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So what?  作者: らいとてん
第4章 パレヴィダ神殿編
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【36】シリルとパレヴィダ神殿 (1)

 パレヴィダ教とは、母性の象徴たる女神ローネルシアを崇拝する一神教徒である。


 その歴史は古い。始まりの記録は、人と魔獣の大戦が終結して間もない十二王国時代末期までさかのぼる。

 当時、十二国を一つにする中で王位及び継承権を破棄した各国の王族達がいた。彼らがその余生を穏やかに過ごすために作られた神殿こそが現在のパレヴィダ本神殿である。その後、慣習として王位継承権を放棄した王族がパレヴィダ神殿に住まうようになる。

 この慣習が現在のパレヴィダ神官制度の原型だ。


 現在のパレヴィダ神官制度の実質的な機能は、主に政治的な理由から生命の危機に瀕した貴族男性を社会的な死と引き換えに神官にする、というものだ。


 ここで注意したいのは、出家を希望すれば誰でも入信できるわけではないということだ。

 彼らの入信に関する裁定権は、原則として司祭長以上の神官にある。

 これは、重罪犯など、神官としてふさわしくない人物の入信を制限するためだ。

 元老院ですら、この裁定権に干渉はできない。

 唯一認められる例外は王令の発動である。しかし、現在にいたるまでの発動件数は5件であり極めて少ない。

 入信者選定において、パレヴィダ神殿は、ほぼ不可侵の独立した権利をもっているといえる。


 ――常日頃から例の豚に菓子を貢ぐ貴族男性が多い所以である。


(パレヴィダ本神殿禁書『あの豚は空を飛ぶか』より抜粋)

 

 

 ***


 好色家の辺境伯爵が洗濯女に産ませたのは、妖精のような子供だった。

 何かに使えるかもしれぬと伯爵が手元に留めるほどだ。

 それは美しい赤子だった。

 しかし、伯爵の目論見は幼子が育つにつれて潰えた。

 子供は、容姿こそ優れていたが中身があまりにも――『愚か』であった。

 伯爵は己の駒として幼子に教育と施そうと試みた。

 しばしば鞭すら加えた。

 しかし、幼子はあいも変わらず『愚か』であった。


 利用価値を失い、伯爵が興味を無くした幼子に正妻は囁いた。

「汚らしい子供め。ここはお前のような下賤な者のいてよい場所ではない。出て行きたければ、いつでも出ていきなさい」

 幼子が大人の庇護なしに生きていけないと知っていて、彼女は辛辣な言葉を連ねた。

 どうせ出て行けはしないだろう、と。


 子供は無垢に輝く翠色の瞳に、歪んだ奥方の笑顔を映して思った。

(言っていることが難しすぎてほとんど分かんないよう。……んと、この人、誰だっけ)


 幼子のきょとんとした表情に、徐々に奥方の声は小さくなっていった。

 心境としては、飼い犬に八つ当たりで怒鳴り散らして、私なにやっているんだろう、と空しくなった時に似ていた。しかも、犬の方がましだった。犬は時として人語を解し、人の心情を察する。だが、この子供は絶対に彼女が言っていることの大半を理解していなかった。


 幼子は終始微笑んでいた。緊迫した空気を読まずに、何を言っているのか分からないけどとりあえず笑っとけ、と考えていることが丸わかりであった。


 自分が罵られているのだと理解させようと奥方は子供でも分かる言葉を使おうとした。そして、「だからでちゅねー」と赤ちゃん言葉を使っていることに気付いた彼女は遂に口を閉ざした。息子にも使ったことが無かったのに、不覚。貴婦人な奥方は項垂れた。


 疲れた様子で去る彼女を見送り、子供は小鳥がさえずるような声で囁いた。


「はい」


 誰も聞く者のいない返答だった。


(女の人が出てってもいいって、いってた)

(『ハクシャクさま』は、ボクにしゃべるなっていう)

(ボクは、バカだから)

(外でなら、好きな言葉を、好きな時に、好きな様に、話してもいいんだよね)

(きっと)

 

 彼は自分しか知らない城壁の小さな穴、そう、幼子一人がやっと通れる穴をくぐって、外に出た。



 ――その後、子供がこの城に戻ることはなかった。



 ***



「これはまた、汚らしい子供だ。とても伯爵家の血筋とは思えぬな」


 10歳ぐらいの時のことだった。

(当時の自分は己の年齢を知らなかった。後に母親と伯爵家等に対する調査から逆算した年齢として、たぶん10ぐらいだろうということらしい)


 川での沐浴すらここ数年していなかった体からは、すえた臭いがしていたはずだ。

(自分では鼻が慣れてしまっていて分からなかった)


