【48】モニカの中の『くろいの』
白く気高き一角獣。
我が血筋絶えれども、願わくば、我にとりて子たる民の幸せを、我に代はりて見守り給へ。
(パレヴィダ本神殿在住『最古老一角獣の角に刻まれた解読不能の古代文字』より)
***
三頭が辿り着いたのは、銀の女王一家が住まう離宮、その中庭であった。
四足で草地に降り立ち、御母様はモニカをそっと下ろした。一拍遅れて御父様も着地する。彼らを中心として波紋のように草花が揺れた。
モニカは三角の耳を落ちつかなげに四方八方へと向ける。
(やけに、静か)
白の大理石で作られた宮には、今、彼ら以外には誰もいないようだ。人の息づかいも魔獣の鼓動も聞こえない。常であれば側仕えの女官や下働きが数十人はいる。彼らをわざわざ離宮から下がらせたのは、誰か。それは、おそらく。
モニカは、戸惑ったように御母様を見上げた。そして、自分の目が信じられないと瞬いた。何度見直しても、黒の瞳に映ったのは―――
銀に光る玉が一滴また一滴と、流れ零れて、とがった葉に当たって散った。
(泣いてる! 御母様が。・・・・・・どうして?)
オロオロと鼻面を上げたモニカに、御母様が顔を近づけた。
「我が愛し仔よ。世にも希有なる色を宿しし『くろいの』よ」
ここ暫く呼ばれることのなかった懐かしい名を呼んだのは、酷く優しい声だった。御母様は歌うように吠えた。
「『くろいの』。おまえは何を隠しているのだ」
思い当たることがありすぎた。
(ど、どれかな。玉座の足を囓って歯形を付けたこと? それとも、泥の付いた肉球で歩いて王宮の屋根に足跡を付けたってことかな)
尻尾を後ろ足の間に挟み、
(魔の森に一人で狩りに行ったこと? それとも、半女半鳥の古代セイレーンに演歌を歌わせて気を失った植物鳥の黒雁を穫ったこと?)
三角の耳を伏せて、
(スキタイの羊でジンギスカンをしたこと? それとも、この前王女に贈った香水の原料がクラーケンの糞だってこと?)
じりじりとモニカは後退った。
伺うように見上げた黒の瞳に、細められた蒼の瞳が映った。
本当のところ、最初から分かっていた。
御母様が『くろいの』に何を尋ねているのか。
ゆらり、と黒の瞳が揺れる。
***
『くろいの』は、前世、異世界の人間だった。
ジョシコウセイでコサカ・アキラと呼ばれていた。
けれども、彼女は一度として家族にそれを語ろうとは思わなかった。
だって、と彼女は長くてぴんと張った黒いヒゲを振るわせる。
(だって、こわいもの)
なにが? 決まってるじゃないか。
――― 嫌われるのが、こわい。
最初は、魔獣にとって『ヒト』がどういう存在かが分からず、言えなかった。
もし敵対種族であったらどうしよう、と怯えた。
人間と盟約を結んでいると知っても、話す気にはなれなかった。
ただでさえ、黒い瞳と毛並みで兄弟達と違ってしまっているのに、これ以上、彼らとの間に差を作りたくなかった。
せっかくできた家族を、少しでも失う危険があることなんて、したくなかった。
人の地に来て、ますます、こわくなった。
嫌われたくない魔獣が、人が、どんどん増える。
彼らは、自分が元は異世界人であると知れば、どう思うであろうか。
前世の自分が嫌いなわけではない。
元アキラ姉は唸った。
今世の自分を嫌いなわけでもない。
『くろいの』ことモニカは鳴いた。
それでも、彼女は、思わずにはいられない。
―――どうして自分は魔獣なのだ、と。人であればまだしも、人間と魔獣とでは、その有り様があまりに違いすぎる。魔獣でなければ、御母様の仔になることもなかった。それは分かっている。それでも、思わずにはいられないのだ。どうして、自分は人に生まれなかったのだろうか、と。
勇者コーキの召喚は、彼女にはっきりと自覚をもたせる契機となった。
モニカにとって、御母様と御父様と弟妹達は、彼女にこの世界を選ばせるほど大切な存在なのだ。
だからこそ、こんなにも、こわい。
モニカの中には、いまでも小さな黒い毛玉がいる。生まれたばかりの頃のままの幼獣は、ふるふると震えて鳴くのだ。
―――こわい。家族に嫌われては、生きてはいけない。嫌われたくない。こわい。
『くろいの』を黙らせようと、不安分子である神殿を脅そうとした。結果として大失敗だった。御父様に怒られた。
御父様の叱責は、モニカを不安にさせて怯えさせた。
(幻滅された。嫌われた? どうしよう・・・・・・)
御父様に許して頂いて、ほっとしたところに、御母様が来襲した。
そして、御母様は尋ねた。
『おまえは、何を隠しているのだ』
震える黒の幼獣を、銀の魔獣がじっと見下ろしていた。