【番外編】『第二王女とバルトロ』、『第一王子とリーナス』
***『第二王女とバルトロ』***
4才の第二王女ロザリンドにとって人間は怖い生き物だった。
「王位継承権からこうも遠くては、取り入ってもな」
「だが、銀の女王の御子との契約者になる可能性がある」
「中途半端に地位があるから、扱いにくいのだ」
こそりこそこそと王宮のそこらかしこで囁き合う人間達に、ロザリンドはうずくまって小さな手で耳を塞いだ。大人も子供も、人間達は、彼女を利用できるかどうかで見てくる。本人はばれていないと思っているのだろうが、彼女には、その欲に濁った目で何を考えているのかすぐに分かった。……分かってしまった。
「お前は聡明すぎる。そうも急いで人としての知恵を付けなくともよかろうに。さてはて、誰に似たものか」
銀の賢獣を横目に溜息をつく父である国王陛下に、ロザリンドは薄紅色のドレスの布地を両手でぎゅっと握った。皺ができる前に離さなければいけないと分かりつつも、震える手が言うことを聞いてくれない。謁見の間の深紅の絨毯が、水の膜でぼやけて見える。
俯いた顔を上げれずにいる彼女は、気付いていなかった。右列の衛兵の影から伏せの体制で尾を左右に振り、獲物に飛びかかるタイミングをはかる一匹の銀毛玉に。
彼女の蒼色の瞳から水滴がこぼれ落ちそうになった瞬間に、ソレは彼女の背に飛びかかった。
そのまま謁見の間に倒れ伏す第二王女。
驚きに固まる国王。
興味深そうに静観する銀の魔王の番。
そして、獲物の背中の上で勝利の雄叫びを上げる『みみなが』。
何が起こったか分からず呆然とするロザリンドの背で、仔犬は髪の匂いをふんふんと嗅ぎながら銀の賢獣に向かい元気よく鳴いた。
「おやじー。オレが捕まえた獲物なんだから、コレ、オレのものだよなっ」
「我が愛し仔。契約とはそういうものではないよ。そして、レディーの背に何時までも乗っているのものでもない」
窘めつつも銀の賢獣の鳴き声には笑いが含まれたいた。
『みみなが』はいまだ人間と契約を結んでおらず、仔犬姿であった。そのため、彼が何を言っているのか、ロザリンドには分からなかった。だが、なんとなく、とんでもなく失礼なことを言われているのではないか、と彼女は思う。
今の自分の状態に気付き、ロザリンドの頭にかぁっと血が上る。
彼女はこの世界で唯一の残された王族の一人だ。
転ぶことすらないようにと真綿で包むように育てられてきた姫なのだ。
(それを世の人は『過保護』と呼ぶと知ったのは、後のことだった。)
その、私の背中に乗っている、なんだか温かくて柔らかい、この生き物は何なのっ。
彼女は勢いよく立ちあがった。
はずみでコロンと転がり落ちた銀の毛玉に、彼女は勢い良く向き合い、叫んだ。
「このっ、無礼者!」
その言葉に、転げた体制まま腹を上向けに四足を曲げた仔犬は、にやりと笑った。幼い風貌に不似合いな小さな牙を覗かせて。
「なんだ、人間も吼えることができるのか。小さい声で鳴くことしかできないのかと思ってたぜ」
面白い獲物を見つけたと言わんばかりの仔犬と、そんな彼を睨みつける第二王女に、どう収拾をつけたものかと頭を抱えた王様は、まだ知らなかった。
この後、
「あんなジメジメした不味そうな人間どもより美味しそうな人間がいっぱいいるぜ」
と街に連れ出されたロザリンドが、後に度々王城を抜け出しすようになることも、
「バルトロは魔獣なのだから、私に利用価値があるかどうかで見たりしないわよね」
と不安げに尋ねる彼女に、
「いや、美味いかどうかで見てるぞ」
と楽しげに仔魔獣が笑うことも、
逞しくなった第二王女に、
「国王陛下、御土産ですわ」
と旅先で見つけたイヤゲモノにぎりぎりアウトで入ってしまう珍味の数々を献上されるということも、
――未だ、彼らにとっては未来の話であった。
***【32.5話】『第一王子とリーナス』***
第一王子レヴァン・グランフォードにとって、
人間は、使えるか使えないか、それだけだった。
彼は王になる人間だ。
彼の周囲の人間達は、彼を、
この世で唯一絶対の王族の後継者として敬った。
彼自身もまた、いつのころからか、
他人を、確定した将来に己が従える人間として見るようになっていた。
己が王になった時に、この人間は使えるか。
ただ、それだけで彼は彼あるいは彼女を見た。
そして、無能と見れば切り捨てた。
国王は、国の所有物だ。
その全ては、国と国民達を守るためにある。
国政に役立たない人間に、
国民を守るために使うべき己の時間と労力を浪費することは許されない。
そう彼は考えていた。
そんな、周囲から『鋼の王子』と呼ばれるレヴァンを見上げる獣が一匹いた。
丸い蒼の瞳。
風に揺れる長いヒゲ。
将来有望そうな太くて短い四足。
せわしなくパタパタと揺れる短い尾。
ピンっと立った耳。
愛らしい子犬だった。とても銀の女王の御子とは思えない可愛らしさだった。
聞けば、銀の女王の御子の中でも最も小さい幼獣らしい。
対するレヴァンはどこまでも無表情だ。
彼は、己の感情を素直に表すことが苦手だった。
おんっ。
元気のいい鳴き声と共に『小さいの』がレヴァンに飛びかかる。
慌てて抱きとめた彼の顔を『小さいの』は舐めまわした。
きゅうきゅうと鳴く仔犬姿の幼獣に、レヴァンは内心困惑していた。
ふふふ、と頭上で巨大な銀の獣が笑うのが分かった。
見上げれば、銀の女王が蒼の瞳を細めて、彼と『小さいの』を見つめていた。
「その人間が気に入ったのかい? 『小さいの』?」
銀の女王の問いかけに、幼獣は盛んに鳴いて答えた。
それに、再び銀の女王は笑いを含んで咆哮する。
もの問いたげなレヴァンに、彼女は告げた。
「人の子よ。我が愛し子はそなたが気に入ったらしい。
うむ。気に入ったというよりも、気にかかった、と言った方が正しいな。
わが愛し子曰く、そなたは『迷子になった仔犬のように心細そう』、だ、そうだ」
迷子の仔犬のようだと評された、鋼の王子は絶句してまじまじと腕の中の幼獣を見つめた。
仔犬姿の幼獣は純粋無垢な瞳で彼を見上げていた。
どうやら、悪気や悪意があるわけではないらしい。
真剣に心配されたというのも、それはそれで……。
一人と一匹は、それからしばらくの間見つめあった。
幼獣の腹がくぅと鳴りるまで。
きゅうきゅうと食べ物を求めて切なげに鳴く姿に、レヴァンは生まれて初めて庇護欲を覚えた。
それはまた、彼が生まれて初めて
『守らなくてはならないもの』ではなく、
『守りたいもの』を得た瞬間であった。




