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笑ってよバーニーズ  作者: 陣外


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1/6

日常

浅倉光一郎(あさくらこういちろう)。三十五歳。男。職業、在宅プログラマー。身長一八五超。体重は健康診断で特筆されない程度。つまり身長に対し極めて標準値。収入、衣食住に困らなくてたまの贅沢がそれなりに許されるくらい。富豪を名乗るのはあまりにも烏滸がましい。真偽不明善悪全て混ぜ込んだ叡智の塊インターネットの情報を元にすれば、中の上から上の下あたりではなかろうかと自己分析している。


一行書いては消し。二行書いては唸る。ひとつハマればそこからズルズルと一気に進む予感はしているのに、その「ひとつ」とやらが出てこない。なんとももどかしい時間だ。

「んー…………」

バキバキ、ゴリゴリ、なんて。伸びをすれば嫌な音が体の中で響いている。よろしくないとは分かっていても、ついついやってしまうものだ。長年染み付いてしまった癖と、一時の快感にはなかなか逆らえない。

「んー、……あ? あー……」

手を伸ばしたマグカップが空っぽで、底がカピカピに乾いている。一体どれだけの時間唸り続けていたのだろうかとため息を吐く。潰した時間の割に、ノートパソコンの液晶に映し出される進捗は僅か。

今日はもう駄目だと見切りをつけた方がよさそうだ。幸い納期までにはまだだいぶ余裕がある。

「ふぁー……アー……」

履き潰したスリッパがペタンペタンと間抜けな音を立てながらフローリングを叩く。

キッチンに置いてある電気ケトルを水で満たし、セット。待ち時間にカピカピのマグカップを簡単に洗ってしまう。自室に水のボトルと共に置けば楽なのは分かっているが、そんなことをしたらいよいよ椅子から立ち上がらなくなる。

長身の光一郎が五体投地したって余裕があるあの部屋でエコノミー症候群など、まったくもって笑い事ではない。それに、もしそんなことになろうものなら、運動大好きなパートナーに引き摺られて外へ出されるのは目に見えているのだ。光一郎はまだどこぞのSNSで見かけた「運動量の多い愛犬が満足するまで付き合ってボロボロくたくたの飼い主」になる気はない。


そんなくだらないことを考えて彼方へやっていた意識を、電気ケトルの音が現実に引き戻した。

「お、」

白い湯気を噴くケトルを横目に、愛用のインスタントコーヒーに手を伸ばしたところで、光一郎はピタリと動きを止める。あまりカフェインを取りすぎないようにねと困ったように笑うパートナーの顔を思い出してしまったのだ。

「ん~~……クソ……」

友人からコールタールの蔑称を賜った激烈に濃いコーヒーを淹れてやろうと思っていたのに。既にたんまりカフェインを摂取している自覚があるだけに、脳内に浮かぶパートナーの控え目な制止がぶっ刺さる。

結局光一郎は今ここに居もしないパートナーに押し負けて、ごぼう茶のティーバッグを手に取った。体が資本である職業のパートナーに食生活を合わせて、光一郎も引き摺られるように健康である。


シンクに体重を預け、ティーバッグを入れっぱなしの状態でできあがったごぼう茶を啜る。可も不可もない味がする。こういうのは金額で味の良し悪しが変わるのだろうかと疑問が浮かぶものの、自分の舌では判別できないだろうなとも思った。バカ舌でないとは願いたいが、茶葉の階級を判別できるほど繊細な味覚を持ち合わせている自信もない。

パートナーは更にだ。食べられるもの、かつ光一郎が作ったものでなければ大抵のものは「まあ美味い」に分類される。味よりも栄養素を気にするあたり、「バカ舌」というより「味の優先度が低い」と言うべきか。

好き嫌いが大いに分かれることで名を馳せるフィンランド発祥の黒い飴も、「進んで食べはしないけどまあいける」とモリモリ食っていた。試したことはないがおそらく見た目が衝撃的な昆虫食もイケる口だ。是が非でも光一郎との食卓には出さないでいただきたい。


