先輩が作る弁当は、いつだって美味しい。間違いない
「……ほんと。いつまでもこうして、一緒にご飯を食べられたらいいのにね」
先輩の口から寂しそうに紡がれた言葉に、僕ははっと息を呑む。
そう。先輩は今3年生で、今まさに進路を決める真っ最中なのだ。既にオープンキャンパスが開かれている大学もあるし、入試概要が発表される学校もあったはずだ。就職するにしても、企業調査も早めにしておかないと乗り遅れるだろうし。
僕はずっと前から、頭の片隅で考え続けていた。けれども、先輩との縁が切れてしまうそうな気がしてどうしても踏み込めなくて、見て見ぬふりをし続けていた。
僕は勇気を出して、先輩に恐る恐る尋ねる。
「あの。先輩は、どっちにするんですか?進学か、就職か」
「進学だよ?」
先輩は僕の問いに動じることなく、さらりと言ってのけた。
……そうか、進学するのか。そりゃあ、先輩は頭も良いし運動神経だって抜群だ。きっと先輩ならどこの大学だって行けるのだろう。
そう考えた途端、これ程までに近い先輩との距離が、一気に遠くなったような錯覚を覚えた。
「……あの。先輩は大学に行ったら、何を学ぶんですか?」
「どうしたの、急に」
「ああいや。ええと、少し気になったので。先輩は頭がいいから、どんな大学に行くのかなって」
突っ込み過ぎただろうか。しどろもどろになった僕を不思議そうに見つめた後、先輩はふっと小さく笑って天井を見上げた。
「叶えたい夢があるの」
「叶えたい夢?」
なんだろう。先輩は料理が上手だから、どこかのレストランで働きたいとかだろうか。なら、進学先は調理師の学校? それとも、公務員を目指して法学部のある大学へ進むとかだろうか。
僕の邪推を否定する様に、先輩はからりと笑ってこう言った。
「お父さんの会社を、継ぎたいなって」
「……それは」
それは果たして、本当に先輩の夢なのだろうか。ふと、そう疑問に思った。
確かに、先輩は八重樫グループのご令嬢ではある。けれども、父親が会社の重役だからと言って先輩が跡を継ぐ必要は無いと思うし、そもそも先輩の未来は先輩自身に委ねられている筈。その権利はきっとある。
勿論先輩自身が考えてその結論を出したのなら話は別だけれど、なにも親の敷いたレールの上を歩く必要性は無いんじゃないだろうか?
僕が思考の海に沈んでいると、僕の表情が険しかったのか先輩は慌てて首を横に振った。
「ああ、勘違いしないでね。別に、お父さんに言われたとかじゃないんだ」
「そうなんですか?」
「うん。寧ろ、心配されちゃった。本当にそれで良いのかって。自分の目標があるなら、気にしないでいいんだよってお父さんもお母さんも言ってくれてね」
先輩は何かを思い出すかのように小さく微笑みながらそう言う。
僕は、何度かお会いしたことのある先輩のご両親を思い出す。恰幅の良い、大企業の社長らしからぬ柔和な雰囲気の八重樫康介さんと、凛とした雰囲気の中に確かな優しさと誠実さを感じさせる妻の八重樫紗雪さん。
どちらも良識のある大人であり、娘の幸せを一番に願っている優しい親御さんだった。確かに、あの人たちなら言いそうだ。
「でもね。だからこそ、お祖父さんが立ち上げて、お父さんが受け継いだ会社に入りたいなって」
「……先輩」
「だからね。大学に行って経済と経営をしっかり学んで。自分が会社に入って会社をもっと大きくできるように頑張りたいの」
そう話す先輩の瞳には、覚悟を決めた者にしか決して宿せない強く眩い光が宿っていた。
僕が想像していたよりも先輩は遥かに前を歩いていて、たった1歳しか違わないというのにも関わらず既に大人だった。
対して僕はまだ17歳の子供で、勝手に勘違いをしていた自分がどうしようもなく恥ずかしくなって先輩から目を逸らす。
……僕は、一体どうしたいんだろうか。
「ねえ、知ってる? お父さんの会社が開発中の部品、新型のエラトステネスに使われるって」
唐突に、目を輝かせた先輩は嬉しそうに自分の左耳を指さす。正確には、左耳に装着された桜色のヘッドセットを。
無線誘導式間接神経接続型・立体思考制御補助用携帯端末エラトステネス。株式会社スバルが独自に販売している、スマートフォンに代わる新たな携帯端末は発売するや瞬く間に一世を風靡した。
大元は事故や怪我によって半身不随や体に麻痺が残る患者が自由に体を動かし、日常生活を送れるようにと開発された医療器具だった。その性能に注目した大手携帯販売代理店がこぞって業務提携を結ぼうとしたけれど、その全てを突っぱねて独自で販売を始めたんだ。
「この間、新聞の記事に載ってましたよね。これまで脳に近い耳介に装着しなければ難しかった神経接続が、技術の進化で末端の神経でも可能になるだろうって」
「そうなの! だから、新型のエラトステネスは指輪か腕輪型になるんじゃないかって。楽しみだよね」
「名前も変わるんですよね。確か、一般公募で決めるんだとか」
「そうそう。かっこいい名前になれば良いよね!」
先輩はさも自分の事の様に喜びながら話す。
株式会社スバルの社長が先輩のお父さんの大親友で、エラトステネスは共同開発だったはず。
