第三話 令和7年7月7日
授業なんて、まったく頭に入ってこなかった。
(ユウトって、どんなやつなんだろ……)
前から同い年ってことは聞いてた。
きっと、いいやつなんだろう。
チャットのやりとりだけでも、人柄が伝わるくらいだったし——
そんなふうに、授業中ずっと考えていたくせに、いざその時が近づいてくると、胸のあたりがそわそわして仕方ない。
放課後、待ち合わせ場所の駅前の時計台に着くと、尚は人の流れを避けて柱の影に立った。
(……落ち着け、俺)
ちらりとスマホを見る。まだ時間より少し早い。
駅前の時計台の前で、尚はそわそわとスマホを確認しては、辺りを見回していた。
そんなときだった。
「なぁ、ちょっと聞いていい?」
不意に声をかけられ、顔を上げると——
派手な髪にピアス、ぶかぶかの制服。
ヤンキーみたいな高校生が、こちらに立っていた。
(……えっ、ユウト……!?)
一瞬ギョッとしたが、相手は地図アプリを見せながら言った。
「この“南商店街”って、どっち行けば早い?」
「え、あ……えーと、あっちの路地抜けた先です」
「あざっす〜!」
深く頭を下げて、軽やかに去っていく彼を見送りながら、尚は脱力した。
(……違った。ていうか全然普通にいい人だったし)
そのとき、ポケットのスマホが震えた。
LINE通知——ユウトからだった。
> 《ユウト》:ごめん、もう少しで着く!
(よかった……もうすぐ)
ふと視線を上げた先。
人波の向こうから、小さな影が小走りで近づいてくる。
揺れる肩までの髪。見慣れた制服。
そして、目が合った——
(……白川さん……?)
駅前の時計台。
人通りが落ち着いた夜の街で、ふたりは顔を見合わせたまま、数秒固まった。
「……え?」
「……あ」
驚いたのは、どちらもだった。
《ユウト》——ゲームの中の親友。
ずっと気兼ねなく話していた、あのユウトが、
目の前にいる“白川 沙良”だったなんて。
「……え、うそ、白川さん……? ユウトって……?」
「あ……うん。ごめん、驚かせちゃったよね」
沙良は小さく笑って、髪を耳にかけた。
「ちょ、ちょっと待って!? ユウトって、てっきり男だと……おれ、めっちゃ変なこと言ってたぞ!? マジか——!」
「ふふ、知ってるよ」
沙良は静かに、公園のベンチに腰掛けた。
放課後、駅前の喧騒を抜けたその先——
昨日“ユウト”と語り合った場所。
ふたりはそこに足を運んでいた。
尚も続くように、その隣に座った。
「男のふりをしてたの。……ごめん。ずっと、隠してた」
沙良の目はまっすぐで、誠実だった。
「昔、女の子キャラでVCしたら、執拗に付きまとわれて、怖い思いをした……。
だから、男のフリしてユウトって名前で始めたの。
本当はナオと、もっと普通に話したかった。でも、それができなくて——」
「……いや、謝らないで。そんな理由があったなら、全然……」
尚の言葉に、沙良は一瞬だけ目を伏せ、そしてぽつりと続けた。
「……ずっと、好きだったんだ。ナオのこと」
沙良は、小さく目を伏せて言った。
「もちろん、最初は趣味が合う人だなって思ってた
でも、だんだん変わっていったの。
ナオって、優しいよね。詮索しないし、何も聞かなくても、ただ隣にいてくれて。
時々冗談言って、笑わせてくれて……くだらないのに、それがすごく嬉しかった」
尚は息を呑む。画面越しでも、そんなふうに思っていてくれたなんて——。
「それで……いつの間にか、“誰か”として、好きになってた。
本当は伝えたかった。ずっと、言いたかった。
でも、去年のクリスマスイベントのとき、ナオが“好きな人がいる”って話してて……
そのとき、諦めなきゃって思ったんだ」
沙良の声が、少し震える。
「ナオには“咲さん”って好きな人がいるって思って、諦めようって——」
尚は、ぽかんと沙良を見つめた。
「……いや、それ……」
そして、声が裏返った。
「……その“咲さん”って、白川さんのことなんだけど!?」
「……え?」
「ていうか、“さ”と“ら”だから、照れ隠しにちょっともじって“咲”にしただけで——!」
沙良の頬が、ふわっと赤く染まっていく。
尚も、こそばゆそうに笑った。
「おれも……好きだった。ずっと。
そっか……。画面越しでも、白川さんは白川さんだったんだね。
……優しくて、ちょっと不器用で、でもすげぇ頑張り屋で」
顔を見合わせて、ふたりは静かに笑った。
そして、沙良がふと、小さく呟く。
「……ねえ、3つの奇跡って、覚えてる?」
尚は、頷く。
「一つ目は、あの歌を生で聴けたこと。
二つ目は、同じ場所で、それを君も聴いてたってこと」
沙良が、優しく目を細めた。
「じゃあ、三つ目は——」
“ユウト”が——ずっと好きだった白川沙良だったこと。
ずっと好きだった“ナオ”が、クラスメイトの——黒瀬君だったこと。
風がそっと吹いて、風鈴の音が微かに鳴ったような気がした。
駅前の小さな公園で、ふたりの願いごとは、そっと叶ったのだった。
『七月七日、君に会えた』 fin.
……同じ日、同じ場所で。
もうひとつの“運命”が動き出すことを、まだ誰も知らない。