何を食わせてもにこりと笑って「美味い」と返すパートナーだが、光一郎が作った料理だけ「すごく美味い」と評するのがとても嬉しかったりする。

そこまで考えたところで、光一郎ははたと自分が大変に惚気たのではないかと気がついた。口に出すことはしていないし、当然この場には光一郎以外の誰がいるわけでもない。の、だが。

「初めて恋人できたティーンじゃないんだから……」

ごし、と熱を持った頬を手のひらで擦る。図らずも惚気たという事実が、光一郎の頬を熱くさせたのだ。アラフォーに片足突っ込んだいい歳の男が、なんでこうも初々しい照れ方をせねばならぬのか。


ホットで淹れなきゃよかった、と無実のごぼう茶に責任を擦り付けていれば、玄関の方からガチャガチャと物音がした。この家の鍵を持っているのは、光一郎とパートナー、それともうひとり。その「もうひとり」が鍵を使うことはよほどのことがない限りはないので、その線は薄い。と、いうことは。

「ただいまあ」

「!」

ぱ、と顔を上げる。顔が見えるわけでもないのに。視界に映るのは無人のリビングである。シンと静かだった空間が、わずかに暖かさを孕んだ気がした。

慣れ親しんだ、低く穏やかな男の声がもう一度ただいま、を繰り返しながら移動していく。ドサ、とそれなりの質量が降ろされる音。本人は荷物を置き去りに、洗面所へ向かったらしい。手を洗う音と、次いでうがいの音が聞こえてきた。こういうこまめな習慣が、結果として風邪知らずの健康体を維持していくのだ。

トントントン、と階段を上がっていく音が聞こえた。光一郎が普段帰ってきても気がつけずに書斎にこもっていることが多いから、そちらにいると踏んだのだろう。残念、本日はキッチンでティーブレイクの真っ最中である。二階から光一郎を呼ぶ声がする。

ごぼう茶を含みつつ笑いを噛み殺していれば、トトトト、と上がる時よりも速く階段を下りる音。そのまま大きな質量がのしのしと廊下からリビングへ近づいてきた。

あと三歩。二歩、いち。


「ただいま。……コウ?」


ひょいと顔を出したのは予想と違わない人物。光一郎のパートナーである。

「おかえりなさい」

「こっちに居たのかぁ。ただいま」

光一郎を探していたのだろう。声を掛けつつもうろうろと彷徨っていた視線が光一郎を発見すると、表情がとろりと蕩けた。甘く、愛おしいものを見つめるヘーゼルの瞳がきらきらと光を反射していて、どうにも照れくさい。

ゆるりと腕を広げて近づいてくるのを拒まずに、ハグに応じる。鍛えられて太くしなやかな腕が光一郎を抱き込んだ。まさか一八五を超える身長の自分が「腕の中にすっぽり」なんて表現を使われる側になるなんて、学生の頃は夢にも思っていなかった。


「おかえりなさい、和沙」


抱きしめられた腕の中、顔を上げてそう言ってやれば。心底嬉しい、という表情を隠しもせずに満足そうな笑い声が降ってきた。目尻に落とされる柔らかい唇も、まあいつものことである。


本城和沙(もとしろかずさ)。三十八歳。男。職業、俳優、でいいはず。テレビドラマよりも舞台がメインの俳優、あるいは特殊スーツを着用する役者はなんと呼ぶのだったか。深く踏み込んだことはないが、出演歴や予定を見るに、随分稼いでいると思われる。元体操部の恵まれすぎたと言っても過言ではない身体能力と、類を見ない外見を存分に活かして絶賛活躍中だ。


