第7話 人体切断連続殺人事件Ⅲ
ティベリオの雷が落ち、リビングにようやく静けさが戻った。
ソファに腰を下ろしたノエルは、ふうっとため息をつきショールを胸元でぎゅっと握りしめる。
「……それで。ノエル、どうしてこんな時間にここにいる?」
ティベリオが腕を組み、低い声で問いかける。
ノエルは一瞬、気まずそうに視線を泳がせたがやがて小さな声で口を開いた。
「……お父様と喧嘩したんです」
「兄上と?」
「ええ。私、貴族学校に通っているでしょう?そこに婚約者もいますの。同じ学年で……本当ならもっと一緒に過ごせるはずなのに、最近は他の女性とばかり出歩いて私のことなんて見向きもしないんです。声をかけても、いつも不機嫌そうな態度で」
ノエルの声はだんだん熱を帯びていく。
ティベリオは口を挟まず、静かに聞き続けた。
「それが悔しくて……お父様に相談したんです。そしたら『若い頃の過ちは誰にでもある。ノエルが許してあげなさい』ですって!許す?どうして私が浮気男を許してあげなければならないのって……頭にきて」
膝の上でぎゅっと拳を握るノエルの瞳に、悔し涙が浮かぶ。
「だから、言ってしまったんです。『お父様はどっちの父親なのよ!私の気持ちより、あの浮気者の肩を持つんですか!』って……」
言葉を吐き出すと、ノエルは唇を噛みしめ肩を震わせた。
ティベリオは深く息を吐き、額に手を当てる。
「……兄上も相変わらずだな」
「私も貴族の娘ですから、政略結婚がどれほど大事かは理解していますわ。でも……私にだけ我慢を強いるのはおかしいでしょう?お父様には先方に注意してほしかったのに……まるで、私が我儘を言ってるみたいに言われて……悪いのは向こうなのに」
ノエルは俯き、心細げに呟く。
「お父様には黙って来ましたけど、お母様にはきちんと事情を話してあります。この家の鍵も、お母様の許可を得て、伯爵家にあるスペアを借りてきました……お父様が謝りに来るまで私は帰りません!」
「はぁ……義姉上までグルか……全く。こんな時間に子供を追い返すわけにもいかない。仕方ないからしばらく置いてやる。ただし条件がある、俺の仕事部屋と寝室には入らないこと。それから俺はほぼ家にいないから、自分のことは自分でするんだ。いいな?」
ティベリオの言葉を聞くと、ノエルはぱっと顔を輝かせた。
「もちろん!お母様の教えで大抵の事は自分で出来ますもの。お世話になる代わりに、食事の用意は私がしますわ!料理も花嫁修業の一環で習いましたもの!」
「……本当に大丈夫かよ」
そう言いながらも姪っ子が可愛いのだろう。ティベリオの口元がわずかに緩んでいた。
こうして予想外の訪問者を受け入れた翌日。
セシルとティベリオは捜査のため、ハドン伯爵家が運営する病院へと足を向けていた。
早朝、ノエルが起きだしてくる前にティベリオは眠そうなセシルを引っ張って屋敷を出た。
「うう……ノエル嬢が羨ましいな。ゆっくり寝られて」
「この事件が解決したらたっぷり寝ればいい」
二人は車に乗り込み、都市の中央にそびえるハドン伯爵家の病院へと向かった。
白壁に大きなアーチの入り口を持つ建物は、まだ朝の早い時間だというのに職員や患者の姿で賑わい始めている。
受付で身分を告げ、看護師に事件の被害者がここで診察を受けていた件については話を聞きたいと告げると、当日に健診を担当していた責任者に取り次いでくれることとなった。
『院長室』と書かれたプレートの掲げられた部屋で待つこと数分。
現れたのは、まだ若い紳士だった。
「お待たせしました。私が院長を務めております、シャルウッド・ハドンです」
上品な仕立てのスーツの上に白衣を着こなした青年。
