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So what?  作者: らいとてん
第4章 パレヴィダ神殿編
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【40】シリルとパレヴィダ神殿(5)

「また、だめだった」

 白の衣に身を包んだ神官が、聖樹の下で膝を抱えていた。長く艶やかな金髪が緑の丘に零れる。輝く金にうずもれるようにして、彼は小さくなり顔を伏せた。


 嘆き悲しむ神官に、一頭の一角獣が近づいた。白き獣は、そっと樹下の佳人に寄り添い―――その髪をくわえる。太陽の光を受けてキラキラと光る金髪に興味を引かれたらしい。どこのカラスだ。

 「噛んでる、食べてる! シ、シリル司祭長様っ。聖獣様が御髪を喰ってます!」

 もっしゃもっしゃと口を動かす一角獣に、世話係は涙した。もうやだこの聖獣。

 

 教典に逸話として遺したいほど神秘的な光景が、一瞬にして馬鹿ウマとその被害者の図になってしまった。その上、一角獣が噛んでいるのはよりにもよってシリル司祭長の髪だ。世話係の背を冷たい汗が流れた。


 数年前に入信したばかりの新人でも知っている。シリル様といえば、その美貌と穏やかな物腰で信者を魅了する『魔性の聖人』だ。彼は、外交担当として地方神殿を回ってきた経歴から各地に熱狂的信者をもっている。若手きっての出世頭、稼ぎ頭と名高いお方。その商売道具とも言える、身の丈に余る金髪を、この聖獣様は。


(これは、叱責は避けられまい)


 世話係は、ぐっと拳を握った。悪いのは一角獣だが、その世話係である自分の監督不行届であるのもまた確かである。問題は、どの程度の責任となるか、であった。

 世話係は身をもって知っていた。地位ある人間の中には、理不尽に人を嬲ることが好きな者達がいるのだ。彼自身、そういう上司をかつて持っていた。その上司の洒落にならない不正を上層部に馬鹿正直に報告した結果、自分はココにいるのだ。


(ああ、本当に自分は馬鹿だ。一角獣様よりも酷いかもしれぬな)


 奥庭を偶然通りかかった彼は、様子のおかしいシリル司祭長が気になってこっそりと覗いていた。一人にすべきかとも考えた。しかし、パレヴィダ神官には、その特殊な立場から時に自棄になる者がいる。もしもの時にはすぐに止められるようにすべきでると判断して、そっと見守ることにした。その時だ。一角獣様が暴挙に出られた。


(これに見て見ぬふりが出来たら、俺は今ここにいまい)


 内心で苦笑いを浮かべながら、彼は腰元の小袋から干草を取りだした。困った時はコレに限る。一角獣様の反応は素早かった。すぐにシリル司祭長の金髪から口を離し、爽やかに香るキリキリ草に食いついた。本当に、なんでコレが聖獣なんだろうか……。


 少し肩を落とした世話係の側で、ゆっくりとシリル司祭長が立ち上がった。白魚の手が髪と衣に付いた草を払う。輝く金の御髪を梳く手が、一角獣の唾液でベトベトになった部分で止まった。碧の瞳が世話係と一角獣に向けられる。いっそ無機質に感じるほどに透明に澄んだ瞳だった。世話係は、ごくりと唾を飲んだ。ゆっくりとシリル司祭長の腕が持ち上がる。


 打擲ちょうちゃくする、つもりなのだろうか。少し意外な気がした。ほんの少し、落胆もした。慈悲の女神と讃えられる聖人も、結局は貴族にすぎなかったのか。まあ、外見と中身が異なることは、貴族社会ではよくあることである。このように見目麗しい神官だ。さぞや尊い血筋であらせられよう。高位貴族の激昂ほど恐ろしく容赦のないものはない。

 逆恨みした上司から受けた数々の仕打ちを思い出し、世話係は身を強ばらせた。

 

 その視界を白く滑らかな手が横切り……一角獣の角をガシリと掴んだ。

 目を丸くする世話係の耳に、ドスの利いた低い声が響いた。

「次にやったら、三枚に卸して馬刺(ばさし)にするぜ。……分かったか?」

 下町訛りの巻き舌には、本気の殺意が込められていた。一角獣が怯えたように後退る。

「おら、行けよ。聖獣らしく良い子にしてな」

 シリル司祭長が手で追い払うような仕草をした。それを見た一角獣が脱兎の如くに逃げる。自分も逃げたかった。完全に一角獣様が迫力負けしていた。アレも一応、本性は魔獣のはずなのだが、何とも情けない後ろ姿だ。しかし、それ以上にシリル司祭長の言動が衝撃的であった。春の女神とも謳われる神官の意外な一面を見た思いであった。


 世話係は、信じられないという風にシリル司祭長を凝視した。ちょうど、彼も世話係に目を向けたところであった。引きつる喉を叱責し、世話係は乾いた笑みを浮かべた。脳内を膨大な謝罪文引用例が通り過ぎる。嫌みっぽい上司の対策用に鍛えられた反射であった。まずは謝罪だ。先手必勝、ガンバレ自分! 

