【5】銀の雨降る月の夜
しとしとと降る雨音が洞窟内に響く。
既に日は落ち、魔獣達は家族皆で団子になり、眠りにつこうとしていた。
「今日の猪、美味しかったね」
「風を使うコツがわかってきたよ」
「雨で毛皮が……毛繕い……しないと……でも、ね、むい……」
「……ぐぅ」
よほど今日の狩りが楽しかったらしく、興奮気味に狩りや獲物の猪について熱く語る弟妹もいれば、半分夢の世界に旅立っている弟妹もいる。
「昨日御母様が仕留めた熊の丸焼きも独特の風味で美味しかったよね。……こら、毛繕いしないで寝たら、寝癖がすごいことに……しかたないなぁ、今日だけやってあげる」
『くろいの』は弟妹たちの話を聞きながら、雨に濡れて乱れたままの毛皮で寝ようとする幼獣の毛繕いしてやっていた。
初めの頃は、洞窟の入口に背を向けた母親の腹を枕に兄弟仲良くならんで眠っていたが、幼獣達が大きくなるにつれ、彼らは自然と母親を囲んで半円状に伏せるようになった。
『くろいの』達は既に中型犬ほどの大きさになっていた。それでも母親の半分にもならない。熊にも勝る超大型獣であらせられる御母様からみれば、幼獣達はまだまだ仔犬のようなものであった。
「我が愛し仔達よ」
眠りを誘う柔らかな声で母親の魔獣は囁く。
「そろそろお眠り。寝る魔獣はよく育つという。もっともっと大きくおなり。我が愛し子達よ」
「御母様。眠る前に何かお話を聞かせて」
弟妹の一匹が、顔を伏せたまま、上目遣いに母親にねだる。
「私からもお願いします。御母様」
「僕も聞きたい」
「……わたしも」
「……ぐぅ」
全員(既に夢の世界に旅立っている一匹を除く)にねだられて、母親は蒼の瞳を細めて微笑む。
「よかろう。さて、何の話をしたものか。……何か、聞きたい話はあるかい? 我が愛し仔達よ」
母親は尾を振って、幼獣達を促す。それに、幼獣達はどうしようかと皆で顔を合わせる。
「魔力の使い方の話は?」
『くろいの』が言うと、他の弟妹は首を傾げた。
「僕、人の話が聞きたい。僕達は将来、人と契約を結ぶのでしょう?」
「私も人の話がいいな。大きくなったら、人の住む都に行くことになるのだし」
「……ひ、と」
「……ぐぅ」
夢の国に二匹目が旅立ちそうではあるが、多数決で『人の話』ということになった。幼獣達を代表して『くろいの』が母親にねだる。
「御母様。人の話を聞かせて」
ふむ、と母親は視線を宙にやり、一度頷くと、幼獣達の方に向き直る。
「そうか。では、我らが友であり敵である人の話をしよう。お前達、契約の話は覚えているね」
母親の問いかけに、弟妹が承知と一声鳴く。
「はい。僕達の一族は、人の王族と契約して、魔獣と人の仲介を行うのですよね」
そうだ、と母親は満足げに頷く。
「我らが魔獣はこの森に生きる存在だ。この森の中でしか生きられぬ同朋もいる。人と魔獣の相互不可侵の証として、我らが一族は人の王族と契約を結び、彼らが約束を違えぬよう、その傍にいることになる……だが、ようく覚えておくことだ、我が愛し仔よ」
母親は牙をむき出しにして、瞳をギラリと光らせた。
「人とは悪知恵に長けた一族。ゆめゆめ心を許してはならないよ」
凄みを帯びた声音に、幼獣達の尻尾が興奮で一斉に膨らむ。
「はい」
「はい」
「はい」
「……ぐぅ」
「……ぐぅ」
難しい話に、二匹目が完全に撃沈してしまったようだ。
母親は牙をしまうと、真剣な表情をした幼獣達を優しく見つめた。
「脅しすぎたか。まぁ、悪賢いといっても、それは一握りの人間だけだ。人の性質は千差万別。お前達のよう好奇心旺盛な者もいれば、眠ってしまった愛し子達のように、のんびりとした者もいる。重要なのは、相手をよく見ることだ。しかし、それには、多くの人を見るしかない」
だから、と母親は続ける。
「人の心を知るために、まずは己の心を育てることだ、愛し子達よ。己を知らずして他を知ることはできぬ」
首をかしげながら弟妹は問う。
「『己を知る』って?」
「どうやったら分かるの?」
蒼や黒の瞳をまん丸にして見上げてくる幼獣達に母親は蒼の瞳を細めて微笑む。
「よく遊び、よく食べ、よく寝る。そうして、世界の中でありのままの己で過ごしていればおのずと分かってこよう。我らが時は、永遠に少し足りぬだけある。ゆっくり考えてゆけばよい」
雨はいつの間にか止み、月が皓皓と大地を照らしていた。
洞窟に差し込む光が、巨大な銀の獣の輪郭を白く照らしだし、幾千もの歴史を見てきた蒼の瞳の色を深める。
「さあ、雨も止んだ。もうお休み、我が愛し仔達よ。明日の日にまた出会うまで」
「「「はい。おやすみなさい」」」
顔を伏せ寝る態勢に入った幼獣達に、母親もまた瞼を閉じた。
***
翌朝、先に寝てしまった二匹が起きていた幼獣達に尋ねる。
「それで、人ってどんなの?」
「足は六本? 三本?」
人という生き物自体の説明を忘れていたため、幼獣達の脳内で人の姿形がとんでもないものになっていると母親が気付いたのは、随分後だった。