【27】パレヴィダ神殿と愉快な神官達
「ちょ、長女様が来襲したぞー!」
ガンガンと鳴らされる神殿の鐘を見上げ、え、警報? 私って火事とか大災害と同じ扱いなの? とモニカは耳を伏せる。鋭敏な獣の聴覚に、青銅の挙げる悲鳴が酷く響いた。
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「パレヴィダ神殿の査察ですか?」
黒の瞳を丸くしたモニカに、御父様は厳かに頷いた。
「ああ。違法召喚の件を改めて調査することになってね。魔獣の代表として、モニカ、君に行ってもらいたいんだ」
蒼の瞳を優しく細めて、御父様は誇らしげに鳴く。
「まだ人間の齢で6才ではあるが、天狼は人間よりも精神的な成長が早い。そろそろ、成獣として扱うべき年齢だ。少しずつ、魔獣の王族としての仕事を覚えていこうか」
その手始めとして、神殿に査察に行って欲しいんだ。心配することはないよ。今回は、人間側の代表として銀狼騎士団の団長が行くのに付いていくだけでいいからね。彼がどんなふうに仕事をするのかを見ておいで。人間が、どのように社会を作り、動かし、守っているのか。それを知ることは、きっと、これからモニカが王族として人間と付き合っていく上で、君の財産となる。
ゆっくりと尾を振った御父様は、モニカに顔を近づけ、お願いできるかな、と彼女に頬ずりをした。耳をピッと立てたモニカは、「はいっ。任せて下さい、御父様」と、元気よく返事をして大門前で待っているというヴォルデの元へと向かった。
去り際に、お土産は一角獣にしますねー、と元気よく鳴いていったモニカに、御父様は尾をぶわぁっと膨らませる。彼は、一抹の不安と共に神殿のある方角を眺めた。彼らは練習台だからね、多少の失敗は揉み消せるだろう、と己を落ち着かせるように尾を舐め、次のバルトロに仕事をお願いする準備を始めた。
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「それでは、今回は、一角獣様を狩るためでも、副神官長のお八つを盗むためでも、教皇の背中にこっそりと肉球スタンプをつけるためでもなく、査察にいらしたということでよろしいでしょうか」
パレヴィダ神殿の外交官だという神官に尋ねられ、モニカは頷いた。
神官は、明らかにほっとしたように胸を撫で下ろし、何かの合図を背後に控える神官に送った。
しばらくして、神殿の奥の方から大人数の人間が騒ぐ声と物音がした。
神殿の最奥から、嗄れた老人の声がした。
「一角獣様を奥庭にお戻ししろ。今回は襲撃ではないらしい」
応える声は、まだ若い。
「駄目です。腰が抜けたらしく立ち上がっていただけません」
困り果てた声に対する返答は、微かに笑いを含んでいた。
「目の前に好物のキリキリ草をぶら下げてみろ。あっさりと立ち上がって下さるはずだ」
張りのある男性の声が、西の方からした。
「副神官長様のお八つはどうする? バターと砂糖がたっぷりと使われた品らしく、アリが集りそうなのだが」
神経質そうな声が、それに応える。
「この機会に減量してもらうことにしよう。おい、そこの新入り。御子様に囓られたことにして、厨房にダイエット用の麦菓子を作らせろ」
はいっ、と幼子の声が元気のいい返事をした後に尋ねた。
「この御菓子はどうすればよいのでしょうか」
神経質そうな声の主が、少し声音を柔らげて応えた。
「俺達で喰うに決まっているだろう。東の食料庫に隠しておけ。……一枚は駄賃だ。好きにしろ。厨房にバターと砂糖の付いた手で行くなよ。よく洗ってから行け」
さっきよりも大きな声で、幼子の声が、はいっ、ありがとうございますっ、と返事をして、小さな足音を立てて東の方角へと駆けて行った。
張りのある男性の声が、微笑ましそうに言う。
「甘いな」
神経質そうな声が、そっけなく応える。
「ああ、激甘だ。あんなものばかりを食べているから太るんだ、あの方は」
くくく、という、くぐもった笑い声と、何かを叩く音がした。
くぐもった中年の祈りが、南の方から聞こえた。
「おお、神よ。女神ローネルシア様よ。何故、我々にこのような試練を与えるのです」
柔らかい青年の声が、祈りの声に重なる。
「教皇様。王宮からの査察官がいらっしゃいました。銀の女王の御子様も、今回は査察官としていらっしゃっただけで御座います。そのように、怯えられることは……」
祈りの声は途切れることなく続いていた。
「どうか、神よ。我らをお助け下さい。ああ、神殿から出たくない。外は魔物の巣窟と化しているに違いない」
しばらく祈りの声のみが聞こえた後に、溜息と共に扉の閉まる音がする。
足音を意識して追うと、少し離れた部屋の扉を開ける音がした。
書類を捲る音共に不機嫌そうな声が尋ねる。
「どうだった」
「駄目ですね。完全に御自分の世界に引き篭もっていらっしゃる。・・・・・・困ったなぁ」
ふん、と鼻を鳴らす音と共に、何かがどさどさと積み上げられる音がした。
「全く困ってない顔で、よく言う。あの男は最初から当てにしていない。むしろ、邪魔が入らなくて都合が良い。副神官長は予定通り西の貧困街に視察に行かせたな」
くすくす、という上品な笑い声と共に、大量の書類が持ち上げられる音がした。
「ええ。公爵夫人にお守りをお任せしたよ。あの方のお気に入りだからね、副神官長は」
この書類は査察官に持って行けばいいのかな、と青年は尋ねた。
さっさと持って行け、と男は応えた。
獣の耳は鋭敏であり、聞こうと思えば、千里先の音でも拾うことが出来る。
耳を前後左右に動かして情報収集をしながらモニカは思う。
(一筋縄ではいきそうもない人達ばかりだなぁ。……今日の御菓子、美味しそう。お茶請けに出てこないかな)
そんな彼女の耳を眺めながらヴォルデは思う。
(さっきからピクピクと耳を動かしていて、もの凄く気になるのだが。説明役の神官殿も凝視なさっているぞ。集中できていないのが一目瞭然だ。……ポーカーフェイスという意味では、まったく査察に向いていないな、獣態は。どうせだったら、ドレス姿の人態の方が、感情も隠せる上、俺としても嬉しいのだが)
雑音と雑念だらけの神殿で、二人の長い一日が幕を開けた。