【18】宝物はキラキラと
「おかーさん。この子が私のおとーと?」
舌足らずな声で少女は母親に尋ねた。
「そうよ。ほら、光輝、晶お姉ちゃんですよ」
少女は母親の腕の中を覗く。
「こうき?」
確かめるように名を呟いた少女の頭を父親はゆっくりと撫でた。
「ああ。光り輝くと書いて光輝だ」
首を傾げた少女が父親を見上げる。
「キラキラした名前だね」
クスクスと、可笑しそうに母親は笑う。
「そうね。ねえ、晶。貴女の名前もキラキラした名前よ。澄みきって光り輝いた子どもになりますようにって、お父さんがつけたのよ」
我ながらピッタリだろう、と父親は胸を張る。
「晶も光輝も、二人とも俺達の大事な宝物だ。宝物はキラキラしているものだろう? さあ、我が家のお姫様。チビ助に挨拶してやろう」
不意に、母親の胸に抱かれた赤子が目を開き、少女に向かって手を伸ばした。小さな手だった。精巧な人形のような、信じられないほど小さな手を晶は恐る恐る握った。
「よろしくね。コーキ」
王都の外れにある小高い丘に建てられた白亜の神殿は、日の光に輝いていた。キラキラと。神官達に毎日磨かれ、繊細な彫刻が施され、ステンドグラスが色とりどりに光を染める神殿は、確かに美しかった。
(でも、私の宝物はもっと)
――キラキラした私の大事な宝物。弟。
モニカは力の限り空を駆る。少しでも早く、勇者が異世界召喚された神殿に着きたくて。彼女は、己の背に載る相棒に早口に告げる。
「ヴォルデ。神殿の中庭に巨大な魔力の塊が二つあるみたい。一つは御母様だけど、もう一つは知らない魔力だよ。……見えた」
***
神殿の中庭は酷い有様だった。聖樹と呼ばれる木々は折れ、石造りの東屋は瓦礫と化し、庭園の花々は吹き飛ばされている。其処此処で燻ぶる炎が、この惨状が膨大な魔力が暴走した結果だと告げる。
優美な庭園を焦土と化した元凶は唸り声を挙げ、怒りの咆哮を上げた。
「我が一族に仇なす者は、例え不可侵を約しし人の子であろうとも、許さぬ!」
銀の女王が睨み据える先には、神官達と一人の少年がいた。
樽腹の副神官長は、勝ち誇った声で叫ぶ。
「ふん。魔王は勇者に倒されるのが世の常。先代の勇者は貴様に誑かされ、堕落してしまった。だが、今代の勇者は違うぞ。コサカコウキ様は異世界から我々がお呼びした真の勇者だ。貴様なぞ敵ではない……コサカコウキ様。あれこそがこの世の罪悪、銀の魔王でございます。どうか勇者様の御力であの獣めをお倒し下さい」
銀の女王にギラギラとした目を向けられた少年――小坂光輝は、顔を引き攣らせた。
「倒せって言われても……」
尻込みする光輝の背を神官達が押していく。
「神殿の帳簿は、魔獣一家のための経費で火の車なのです」
「このままでは、神殿を差し押さえられてしまいます!」
「教皇様は祈るだけだし、副神官長様は食べるだけ。神殿内引きこもりとメタボ親爺は頼りになりません!」
「もはや貴方しかいないのです。コサカコウキ様! どうか我々に希望を!」
銀の女王と直接対峙させるべく、神官に無理矢理引きずり出された光輝は、思わず突っ込みを入れる。
「いやいや。後半はほぼ上司に関する苦情だよな。ていうか、俺、さっき目が覚めたばかりなんですけど。何、このスピード展開」
そもそも、最初から魔王っておかしくないか、と最近ついていない光輝は呟いた。眼前の巨大な銀の獣が天に向かい雄叫びを上げる。空に浮かぶ火の塊達。それらが、一直線に向ってくるのに、やけに冷静な自分に彼は力なく笑った。
視界一杯に広がる炎。この赤く輝く光に燃え尽くされたら、
(もう一度、アキラ姉に、会える?)
そっと目を閉じた瞬間、誰かが彼の襟首を引っ張った。あまりの強さに一瞬息が詰まった光輝が、次に感じたのは浮遊感だった。
(へ?)
驚き目を開けば、目の前に広がる青空と輝く太陽。
「え……ええ!?」
中空に仰向けになる体勢で四肢を投げだした光輝が悲鳴を上げれば、力強い腕が彼を抱き止めた。何かが起こったか分からず固まる光輝を気遣うように腕の主は彼に優しく声をかけた。
「大丈夫ですか。勇者殿」
「だ、だいじょうぶです」
まだ動揺している光輝の頭を撫でると、男は光輝を抱え直し、己の前に座らせた。さらりとした黒の毛並みの獣に跨った光輝は眼下を見下ろし目を丸くした。
「飛んでる!」
遥か下でキラキラと輝くのは先ほどまでいた神殿だろうか。そうならば、あの右往左往している米粒は己を召喚した神官達だろう。……なんだか、爆発音や獣の咆哮、煙や閃光が見えるのは気のせいにしておこう。
男が黒獣の背を撫でると、獣は何処かに向かって空を駆け始めた。
「あ、あの」
光輝は体を後ろにひねり、男を見上げた。
「助けて頂いたようで、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げた光輝に、青年は少し目を丸くすると、ふっと笑った。
「いいえ。当然のことをしたまでです。御挨拶が遅れて申し訳ありません。私は銀狼騎士団団長ヴォルデ・シュットガルトと申します」
騎士団……ファンタジーだなーと思いながら、光輝も名乗る。
「俺は小坂光輝です。コサカが姓で、コウキが名前です」
神官達は何故かフルネームで彼を呼んでいたので、一応光輝が名前だと注意すると、ヴォルデは頷き、何故か獣の背を軽く叩いた。
「どうした? 挨拶しないのか?」
首を傾げた光輝の耳に、信じられない声が聞こえた。
「……す、するよ。私はモニカ。よろしくね」
自分を乗せている獣が発した声だと分かるまでに、少し時間がかかった。なぜなら、この声は、あまりにも……。
「ちなみに、さっき君を襲っていた銀の女王の娘だよ」
食べられなくてよかったね、というモニカに、え、俺、魔王軍にさらわれたの!? とパニックになった光輝を宥めるのに苦労したヴォルデだった。




