【28】ベテラン神官と新米神官見習い
「失礼致します」
柔らかな声と共に、細身の青年が応接室に書類を抱えて入ってきた。先ほど教皇に話しかけていた神官だ、とモニカは伏せの体勢から顔を上げて、固まった。
よく手入れされた金髪は、床に達する程長い。青色の組紐で腰まで一つにまとめられた先が、白い長裾の上に流れるように広がっている。白布の上、床に広がる金色が、太陽の光を弾いて輝いていた。金の睫に彩られた瞳の色は翠色。憂いを帯びた瞳が、艶やかに潤んでいる。透き通るような滑らかな白い肌は、書類を運んだためか頬が赤く色づいていた。
モニカが目にしたのは、名工の作った人形と言われても頷ける、儚げな佳人であったのだ。
(お、女の人!? え、でも、パレヴィダ教では神官は男の人しかなれないはずだし、やっぱり男の人!? こんな人いたっけ。会ったことがあるなら、絶対に覚えているはずなんだけどな。こんな美人……)
パレヴィダ神官は戒律として髪を切ることができない。血の穢れを嫌うために特定の目的以外に刃物を使うことができないのだ。同じ理由から、月のものがある女性は神官になることができず、その期間は神殿への参拝を禁じられている。
だから、この目前にいる傾国の美女は男性であるはずなのだが、信じられない。魔獣の本能がオスであるということを肯定している。しかし、人間の記憶を持つ理性がそれを否定する。清楚な女性にしか見えない、と。
驚きに尾を膨らませたモニカに、彼はふわりと微笑みかけて腰を折り、パレヴィダ神官式の挨拶をした。
「お初にお目にかかります。私はパレヴィダ神殿が助祭枢機卿、シリルと申します。この度、銀の女王陛下御一家の外交特使の任を拝する栄誉を授かりましてございます。今後ともお見知り置き下さりますれば、恐悦至極に存じます」
美貌の神官は、その声もまた、竪琴を奏でるかのように聞き心地の良いものであった。彼は自己紹介をすると、さっそく持ち込んだ書類について説明し始めた。白魚のような指で報告書を捲る彼に、ヴォルデは時々頷いたり、質問をしたりしている。純白の神官服に身を包んだシリルと漆黒の騎士服を纏ったヴォルデは、一見、清楚な巫女と野性味溢れる男性騎士の恋人達にも見えた。
美女と野獣、という言葉がお似合いの二人を眺めながら、モニカは首を傾げた。
シリルが言うには、彼は、これまで教会の外交官として主に地方神殿を巡礼していたらしい。しかし、つい先日の違法召喚事件を受けた人事異動によって、本神殿に配属されたのだという。
道理で見たことがないはずだ、と納得したモニカには反面、一つの疑問があった。
不祥事による人事異動は、元の世界でもよくあることであった。だが、その場合に飛ぶのはトップの首であるべきだ。何故、外交官が入れ替わって、教皇と副神官長がそのままなのだろうか。
その点について尋ねたいモニカであった。しかし、仲良く話し込んでいるらしい二人の間に入るのは躊躇われる。どうしたものか、と尾を垂らした彼女の耳が、扉を叩く音を捉えた。
振り返った彼女が見たのは、大きな台車を必死に押す少年であった。10歳前後だろうか。小柄な身体は、お座りをしたモニカと同じくらいだ。焦げ茶の髪はまだ肩ほどの長さしかなく、彼が歩くのに合わせて左右に揺れていた。弟妹達が幼い頃の短い尻尾を思い出し、モニカはふっと口の端を上げた。大きな焦げ茶の瞳を持つ、頬に散ったそばかすに愛嬌を感じる顔立ちの少年であった。
そのまま机の横まで台車を押してきた少年に、シリルがすっと立ち上がり、モニカとヴォルデに頭を下げる。
