【17】モニカと魔獣一家の勉強会(別名:へたれ御父様を囲む会)
『愛してる』
届かないと分かっていても、彼は心の中で、そっと呟いた。
風にたなびく白煙。ああ、天に向かって昇っていく、あれは。
『アキラ姉』
馬鹿みたいに晴れた青空を少年は睨みつけた。そうでもしなければ、零れ落ちてしまうと思ったのだ。己の心が、銀の光となって。
ぐっと拳を強く握った瞬間だった。目の前がふっと暗くなり、足元の地面が崩れるのを感じた。
目を赤く泣き腫らした母親が、慌てたように自分に手を伸ばすのが見えた。
唇を噛みしめていた父親が、何かを叫ぶのが聞こえた。
黒服に身を包んだ弟が、こちらに駆けて来ようとしている。
「来るな!」
己の叫び声を最後に、少年の記憶は途絶えた。
***
良く晴れた青空の下、魔獣一家の青空教室が王宮の中庭で開かれていた。講師は御父様ことクロード、生徒は彼の愛し子達だ。御母様は、何やら面白そうな予感がする、と何処かに行ってしまった。
魔獣の一族の記憶は、その血に宿る。だが、それは本能に支配された感覚的なものが多い、とクロードは言う。例えば、御母様に言われば、魔獣と人の騒乱の時代は「腹が減って、腹が立った時代」となる。
さすがに大雑把過ぎると、クロードは、人間の教育制度のように何が起こったのかの出来事を系統立てて幼獣達に教えようとしていた。幸いなことに齢七歳になる愛し子達は親の欲目抜きでも聡明であり、特にモニカは銀の賢者と言われてたクロードでも思いつかないような歴史の矛盾点や疑問点を突いてくる。
今日のお題は『異世界人』だったが、珍しいことに初歩の初歩でクロードは躓いていた。
「ととさま。異世界人って、足が三本あるの?」
『ちいさいの』ことリーナスは小首を傾げてクロードを見上げた。
「違うわ。リーナス。触角があるのよ。ねえ、御父様」
『おなが』ことエルティナは自慢の優美な尾で小柄な弟をぺしぺしと叩いた。
「いや。目が三つあるんじゃないかな。でしょう? 父さん」
『おおきいの』ことアルクィンは、伸びをしながら呟いた。
「美味いかが気になる。どうなんだ? 親爺」
『みみなが』ことバルトロが形のいい耳を後ろ足で掻く。
こら、行儀が悪いよ、とモニカはバルトロを叱る。
「えと、異世界人も、姿形は人間と変わらないのではないのでしょうか、御父様」
自分も前世は『小坂晶』という異世界人であったが、断じてそんなびっくり生物ではなかったと心の中で突っ込みながら、モニカがフォローを入れる。
自分の予想は当たっているかとキラキラと期待に瞳を輝かせてくる幼獣達を、如何にがっかりさせることなく訂正したものかと耳をへたらせていた御父様は、モニカの助け船に飛びついた。
「その通りだよ! というか、我が愛し子達よ。君達も僕の子供である以上、異世界人の血を引いているのだからね。僕をどんなとんでも生物だと思っているのだい、君達は。特にバルトロ。異世界人を食べたらだめだよ。共食いになってしまうからね。さすがの僕でも、共食いはしないよ」
へ? とモニカは尻尾を膨らませた。
ちっ、とバルトロは舌打ちをした。
「ととさま、異世界人なの?」
好奇心の塊のリーナスがクロードの匂いをふんふんと嗅ぎながら尋ねる。
「いや、匂いをかいでも分からないだろう、リーナス。僕は今でこそ魔獣だけど、嘗ては人の王族だったからね。古の王族に異世界人を王妃に迎えた王がいた話はしただろう?」
今度こそ、モニカは絶叫した。
「御父様、人間だったのー!?」
***
落ちつかなげに尻尾を振るモニカに、昼食を取るヴォルデは首を傾げた。
「どうした? 子牛のステーキは気に食わなかったか?」
そうではない、とモニカは首を振り、耳を伏せて、ヴォルデに尋ねる。
「……ヴォルデ、御父様が元王族って、知ってた?」
当然だろう、とヴォルデは頷く。
「俺も、望むと望まざるとに関わらず、王族の端くれだからな」
ああ、そういえばと、モニカは絶妙の火加減の肉に齧り付きながら唸る。滴る肉汁まで余すことなく飲み込みながら、彼女は頷いた。
(今度、詳しい話をして貰おうっと)
書類作業の傍ら、食後のコーヒーをヴォルデが楽しみ、モニカが毛繕いをしていると、若い団員が執務室に駆けこんできた。
「だ、だんちょう! 事件です!」
書類を睨んだまま、コーヒー片手にヴォルデは言う。
「どうした? また神殿がバカでもしたか? ……いや、それはないか。昨日の今日だからな」
団員は焦ったように早口に事情を説明する。
「いいえ! 大正解です。神殿がバカやらかしました。それも、前代未聞の大馬鹿です。奴ら異世界召喚で『勇者』を呼びだしたそうです!」
「な、なにっ!?」
ヴォルデは椅子を蹴倒す勢いで立ちあがる。
「不味いことに、こちらよりも先に銀の女王陛下が召喚を嗅ぎつけてしまいまして、現在、神殿側と交戦中です! エレナ副団長から、団長を至急呼ぶようにとの御命令で」
早くそれを言わんか、とヴォルデは机に立てかけてあった剣をひっつかみ、己の相棒を見つめる。
「モニカ」
「分かってる」
モニカの背に乗り、神殿へと駆ける一人と一匹に、団員が叫ぶ。
「勇者の条件は『魔王を倒しうるもの』。勇者の名は『小坂光輝』。黒服に身を包んだ少年です!」
その名を聞いた黒獣の尾が膨らみ、耳がピンと立ったことに気付いたものはいなかった。