【29】柴犬のくるん尻尾と愛らしい瞳が大好きです。
「砂糖とミルクはどうなさいますか」
紅茶の用意をしながらユーリウスが尋ねた。
「砂糖もミルクもたっぷりでお願いします」
期待にわっさわっさと尾を振り、彼女は応えた。
***
パレヴィダ神殿の副神官長は『子豚の道化師』という異名をとっている。
彼の道楽は食べることであり、その結果が丸まると肥え太った『子豚ちゃん体形』であった。だが、彼が肥えているのは身体だけではない。その舌も、王国随一の食通として知られていた。
脳みそまで脂肪、と噂される彼が育てた茶係だ。さぞかし美味しい紅茶と菓子を出してくれることだろう。待ちきれないモニカは、前足で宙を掻き、はやくーとお強請りをした。
ユーリウスが背筋を震わせるのに、怖がられているなぁ、とモニカはぱたり、と尻尾を絨毯に落とした。
パレヴィダ神官が自分を恐れるのは、仕方のないことだと分かりながらも、内心複雑な思いを彼女は抱いていた。
モニカは、パレヴィダ神殿を度々襲撃している魔王一家の長女である。
普段は魔王一家のストッパー役であっても、彼女もまた魔獣である。怒った時には容赦なく神殿を攻撃するし、腹が減れば一角獣を狩る。
神殿が黒の勇者を召喚した時には、彼を元の世界に還せない場合はパレヴィダ神官を一人残らず灰にすると宣言した。だが、業火で神木の一本を火達磨にして見せたのは、流石にやりすぎだったか。
彼らに『黒の小魔王』と恐れられていることをモニカは知っていた。
そんな彼女の催促だ。
機嫌を損ねないように必死らしいユーリウスに、モニカは眉間に皺を寄せる。
(確かにネズミみたいに真ん丸くてふわふわで思わず爪が出そうだけど、私達魔獣は人間を狩ったりはしないんだけどな)
彼女の瞳に、ユーリウスは完全に小動物として映っていた。
***
「どうぞ、御息女様。お召し上がり下さい」
相変わらずプルプルと震えたユーリウスが、モニカの前の床に皿を置き、銀のスプーンを添えた。横には皿と同じ柄の深皿に入れられた紅茶も用意されている。
犬の口を配慮した形で出されたようだ。
黒の鼻面をふんふんと鳴らし、一舐めした彼女は黒の瞳を細めた。ほどよい温度に、香ばしい香りの、優しい味をしたミルクティーだ。
さて、南瓜プリンも、と顔を上げたモニカは、ふと小首を傾げて前足を持ち上げた。黒い艶々の長毛に覆われた肉球が見える。今のモニカは、応接室に入るために魔力を押さえ、大型犬の姿になっている。端から見れば、黒犬が小首を傾げて、己の黒い肉球をじぃと眺めているように見えることだろう。
(スプーンを、この肉球でどうやって使えと……)
魔力を使えば中空に浮かばせられなくもない。だが、少々疲れる。その上、魔力操作に気を取られて南瓜プリンの味を楽しめないことは必須だ。
むぅ、とモニカは唸った。
ひぃぃ、とユーリウスが悲鳴をあげた。
***
どうしたものか、と己の肉球を見つめたまま、耳を垂らしたモニカは、ふと、己を凝視するユーリウスに気づいた。ふるふると震え、涙目になっている。よほど、魔獣である己が恐ろしいらしい。
少年神官見習いのあまりの小動物っぷりに、ふと、モニカの中に悪戯心が生まれた。モニカは、いいことを思い付いた、と顔を上げ、涙目のユーリウスを上目遣いに見つめる。黒の魔獣は、小首を傾げて少年に向かい右前足を上げてみせた。
「スプーンが持てないから、食べさせて」
え、と固まるユーリウスに、モニカは、ぐわり、と奥まで歯を覗かせてみせる。鋭い牙がぎらりと白く光った。
彼女の期待通り、ふわぁっと再び悲鳴をあげてユーリウスは後退った。
「む、無理ですぅっ」
ぶんぶんと顔を左右に振る少年。一つに括られた短い茶髪が、尾のように激しく揺れた。
(し、柴ー。この子、柴犬の子犬みたいっ)
「ぶ、ぶぁっはっはっ」
お母様そっくりと評判の笑い声をあげれば、「どうぞ余りおからかいになられませんよう」と、シリルに苦笑された。
豪快に笑う黒の獣に、潤んだ焦げ茶の瞳がまん丸に見開かれていた。
***
結局、モニカはスプーンの代わりに己の舌を使って食べた。シナモンが効いたプリンは絶妙な柔らかさと甘みであった。彼女は満足げに黒の瞳を細める。
彼女が、ぺろり、とピンクの舌と前足で口周りを整える様子を、皿を片付けながらユーリウスが見ていた。
彼が皿を台車に乗せたのを確認して、モニカは少年にゆっくりと近づく。びくりと肩を揺らした少年に、モニカは困ったようにヒゲを垂らした。
「そんなに怖がらなくても、私達魔獣は、人間を食べたりしないよ」
美味しい南瓜プリンと紅茶をありがとう、とユーリウスの胸に頬を擦りつけると、少年は焦げ茶の目をまん丸にして、わたわたと恐縮した風に両手を振った。
「も、もったいない、お言葉でございます」
褒められ、嬉しそうに頬を染める様はさながら……全力で短い尻尾を振る子犬のようであった。犬種は柴で決定だ。なんとも愛くるしい小動物に、元日本人のモニカはフルフルと尾を震わせる。飛びかかりそうになる己を必死に自制した彼女であった。