【32】勇者の条件
「お待たせいたしました」
神官シリルが、書類を抱えた神官を伴って再び戻ってきた。初めて見る銀髪の神官はアルフォンスと名乗った。生真面目そうな顔は、整っているが、どこか厳格さを漂わせている。紺色の瞳には、何の感情も浮かんでおらず、どこか冷たい印象を受ける青年だった。
彼は、慣れた様子で手早く卓上に書類を広げると、モニカとヴォルデに一礼した。
違法召喚について説明をはじめた低い声に、モニカは右耳をピクピクと震わせる。 どこかで聞いたことのある声だ、と手繰り寄せた記憶の先で、副神官長についてシリルと話していた神官だと彼女は気がついた。
(でも、この声、なんか聞き覚えがあるなー。それに、この人の顔も、どこかで見たことがあるような気が……)
一瞬別のことに気を取られたモニカだったが、尾を左右に振って余計な思考を散らした。
そんなことよりも、今は、違法召喚に関する情報の方が先だった。
「記録によれば、8年前の春告げ鳥月に、異世界召喚が行われています。主導者は当神殿の教皇です。召喚原因は、同日、一角獣が一頭、銀の女王陛下に生け捕りにされ、その抗議に行った先で銀の女王の番様に牛の丸焼きを献上することになったため、とされています。結果は例によって失敗。目視召喚物、魔力反応共になし。以上が、当神殿に残されている主な記録です。召喚触媒、召喚魔術師の人数・氏名・経歴、召喚魔法陣の写し等に関しましては、こちらの書類にございます」
アルフォンスの示した書類をヴォルデが覗き込む。
全体にさっと目を通し、彼は首を傾げた。
「特に他の違法召喚と違いはないように見えるが……。モニカ、この事件のどのあたりが気になったんだ?」
人間三人の視線を浴びたモニカは、ヴォルデの台詞に、ぞわり、と背筋の黒毛を逆立てた。
……確かに、人間側から見れば、他と変わらぬ失敗召喚にしか見えないのも無理はない。
報告書に記された通り、召喚魔術を発動するも何も現れなかったというのは、嘘ではないのだろう。
――それは、理解できる。だが、これは、この『失敗』召喚は、モニカにとって、他と比べものにならない意味を持っていた。
「そうだね。確かに、人間の目には何も見えなかったと思うよ」
モニカの意味深な台詞に、ヴォルデは改めて書類の召喚結果の項目を睨んだ。
「『人間の目には』?」
モニカは己の黒い前足を見下ろした。
そう、人の目に、見えはしなかっただろう。
「だって、召喚されたのは、魔力を持たない、異世界の人間の魂だったのだから」
それまで黙っていたシリルが冷静な声で尋ねた。
「どうして、そのようなことが分かるのですか。8年前といえば、まだ御子様はお生まれにもなっていらっしゃらなかったではありませんか」
己の返答を待つ翠の瞳に、モニカは牙を剥きだして笑って見せた。
それは、己の敵を見定めた、肉食獣の笑みだった。
「それはね」
ゆっくりと彼女が神官二人に近づけば、彼らは本能的に後ずさった。
それにますます牙を剥きだし、モニカは囁くように小さく鳴いた。
「それは、私が、その魂の生まれ変わりだからだよ」
だが、彼女の言葉は神官アルフォンスによってすぐに否定された。
「馬鹿な。召喚者の魂が銀の女王の御子に生まれ変わるなど、ありえません」
そう、ありえないはずだったのだ。
召喚者の、『勇者』の魂が、銀の女王の腹に宿るなど。
だが、それは実際にありえ、起こった。
その結果が、モニカ――異世界の魂が宿す色を映した漆黒の毛皮と瞳を持つ天狼だった。
モニカは、卓上に広げられた書類のうち、一枚を黒の瞳で見つめた。
パレヴィダ神殿は、数え切れないほどの違法召喚を繰り返してきた。
だが、何度失敗しようとも、彼らが決して変更しようとはしなかった召喚条件があった。
それは、召喚対象『勇者』の条件だった。
古今東西、どの世界でも、きっと同じであるその条件は――『魔王を倒しうるもの』。
(確かに、『勇者』が『魔王』の仔になるなんて、普通は考えられないよね。私は、魔王――御母様を倒しうる、害しうる存在として、この世界に呼ばれたのだから)




