【番外編2】『地獄程度の業火では済みません。』
*砂吐き注意。恋愛要素が苦手な方は回避して下さい。
*らいとてんが己の限界に挑んだ激甘番外編です。苦いコーヒー又は濃い抹茶をご用意の上、服用ください。ちなみに、作者は自分で書いていおいて胸やけに苦しみました。
長く艶やかな黒髪が風に靡く。
白く華奢な指が、己の頬にそっと触れた。
不安げに揺れる黒の瞳が、愚かな己の姿を映し出す。
――ヴォルデは、震える手を光に伸ばした。
***
風を纏い、天狼の娘は男を目指して飛ぶ。その速さに耳元で風が悲鳴を上げ、長い黒髪が天へと尾を引く。だが、モニカの瞳に映っているのは盟友たるヴォルデだけだった。
「ヴォルデ!」
彼女の声を聞いた瞬間に、ヴォルデの瞳に強い光が浮かんだ。しかし、その光は当惑に再び揺れる。己を凝視する男に構わず、モニカはそのすぐ目の前に降り立った。目線を合わせるために宙に浮いたまま、彼女はヴォルデに両手を差し伸べる。一週間でよくぞここまで痩けたものだ、と痛ましげに彼女は彼の頬を包み込んだ。
「何があったの? ヴォルデ」
モニカは過去の自分を責めていた。弟のことで頭が一杯であったとはいえ、どうして、何日もヴォルデに会わずにいたのか。自分が側についていれば、決してここまで追い詰めさせはしなかったのに。何がここまで彼を責め呵なんだのか。それが何であれ、彼女の大切な相棒をここまで苦しめたのだ。――地獄程度の業火では済ますまい。
モニカの瞳に物騒な光が宿った。
目を瞬かせたヴォルデは、ゆっくりとモニカに手を伸ばした。何かを確かめるように彼女の黒の瞳を見つめ、長い黒髪を手で梳き、恐る恐るといったふうに口を開いた。
「モ、ニカ、なのか?」
うん、そうだよ、とモニカが頷いた瞬間、彼女の顔はヴォルデの胸に押しつけられた。
後頭部と背を圧迫され、モニカは一瞬息を詰まらせた。視界を遮られ、彼女は反射的に逃げだそうとする。だが、後ろ頭に添えられたヴォルデの手が細かく震えているのに気付き、彼女は抵抗するのを止めた。溜息をつき、纏っていた風を解く。浮力を失ったところで、ヴォルデが自分を落とすはずがないという確信があった。彼女の予想通り、ヴォルデはモニカが地面に落ちないように彼女を抱き上げてくれる。彼の腕に座る形となった彼女だったが、その顔はヴォルデの手によって彼の肩に押し当てられていた。そして、ヴォルデの腕の震えは、そのままだった。モニカは、ヴォルデの背を宥めるように優しく叩く。つい先ほど弟にしたように。
「大丈夫だよ。ヴォルデ。私はここにいるよ」
しばらく一定のリズムでゆっくりと叩いていると、次第にヴォルデの震えは収まり、頭を抑える手の力も緩んできた。顔を上げようとしたモニカに、しかし、彼は低く唸るような声で命じる。
「顔を上げるな」
どうして、という疑問は、首筋に感じた髪の感触のくすぐったさに気をとられて消えた。モニカを抱きしめたまま、ヴォルデは地面に胡座をかいて座り込む。その上に乗る形となった彼女は、自分の肩に顔を埋めた男に、小首を傾げた。長い黒髪がさらさらと男にかかる。その髪を払った彼女は、ゆっくりと彼の頭を撫でた。
「どうしたというの? ヴォルデ。何が貴方をそんなに不安にさせているの?」
まだ幼かった弟に尋ねた時のように、優しく歌うようにモニカは囁く。少しの躊躇の後、こもった声でヴォルデは小さく呟いた。
「モニカが……」
私が? と続きを促す彼女に、ヴォルデは小さな声で早口に言い切った。
「お前が光輝殿について異世界に行ってしまうと思ったんだ」
モニカは驚きに魔力を迸らせそうになる。だが、そのようなことをすれば、魔力探知に優れた御父様が来てしまう。何故かは分からないが、御父様にこの体勢を見られたら不味いと本能が警鐘を鳴らしている。彼女は必死に己の魔力を押さえ込んだ。
取り零した魔力で長い黒髪がフワリと宙に浮かぶ。モニカは、ここ最近の自分とヴォルデの会話を必死に思い出す。彼女は、コーキについて行くつもりはなく、両親や弟妹達に尋ねられても否定してきた。だが、そういえば、ヴォルデに対してコーキの住む異世界に行く気はないとはっきりと否定したことはなかった。
(むしろ、まだ迷っていた時に尋ねられたから、かなり曖昧な態度しか返してなかったような)
特に、一週間前の夜のやりとりは、もしかしたら見ようによっては、コーキについて行くと誤解されてもおかしくないやりとりだったのでは……?