「申し訳ございません。この者は神殿に入って1年目の神官見習い、ユーリウスでございます。未だ行儀作法を十分にわきまえておりませんで、大変失礼を致しました。……ユーリウス。銀狼騎士団長様と銀の女王の御息女様にご挨拶をしなさい」
厳しい声のシリルに、慌ててユーリウスと呼ばれた少年は一人と一匹に頭を下げた。
「ごめんな……あっ。も、申し訳ございません。え、えと。初めまして。ユーリウスと申しますっ」
たどたどしく口上を述べる少年に、幼い頃の弟妹達を思い出し、モニカの口角がますます上がる。それを見たユーリウスが、ひぇっ、と小さく悲鳴をあげた。
(あ、いけない。無意識に牙が出てた。怯えさせてしまったや)
モニカは慌てて牙をしまい、怖くないよー、と長い尾を左右にパタパタ振ってみせた。
それを素直に目で追う少年に、小動物に似た愛らしさを感じて、黒の瞳を細めたモニカであった。
***
悲鳴をあげたことで再び叱責を受け、ユーリウスは項垂れていた。しかし、その手は慣れた風に茶器を扱い、手際よく茶菓子の用意をしている。聞けば、普段は副神官長の茶係を務めているそうだ。
(この子って、さっき聞いた、副神官長のお八つをお駄賃として貰った子だよね。じゃあ、もしかしてお菓子は、バターと砂糖がたっぷりだっていうお菓子かな)
モニカは、期待に黒の瞳を輝やかせた。
彼女の視線を一身に浴びたユーリウス少年が、少し震える手で菓子皿を覆っていた銀蓋を開ける。白磁に藍色の唐草模様が入った皿に乗っていたのは、砂糖と牛乳をたっぷりと使った……南瓜プリンであった。
円柱の黄金色のプリンに、焦げ茶色のキャラメルソースがかけられている。漂う甘い香りに含まれる南瓜の優しい甘みを、モニカは獣の鋭敏な嗅覚でしっかりと拾い上げていた。端には白い生クリームが添えられ、何とも美味しそうな一品である。
「銀の女王の御息女様のためにと料理長が腕を振るった南瓜プリンでございます」
恭しく説明するユーリウスに、モニカは嬉しそうに耳をぴんと立て、黒い鼻をひくひくと動かした。
早くー、と前足をあげてお強請りをしながら、彼女は考える。
(これ、さっき盗み聞きした副神官長のお八つとは別の品だ。焼き菓子っぽかったし。……あとで、こっそり、つまみ食いに行ってしまおうかな)
銀の女王の御息女様の意識は、南瓜プリン一直線であった。
モニカに急かされたユーリウスはプルプルと震えていた。
(お腹がすいていらっしゃるのかな。ぼ、僕、食べられないよね、人間は食べないんだよね。うぅぅ。怖がっちゃダメだ! 白百合の君みたいに、神官として、き、毅然とした態度で。・・・・・・む、むりぃ)
新米神官見習いは、白百合の君に救いを求める目線を送った。
涙目のユーリウスを見ながら、シリルは心の中でガッツポーズを決めた。
(よし、狙い通りですね。ユーリウスもお気に召されたようですし。さすが、愛らしき子犬の君。二つ名に恥じない、小動物っぷりですね。そのまま、プリンと一緒に御息女様の気を引いていて下さいよ)
白百合の君(ベテラン神官)は、私が見守っていますよ、もう少し頑張ってみなさい(そのぐらい一人でどうにかしろ)、という暖かな視線を子犬の君に返した。
一人真面目に報告書を読むヴォルデは思った。
(部下に聞いたことがあるな。ダントツの可愛さの『子犬の君』に、見てるだけで昇天しそうな『魔性の聖人』。……ここは、本当に神殿なのだろうか)
パレヴィダ教は、三大宗教の一つに数えられている。有名な話だが、その信者のほとんどは、女神ローネルシアの信仰者というよりも、ただの神官のファンであった。後にそのことを知った某現代日本出身魔獣は思った。いっそのこと、タレント事務所にでもなればいいのに、と。