 身に纏っていたのは、拾ってから一度も洗ったことのない、服と呼ぶのもおこがましい襤褸切れだった。

(金の髪はくすみ、翠の瞳は濁り曇って虚ろだった、とても今のお前からは想像できんな、とかの神官は後に目を細めて笑った)


 手足は当然、泥まみれの埃まみれ。虫にたかられ、頬と下腹部が不自然に膨らんでいた。

(不衛生な環境による疾患と栄養失調で自分の体はボロボロだったらしい)


 目を開けるのすら億劫な彼が、ぼんやりとした視界の中、映したのは――

「ブ……タ?」

 どうせ幻覚を見るならば、焼き豚とか煮込み豚の方が良かった、と零しながら少年は翠の瞳を閉ざした。


 だから、彼は見ることができなかった。

 目を丸くした後、慌てて彼を抱き上げたギルバート大司教(当時。現在は副神官長)も、その後ろで必死に笑いを堪えるアルフォンス神官(当時。現在は司祭枢機卿)も。


 この時の話で、後にシリルはアルフォンスにことあるごとに笑われることになった。


「いや、実に傑作だったぞ。


 ギルバート様は声を震わせながら、

 『この私をブタとは……許せん! おいアルフォンスっ。こいつをさっさと連れて帰るぞ。儂以上の豚になるまで肥え太らせてやる!』とおっしゃってな。


 辺境伯爵の隠し子が随分前に出奔したらしいと知って、あの方は酷く心配していたんだ。長いことかかってようやく行方が分かり迎えに行けば、案の定行き倒れて餓死寸前だった。


 内心早く連れ帰りたいと思っているくせに『悪徳神官』として何時もの調子で皮肉を言っていた。ああ、これはこの子に嫌われて落ち込んだギルバート様をまた慰めることになるぞ、と考えていたら、だ。


 その子供が掠れる声で『豚』と呟いて『焼き豚になって出直してこい』ときた。

 

 『悪徳神官サマ』としてギルバート様がどう返すつもりか、と思ったら例の台詞だ。


 『肥え太らせてやる!』とか格好つけて叫ぶ悪役を、物語でも芝居でもなく、現実の中で実物として見ることになるとはな。どんな喜劇だ。笑い死ぬかと思ったぞ」


 さながらお前は悪徳神官に攫われた姫といったところか、残念ながら肥え太らすのには失敗したようだがな、とニマニマ笑う同僚にシリルは複雑な心境だった。


 自分としては幼少期の暴言などという失敗談を語られるのは微妙だった。しかし、この話をする度にアルフォンスは破顔してギルバート副神官長は懐かしげに目を細めた。


(俺と出会ったことで、彼らが笑えるというのならば、まぁ、いいか)


 彼らが昔話をする度、シリルは頬を微かに赤く染めて困ったように微笑むだけだった。

 


***



 パレヴィダ神殿に入ってから暫くのことはよく覚えていない。

 高熱が出ていて危険な状態だったそうだ。


 目を開けて一番最初に目に入ったのは――

「ブ「私はギルバートという。小僧、ギルバートだ。ほら、言ってみろ」

 タ、という言葉はブ……ギルバート大司教のマシンガントークによってかき消された。


(豚がしゃべってる)


 目を丸くした彼に、ギルバート大司教はふんっと鼻を鳴らした。傍にいた少年神官に何事かを囁くと、彼はのしのしとペンギンのように体を揺らして出て行った。すぐに戻って来た大司教は、医療担当の神官を連れていた。

 

 そこからは、怒涛の展開だった。


 出家の意思を聞かれ、

(入信を前提に、「命が惜しいだろう、美味いものが食いたいだろう、ほら今ならこんなに可愛いチビ神官もいるのだぞ」と白布に包まれた赤子を見せられたりして、そのあまりの勢いに押し切られた)


 名を付けられ、

(「元の名は忘れろ。シリル」と言われて、「もともと付けられていなかった」と答えたら奇妙な顔をされた)


 パレヴィダの掟を教えられ、

(「破ったら死ぬぞ。シリル」と言われて、「どうして死んだらいけないの」と尋ねたら、「泣くぞ、私とちびっこ神官達が」と返された。納得した)


 綺麗な神官服と清潔な寝床、温かい食事を与えられた。

(妙に豚肉料理が多かった。んまんまとがっついていたら、知らない老神官に「儂の分もお食べなさい。シリル。年寄りに連日肉料理はきつくてのぅ。まったくあの男は若人にばかり甘い。老人のために滋味滋養のあるあっさりとした料理を用意してもらいたいものじゃな」とよく分からない愚痴をこぼされた。翌日から薬草粥と薄い味付けの魚料理が出されるようになった)


 そして、シリルは見習い神官となった。

 ギルバート大司教直々に命じられたのは、自分よりも年下の少年神官達の世話係だった。



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