身長二〇〇超。速いのも高いのも好きなのに、身長制限に引っ掛かり遊園地のアトラクションに尽く嫌われていると嘆いている。体重はBMI的には軽度肥満に該当するが、あのゴリゴリに筋肉のついたアスリート体型が肥満であってたまるかというのが光一郎の意見である。医者からも肥満ではないね、筋肉重いもんねと朗らかに笑われるくらいなのでまあ、健康上問題なしと判断して良さそうだ。

イギリスと日本のハーフだと言っていた気がする。欧米人の堀の深い顔立ちと、アジア人の柔らかな丸い雰囲気のいいとこ取りの整った顔立ち。光一郎としては個人的に「イケメン」よりも「ハンサム」と呼称したい所存である。顔立ちやらプロポーションについては、お国や地域の特徴が云々と言うより、総合的に「コミックから出てきました」と表現するのが光一郎としては一番しっくりきている。そしてその容姿は、彼の仕事に遺憾無く発揮されているのだ。


鍛え上げられた筋肉は案外柔らかいものだ。光一郎は胸筋に頬を押し付けながら和沙を見上げる。むに、と沈む筋肉が気持ちいい。止められないのをいいことにTシャツの上からもにもにと柔い胸筋に指を沈ませながら光一郎は口を開いた。

「進んだ? とは聞かないでくださいね」

ぱちり、と和沙が瞬きをひとつ。

「そんな野暮なことしないよ」

「進んでないんですよ。ちっとも」

「自分で全部言ってるじゃないか。可愛いなあー……」

くふくふと笑いを食む和沙の声が首筋に当たってくすぐったい。そのまま唇を押し当られたところではっとして頬を両手で捕まえた。危うく流されるところだった。和沙は頬を掴まれたまま、眉をひょいと跳ね上げて見せる。元からそうであるのか、仕事柄そうなったのか。和沙の表情筋は随分と柔らかく、くるくると感情をその整った顔に映し出す。

「ご飯、ちゃんと食べた?」

「えー……あー」

言い淀んだ光一郎に、和沙の眉間にぎゅっと皺が寄る。

「食べてないな? またコーヒーで誤魔化したか?」

「ひひ、すみませっ……つままないでくださいって」

咎めるように横っ腹の肉をつままれて声が出る。図星なので弁明の余地はない。困ったように眉を顰めていても、表情に甘さが隠しきれていない。

「コーヒーじゃないですよ、ほら」

これはうまいことはぐらかせるのではと飲みかけのごぼう茶を視線で示し弁明を図るも、残念ながら現実はそううまくいくものではない。

「どっちにしろ液体だろう。俺は固形を食べてほしいんだよなあ……」

ため息まじり。それ以上の追及はない。これもいつものことだ。

光一郎も和沙も仕事にどっぷりなタチである。互いの仕事に関して、あまり深く踏み入らないのはいつの間にか暗黙の了解となっていた。仕事に没頭しているその姿も好きなのだ。とはいえ体を壊してほしいわけではないので、都度小言が出てしまうのもまた仕方がないことなのだ。

ちゃんと食べてね、とこぼしながらするりと和沙の腕がほどける。穴が空くのではないかと思うほどに注がれていた視線がふっとはずれた。

「スーパー寄ってきたんだった。生ものあるのに」

そういって慌ただしくリビングを出ていった和沙を見送りながら、光一郎はマグカップをひとつ、追加で棚から取り出した。いそいそと戻ってきた和沙の両手にはパンパンになったエコバッグが吊り下げられている。和沙が大きいせいで大した量に見えないのは視覚の敗北だろう。予想通り近くまで運ばれてきたエコバッグは馬鹿みたいに大きくて重たかった。

「夜は何を?」

「トマト缶安かったから鶏むね肉とキャベツ煮込もうかと思って」

「ああ、いいですね」

パンパンのエコバッグから食材が次々と取り出され、ふたり住まいには大きい冷蔵庫に放り込まれていく。和沙がよく食べるので、冷蔵庫はファミリーサイズがちょうどいいのだ。まあこの体格と仕事での運動量を考えれば、食べる量も納得ではある。

