【41】シリルとパレヴィダ神殿(6)
白き御使い一角獣。
乳白色の角を有する一角獣様が、純白の四肢で野を駆け、真白き鬣を風に靡かせる御様子は、確かに神秘的でなんとも美しい。パレヴィダの神獣たるにふさわしい御姿である。
しかし、読者諸君は不思議に思ったことはないだろうか。
なぜ、彼らがパレヴィダの神獣となったのかを。
現在、神殿で世話をされている一角獣は、王族及び各地の有力貴族が契約し、各地の神殿に奉納したものである。しかし、パレヴィダ教創設期においては、神官となった王族が直々に彼らと契約を成したという記録がある。
十二王国時代に、終生の幽閉を自らに課して白の神殿を創った王族は、何を思い、この魔獣を神の御使いとしたのだろうか。
私は、この問いに、一つの仮説を立てた。
そして、その説をもとに、一角獣と神官達の交流を観察することにした。
これは、一角獣の神聖化という歴史の謎に挑んだ一人の男の物語である。
(王立歴史文化研究所神話系魔獣部門所蔵書『一角獣を追いかけて』より抜粋)
***
「よく頑張ったな、シリル。ついに、お前も飛ぶ日が来たぞ。俺と共に蒼葉月から本神殿付き助祭枢機卿に昇進だ。おめでとう」
飛び上がりたいほどに嬉しい知らせだった。しかし、この喜ぶべき知らせを告げたアルフォンスの表情は優れなかった。
(どうしたんだ?)
シリルは、浮かない顔のアルフォンスに怪訝そうな顔をした。
空を飛びたかったのは彼も同じはずだ。昔、文句を言いつつもブタの世話を焼く彼は楽しそうだった。そのブタとやっと会えるのだ。それなのに、どうして彼の紺の瞳には憂いばかりが浮かんでいるのか。
シリルは、己が我慢強くない性格だと自覚していた。そして、アルフォンスに対しては我慢はしないと決めていた。
(考えすぎのアルフォンスには、俺ぐらいがちょうどいいって、ブタもいってたからな)
白魚のようなと信者から例えられる指を、今は己の上司であり、蒼葉月からは同僚となる親友に伸ばした。 目指すのは、瞬く紺の瞳、その下にある頬っぺただ。まったく、少しこけてしまっているではないか。引っ張りにくい。悪友の頬を力の限り引き伸ばしてシリルは尋ねた。
「どした、アルフォンス様。腹でも減ったのか?」
わざと様付けしてやれば、アルフォンスの眉間に皺が寄った。もしかすると、顔をひし形にされたことが不満なのかもしれない。だが、知ったことではない。俺に隠し事をして、またいつものように一人で悩むアルフォンスが悪い。
暫く睨みあえば、根負けしたかのようにアルフォンスは溜息をついた。それを合図に彼の頬を解放する。少し赤くなっていた頬を撫でながら、彼は口を開いた。
「……俺達は、捨て駒にされるかもしれん」
どういうことだと尋ねれば、本神殿の馬鹿どもが『異世界召喚』に成功し、見事魔王一家の怒りを買ったのだという。主犯者である神官達は地方へ左遷され、その後釜に選ばれた自分達は、後始末を丸ごと押しつけられた形になるらしい。
「『異世界召喚』の成功率は、ブタがダイエットに成功するのと同じくらいだって言ってなかったか」
その問いに、アルフォンスは大きく頷いた。
「ああ。正直言ってありえない。だからこそ、ギルバート様も黙認していたんだ。適度なガス抜きは必要だからな。本神殿の状態は知っているだろう? 5年も魔王一家の玩具をしてきたんだ。不満を発散する場に、『異世界召喚ごっこ』ほど、都合のいいものはなかった。技術的にも魔力的にも不可能だからな。が、まったくもってありがたくないことに、奇跡が起きたらしい」