 しかし、世話係が口を開くよりも先にシリル司祭長が桃色の唇を開いた。

「ありがとよ。食いつくとなかなか離れないんだよな、あの馬鹿セイジューサマ」

 色々と酷い台詞であった。荒い口調も、聖獣の扱いも、聖人然とした見目とのギャップに眩暈すらする。それでいいのか、神殿上層部。

 世話係の突っ込み渦巻く内心を知ってか知らずか、シリル司祭長はにっと笑った。


「春告げ鳥月から一角獣の世話係になった、デレクだよな。よろしく。俺はシリルだ。担当は『魔性の聖人』!」

 

 名を呼ばれた世話係―――デレクは、紺色の瞳を丸くした。ギーセン教区全てを統括する、この神殿には数百人の神官がいる。シリル司祭長が赴任したのは一週間ほど前であったはず。全員の名と顔を把握など、できるはずが、ない。


 ふわりと柔らかな微笑みを浮かべてシリル司祭長は続けた。竪琴のような声が、丁寧に言の葉を紡ぐ。

「デレク殿の御名は、先までいたグライツ支部でも伺っておりました。丁寧で細やかに行き届いた仕事をなさる方だと。評判通りのお方のようですね。一角獣様から無理に私の髪を取り戻すことなく、キリキリ草を使われるとは、素晴らしい。その腰の小袋にいつもキリキリ草を携帯していらっしゃるのですか?」

 は、はい、と応えた声は妙に甲高かった。さっきまでの下町野郎はどこに行った。なんだ、この色気。匂い立つってこういう仕草と表情のことだよな。先ほどとは別の恐ろしさを感じて、デレクは思わず後退った。

 それに、ふふっ、と小さく笑って、シリル司祭長は一礼した。お手本のような優美なパレヴィダ式の正式礼であった。純白の衣が舞い、硬質に輝く金の髪がサラリと広がる。


「優秀な御世話係と名高きデレク殿にお会いできるとは、これに勝る僥倖はございません。この幸運と女神ローネルシアの慈悲に心より感謝いたします。私は、葉露月よりギーセン本部に赴任いたしました、シリルと申します。位は司祭長、役は外務を賜っております。未熟者ゆえ至らぬ点もあるかと存じ上げますが、ご指導ご鞭撻の程、どうぞ宜しくお願いいたします」

 

 ゆるりと碧色の瞳が細められる。夏に向かい色を濃くした緑の中で微笑むその人は、確かに―――慈悲深き女神のようであった。


 自分の名が本当に噂になっているかはともかく、きっと神殿の神官全ての名と顔を覚えているのだろう上位神官に、デレクは礼を返した。普段よりも丁寧に。そして、少し逡巡した後に尋ねた。

「あの、失礼かとは存じ上げますが、先ほどは何に悩まれていらっしゃったのでょうか。もし、私にお力になれることがあれば……」


 魔性の聖人と世間から称される新司祭長は、空を眺めて悩ましげな溜息を着いた。

 そして、小鳥がさえずるような声で答えた。

「空を、飛びたいと願っただけですよ。ブタみたいに、ね」


 ブタが空を飛ぶ。それは、不可能の例えだ。

 余程の困難に直面しているらしい。

 デレクは、真剣な表情で一歩シリルに歩み寄った。


***


 デレクが背を向けた柱から、小さな影がひょこりと顔を出し、「優秀な一角獣の世話係、かくほっ」と楽しげに笑った。彼はふくふくとした小さな手で石板に神聖文字を大きく書き込んだ。


『作戦A【嘆きの聖人】完了ー。そのまま作戦B【聖者のしもべ】にどーぞ!』


 どこからが天然でどこからが策略か。それは、無謀な若き一角獣を、離れたところでのんびりキリキリ草を食べながら眺めていた老一角獣にも分からなかった。

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