この病院を運営するハドン伯爵家の令息だと名乗ったシャルウッドは若くして院長を任されるだけあって、落ち着いた物腰を漂わせていた。
ティベリオは警察手帳を示し、セシルと共に事情を説明する。
シャルウッドは柔らかな笑みを浮かべながらも、きびきびと質問に答えていく。言葉にも矛盾は見当たらない。
この病院が行っている無料の健診については、市民の健康を守るためだとにこやかな笑顔で答えていた。
そこで、ふとセシルの目を奪ったものがあった。
シャルウッドの背後、院長室の棚の上にひときわ目を引く存在が置かれていたのだ。
純白のドレスに身を包んだ抱えられるほどの大きさの球体関節人形。
細工の精緻さ、肌の白磁のような艶めき。まるで本当に呼吸しているかのような美しさ。
「……この人形、すごいね。アンティークか何か?」
セシルが思わず声をかけると、シャルウッドは一瞬だけ目を細めた。
「ええ。私の趣味でして。自分で作ったものなんですよ。お恥ずかしい話ですが、仕事の合間に少しずつ手を入れるのが、なによりの気分転換でしてね」
言葉は穏やかだが、その眼差しには熱が宿っていた。
人形に向ける愛情の色が、異様なほどに濃い。
――怖い。
――この人、危ない。
不意にセシルの耳に、かすかな声が届いた。
それは人形の『声』。ただの囁きではない。人形そのものの心の声。
ティベリオもシャルウッドも気づかない。
だがセシルには、確かに聞こえる。
――この人、悪い人。
――人を壊す、悪い人。人、たくさん、壊れた。
セシルは息を呑んだ。
同じ「人形」である自分にしか届かない告発の囁き。
「……セシル?」
「……なんでもない」
ティベリオの問いかけをごまかしながら、セシルは人形を見据えた。
冷たいガラスの瞳が、確かにこちらを見返している。
「他に何かありますか?」
「今のところはこのくらいでしょうか。もしまた何かありましたら伺うかもしれません」
セシルが人形に気を取られている間に、ティベリオはシャルウッドから聴取を終えたらしい。
「いつでもどうぞ、犯人逮捕の為ならいくらでも協力します――貴方も、いつでもいらしてください。歓迎しますよ」
「触るなっ」
帰り際、シャルウッドにいきなり手を掴まれセシルは咄嗟に払いのけた。
「おっと、失礼。あまりにも綺麗な肌でしたので……まるで人形のような」
シャルウッドはにこりと微笑むと熱を孕んだ眼差しを一瞬、セシルへと向けた。
「この後も捜査があるので、我々はここで失礼します。行くぞ」
「……うん」
言いようのない気持ち悪さを感じながらセシルはティベリオと共に院長室を後にした。
十分部屋から離れた後、セシルは嫌悪感を露にしながらティベリオに耳打ちする。
「テディ、あいつ気持ち悪い。あいつが犯人かも」
「おいおい、いくらなんでもそれは言い過ぎだろ……確かに最後のあれはちょっと鳥肌が立ったが」
「それだけじゃない。あの部屋にあった人形が言ってたんだ。あいつは『人を壊す悪い人』だって。『人がたくさん壊れた』とも言ってた」
セシルの言葉にティベリオは思わず目を開き足を止める。
「壊れた?……殺したってことか?」
「分からない。でも見た目とはかけ離れた本性なのは確かだよ」
その言葉にティベリオは眉間にしわを寄せる。
「つか、人形が言ってたってなんだよ?」
「言わなかったっけ?僕、人形の声が聞けるんだよ」
「…………そういえばお前も人形だっけな」
ティベリオはセシルが人形であることなど、頭から抜けていたらしい。
「あんまりにも人間っぽいからすっかり忘れてたな」
「褒め言葉かな?ありがとう」
そんなやり取りをしながら二人は病院を後にした。
背後で院長室のカーテンがひらりと揺れたことに気が付か