光一郎大学一年生
この話からしばらくくっつくまでの過去編みたいな感じです。
なんならくっつくまでがぜんぶ過去まであると思います。
十余年前。
出会い自体は、優仁との出会いの方がよほどドラマティックだったように思う。大学に入学して少し、サークル勧誘だの新入生歓迎会だのと賑やかで慌ただしい雰囲気が落ち着きだした頃。光一郎はキャンパス内の人気の少ない場所に設置されたベンチでのんびりと昼食を取っていた。
桜の花はすっかり散りきって、青々とした若芽がのびのびと葉を風に揺らしている。光一郎は購買の焼きそばパンにかぶりつきながら、手元の紙を眺めていた。大きく書かれた「バイト募集」の文字。早い話、光一郎はちょいと金が入り用だったのだ。
別に学費が払えないだとか、そういう緊急性の高いものではない。趣味に寄った参考書やらパソコンの部品を買うための金が欲しかった。流石に大学生になってまで「趣味の物を買うためにお小遣いをくだちゃい♡」とは言いづらいし、言うつもりもない。
「んー……」
小さく首を傾げる。バイト募集の紙はキャンパス内の教授が出したもの。どうやら入学したてのヒヨコの手も借りたい────基、買いたいほどに忙しいらしい。太字のマッキーペンで豪快に走り書きされた文字の下、やや右上がりの癖字で記されたメールアドレスは学校から配布された管理用のもの。
時給、は、この辺の相場から考えるとやや安いだろうか。しかしまあ、キャンパス内で完結することを考えればアリなのかもしれない。
ながら食いをしていた焼きそばパンはとっくに包装紙だけになっている。そんなことにも気が付くことなく、物思いに耽っていたときだ。
「あぁー、それあんまオススメしないよ」
「うわぁッ?!」
突然背後から声を掛けられた光一郎は思わず声を上げた。勢いよく振り向けば、声の主は光一郎の手から滑り落ちた紙を拾い上げて内容にチラと目を滑らせる。光一郎からすれば随分小柄な、好青年といった男だった。
「はじめましての人だ。新入生?」
「え? ええ、ハイ、そうです」
差し出された紙を受け取りつつ、意図のわからない質問に何とか答えを返す。
「そのバイト、オススメしないよ」
同じ意味を持つ言葉を再度。光一郎は手元に返ってきた紙を見る。確かにバイト代はこの辺の相場より少しばかり低いものの、どこかへ移動する手間や交通費を考えれば妥当なところではないだろうか。
「キャンパス内で完結するからイイって思ってるでしょ」
「!」
頭の中を見透かされてはっと落としていた視線を上げる。
「当たった?」
「……まァ、」
「はは! でしょ!」
楽しげに笑った男はこれね、とベンチの背もたれに体重を掛けて光一郎の持つ紙に目を落とす。
「書類の整理、データの打ち込み、あとは簡単な雑用だったかな」
指折り数えて仕事内容が挙げられる。
「まるでやったことあるかのような言い方ですね」
「去年引っ掛かったからね」
なんてことない顔でさらりと落とされた言葉に、光一郎が瞠目した。光一郎の中でこの男の重要性が一気に持ち上がったのだ。未経験者が噂のまた聞きでしゃべるのと、経験者がしゃべるのでは情報の価値が全く違う。
「詳しく聞いても?」
「現金!」
昼食で出たごみをまとめて座る場所をずらし、手で示す。男は何がおかしいのか、からから笑いながら空けられたスペースへ腰を降ろした。手に持っていたらしい炭酸飲料をプシュ! と開ける。
「特殊技術不要、新入生歓迎って聞こえはいいけどさ。ま~~あとにかく量がすごくてね」
「量」
「そ、量。専門分野の知識もない、ド素人もド素人も歓迎してるってことはとにかく人手が欲しいってことでさ」
「あー……」
「実際猫の手も借りたいみたいな有様で、山みたいな資料と格闘させられた。やりがいもない、終わりも見えない。河原で石積んでた方がよっぽどやりがいあるよ」
遠い目で語る男の言葉のなんと重いことか。半笑いで炭酸飲料を飲む姿には何とも言えない哀愁があった。それを経験するどころか、善意の制止を受けている光一郎に掛ける言葉はない。
とはいえ金が欲しいという問題は今が解決はしていないので。