「半額のリンゴあったからシナモンと砂糖振ってレンジでジャムみたいにしよ。ヨーグルトに入れたら美味しいよ」

「ヨーグルト余ってました? あなた今朝食べきってませんでした?」

光一郎は脳内に今朝の記憶を掘り起こす。確か残り少ないからとグラスに盛らずにそのままスプーンで容器をこそいでいたはずだ。そんな光一郎を横目に、和沙は楽しそうにエコバッグを漁る。

「ふふ、ちゃんと買ってきた」

「最高」

そう言って取り出されたヨーグルトのパックもつつがなく冷蔵庫へしまわれていく。脂肪ゼロなのは年齢からくる脂乗りへの抵抗である。そんなことをせずとも和沙は常日頃動き回っているのだから心配はいらないのにな、と光一郎は思うが、机にかじりつきっぱなしの自分が危ういので指摘はしない。

食材をしまい終えた和沙に、新しく淹れたごぼう茶を差し出しながら、光一郎は冷凍しておいた小分けのご飯の余りを思い出していた。多分明日の朝で底をつくはずなので、夕飯の後に炊飯器をセットしておくべきだろう。

「この後は作業続ける?」

受け取ったごぼう茶をすすりながら和沙が問うた。

「今日はもうダメです。何も進まない。夕飯作るの手伝います」

「あらら。じゃあサラダ作って。レタスもトマトも買ってきたよ」

「トマト缶使うならトマトは明日の朝食にしましょうか。モッツアレラ、まだ使ってないのあったはず……。ああ、あった。半分のキュウリもある。なんで半分……?」

「それ俺のおやつ」

「使っちゃいますね」

覗き込んだ冷蔵庫の一番上の棚の奥。封を切られていないモッツアレラチーズのパッケージが転がっている。こういうとき背が高いとしっかり見渡せて便利だ。シンク上の棚も踏み台いらずでフル活用できる。

鶏むね肉のトマト煮と、サラダ。あと季節のフルーツをいくらか野菜室にしまっているのを見たので、デザートはそれにしよう。

「ぐッ……?!」

「角気を付けてくださいよ」

バガン! と派手な音を立てて和沙がシンク上の棚に頭を打ち付けた。それなりの築年数であるこの中古の一軒家は、サイズ感というべきか、長身のふたりにとっては低いところがある。油断していたのだろう。光一郎もよくやるので気持ちは非常にわかる。


閑静な住宅街、庭付きの中古一軒家。ベタな表現をすればそれがふたりの「愛の巣」だ。

ありがたいことに珍しいなという反応はあれど、同性同士のパートナーである光一郎たちへの嫌悪の目はなく、ご近所づきあいもうまくいっている。この点は和沙が人懐っこく温厚であることも大きいというのが光一郎の考えだ。実際複数のご家庭から「ふたりともおっきいから防犯になっていい」なんて声も頂いている。和沙はともかく光一郎に戦闘力は期待できないので、ハリボテの恵体が上手く機能し続けるのを祈るしかない。なんなら和沙も基本的に平和主義で衝突を避ける傾向にあるのでふたりそろってこけおどしである。図体がでかいばかりの役立たずだとふたりで膝を打って笑いあった。

先日は近所に住む快活なギャルに「この間カズくんにお勧めしてもらったコスメ崩れにくくてチョーイイカンジって伝えといて!」と伝言を預かった。仕事柄スキンケアやら化粧品に詳しい和沙がギャルと情報交換しているという絵面を想像するだけで妙におかしかったのは記憶に新しい。

「っふ……」

「なに、ご機嫌だね」

つい思い出し笑いをこぼした光一郎に、和沙が背を丸め顔を覗き込む。

「ふふ、ええ、まあご機嫌ですよ」

「そりゃあなによりだ」

光一郎につられたか、和沙もとろりと柔らかく笑う。ひどく甘くて、穏やかな日常である。


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