【26】床の間に飾られた宝物は1%の愛と勇気の冒険と99%の教皇の涙からできています。
副題が長すぎると分かっていながらも、これ以上にしっくりする副題が思い付きませんでした。
少年が故郷に帰る日は、彼の旅立ちを祝すかのような快晴であった。
銀の揺籃の屋上で、この世界に来た時に着ていた中学の学ランに身を包み、小坂光輝は魔方陣の完成を待っていた。御父様が呪文を唱える度に銀の魔術文字が走り、魔方陣が形作られていく。元の世界ではあり得ない幻想的な光景に、しかし、コーキは見入ることなく、落ち着きなく周囲を見回していた。彼はある獣を探していた。帰還する時が刻一刻と近づいているにも関わらず、彼女が未だ姿を現さない。もしかしなくとも、今生の別れとなるというのに。儀式を中止して貰おうか、と御父様に向かい一歩踏み出した時であった。彼の背後に一陣の風が吹く。馴染みのある気配を感じ、振り返った彼の目に映ったのは、黒の獣ではなかった。そこにいたのは――一人の少女だった。
大きな襟下で結ばれた白いタイと濃紺のスカートが風に靡く。見慣れぬその服がセーラー服だと知っているのは、この世界では光輝だけだった。高校の制服に身を包んだ少女は――コーキがずっと探し求めていた姉だった。
「コーキ」
腕を広げた彼女の胸にコーキは飛び込んできた。彼女の脳裏に小さな幼子の姿が浮かぶ。小さい頃、コーキは泣き虫で何かあるとすぐに彼女のもとへ逃げ込んだ。震える弟の背を、いつかのように姉は優しく叩いてやる。不安を押し隠そうとする弟をこの手で抱きしめたいとずっと彼女は願っていた。初めて使う魔術に四苦八苦し、遅刻しながらも何とか儀式に間に合わせることが出来た、とモニカは弟を柔らかく抱きしめる。
「大丈夫だよ。コーキ。お姉ちゃんはここにいるよ」
おずおずと顔を上げらた弟に姉はふわりと笑いかける。
泣かなくても大丈夫だよ、と。
「コーキ。お姉ちゃんは居なくなる訳じゃないんだよ」
ふるふると揺れる黒の瞳をのぞき込み少女は微笑む。
「ただ、ちょっと遠くで魔獣とか魔王の娘とかしているだけだよ」
いや、それは安心できないよ、と震える声で弟は突っ込みを入れた。笑った拍子に零れた一筋を優しく拭ってやりながら少女もまた瞳を潤ませた。
「……モニカ姉さん」
掠れた声でコーキは姉の名を呼ぶ。
「なあに? コーキ」
アキラではなくモニカと呼んでくれた弟に、柔らかな声でモニカは応える。コーキは何かを言おうとして逡巡した後、ポツリと呟いた。
「……元気で」
「うん。コーキもね。……お父さんとお母さんと勇輝に宜しくね」
離れがたそうにしている弟妹の間に割り込んだのは末子のリーナスだった。
「モニカ姉さんばっかりずるいー」
そうですわ、と続いてコーキの顔を舐めたのはエルティナだった。
「私達だってコーキともっと遊びたかったのですから」
舐める力が強すぎてよろめいたコーキを尾で受け止めたのはアルクィンだった。
「もっと異世界の話を聞きたかったな。王都で案内したいところもまだまだあったし」
まったくだ、とバルトロはわざわざ魔獣から犬に姿を変えて光輝に飛びついた。
「一角獣はこれからが旬で脂がのってくるんだぜ。一緒に狩りたかったのにな」
弟妹達の銀毛に埋もれたコーキにモニカは目を細める。
「ね、ねえさん! 助けて!」
助けを求める勇者に姉は優しく微笑みかけた。
「最後なのだから、存分に毛皮を堪能するといいよ」
でも、お持ち帰りはだめだよーと泣き笑いをして、愛おしい銀の毛玉(勇者付き)に彼女も飛び込んだ。
多少くたびれた勇者に、御父様(魔王の番)が気遣わしげに尋ねる。
「だ、だいじょうぶかい? コーキ」
心配げに碧の瞳を揺らめかせ、優美な耳をへたらせ、艶やかな銀の尾を震わせる御父様に、悩殺という意味では今のがとどめになりました、と締まりのない顔でへらりと光輝は笑う。
魔王一家と銀狼騎士団、王国、パレヴィダ神殿など、この地で出会った様々な魔獣や人、メタボ副神官長などから、贈られた土産や、ちょっと強引にお強請りした供物を抱え、勇者は異世界に別れを告げた。
完成した魔方陣から放たれる銀の粒子がコーキに収束していく。
「姉さん! 」
最後の言葉は魔方陣から生まれた強風にかき消えた。以前にも感じた浮遊感を覚え、彼の意識は暗転した。
最後の銀の粒子が消えた後も、光輝のいた場所をじっと見つめ続けるモニカに、御母様は優しく吼える。
「我が愛し子よ。本当に行かせてしまって良かったのかい? 黒の勇者に嫁ぎたかったのではないのかい?」
嫁? とちょっと首を傾げたモニカは、不安げに此方を見る御父様に気づき、ふるふると首を横に振った。
「いいえ、御母様。私は、行きません。私は、この世界で、御母様の娘として生きます」
おお、愛し子よ、と感激に尾を大きく震わせる御母様と、僕はー? 私はー? とその周囲で跳ねる弟妹達、参加したいが魔方陣の片付けがなかなか終わらず唸る御父様。そんな彼らの中心で楽しげにモニカは笑う。笑った拍子に流れた一筋は弟妹が舐めとってくれた。
***
その日、とある町の墓地で早朝から一騒ぎがあった。何でも神隠しにあったという少年が一月ぶりに見つかったそうだ。不可思議な品々に埋もれるように倒れていたという少年は、行方不明の間のことを尋ねる周囲に、「ちょっと勇者をしていた」と冗談めかして笑うだけだったという。彼の家を訪ねれば、その時の土産だという何かの角が床の間に飾られていることだろう。白く輝く不思議な角に、ある人が彼に何の動物のものかと尋ねたことがあった。
彼は、懐かしげに瞳を細めて、こう答えた。
「姉と狩った一角獣の角ですよ」




