【20】祈りを捧げる夜の星空
モニカは満天の星空を見上げた。
手が届きそうで、届かない輝きたち。
彼女は以前に魔の森でやはり同じように夜空を見上げたことがあった。
その度に思ったことがある。
まるで――前世の家族のようだと。
***
王宮の夜は魔の森よりも明るく騒がしい。城内には魔石の炎が灯り、夜を楽しむ人間達の笑い声がモニカの耳に届く。それでも夜は夜だ。現代日本の夜など比べものにならないほどの闇が王都を支配していた。その暗闇に溶けこんだ獣は夜空を見上げる。王宮の尖塔の上、黒の獣は物思いに沈みながら、その毛を風になびかせ、黒の瞳に星の光を映し続けていた。
脳裏に蘇るのは先ほど泣き疲れて眠りについた弟の寝顔だ。あどけない顔立ちの少年は、モニカの中にある『小坂晶』の記憶そのままだった。少年は言った。彼は、姉を失った一週間後の世界から来たと。
「ばかっ。アキラ姉のばかっ。俺が、親爺が、母さんが、優輝が、どれだけっ……アキラ姉のおおばかっ……!」
言葉を詰まらせた光輝は、そのままモニカの首に抱きつき、さんざん彼女の毛並みを濡らして、そのまま眠りに就いてしまった。寝息を立て始めた光輝をモニカは風を起こして寝室まで運び、毛布を駆けてやる。暫く寝顔を眺めていた彼女は、ふいに己の瞳から一筋また一筋と流れ落ちていく涙に気付いた。慌てて前足で拭うが、後から後から湧いきて一向に止まらない。このままでは高そうな絨毯に染みを作ってしまう。そう考えた彼女は、窓から見えた尖塔の上で気分を落ち着かせるために、そっと部屋から抜け出した。
宙を彩る宝石のような星々が、澄んだ大気の中できらきらと輝いている。幼獣の頃から、モニカは夜空を見上げるのが好きだった。空で輝く星と月は、前世と変わらない気がしたからだ。
『家族』に会いたいと、何度心の中で願っただろうか。
叶うはずのない願いが叶って、最初に思ったことは
――帰りたい。……でも、私が帰るべき場所はどこ?
モニカは覚えている。
黒髪の女性の優しい微笑みを。
良い子ねと己の頭を撫でる、家事で少しかさついた手を。
けれども、モニカは知ってしまった。
愛おしくてたまらないと細められる蒼の瞳を。
優しく己を包む銀の毛皮を。
どちらも大切でどちらも大好きな彼女の『母』だ。
母だけではない。どちらの世界にも、大好きな家族いて友がいる。選ぶことなど、できないほど、愛おしい存在が。
そもそも、一度死んだ己が『あちらの世界』に戻れるかもわからない。
……まったく、獣生というものは分からないことだらけだ。
あるはずもない答えを探し求める思考を止め、モニカは天を見上げた。
そして、彼女は祈る。
(あちらで死んでしまった私はともかく、コウキはまだあちらに戻れるはず。どうか、あの子が『家族』のもとに帰れますように)
晶だけでなく、光輝まで続けて失った家族の悲しみを思い、伏せられたモニカの耳に、聞き覚えのある人間の悲鳴が聞こえた。
「光輝の声だ!」
慌てて駆け付けたモニカが見たのは、寝台の上にできた魔獣団子だった。巨大な銀の毛玉の下から、光輝の「お、おもいっ。つぶれる!」という悲鳴が聞こえる。どうやら異世界人に興味津々だった弟妹達が彼を襲撃したらしい。
「異世界人、ゲットだぜー!」
リーナスが光輝の上に乗り、捕獲宣言の雄叫びを上げれば、
「良い毛並みね。あら、香水のような香りもするわ」
どういうお手入れをしているの? とエルティナが光輝の髪を毛繕い、
「指が五本あるんだね。なんだ、あまり人間と変わらないじゃないか」
と、腕に乗ったアルクウィンが残念そうに尻尾を垂らし、
「あんまり、美味そうじゃないな」
と、光輝の匂いを嗅いでいたバルトロが牙を剥きだし笑う。
光輝を潰さないために魔力を抑えて犬の姿になっているとはいえ、大型犬程度の大きさの弟妹達である。四頭分の銀の毛皮に埋もれて、もはや完全に姿が見えない光輝が「助けて、アキラ姉―!」と叫ぶのに、モニカは苦笑した。
魔力で風を起こし弟妹達を光輝の上からどかしながらモニカは思う。
妙なところで行動力のある弟妹達に振りまわされるのは、前世も今世も変わらない、と。