シリルは納得したように頷いた。助祭枢機卿の枠が二つも同時に空くなどおかしいと思ったが、そういうことなら納得できる。
「つまり、俺らは本神殿の馬鹿どもの後任という名の後始末役なんだな」
あっさりと言い放ったシリルに、アルフォンスが呆れたような表情を浮かべた。
「よくそんなに軽く言えるな。下手すれば俺達の首が飛ぶんだぞ」
アルフォンスは憂鬱そうだが、昇進自体はそう悪いことではない。そう、シリルは考えていた。
原因は何であれ、ブタの所まで飛べるのならば結果オーライだ。それに、きっと本神殿は未曾有の事態に大混乱に陥っているに違いない。きっとブタも困っている。そんな時に、ブタの傍にいられない方が自分は辛い。
「なるようにしか、ならないだろ」
シリルは肩をすくめてみせた。
そんな彼に、アルフォンスが眉間を抑える。
「お前は……本当に、頼むからもう少し考えて行動するようにしろ」
アルフォンスは考え過ぎだよな。シリルの返答に、アルフォンスは思わず脱力した。追い打ちをかけるようにシリルは笑う。
「そうそう。適度に肩の力を抜かないと禿げるぞ」
俺が常に緊張状態にあるのは、誰のせいだ。
アルフォンスの弱弱しい突っ込みにも、シリルは笑うだけだった。
アルフォンスは考えろというが、考えるまでもない答えがシリルの中にはあった。
(泣くやつがいなかったら)
(そもそも意味が無い)
(バカ共を、)
(俺みたいな馬鹿のために泣いてくれるバカ共を)
(守れるというのならば)
(この首程度、いくらでも)
***
ブタに拾われなければ、十で絶えていた命だ。
モニカの毛皮に顔を埋め、シリルは慣れない頭を働かせる。安堵の涙が止まりかけた今、思い浮かぶのは幼い神官見習い達のことだった。
今では一人前の神官になっている元チビ共は大丈夫だ。あいつらはしっかりしているから、王国側からの叱責もウナギかドジョウみたいにヌルヌルスルリと逃れることができるだろう。
だが、今のチビどもは無理だ。
シリルの脳裏にユーリウスをはじめとする、『子供らしい』神官見習い達が思い浮かぶ。
アルフォンスに言わせれば、『本来こうあるべき見ていて自分の常識は正しかったと安心できる子供』である彼らが、上手く振舞えるとは思えない。
異世界召喚の時は、本来不可能であったという事実が考慮されて情状酌量の余地ありとされた。しかし、髪の長さが戻ったとはいえ、再び王国への忠誠の証たるパレヴィダの掟が破られたのだ。天狼という一種の天災が原因とはいえ、情けをかけた王国側の顔に泥を塗る形になってしまった。今度こそ、神殿に対する責任追及が厳しく行われるだろう。
若年者に対する王族と元老院の慈悲を乞うには、自分の『信者』達を動かすしかあるまい。
(さて、一番同情を引く首の飛ばし方ってどんなのかな)
本当は、黒の魔王に飛ばしてもらうのが一番都合が良かったんだけどな。
背中からシリルを包む柔らかな尾が、彼を宥めるように優しく揺れる。
それを感じて、シリルは仕方が無いな、と苦笑を浮かべた。
(泣かせたくないと思ったら、そいつは『家族』だってブタが言ってたからな。ほんと、ずいぶんフワッフワな魔王様だ。柔らかくて優しくて、これで美味しかったらブタと同じだ。きっと、慣れたらチビどもも懐くだろうな。)
最後に、もう少しこの毛皮を堪能して、それから……。
その時だった。三度目の突風が室内を駆け抜けた。とっさに目を強くつぶったシリルの耳に、どこかでガラスが砕け、木の枠が悲鳴をあげる音が聞こえた。
また、黒の魔王が何かしたのか。
そう思いシリルは顔をあげた。
その目に映ったのは―――蒼の瞳を見開いた巨大な天狼と、その背に跨ったブタだった。