィード・グランフォードという。グランフォード王国の第一王子である。
「それは困るな。一角獣様をお奉りする神殿が維持できぬ」
困ると言いつつ、暢気に紅茶を啜っている男の名は、アレクシ・アゼマ。同王国の筆頭公爵家嫡男だ。
***
今年18となるアゼマ公爵家嫡男アレクシは、第一王位継承権者ダヴィード王子の教育係に抜擢された。
王子たっての願いで選ばれた彼は、王宮に奇妙な申し出をしたという。
王宮ではなく公爵邸で王子の教育を行いたいというのだ。
警備面での不安から反対もあったが、亡き王妃によく似た愛らしい幼子のおねだりに国王が負け、
週に二回の公爵家通いが許可された。
対外的には、普段後宮に閉じこもっている王子が、外の世界を見てみたいと願った結果だということになっている。その本当の理由は、また別にあるのだが、誰にも信じてもらえそうもないものであった。
――― 七歳児が大人に隠れて国の財政チェックをしていると言って、誰が信じるであろうか。
公爵家で貴族達の作法を学んでいるはずの幼子が、実は王宮の帳簿を睨んで絶叫しているだなんて、言えるわけがない。
アレクシは紅茶を飲みながら、窓の外を見やった。
(ああ、今日も良い天気だ。今頃、一角獣様は何をなさっているのだろうか)
恐るべき七歳児ダヴィード王子と正反対に、公爵家嫡男アレクシは、政にまったく興味が無いようであった。
***
幼子の手にテチテチ叩かれる黒檀の机は、ずっしりと積まれた書類をしっかりと支えながら相棒の椅子に尋ねた。
(大丈夫なのか、将来の指導者層がコレで)
マホガニーの椅子は、窓からの光を反射して艶やかに木目を浮かび上がらせた。
(さあ、どうかしら。きっと百年後くらいに分かるわよ。人の世界は直ぐに時が過ぎてしまうから)
彼女に座ってきた代々の公爵家嫡男を思い浮かべて椅子は微笑んだ。
まったくだ、と机は自分の引き出しの裏をのぞき込んだ。
そこに一角獣を落書きした悪戯小僧が、いまでは18歳の青年貴族なのだ。
人はあっという間に育ち、思い出だけを残して彼らを置いていってしまう。
きっと、今ここに座る人の子も、いつかは。
磨き抜かれた黒檀の机が、幼子の顔を天板に映す。
(俺たちを精々長く大事に使ってくれよ。・・・・・・無理しない程度にな)
マホガニーの椅子が、幼子が疲れないように彼を支える。
(アレクシ坊ちゃんは素直じゃないけれど、貴方を気に入っているのよ。だって、私達は彼のお気に入りの家具ですもの)
声なき声が励ます中、ダヴィード王子は必死に数字を追っていた。
彼が、お前も手伝えとアレクシを引っ張る5分前、これ機密文書じゃないかとアレクシが顔を引き攣らせる10分前、後宮財政のヤバさに丈夫な黒檀の机が震え、マホガニーの椅子がどん引きする1時間前のことであった。