そして、ヴォルデが見事に誤解した結果が、この憔悴した姿なのだとしたら――。
がくり、と脱力したモニカは、ちょうど良く目の前にあるヴォルデの肩に顔を埋めた。彼女の肩に乗っていた重みが消え、今度はヴォルデが顔を上げた気配がした。しかし、モニカはそのまま顔を隠し続けた。
「ごめん。私はコーキの住む異世界には行かないって、ヴォルデに言うのを忘れてた。……盟友をこんなに心配させるだなんて、相棒失格、だね。私なんて御母様の業火に焼かれて灰になってしまえばいいのに」
そのまま他人の肩で落ち込み続けるモニカの頭を、ヴォルデは不器用に撫で始めた。
「いや、お前が灰になったら俺が困るからやめてくれ。……本当に良いのか? お前は、あのコーキという男のことが好きなのではなかったのか?」
好きだよー、と返したモニカに、彼女の頭を撫でるヴォルデの手が止まった。だが、続けて彼女が、でも、御母様も御父様も好きだからねー、と言うと、再び動き出した。モニカは、あれ、と思った。なんだか、ヴォルデの胸が、先ほどよりも早鐘を打っていないだろうか。彼の胸に手をあてる彼女に、彼は言う。
「では、俺は?」
んー、やっぱりちょっと早いなぁ、と彼の鼓動を確かめながら、モニカは返事を返した。
「好きだよー。ヴォルデもリーナス達も、銀狼騎士団の人達も、みーんな大好きだよー」
脈が速いのは、一時的に興奮状態にあるせいかな。でも、随分痩せてしまったようだし、やっぱりちょっと休ませよう、とモニカは顔を上げるタイミングを計りながら考えていた。だが、天然魔獣に振り回されたことによる過労と、少し期待していた分、他と同列に扱われたことへの大きな落胆で、ヴォルデは非常に脱力してしまっていた。彼が癒しの源であるモニカを自由にするには、未だ暫くの時間が必要であった。
視界を遮られることは獣にとって命に関わる。抱き込まれるのを許すほど、命を彼に預けてもいいと思うほど、己が彼に心を許しているということを天然魔獣が自覚するには、さらに長い時間が必要であった。
***
そんな二人を塔の上から眺める蒼の瞳が四対あった。
実は彼ら、ずっと野次馬していたのだ。
「まぁ、大胆ね」
エルティナは、眼下の二人に当てられて熱くなった頬に長い尾で風を送る。
「向こうの茂みから、人間どもがのぞいているぞ。あれは・・・・・・銀狼騎士団のやつらだな」
バルトロは、蒼の瞳を輝かせて面白そうに人間達を観察していた。
「御父様が見たら泣くかな、それとも、王都ごと無かったことにするかな」
普段は大人しいアルクィンが、珍しく牙を剥きだして獰猛な笑みを浮かべる。
一頭だけ黙り込んでいたリーナスが、ぽつりと呟いた。
「……燃やしていい?」
え、と振り返った三頭が見たのは、頭上に特大の火の玉を浮かばせ、無表情に地上を見下ろすリーナスだった。なんだか、モニカ姉とヴォルデ団長がくっついているのを見ると、胸のずぅっと奥からぐつぐつしたのが湧いてくるの。燃やしちゃって良い? と可愛らしく小首を傾げるリーナスを慌てて止めた三頭だった。