「きっとこの先、もっと沢山の人がエラトステネスの恩恵を受けられるようになるんだろうね」
――そう。エラトステネスは元来医療器具だ。脳に近い耳介を通さなければ作用しなかった神経伝達機能が末端神経でも可能になったということは、より多くの患者を救える可能性が出てきたという事だ。
いくらエラトステネスでさえ、視聴覚障害を患った方々には無力だった。それが一転、新型のエラトステネスが世に出た暁には、IPS細胞の移植手術と合わせて活用することで日本の医療分野は飛躍的進歩を遂げるだろう。
それは同時に、企業間の利権や確執、技術や部品の元となる鉱石などを巡って政治的な問題を抱えて行くことを意味する。
だったら、僕は。
「――だったら。先輩、待っていて下さい」
「え?」
「僕も、先輩と同じ大学に行きます。経済だけじゃなく、法律を学んで先輩の隣に立てるように」
東京都立、国立三葉大学。あそこなら、経済学や法学も同時に学べる。僕の学力では日本の最高学府には入れないけれど、今から死ぬ気で勉強すればあの大学に手が届く。依然としてハードルは高いけれど、挑戦する価値はある。
何より、先輩の為に。先輩の夢が叶うよう、隣で支える為に。
そう告げてから、僕たちは暫くの間見つめ合っていた。何処からか聞こえてくる針の音だけが理科室に響いていた。
刹那とも永劫とも取れる時間が流れ、僕たちはほぼ同時に噴き出した。
「っふふ、ふふふ」
「あはは、あはははっ!」
「はは、格好つけすぎましたね」
「ホントだよ。ふふ、あー笑った。君の台詞、なんだかプロポーズみたい」
先輩は笑い過ぎて目に浮かんだ涙を拭いながら、何故か嬉しそうにそう言った。
いや。いやいや、プロポーズだなんてそんな意図は決して無い。無いのだが、さっきの台詞を再度頭の中で反芻してみると、ラブコメの漫画かでしか聞いたとこが無いような台詞だった。
ともすればストーカーと勘違いされそうな気がして、僕は慌てて先輩の言葉を否定する。
「ぷ、プロポーズって。そんな意図はありませんて」
そう言うと、先輩は揶揄うように笑う。
「えー、違うの? 私はうれしかったけどな」
「……嫌じゃないんですか?」
「そんな事無い。寧ろ嬉しいよ。私の隣を追ってくれる人なんて居なかったから」
先輩の嬉しいという言葉に、僕はぐっと息を詰まらせる。それはそうかもしれない。この学校での先輩は余りにも飛び抜けて見えるから。才能も在って努力も欠かさないと誰もが知っているからこそ、憧れこそすれ決して届かないと皆諦めてきたんだろう。
けれども、僕はそうなりたくない。先輩の苦悩を知っているから。先輩の夢を叶えたいと、心の底から思ったから。
「追いつくの、時間かかるかもしれませんよ」
「知ってる。だけど、私止まらないからね。夢は絶対に叶えたいから」
「承知の上です。僕も全速力で追いかけますよ。だって、いつまでも先輩の隣で歩けることが、僕の目標なんですから」
先輩と向き合って、自分の決意を告げる。
そう言うと、先輩は顔を赤らめて顔を逸らし、ちらちらと横目で僕を見ながら小声で呟いた。
「私の隣を歩けるようになったら、さっきの台詞もう一度言って欲しいな。今度は、お父さんとお母さんの前で」
「え」
「駄目?」
「駄目じゃないですけど。それは一体、どういう……?」
「さあ、どういう意味かな。君はどう解釈するの?」
そう言うと、先輩は面白い玩具を見つけたかのようににやりと笑った。
このやろう。僕の渾身の決意を面白がってからに、ちくしょうめ。おのれ、ならばこちらにも考えがあるぞ。
「別に、プロポーズしようなんて思ってませんでしたけどね、今は」
「うんうん、だよね。――へ?」
「ああでも。先輩の作ったお味噌汁だったら、毎日でも飲みたいですけどね」
呆気に取られている先輩に追撃をかます。気恥ずかしさはあるが、知った事か。どのみち、先輩にはいずれ伝えようと思っていたんだ。
自棄になれば、こうもスラスラと言葉が出てくるのか。そんな自分に驚きながら、僕は先程から黙り込んでいる先輩の顔を見る。もしかして、遂に気分を害してしまったのだろうか。
けれども、先輩は顔を真っ赤に染めて、ぷるぷると震えていた。
そうして、教室中に響く声で叫んだ。
「な、な、な」
「な?」
「なんですってー!?」
先輩は顔を染め、がたりと音を立てながら立ちあがる。
いい気味だ。散々、僕をからかってきた罰だ。
「ちょっと、いきなり大声を出さないでくださいよ。もう少し静かにしないと」
そう言いながら、僕は残っている先輩の弁当を平らげるべく本腰を入れる。もう昼休みも終わりに近いんだ。こんな美味しい弁当、残すなんて勿体ないし出来るはずもない。
あ、この鮭おにぎり美味しい。
だが、先輩は僕の態度が気に障ったのか或いは恥ずかしさが頂点に達したのか、耳まで赤くしてさらに声を大きくした。
「おのれ、後輩ちゃんの癖に生意気な。ちくしょうめー!!」
「煩いですよ、先輩。外まで聞こえちゃうじゃないですか」
「うるさーい!!」
僕はわあわあと叫ぶ先輩を横目に見ながら、最後に残った唐揚げを頬張る。
うん、やっぱりそうだ。先輩の作る弁当は、いつだって美味しい。間違いない。