「……別のバイト探してみるか」
「ならいい感じのバイト紹介したげよっか?」
「…………」
光一郎の眉間にしわが寄った。あまりにも話が旨すぎやしないだろうか。これはもしや美人局やら、危ないバイトを抜ける身代わりにされるやつではないのか。
そんな光一郎の心中を知ってか知らずか、男はあっ! と声を上げ、慌ててポケットを探ってケイタイを引っ張りだした。
「っと……、流石に怪しいよな。これ、これなんだけど」
そう言って見せられたケイタイ画面。何かのチラシを撮影した画像のようだ。
「見づらい? まあつまるところイベント設営系のバイトでさ」
カチ、カチ、と画像を回して見えるのは、実際の現場の写真なのだろう。動きやすいようにジャージで自撮りをしているもの、まだ誰も入っていない空っぽのステージの写真など、人を騙すにしては手の込んだ写真の数々に、光一郎は一旦この男の勧誘が本当にただのバイトであると信じることにした。
「単発で募集かけるからやめるにしても引き留められたりすることもないし。タイミングとやる気が合えば好きな時にって感じ。ただ一日がかりだから、その辺はしんどいっちゃしんどいかも」
「なるほど……」
「ちなみに交通費は出る」
どう? なんて男が光一郎を覗き込む。丸一日の拘束というデメリットはアレど、やめるやめないの問答がないという点は非常に魅力的ではある。ついでに交通費が出るのも大変によろしい。
光一郎がぐらついているのがわかったのだろう。男はニンマリと口角を吊り上げてそっと囁いた。
「ちなみに日給一万二千円」
「いちまんにせんえん……」
魅力的だ。非常に魅力的だ。単発で何度か入れば結構な額が手に入る。
「ま、今すぐ決めろなんて言わないよ。別に人手連れてったところで報酬が出るわけでもないし」
「そうなん、ですね……」
「応募先の連絡先とかいる?」
「いいんですか?」
「いいんですよ。人手はいくらあったっていいでしょ。メアド教えてもらっても?」
「はい」
メールアドレスを伝えて程なくして、一通のメールを着信。差出人は「高橋優仁」。
「たかはし、……えー、ゆうと? まさと? ゆうじん?」
「ゆうと! ユージンはあだ名で呼ぶ奴いるな。そっちは読みやすい。あさくらこういちろう、で、あってるよね?」
「あってます」
メールが届いたのを男は炭酸飲料をごくごくと勢いよく飲み干していく。最後の一口を飲み切ってぷはぁ! と景気のいい声を上げ、ベンチから立ちあがる。
「じゃあそろそろ行くわ。気が向いたらバイトやってみてよ」
「はい、ありがとうございました」
座りっぱなしも悪かろうと、光一郎もつられて立ち上がる。うぉ、と優仁から声が上がった。まあ彼の背丈から見れば光一郎は随分と大きく見えるだろう。
「んはは、でっか」
「よく言われます」
「俺の友達といい勝負かも。あ、どうかな……あの人でっかいからなあ……」
一九〇近い光一郎と同程度の身長とは、よっぽどの大男らしい。成長期から身長が止まって久しく、光一郎は未だ自分よりも大きな人と遭遇したことはなかった。
今回も優仁の目から見て大きいということで、同じくらいがせいぜいであろう。
「あ、忘れてた。ちゃんと自己紹介してなかった。改めまして、高橋優仁。医学部の二年です」
やっぱり先輩だったな、と優仁を再認識した光一郎は自身も自己紹介を返す。
「朝倉光一郎です。一年、工学部です」
「おう、よろしく!」
にこにこと快活に笑った優仁が自然な動作で光一郎の手を取って握手をした。
勝手に手を取られたのに不快感を感じなかったあたり、人との距離を縮めたり、懐に潜り込んだりするのが上手いのだろう。
「手ェでっか!」
「まあそうでしょうね」
「んじゃまた! バイトはマジでやりたいと思ったらでいいから!」
「はい、ありがとうございます」
ひらひらと手を振りながら、優仁が立ち去っていく。特に名残惜しさを見せることもなく、その背中はすぐに建物の陰に消えていった。
あれが陽キャってやつだろうか。
そんなことを考えながら、光一郎は優仁から受け取ったメールのURLを踏んでサイトへ飛んだ。




